先生と生徒

 

「駄目ですか?」


「駄目に決まってるだろ! こういう本は十八歳未満が読んじゃいけないんだ! ミルシェはまだ十六だから駄目だ!」


「そういうの読んだこと無くて……怖いもの見たさというかなんというかー……。一人じゃ駄目だけど誰かと一緒なら大丈夫かなって……」


 だからって俺と一緒ってのがOKなワケないだろ。ある意味もっといかん。


「赤信号を皆で渡れば怖くないみたいなこと言うな! 駄目ったら駄目だ! ミルシェにはまだ早い!」


 そこでムッとミルシェは頬を膨らませる。


「まだってなんですか! ムネヒトさんの国じゃそうかもしれませんが、王国では十八歳未満がそんな本を読んじゃ駄目ってルールはないです!」


 ここでも異世界カルチャーショックが!


「決まりは無くともモラルの問題はあるだろ! あと二年ほどしたら、こんな本読んでても見て見ぬ振りしてやるから!」


「私は十六歳、ムネヒトさんは二十二歳。平均して十九歳なんで二人でならセーフです!」


「謎理論を言うな! なんでそんなに食いつくんだよ!?」


「そ、それは……その――」


 むぐ、と口を閉ざしたミルシェはやや俯き、モゴモゴさせたまま訥々とつとつと語りだした。


「リリや他の友達がそういった本読んでるとき、私にはまだ早いとか刺激が強いからって言って……」


 あー……。

 リリミカだって他の友人達だってミルシェの為を思ってのことだろうとは思うが、当事者にしては面白い話じゃないだろう。仲間はずれにされたと感じてしまったのかもしれない。

 そもそも読むなって話だが、こういう事に興味がある年頃ってのも分かるし、どう言ったものか……。


「……ムネヒトさんは本当に十八歳になるまでエッチな本を読んだことがないんですか?」


 先手を打たれた。

 規則に従い、成人向け雑誌や映像を本当に十八歳まで見たことが無い男子は恐らく少数派だろう。俺はもちろん多数派だ。

 しまった、それを言われてしまえば反論の出来ない。

 仮にミルシェや彼女達を真に戒めることが出来るのは、その規則を遵守した存在だけだ。エロ本を読んだことが無い者だけエロ本を読んだ者を弾劾するがいいってか、聖書かよ。


「人のこと言えないじゃないですか! みんなして私の為とか言って、結局私だけがノケ者です! まだ早いって、大人になってからって……だったら子供と大人の違いってなんなんですか!?」


 言葉に詰まった俺に更に追撃をかけるミルシェ。微妙にシリアスっぽい台詞だが所詮エロ本の話である。


「いいからソレを見せてください!」


「わっ!? こら、ちょっ、おい!」


 ミルシェは身を大きく乗り出し俺の後ろにある本に手を伸ばす。そうすると当然あたるわけですよ。おっぱいですよね。久しぶりのウルトラビッグソフト。

 圧倒的な質量が一秒も同じ形を保たず、俺の胸辺りを押してくる。ミルクを溶かし込んだ金木犀のような香りが胸元から上がってくる。

 必死になっているからかミルシェはこの状況に気付いていない。あかんですよコレ。これも織り込み済みの攻めだというのなら、彼女はとんでもなくしたたかだ。


「分かった、分かったからッ! 数ページだけだからな!」


 たまらず俺はギブアップする。このままでは事態が好転するどころか、主に俺のせいで悪化しかねない。


「……嘘じゃないですよね?」


 ミルシェは一息つくと俺から奪った薬膳大全(偽装)を机に置く。俺は力なく頷いた。


「俺はその辺にいるよ……百秒数えたら止めるから」


「? 何を言ってるんですか?」


 席を譲ろうとした俺をミルシェは不思議そうに制した。


「一緒に読むっていったじゃないですか」


「――――は? いやいやいや、駄目に決まってんむぐ!?」


「ループしそうなんで、それはもう良いです」


 口を柔らかい手で塞がれた。え、なに? 何がどうなってんの?

 俺が何か言おうとして失敗しムグムグ言うだけになった俺を余所に、ミルシェは恐る恐る本を捲る。どうしてこうなった。


「わぁ……ひゃぁ……」


 羅列している文字を読み、赤かった頬を更に染める。まだの描写ではなく導入部分だというのに、実に初々しい。恥ずかしそうなのに目を逸らさないのやはり好奇心の為か。


「『ふふ……なぁに? ○○君、先生のことじっと見ちゃって……』」


 音読!?

 そこで俺の口を押さえていた手をどかし、意味深なアイコンタクトを送ってくる。そして俺の目と小説をゆっくり往復した。


(まさか俺にも読めって言ってるのか?)


 ありえんだろ。何言って、いや言って無いけど、異世界製官能小説朗読会とか無理だから。


「…………」


 やめろ、そんな目で見るな。駄目なものは駄目だ。心を鬼にしろ年下の女の子にイニシアチブをとられたままなんて男として情けすぎる。本を閉じて『早く帰るぞ』そういうだけで良い。ほら言え、今だほら!


「『あ、ご、ごめんさない……××先生が、あまり綺麗だったから……』」


 俺の口は俺を裏切った。俺は激流に逆らうことの出来ない未熟な鮎だった。


「『まあ……嬉しいこと言ってくれるのね。でも、君が見ていたのは私の顔じゃ無かったわよ?』」


 なんだこの演技力。こころなしか彼女の仕草が変わってきているような……。


「『そ、それは……』」


 本の主人公君も先生のおっぱいに夢中らしい。わかるよその気持ち。


「なんか今の私達に似てますね……保健室で二人きりで……本の中だと先生の方が女性ですけど……」


 なんで今そんな事言った? めちゃくちゃ意識するだろ。


「『ふふふ、私の胸……見てたでしょ? 良いのよオトコの子なら当然だもの』」


 ○○君の台詞は無く、エルフ先生が服を脱ぐ描写が書かれている。卵の皮を剥く様な生々しい描写に落ち着かなくなってくる。

 これでもかと言うくらいじっくりボタンを外し、白いシャツと下着にのみ覆われた肢体を晒す。メリハリの利いたエルフ先生の身体はまだ露出は全然無いというのに、パツンと張った白の布に透ける下着のレースがどうしようもなく色気を感じさせる、と書いてある。


「『正直に言って? 先生のココ、アナタはどうしたいの?』」


「『ど、どうって……そんなこと言えません!』」


 そのリアクションが既に答えのようなものだが、ここは様式美というヤツだ。


「『シャイなのね、可愛いわ。でも、言えないならお預けよ?』」


 主人公の顔が餌を取上げられた犬を比喩に表現される。


「『さあ言って? ご褒美が欲しいなら、ちゃんと言葉にしなきゃ駄目よ?』」


 作中のエルフ先生が一歩分も満たない距離を詰め、お互いの体温が感じられる距離まで接近する。何故かミルシェも俺に接近する。ぎょっとして視線を横に向けると制服の第二ボタンまで外され、現れた深い溝が俺を迎撃する。慌てて視線を本に戻した。


「『私のおっぱい、見たい? 触りたい? それともーー?』」


 心臓が口から出てしまいそうだ。自身の動悸に邪魔され言葉を作成できない。

 ミルシェがいま口にしているおっぱいという単語は、普段のそれと本質が大きく異なる。仕事で言う物はいやらしさを感じない健全な言葉だ。

 だが今はどうだ。たった四文字、それがこんなにも危険だ。一センチ程度の頭蓋に覆われた脳が焼けきれてしまう。


「『ねえ言って? アナタがしたいこと、ぜんぶさせて上げるから。君のしたいこと……先生に教えて?』」


 ミルシェは既に本から目を離していた。


「『お、俺は、先生の、お、おっぱっを……!』」


「『我慢しないで。ここには誰も居ないわ、二人だけの秘密よ。私のおっぱいは……もうムネヒト君だけのモノなのよ?』」


「『み、みるしぇ先生ーー!』」


 もう本なんて見ていられなかった。なんだこれは。今は何時で俺は何処に居るんだ。ただ俺が、目の前にいる可憐な少女の教え子であることしか分からない。

 目の前にいる先生の琥珀色の鏡に俺が映る。

 冷たい水が欲しい。血液以外の水分が枯渇してしまったみたいだ。

 だが他のなによりも目の前の彼女が欲しい。しかも甘い水分をたっぷり含んでそうな果実が二つもあるじゃないか。これはさぞ天上の美味に違いない。なんだ簡単だ、それも一緒に手にすればこの乾きも癒えるだろう。

 俺は手を伸ばし、あるいはアダムとやらが禁断の林檎を手にした時の感情を追体験しながら、ミルシェ先生の胸を――


『ハイヤさん、いらっしゃいますか? ハイヤさん?』


 ぎゃーーーーーーーーーっ!?


「あばばばば、が、あいだ、ぐっ、ぎゃわんっ!?」


 立ち上がろうとして出来なくて椅子ごと転げ落ち、分厚い本と作ったポーションが頭に降ってきた。頭と腰と背中を強く打ちつける。


「ああ!? だいじょうぶですか!?」


 無様そのものの俺の様子に、ミルシェは胸元のボタンを閉めつつ(何故開いてたし)心配する声を投げかけてくる。

 凄まじい物音に外に居た人影、レスティアも俺の返事を待たずに入ってきた。心配してるというより不審そうな目を隠そうとしない。


「へいき、うんへいきだ。大丈夫、何事もない……」


 大丈夫だから少し整理する時間を下さい。ヤバかった……もうほとんど陥落してたぞ俺。そんなミルシェは顔こそ紅いが、ほとんど平常だ。役者に向いてるんじゃないか?


「まったく……治療薬作成中に怪我なんて止めて下さいよ」


「ああ、すまん……面目ない」


 呆れ声が聞こえてくる。

 まったくもって面目ない。先生と……いや生徒とイチャイチャしてて怪我しようものなら、恥ずかしくて外を歩けない。

 頑丈な瓶なので割れずに済んだポーション達を回収する。そして件のエロ小説を……あれ? どこいった?


「でも怪我が無くて良かったです。ムネヒトさん、立てますか?」


 差し出してくるミルシェの手を掴みながら、エセ学術書をさりげなく探す。良く見れば彼女のお腹に四角い盛り上がりが見える。おいこら。


「……大したことないのなら、用事を済ませてもよろしいでしょうか?」


 ミルシェへ追及の目を向ける俺にレスティアは声をかけてくる。


「用事ですか?」


「はい、来週の授業予定についてです。その打ち合わせをと思いまして」


 話を持ってくるってことは俺も参加するタイプの授業か。

 しかしこの時間に訪れるのは珍しい。レスティアは業務時間内に事を進めるタイプだ。厳しく真面目ではあるが、無理にならないような働きかけはしない。終業時間ギリギリに残業を押し付けてくる先輩、上司とは違う。

 その彼女がわざわざ来たのだから、急用な案件かもしれない。


「申し訳有りませんが教師間のみでの話ですから。それにサンリッシュさん、クノリクラス長が探していましたよ」


「えっ……あ、はい……」


 何か言いたげなミルシェへ、レスティアは暗に退室を促すように言う。


「暗くなるといけません。クノリと早めに帰りなさい」


 栗毛の少女は口をモニュモニュ動かした後、俺へ視線を向けてくる。


「だそうだから俺の事は気にするな。気をつけて帰れよ」


 一緒に帰ろうと言ってくれたのにタイミングが悪かった。だがミルシェとこれ以上一緒に居たら、俺はミルシェの信頼を裏切るような真似になるかもしれないしちょうど良いかもしれない。


「……失礼します」


 それから一礼し、彼女は静かに保健室を後にした。途中で慌ただしい足音が合流したことからリリミカは割りと近くにいたらしい。


「…………」


 足音が完全に聞こえなくなった所でレスティアは予備の椅子に……座ること無く、ドアの鍵を掛けた。

 えっ、なんで?


「それであの……授業の打ち合わせって……」


 落ち着かない。妙にそわそわしてくる。思えば授業の打ち合わせで保健室を使うだろうか? 静かに話せる場所だからと言えばそれまでだが、あるいは俺を呼び出すことも出来たはず。


「申し訳ありません。それは嘘です……」


「嘘……?」


 意味が分からない。何故そんな嘘を俺に?

 疑問符を大量生産しながらレスティアの言葉を待つ。振り返った彼女の目には奇妙な色があった。


「実はその……ハイヤさんに個人的なお願いがありまして……」


 いつものきびきびした口調ではなく、遠慮と迷いがブレンドされているような声色だった。

 俺が何か言う前にレスティアは服に手をかけた。そのまま騎士団の制服のボタンを上から外して行く。


「って、ちょっと待てーっ!?」


 咄嗟に目を手で覆い後ろを向く。俺のツッコミなど聞こえてないのか、布の擦れる音は止まない。


(まさか保健室イベント二回目!?)


 先ほどミルシェと一回目をこなした後だと言うのに、そのまま二回目ですか!

 いやいや落ち着けって俺、早とちりは良くない。ここは保健室だろう、やることなんて治療以外にあるものか。きっとアレだ。他の保健室が空いてないから俺に診察をお願いに来たとかそういう話だ。

 ならばこれも仕事だ。レスティアの体調不良改善に一役買おうじゃないか。


「ハイヤさん……こちらを向いてください」


 これは医療これは医療と言い聞かせレスティアに振り返る。

 上着を脱ぎ白いシャツのみになっていた。皺の無いシャツはやや丈を余らせているように見え、彼シャツというジャンルを思い出す。胸をこれでもかと押し上げていた膨らみは跡形もない。

 ふと視線を横にずらせば、ベッドの上に置いてある謎の物体。白いお碗型の……材質は布で出来たクッションのような物で数は二つ。

 先ほどまではなかったそれの正体を、俺は瞬時に見抜く。パッドだ。


「……ハイヤさん……」


 名をもう一度呼ばれた。この妙な予感は決闘直前にも感じたもの。

 それからレスティアは白いシャツのボタンに震える手を伸ばしながら、同じくらい震える口を開いた。


「私の胸……さわって下さい……!」

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