レスティアの仕事

 

 少なくとも当時、それは特別な日でも何でも無かった。

 今になって特別だと言えるのは、未だ色あせない思い出という装飾を施されているからだ。


 王都中心の市場へおつかい、幾度と繰り返してきたいつもどおりのお手伝い。

 メイド達などの使用人に行かせれば良いとは、心配性の執事長が繰り返し言っていた。彼が何かを心配していない時など記憶には無い。

 きっと寝ているときも何かに悩んでいるのだろうと、妹と今でも笑いあっている。


 彼女は口だけで他者を使う己の身分をよしとはしなかった。周りは全て自分の倍以上の年齢ばかりだったことも理由である。

 やや早熟の自立心は、まだ9歳の少女を背伸びさせていたかもしれない。

 普段は歳不相応に賢い彼女だが、時折信じがたい頑固さで執事長やメイド達の頭痛の種になっていた。

 彼女を端的に評するなら『ませたお嬢様』だっただろう。


『行ってきます。お父様、お母様』


 そう挨拶し屋敷を後にする。購入するものは今日のオヤツだ。

 銅貨10枚までで収めるようにと父に言い渡され、アレやコレやと脳内で甘味を選別しながら道中を楽しんだ。

 屋敷の必要な品を仕入れるとなると、とんでもない量になってしまう。住み込みの使用人だっているのだ。彼女のお手伝いに依頼する物としては文字通り手に余る。

 自立心と自尊心を満足させながら、彼女は市場へ大手を振って向かった。もちろん彼女を隠れて護衛する存在には気付かず。


 そこでいくつかの災難が彼女達を襲った。そして、それは逆に悪意を持った者達にとっては幸運だった。


 王都の市場通りで、馬車同士の衝突事件が発生したのだった。

 通りが十字に交わる位置で、大きな質量をもった物同士がぶつかり往来は一時騒然となった。人の多い時間であったことも災いし、混乱の収拾は容易に付かなかった。

 それが原因となり護衛は彼女を見失い、少女は魔手に捕らえられてしまった。

 魔手の持ち主たる彼らは、野盗くずれや最下級の冒険者を寄せ集めたような連中で、計画性も統率性もなくそれを成し遂げていまった。


 当初は身代金を要求することを考えたが、少女が王国でも名を馳せる大貴族の令嬢と知り、人質交渉はリスクの面から断念した。

 ならば、この名家に悪感情を持つ連中に売り渡すのはどうか。あるいは後腐れなく奴隷商人に売り飛ばしてしまえばいいのでは。

 考えの浅い彼らにとって、それは天啓に等しい説得力をもっていた。


 少女は埃くさい一室で、自分の運命が急速に転落していくのを自覚していた。

 向こうの部屋では男達が身勝手な未来図を肴に酒を呷っている。品の無い笑い声がここまで聞こえていた。

 どの貴族が一番金払いが良いか、奴隷商人のツテなら任せろ、どうせ売り払うならまずは俺達で一通り楽しんでからだ、そりゃ良い。ヘンタイ貴族サマ達のために通りを良くしておいてやろうだのと、聞くに堪えない。


 部屋の暗さより、彼女自身の精神作用が目の前を暗くしていった。

 もしかしたら二度と大好きなお父様やお母様、年上の使用人たちに会えないかもしれない。

 その恐怖は幼心には余りに重過ぎる。抱えきれない負の感情が全て涙となって零れるように、声を殺して泣いた。


 どのくらい時間が経っただろう、乱暴に開け放たれたドアから顔を真っ赤に染めた男が入ってきた。

 酒のせいで呂律の回らない舌で何事かを喚いている。「来い」だの「出ろ」だのという意味らしいことは理解できたが、少女は震えて動けなかった。

 乱暴に腕を取り部屋から引きずり出す。泣き叫ぶ少女の抵抗は男達の嘲笑を買うだけだった。第三者に売り飛ばすつもりなのか、それ以外の事をするつもりなのかは分からない。


 そしてそれは実行を前に永久に分からなくなった。


 突然の破砕音と共に部屋の壁がワッフル菓子のように砕け、壁に寄りかかっていた男もろとも吹き飛ばしたからだ。

 暗澹あんたんとした屋内に風と光が差し込む。それを背に男が立っていた。

 浮き足立つ者達を余所に、男は悠然と歩む。初撃で昏倒していた仲間が、乱入者の踵で更に深い夢の底に突き落とされたところで、仲間達は怒号と共に踊りかかった。

 交錯は一瞬。暴力はより大きな暴力でなぎ倒される。

 十数人で構成されていた誘拐犯たちは、例外なく冷たい床に抱擁されることとなった。

 少女の腕を掴んだままの男が更に強く引く。人質を有効活用するつもりだったのだろうが、全くの徒労に終わった。

 乱入者が器用に蹴り飛ばした壁の破片が、勢いよく額に直撃し彼の意識を奪う。血の軌跡を描きながら仰向けに転倒し、泡を吹いて昏倒した。


 目まぐるしい状況の変化が終了すると、悪意から解放された被害者の少女はむしろ呆然としてしまう。

 助けられたことに対して笑えばいいのか、泣けばいいのか、同年齢より発達していた知性が表情の選択を阻害する。

 乱入者の青年は持っていた武器を背に戻し少女に手を伸ばす。


『もう大丈夫だ』


 個性の無い台詞を発し、次いで何事かを思いついたのか口の端を軽く吊り上げて二言目を言う。

 それは何故かとてもダサい台詞だった。それこそ少女を泣かせながら笑わせてしまうほどの駄作。


 ほんの数分の攻防とそれを為した一人の男は、少女――レスティアの今後の人生を大きく変えるきっかけになる。


 ・

 ・

 ・


「……――さん、レスティアさん」


「ん――……」


 レスティアを現実の地平へと呼び戻したのは、若い女性の声だった。


「ああ、ごめんなさい。少しボーっとしていたわ。何かしら?」


 勤務中に居眠りとはみっともない。眼鏡を外し酷く重い瞼を揉み解しながら自分のだらしなさに内心で苦笑いする。


「酷くお疲れのようですけれど、ちゃんと休んでいるのですか? 昨日だって一番遅くまで残っていたのに、今日はもう出勤しているし……」


 自分と同じ王都第二騎士団の事務員、後輩のエリアナは気遣わしげに声を掛けてくる。

 金色の髪を無理に纏めた様な髪型の小柄の女性で、歩くたび結われた頭頂部の髪がピョコピョコ揺れることからヒヨコちゃんとの愛称を受けている。

 れっきとした成人女性なので、本人は若いと言われ嬉しくはあっても幼いと言われれば憮然としてしまうみたいだ。


 ちなみにエリアナは24歳で胸のサイズはCだ。羨ましい……くはない。だって自分は暫定Gなのだもの。

 そのエリアナの手には新しい羊皮紙が申し訳なさそうに握られていた。既にレスティアの机は所狭しと同様の報告書が山と積まれている。通常の業務に加え今回の事件の物だ。


「仕方ないわ。慢性的に人手が足りないもの」


 エリアナの心配に対し否定も肯定もない回答を寄越す。その様子が後輩事務員の心配を更に呷る結果になっているのだが、それは双方が理解している。


「でもだからといって、レスティアさんにばかり負担が行っているようで……」


 しかしレスティアと同等の事務能力を持つ者が居ない以上、彼女の存在は不可欠だった。それを理解しているのでエリアナ自身が情けなく感じてしまう。


「ありがとうエリアナ、これが片付いたら少し休むから――」


「失礼します! レスティア副官!」


 緊急性の高い書類に手を伸ばしたところで、簡素な鎧を纏った青年騎士が駆け足で入ってくる。

 エリアナは入室の前に断りを入れない騎士を咎めようとしたが、彼の顔が緊迫を帯びていることに気付きそれを止めた。


「新たな犠牲者です! 下級冒険者二名、中級冒険者が三名。いずれも命に別状はありませんが、重症です!」


「! 今動ける実働部隊は何人!?」


「自分を含め四人です!」


「医療班の用意もお願い、準備が出来次第すぐにいきます」


 レスティアは立ち上がりながら簡潔だが迅速な指示を行う。


「エリアナ、留守をお願い」


 後輩事務員の口を挟む間もなく、先輩事務員は開け放たれたままのドアから飛び出て行った。


「……まったく、第一騎士団は何をしているのしょうか……!」


 エリアナは本来同業であるはずの他の部隊を憤然となじりながら、先輩の残していった書類に手を伸ばした。


 ・


「酷いわね……」


 現場に到着したレスティアが呟いた一言は、他の隊員も共有するところである。

 人通りの少ない路地の更にその裏。人が三人も並べば窮屈に感じるほど狭い通路に、20代~30代の冒険者は横たわっていた。

 この冒険者達の血液だろう、赤い塗料をぶちまけたかのようにベッタリと路地や壁を彩っている。


「急いで療養所へ搬送、事情の聴取は被害者達が回復してから行うわ!」


 到着した医療班が、ポーションや治癒系魔術を携えながら冒険者達の傍に駆け寄る。

 応急処置を行う者、搬送用の担架を拡げる者に分かれレスティアの指示を受け作業を始めた。


「副官! この冒険者、意識があります!」


 隊員の呼びかけをうけ直ぐに走りよる。鼻と半開き口から血を吹き浅く早い呼吸だが、目の焦点はレスティアをしっかり見ていた。


「無理に喋らないで下さい。治療薬を飲む力はある? 少し口に含むだけでも楽なるわ」


「……か――……は、……」


 下級治療薬を開封しながらそういう彼女に、それでも震える口で何かを伝えようとする若い冒険者。

 レスティアは彼自身が呼吸を害さないように、口内の血液や吐瀉物を清潔な布で拭いとり、別の布に含ませた治癒薬を冒険者の舌に乗せた。

 それを舐め溶かし、呼吸が僅かに安定したところで若い被害者は口を開く。


「あ、……か、――」


 青年の弱々しいを拾い取ろうと、副官は耳を寄せた。


「……――か、デミーの――……生徒が……」


「……アカデミー……!?」


 レスティアの胸中にあったのは「まさか」と「やっぱり」という感情の混合ガスだ。

 事件の現場付近で、アカデミーの生徒が目撃されていたのは第二騎士団の知るところだったが、一般的な生徒が冒険者を一方的に叩きのめすほどの戦力は通常ない。


「『能力映氷アイス・ビュー』」


 担架を待つ間、レスティアは自身のユニークスキルを発動させる。

 クノリ家の者が稀に発現させることのできるこの枠外スキルは、相手のステータスを確認することができるという単純な物だ。中級魔術に『魔力探知』というものがあるが、それより使い勝手が良い。


 しかもそれは、レベルやステータスのみではなく発動中の強化、弱体魔術などまでも確認でき、一般的に流布されているステータス確認用のアイテムや鑑定スキルとは一線を画く性能をしている。

 彼女が事務専門の副官でありながら、現場でも重宝される理由でもあった。


【???】

『中級位冒険者』


 レベル12

 体 力 7/66

 魔 量 21/39

 筋 力 36

 魔 力 17

 敏 捷 24

 防御力 36


 被害者のステータスを確認し、次いで彼の大まかな実力を把握する。

 表示される数字の目安としては20~30ならば平均、50以上なら優秀と言ってよく、100を超えるなら逸材だ。

 中級冒険者が相手ともなれば、アカデミーの生徒で渡り合える実力を持つものは限られてくる。

 それに冒険者側は複数だ。目撃情報では加害者の人数は一人、男子生徒、訓練用の木刀を携えていたことから恐らくは騎士科。

 単独で中級を含む冒険者チームを叩きのめしたのならば、実力は少なく見積もっても第三科代表クラスはある。


 レスティアは首を振った。

 臨時とはいえ、アカデミーの教員の自分が生徒を疑うような思考はやや憚れる。

 疑心ではなく、状況や正確な情報で判断すべきだ。逆に状況が生徒の犯行を裏付けるものとしても、真摯に受け止めねば。


 主観に寄りすぎた思考を制御し、スキルに再度集中する。

 レスティアの目に冒険者達の周りに漂う霧のような微粒子が映った。これも能力映氷アイス・ビューの一端で、彼女は生命力や魔力の色や残滓を見ることが出来る。

 それらは指紋のように千差万別であり、個人を特定する場合において重要な情報だ。レスティアはその微妙な色の濃淡を注意深く観察した。


「先日の反応と一致……同一の犯行ね」


 冒険者達以外の色の残滓から、レスティアはそう判断する。

 時間経過による量や濃度の変化からいって魔術を行使しての暴行ではなく、物理的な攻撃だろうと考察を行う。

 バンズのように魔術を使わないタイプの者であっても、生命である限り発している生命エネルギーを感知することが、レスティアには可能だった。

 とはいえ何処の誰かなどを特定するには至らない。

 王国中に住まう人々や、滞在中の冒険者の生命色を記憶するなど現実的ではないし、個人のプライバシーにも関わる。

 そしてこの色を判別できる人材もアイテムも極めて少ない。事実、この能力を持っているのは王都守護騎士団の中ではレスティアしかいなかった。


 未確認の魔獣が王都に侵入した可能性も未だ0ではないが、事件が起きた当日にアカデミーに出席していなかった生徒をリストアップし、戦闘力や人柄などを確認するべきかもしれない。


「副官、怪我人の搬送完了しました」


 騎士の報告を受け、レスティアは分析の舞台を脳内から現実に変更する。


「医療班は被害者に付き添って騎士団の詰め所へ、他の四人は目撃者が居ないか確認をお願いします。また冒険者ギルドで――」


 彼女の口を閉ざしたのは一人の男の影だ。

 いつから其処に居たのか、少年――アカデミーの生徒が立っていた。それは見覚えのある生徒であり、確か第三騎士科の生徒だったはずだ。

 その少年は何も言わず、レスティア達の事を不思議そうな様子で見ていた。


「ここは現在立ち入りを禁止しています。すぐに――……」


 注意喚起を行いながら、レスティアは自身のスキルを発動していた。

 無意識に近い行為だったが経験豊富な彼女の、ある意味では分析よりも頼りになる直感のさせる行動だ。

 ぼんやりと映る青年の生命力の色、それは確かにこの冒険者達の周りに残っていたものと同色だった。


「……失礼ですが、第二部隊の詰め所までご同行をお願いします」


 レスティアは左右の実働部隊に目配せし、一歩詰め寄った。


「なんで?」


 騎士科の少年の返答は簡潔だ。記憶にある生徒は、記憶に無いほどボンヤリした表情をしている。喜怒哀楽の抜け落ちた顔は、隊員達に不気味さを覚えさせた。


「先日……そして今、冒険者を襲撃する事件が発生していますが貴方は何かご存知ではありませんか?」


「なんでそんな奴らを介抱するの?」


 返ってきたのはレスティアの尋問に対する答えでは無かった。


「何故、って……」


「そいつらは実力も無いくせに俺を笑ったんだよ。大した利益を王国にもたらしている訳でもないのに、のうのうと過ごしている。国の恥さらしさ。だというのにこの僕を馬鹿にしたような目で見てきた。将来の勇者に向かってさ、だから処断したんだ」


 誰に伝えるつもりも無いような呟くような彼の言い分、いや自白はレスティアの次の行動を決定付けさせる。

 副官のアイコンタクトを受け、示し合わせたように隊員の二人が左右から少年の肩に手を掛けた。

 アカデミーの生徒は棒立ちのまま抵抗らしい抵抗もせず、両腕を抱えられてしまう。


「重要な参考人として騎士団詰所まで連行します。よろしいで――」


「邪魔なんだけど」


 無造作に、付いた木の葉でも払うかのように両腕を下に振るう。

 少年の両腕を取り押さえていた青年騎士二人は、それだけで地面に叩きつけられた。第二騎士団の実力は決してアカデミーの生徒に劣るものではないはずだった。


「副官、下がってください!」


「貴様! 抵抗すると怪我ではすまんぞ!」


 上司への注意と敵対者への警告を発しながら、隊員達は武器を構えた。同僚が二人同時に沈めた相手とあって、その様子に油断はない。


「うるさいって」


 だが少年はその隊員へ歩くような足取りで、しかし信じられないほどの速さで近づいてきた。

 虚を付かれ、わずかに仰け反った右側に立つ騎士隊員へアカデミーの少年は木剣を振るう。

 大きくは無いが耳を塞ぎたくなる類の肉を潰す怪音。腕ごとわき腹を強打され、隊員は壁に叩きつけられた。意識を刈り取られ、ずるずる壁を下方向に擦って沈んだ。


「な……!? く、クソッ!」


 残った一人の男は構えていた槍を生徒に向かって突き出した。捕獲を諦めた攻撃というより、焦って行動を迫られたものに近い。

 振り返った生徒の肩辺りに穂先が突き刺さる。制服を貫き背中側まで縫い通す痛恨の一撃だ。

 だが生徒のリアクションは薄い。自らを傷つける異物を咎めるような目で見ているだけだった。


「酷いじゃないか。俺が何したってのさ? 事を構える相手が違うんじゃないの? 騎士団が無能ぞろいって噂は本当なのかい?」


 会話にならない。焦点の合わないような瞳を向けられ、痛手を与えた騎士の方がうろたえてしまう。


「応援を呼びましょう副官! コイツ普通ではありません!」


 視線を生徒から外さず上官に向かい進言する。

 レスティアもほぼ同じタイミングで結論を同じにしていた。懐から通信用の魔道具を取り出し、緊急短縮コールで第二騎士団の本部を呼び出そうとする。事務室にはエリアナがいるはずだ。


「将来の英雄が普通なわけないじゃん。そ、そそそんなことも分かんないの?」


 己に刺さっている槍を掴み乱暴に引き寄せる。

 全身で踏ん張り武器を引き抜こうとしていたにも関わらず、騎士の男は身体ごと少年のほうに泳ぐ。

 距離は一瞬で殺され、木刀の届く十分な位置になった。

 真上から少年の一撃は騎士の脳天を目掛け叩き落された。寸での所で男は頭をひねり致命打を避けるが、振り下ろされた木刀は騎士の男の鎖骨を粉砕する。


「いッ、ぎゃあぁぁあああああああああ!?」


 歪に変形した肩を抱えながら隊員は地面に崩れ落ちる。先ほどの同僚と一緒に土を舐めることになってしまう。


「――貴方! 自分がなにをしているのか分かってるの!?」


 瞬く間に、自分の連れてきた騎士全員が血だまりに沈むことになってしまった。凄惨な光景にレスティアは声を荒げずにいられない。


「そ、それはは俺の台詞だよ。ひひひ人を犯罪者みたいに扱ってさささ……ほんと、どいつもこいつも俺のことをわかっちゃいない、まったく、環境がクソだと、苦労するよ……」


 そこまで話し少年は自分に刺さったままの槍を引き抜く。真紅に塗装されなおした得物を見て、うっとりとした表情で眺める。


「見てくれれれれよこの力。最高だ、俺は本当の力に目覚めたんだよ。もう誰も俺を馬鹿に出来るもんか……クラスの連中だって君らだって、束になったって俺にかかかか敵うもんか」


 槍から滴る血を舌で舐めとりそれを捨てた。


「見覚えあるなアンタ、た、たたたたしか、クククノリ家の長女だっけ?」


「ええそうよ。更に言うならアカデミーでも顔を合わせている筈ですが」


 通信機の起動は済ませた。緊急コールに付加された機能から本部からこの魔道具の位置を探知できるだろう。

 ならば応援が駆けつけるまで時間を稼ぐことにする。戦闘力が皆無とは言わないが、第二騎士団全体でも、平均を下回る実力なのは自覚している。特に体術などはからっきしだ。


「あーあ……惜しいことしたねアンタ。まえかかかから良いなって思ってたんだけどどどど、こんなポカをやらかす無能じゃ連れてはいけなななないな……や、やっぱり、妹の方を……」


 ナメクジのような視線をレスティアの身体を這わせたあと、少年は詰まらなそうに別の少女の話題を持ち出す。


「リリミカのことを言っているなら止めて置いた方が良いですよ。貴方では妹の相手は役者不足でしょうから」


 妹に危害を加えるつもりなのかと、レスティアの返答は若干攻撃的になってしまう。


「……いま、俺を馬鹿にしたか?」


 アカデミーの生徒の目が剣呑な物に変わる。

 レスティアの記憶にある少年とは印象がまるで違う。第三騎士科の中でも特に目立たない生徒で、成績も騎士としての実力も下から数えた方が早い。

 だが今はどうだ。

 一連の事件に加え、騎士団隊員を纏めて相手取るほどだ。この少年を最後に見かけてから一週間もたっていないはず。


「なあアンタ、いままま、俺をばば馬鹿にしたか?」


 殺意と憎悪を両眼に一杯に沈殿させ、血走った瞳をレスティアに向ける。気色の悪い圧力に推されながらも、騎士団の副官は自身のユニークスキルを発動させた。


【???】

 レベル6

 体 力 79/88

 魔 量 20/20

 筋 力 90

 魔 力 40

 敏 捷 77

 防御力 69


「な――……!?」


 絶句する。少年のレベルそのものは一般と変わらないが、その内包する実力はそれに釣りあわない。平均して50以上のステータス、冒険者でいうなら上級に肉薄する数値だ。

 レスティアの能力映氷アイス・ビュー』が自身を裏切ったことは一度もない。

 相手が妨害スキルやアイテムを装備していない限り、得られる情報は正確のはずだ。


 レスティアの目に生徒の生命色が写る。しかし彼女が注視したのはそれではない。

 なにか異質な物が混ざっている。首の裏、うなじ辺りから吹き出るようなエネルギーの奔流。彼の魔力ではない生命力でもない何かが見えた。

 経験の豊かなレスティアにも何なのか判断できない。人ではなく、獣のものでもない得体の知れない物。


「なにボケッとしてんだよ」


 呆けていたというには余りに短い時間だったが、この場において致命的な隙だ。

 レスティアが我に返った時には、少年の姿は目の前の物となっていた。

 弾かれたように飛び退り、自分の使える最大の攻撃魔術を発動させようとするが遅かった。少年の右足が真横からより早く彼女の身体に食い込んだのだ。


「が、ぁっ――ッ!?」


 肋骨が軋み、無理やり空気を押し出された肺が悲鳴を上げた。

 両足が地面から離れ一秒にも満たない空中遊泳の後、レスティアの身体は壁際に叩きつけられる。


「ぁ、ぐぅく、げはぁ、ごほっ!」


「まったく……ほほ、ほ本当に鬱陶しい……本来なら俺の活躍を賞賛してしかるべきことだってのにこんな薄暗い所でこんな無能どものお守りなんてさ、どうなってるのさ、ねえ、不条理だと思わない?」


 激痛に耐え呼吸を整えながら、自分を見下ろす少年を睨み返すレスティア。淀んだ殺気の光彩が少年の瞳に浮いている。


「あ、なたの……していることは、ただ暴力を新しい玩具の、ように自慢しているだけです! 目を覚ましなさい!」


 レスティアの絶え絶えに窘める声も、少年の奇行を止める抑止力にはならない。いやそれどころか、肥大化した自尊心を逆撫でするには大いに役立ったらしい。


「もういいよ。耳障りな雑音はききききき聞きたくない、すぐ、すぐすぐすすすぐにおわわらせるから」


 呂律の回らない死刑宣告を発し、アカデミーの生徒は血の吸い足りない自分の得物を握り直した。

 夢遊病患者のようにふらふら近づき、未だ痛みで自由を得られないレスティアを真下に木刀を振り上げた。


「……ッ」


 襲来する狂気を覚悟し、目を瞑り歯を食いしばる。胸中にあるのはある人物の影。圧縮した時間の中で、その名を強く呼んだ。


「…………?」


 しかし理不尽な暴力はレスティアに襲い掛かってこない。

 恐る恐る目を開けてみると、少年は木刀を上段に構えたまま固まっていた。ただし視線は路地の壁の方に向いていた。


「が、ががが、がいちゅう……がいちゅうだ……害虫は、くくく、駆除ししししないと……」


 うわ言を呟きレスティアを完全に意識の外に置く。口と瞼を痙攣させ、射殺すような瞳を壁の――少年にとってはその向こうに居る人物に向けている。


「――ッ! 『下級氷系攻撃法!』」


「がっ!? いぎぃあああぁぁあぁっ!」


 次に隙を突いたのはレスティアの方だった。

 少年の横っ面に目掛け、自分の使える最大威力の魔術を今度こそ叩き込んだ。

 クノリ家は代々氷系魔術の得意な血統で、レスティアもその例に漏れない。より威力のある中級魔術を行使しなかったのは、熟練度に不安があり発動までの時間と精度に自信が無かったからだ。


 命中の寸前に体を背けたが、レスティアの魔術は少年の太ももに命中する。

 下級とはいえ雪を丸めて投げつける程度のものではない。戦闘能力は妹のリリミカに大きく劣るとはいえ、魔力自体は姉の方が上だ。

 魔力90を超えるレスティアから打ち出された零度以下の魔力の結晶は、少年の肉を易々と切り裂いた。

 絶叫し傷口を押さえるが出血はすぐに治まる。裂傷は瞬く間に凍てつき、肉体の持ち主の意思とは関係なく粗雑な止血を行ったからだ。


「くそ、くそくそくそくそぁッ! おま、おままま、おまえは、ころす! あの、変態害虫と一緒に、ここころしてやる!」


 金切り声を上げ、少年はその場から跳躍した。狭い路地の壁をジグザグに蹴り上がり、あっという間に建造物を越えていく。


「な、なんなの……あの動き……!?」


 攻撃は大腿の筋繊維に軽くはないダメージを与えたはずだ。だというのに、あの機動力はどう考えても普通ではない。

 レスティアは痛む身体に鞭打って連れてきた実働部隊の元へ駆け寄り、応急処置をしながら通信機を取り出した。


「エリアナ、聞こえる!? 今から言う場所に至急応援を――……」

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