エピローグ1

 

 サルテカイツ家への処罰が厳しかったか甘かったかは、各人の判断によるところである。


 具体的な処罰の内容は財産の五割を没収、領地への徴税権の剥奪と賠償金の支払い。そして伯爵位から子爵位への降格だ。

 サルテカイツが納めていた領民とサンリッシュに対しては、一年間の納税免除が言い渡される。特にサンリッシュに対しては国からも賠償金が支払われることになった。


 有力貴族を罰することはかつて爵位を授けた古の王に対する冒涜だという声や、王国貴族の面汚しは爵位を剥奪すべきとの意見もあったが、最終的には降格で話がまとまった。


 もっともこれは王国側から貴族側への見せしめや、民に対する王国の器の大きさを知らしめる為という噂もあったが定かではない。


 ・


「おらおらチンタラしてんじゃねぇ! ちゃっちゃと運ばねぇか!」


「すいやせん親方!」


 モルブさんの怒号が響き渡る。答えるのは二十人ほどいる彼の部下の一人……職人だ。十代から四十代の男達がモルブさんを中心に、しきりに汗を流している。振り下ろされる金槌や、木材を往復するノコギリが軽快なリズムを奏でる。

 快晴の真下で俺達は牛舎の再建に掛かっていた。


 最初は俺とバンズさんとミルシェの三人だったのだが、今は二十人以上いる。

 どうしてこんなことになっているかと言うと、話は数日遡ることになる。


 ・


 サルテカイツ家で色々あった翌日、王都で話し合いを済ませたバンズさんと一緒に俺達は牛舎のあった場所にいた。


「燃えちゃったなぁ……」


「ああ、何にもありゃあしねぇな……」


 雨上がりの水分を含む風を浴びながら俺達は呟く。跡形も無いハナ達の寝床は、野原に空いた穴のように黒々しい。

 使えそうな木材も干し草も残っていない。バンズさんの武器が出てきた位だ。


 ミルシェは木の影に隠れて夜露を凌いだ牛達を見に行っていた。幸い体調を崩した牛は居なかったが、何時までも野晒しで良い訳が無い。


 とりあえず、水気を吸った炭と灰をかき出していた時だ。


「ん……? 誰か来た?」


 牧場に誰かがやって来たらしい。見てみるとゆるい丘の下に屋寝付きの馬車やら荷台やらが、四~五台ほど狭い街道に並んでいる。

 何事かと見ていると、先頭の馬車から二人降りてこちらに歩いてくる。男女が一人ずつだ。

 不意にミルシェは声を上げた。


「エッダさん、モルブさん!」


「ミルシェちゃん!」


 やってきたうちの女性の方、エッダがミルシェの姿を目に映すと走りよってきていきなり抱き締めた。


「このおバカ! 何かあったら私に言いなさいって言ったじゃないか!」


 エッダさんは全体的に丸い体にミルシェを埋めて言った。腕はきつく絞められ、ちょっとやそっとじゃほどけそうに無い。


「痛い、痛いよエッダさん……うん、ごめんなさい」


「辛かったねぇ……苦しかったねぇ……何にも出来なくてごめんねぇ……」


 ミルシェは胸だか腹だか分からない位置に顔を沈め、しばらくは為すがままにされていた。

 秒針が何周かした辺りで、もう一人が声をかけてくる。


「……ミルシェちゃん」


 エッダさんとは違い、恐る恐るといった感じで近付いて来たのは確かモルブという名の男だ。

 ミルシェがエッダさんの腹から顔を出した時、モルブさんは地面に手を着いた。


「すまなかった、この通りだ!」


「えぇっ!? ちょ、モルブさん! 顔を上げて下さい!」


 慌てて声を掛けるが、地面に蹲った男は動かない。


「俺は自分の身の可愛さに、ミルシェちゃんらを売ったも同然だ! 謝っても謝りきれるもんじゃねぇ!」


 配達に行った時に、彼を含めた何人かが牧場の商品を断った事がある。それはサルテカイツの圧力だったのだが、彼にとっても後悔の種だったらしい。

 俺は当然、モルブさんを恨む気は無いしミルシェだってそうだろう。


「――モルブさん」


 ミルシェは未だ地面と平行のモルブに近付いて、屈みながら彼の肩に手をのせた。

 そこでようやくモルブは顔を上げた。


「少し痩せちゃいましたか? ちゃんとご飯は食べられてますか?」


 掛けられたのはモルブさんを気遣う言葉だ。


「モルブさん達は何も悪くありません。私達の事に巻き込んでしまって、ごめんなさい」


「そんな事言って貰う資格なんてねぇさ。俺は……取り返しのつかないことを……」


 栗色の髪が左右に揺れた。


「取り返しのつかないことだって、何も起きてません。ぜんぶ今度こそ終わったんです。それよりも……」


 ニコとモルブに白い歯を見せてミルシェは言う。


「ウチの牛乳はいかがですか? 栄養も満点で凄く美味しいですよ!」


 笑う牧場の一人娘に、翳りなど微塵も無い。

 モルブさんの顔がくしゃくしゃになっていく。


「良いのかい……? また、ミルシェちゃんとこの牛乳を買っても?」


「私からお願いしたいくらいです。この牧場の牛乳が嫌いになってなければですが……」


 モルブさんが勢いよく首を振り立ち上がる。


「嫌いになんてなるもんか! ここの牛乳もチーズもバターも最高なんだ! うちの連中はここのじゃないと力が出ないってもんよ! だからよ……」


 ぐいと腕で乱暴に目を擦り、


「また買わせてくれ。最近この牧場のモン食ってねぇから、どうにも痩せちまっていけねぇ」


 そう言った。


 ミルシェがどんな顔をしているか、見なくても分かる気がした。きっと太陽も顔負けだろう。


「ほらほらほら! 何時までやってんだいクソジジィ! トロトロしてるとコレをケツにぶっ刺すよ!」


 エッダさんが見覚えのある太い角オブジェクトを取り出す。なんでそれ持ってきたの?


「分かっとるわいクソババァめ! 情けねえジジィはこれで終わりだ! オーイ! お前ら出てこーい!!」


「「へいっ!!」」


 連れてきた荷馬車に向かい大声を飛ばすと、野太い声が重なって返ってきた。しかも中から大勢の男達が出てくるではないか。

 あっと言う間にモルブの前に集まった屈強そうな男達、全員何かしらかの道具を携えていた。


 それはもしや、大工道具か?


「おうテメェら! 牛舎を元通りにしようなんて考えてんじゃねぇだろうな!? 前以上に立派にしねぇと承知しねえぞ!!」


「「へいっ!」」


 男性密度が急上昇して気温まで上がりそうだ。


「えっ、えっ?」


 急な展開にミルシェも目を白黒させている。


「まあ、つー訳だ。牛舎は俺らに任せろ」


 さっきまでの懺悔する男の姿は無い。仕事に誇りを持つ職人がそこにいた。


「そ、そんな! 悪いですよ! モルブさん達に迷惑を掛けるなんて……」


「あぁん! 迷惑ぅ!? おいお前ら、ミルシェちゃんがなんか言ってるぞ!」


 振り返り男達に投げ掛ける。


「聞こえないなぁミルシェ! 最近耳が遠くてよ!」「実は俺は牛舎造りが趣味でなぁ! 王国一のを造っても良いっていうから来ただけだ!」「気にすんな気にすんな! クソ貴族から賠償金たんまり貰ったしよ!」「み、ミルシェさん! 実は僕、前から君の事が――!」「おいコラァ! 抜け駆けしてんじゃねえぞ!」「ミルシェたんは皆のアイドルだろうがぁ!」


 返ってきたのは暑苦しく頼もしい職人達の意気だ。


「みんな――……!」


 せっかくの笑顔だったのにまた泣かせる気かと、俺は苦笑いを浮かべた。

 屋敷に乗り込んだ時、立ち向かえるのは俺だけだと思ったがとんでも無い思い違いだ。

 ミルシェを助ける人達が居る。それが我が事のように嬉しい。


「焼けて無くなっちまったがよ――」


 ふと、バンズさんがそれを見ながら俺の横に立つ。視線は此方に寄越さない。


「――焼けた位じゃ、無くならないものもあるよな」


 それが何かを訊くほど俺は野暮じゃない。


 ・


 それからサルテカイツの処分が正式に決定し、本当に賠償金も貰ったのでモルブさんの率いる大工集団は勢いを増すばかりだ。

 見事な手際で、みるみる内に組上がっていく。俺も牧場の仕事の傍ら、それを手伝ったりしていた。


(もう良いかな……)


 大きめのハンマーを杖に、ボンヤリ考えた。

 もうこの牧場から離れても良いかなと思う。


 決めていたことだ。


 ミルシェを助けに行く前、バンズさんへの手紙に書いたことでもある。どんな手を使ってもミルシェを助けるつもりだった。そして人を殺した。自分より若い未来を奪ったのだ。

 あの時と同じ事が起きたのなら、きっと同じ事をするだろう。


 だが今なら、他の方法もとれたのではないか?

 俺がしっかりと自分のスキルを把握していれば、違う手段もあったんじゃないか?

 世話をかけてくれたミルシェ達に、こんな形でしか恩を返せなかった自分が情けない。


 そう思うと、俺はミルシェやバンズさんに合わせる顔が無い。


「おう、浮かない顔してんなぁ」


 片手に酒瓶を持ちながらバンズさんが歩いてくる。


「……昼間から飲んでるとミルシェに怒られますよ」


 バンズさんは大笑いし瓶を傾ける。


「構うもんかよ。心の疲れは酒で流すとは言ったが、嬉しいさを倍増させるスパイスでもあるんだぜ!」


 酒気に満ちた息を吐き出しそう言い切る。

 楽しそうに酒を呷る姿を見ると、嬉しいが何となく辛い。


「お前には前者の方が必要みたいだがな。なーにを悩んでやがる?」


「いや、なんでも無いですよ」


 これ以上、彼らに甘えられるものか。


「良いから飲め。俺らの大恩人にそんな顔させてちゃあよ、俺が夢枕でミルフィに怒鳴られるわ」


 ちゃぽと、差し出された酒瓶が俺の前で水面を揺らす。

 受け取って一息に呷った。喉を焼くような度数の高い蒸留酒だ。吐き出した息は湯気のように熱い。

 ぐわんと頭を揺らされたような気がした。揺らされたから、つい零れてしまう。


「……もっと、何か出来たんじゃないかと思いまして」


「あん?」


「もっと早く、もっと上手い何か別の方法があったんじゃないかと思うと……その……」


 酒の力を借りても俺の口下手は直らないらしい。

 バンズさんは何も言わなかったが、俺から酒瓶を受け取ると今度は少しの傾斜を作る。


「なるほどな……」


 てっきり何くだらない事悩んでるんだと、一喝されるかと思ったが違うみたいだ。バンズさんの遠くを見るような目は何かを懐かしんでいるようだった。


「俺にも覚えがあるぜ。騎士団時代には山ほどな」


 語る言葉には時間の重さがある。昨日今日の話じゃない。


「あと一日、あと一時間早ければ救えた物があった。間に合わなかった事だって数え切れん。その度に自分らの無力さを呪ったもんよ」


 そう言って苦笑いを浮かべた。


「『何故もっと早く来なかったんだ!』とか『アンタらは何をしていたんだ!』とか散々言われたな。だが、それならまだいい。傷に塩を塗られるならまだマシだ」


 酒で口を滑らかにし、更に続けた。


「『助けてくれてありがとうございます』ってよ、言う奴が偶にいるんだ。親や恋人を殺されても、こっちに礼を言いやがる。それが半端じゃなく辛かったなぁ……」


 暴言でもない、恨み言でも無い。感謝の言葉が辛かったと、バンズさんは言った。


「後悔の連続さ。だから次は後悔をしないように強くなろうとした。やがて副団長まで任されるくらいまでになった。でも強くなればなるほど思うこともある」


 それは、


「『今の俺なら、あの時はもっとうまく出来た』『今の俺なら救えた』ってな」


「……――!」


「そりゃあ自己過信ってもんさ。思い上がりと言ってもいい。出来たはずだったを追い過ぎて、誰かの言ってくれた『ありがとう』の価値まで落とすような真似はするべきじゃない」


 俺の愛してる女が言ったことだよ、と照れくさそうに言った。


「だからよ、ありがとうって言わせてくれムネヒト。お前が『俺なんて』って顔をするんじゃねぇ」


 バンズさんの目に強い光がある。俺を見ているのか、それともあの時後悔をしていた自分への叱責だろうか。

 ニッっと、口の端を大きく歪めて目配せをする。


「見ろよ、俺の娘。世界一可愛いだろ?」


 視線の先にミルシェが居る。彼女は休憩中の皆に冷えた牛乳やお菓子を配っている。

 皆に囲まれて笑う少女が、ただただ眩しかった。


「お前が護った笑顔だ。誇れ、ムネヒト」


「――――!」


 ああ、クソ。俺はやっぱり小物だ。

 誰かに言われてようやく気付くのか。俺は結局『よくやったな』と褒めて貰いたかっただけだ。どうだと、心の底から誇りたかっただけだ。

 素直に喜ぶことの出来ない臆病者め、ミルシェやバンズさんの笑顔も嘘だってのかよ。


『結果が全て。過程は関係ない』とか『過去は変えられない』なんて割り切れやしない。出来たかもしれない事を、今の俺ならなんてきっと何度も思ってしまうだろう。


 それでも、俺は誰かにありがとうって言ってもらえる資格があるのだ。


「……もう一口、貰ってもいいですか? なんか、水分不足でして」


「一口だなんて遠慮すんなよ。ガンガン飲め!」


 差し出された琥珀色の液体を肺腑に流し込んだ。

 これまでの人生の中で、最高に旨い酒だった。

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