ムネヒトとミルシェ
ほどなくして、ムネヒトはバンズ達と合流した。
書斎には二人のみならず数名の男が居て、しきりに本棚や机を見て回っている。
皆は一様に似た鎧や衣服を纏い、規律だった動作から騎士団だと予想できる。
サルテカイツの抵抗も虚しく介入を許してしまったらしい。
残る騒動ももう小競り合いのレベルだ。ものの一時間もしないうちに鎮圧されるだろうとは、バンズが言った事だ。
「ここはコイツらに任せて俺達は早く帰ろう。今後このことは明日にでも話し合いがあるだろうさ」
三人は騎士団に任せ書斎を出る。
ムネヒトとミルシェは揃って強く頷いた。二人とも疲労困憊で一刻も早くベッドの一部になりたかったのだ。
黒髪の青年は栗毛の少女の前に立ち、道を案内する。
「外にハナが居るはずだから、ミルシェはそれに乗せて貰うといい」
「ありがとうございます……じゃあ、そうさせて……あれ?」
ぺたんと、突然ミルシェがへたりこんでしまう。
ぎょっとしたムネヒトとバンズがすっ飛んで来た。何事かを尋ねようとしたが、
「こ、腰が抜けちゃいました……」
そう恥ずかしげに言う少女に、二人は安堵の溜め息を漏らした。
「……今日はあのクソガキ達と色々あったからな……緊張が解けたんだろうさ」
「え? あ……うん。そうそう」
バンズの解釈に、ミルシェは逡巡した後に肯定した。
それも事実だろうが直接的な原因は他にある。
赤らめた顔でムネヒトを見ると、彼もまた赤らんだ顔をして気まずそうに目を反らしていた。
「どれ、肩かしてやるから外まで……」
「バンズ・サンリッシュ様」
バンズがしばらくは歩けそうに無い娘を支えようと、手を伸ばした所で騎士の一人に声を掛けられる。
「団長がお話を伺いたいとのことですが……」
いかにも騎士になりたてといった青年が、バンズに言いにくそうに話す。大男のバンズがジロリと視線を向けたのも、彼を萎縮させた要因だろう。
「ああ? 今かぁ?」
一刻も早く娘を安全な場所につれていきたいバンズは、仕事熱心なかつての同僚へ心の中で文句をぶつける。
露骨に嫌な顔をするが、伝言を伝えただけの若い隊員に文句を言っても仕方ない。
それにサルテカイツ家との件で相談を持ち掛けたのは自分だ。
「ったく、あのクソ真面目のカタブツめ……わりぃが先に外で待っててくれ。すぐに行くからよ」
ぼやきながらバンズは青年騎士に連れられ、書斎の中に戻っていった。
「バンズさんも大変なんだな……じゃあ、ハナのところまで行こうか。肩を貸せば歩けるか?」
「はい。あ、いいえ……」
一度肯定した後、座ったままのミルシェは首を横に振る。
軽い疑問を浮かべるムネヒトに対し、彼女は両手を広げてその腕の延長線上で彼を挟む。
「できれば、その……」
言い淀んでしまったが、言いたいことは伝わったらしい。
「え、あっ、うむむ……」
面白いくらいにムネヒトはたじろぎ意味無くキョロキョロ周りを見回すが、どうやら決心したらしい。
ムネヒトは黙ってミルシェに背を向けて屈む。そして後ろに両手をやり顔だけを振り向かせて「どうぞ」と彼女を促す。
ミルシェの希望とはやや違ったが、十分だった。
「……失礼します」
あまり力の入らない脚に最後の仕事をさせ、彼の背に体重を預けた。父親以外の男に背負われるのは初めてだった。バンズとは違うが、もちろん女のものとは違う。彼だけの逞しさが詰まった肉体だ。
くにゃと自分の身体の一部がムネヒトの背中でつぶれ、大きく形を変える。
先ほどまでの行為で残っている熱が、二点を中心にじんわり身体全体に伝わる。
その甘い痺れが心地いい。
「めひゃっふぁ!」
新種の獣のような鳴き声を発したのはムネヒトだ。口元に浮かんでしまう笑いを堪えながら、背負われた少女は言う。
「ごめんなさい。重かったですかぁ……?」
分かりきった意地悪な質問だと、ミルシェは自分で思う。
「全然ゼンゼンぜんぜん! ふわふわで、じゃなくて! ふわふわの羽みたいだ! もっと沢山食べた方が良いなぁっ!!」
必死なムネヒトの答えも予想の範疇を出なかった。歩みだす足取りはしっかりしているが、何故かヨタヨタ千鳥足だ。
女性の柔らかさに触れ初心さを晒してしまうムネヒトが、圧倒的な強さで大立ち回りを演じていた青年と同一とは思えない。
それを為しているのが自分だと思うと少し恥かしくて、何故か少し楽しくて可愛くて、そして嬉しい。
だからこうして少しだけ大胆になれる気がした。
「おかーさんが言っていたこと、本当でした……」
ミルシェは一番最近見た、大好きな母の夢を思い出す。
「へっ? なんぞ申し上げましたかや!?」
不自然なほど背中を硬直させたムネヒトは、珍妙な声だけをミルシェに向ける。
「ムネヒトさんってば、どこの出身ですかぁ」
くすくすと彼の背で笑う。一歩一歩ゆっくり進む彼の足へ、もっとゆっくりと心の内でお願いする。そうすればもっとこうしていられる。
今日が後悔と苦痛の中で終わらなくて良かった。
この人が間に合わなければ、自分はどうなっていただろう? パルゴア達にどうされていただろう?
想像するのもおぞましい時間の後、今日という日を呪いのように忘れ得なかったに違いない。
あの時こうしていればとか、こうだったならとか、そんな夢想を悪夢の中で反芻していただろう。
ミルシェ自身を見ようとしない彼らの視線を思い出しながら、そう思うと今でも怖い。
でもそうはならなかった。この人が頑張ってくれたからだ。
自然、彼の首に回る腕に力が入る。
そのムネヒトが自分ので喜んでくれたらなんて、ある意味女性特有の傲慢さがミルシェの背を押している。
この数日間でミルシェの中で何かが変わった。きっかけは間違いなくこの青年だ。
優しくて強くてちょっと、いやかなり女の子の胸にだらしない異邦人。
「ねぇ、ムネヒトさん……」
不意に彼の耳に口を寄せ息を吹き掛けるように囁く。彼の口から第二の新種が誕生した。
そしてそのままミルシェは彼の大好きな、そして
「さっきの続きがしたくなったら……いつでも言ってくださいね?」
・
・
・
「よお待たせたな。じゃあ、とっとと帰るか……あん? お前らまだそんなところで――ってオイ!? 大丈夫かよムネヒト!?」
「えっ!? 全くの健康ですがなにか!?」
「いやいやいや! とんでもない量の鼻血が出てんぞ! やっぱさっき俺がぶん殴っちまったからか!? 足もなんかフラフラしてるじゃねぇか!」
「心配してくれてありがとうございます! でも大丈夫です! 上から血が抜けてくれるんでむしろ丁度良いです! おあつらえです!!」
「なに言ってんだお前!? いっかいミルシェ下ろせ! ほらお前も何時までムネヒトに甘えてんだ!」
「何の問題ありません! 俺の
「お前の
辺り一面の芝を食べ尽くしたハナの元に辿り着くまで、三人は騒ぎながら歩く。結局、ミルシェはムネヒトの背中から下りなかった。
ちょっと大胆過ぎたかなと、ハナの背中にバトンタッチされた時にミルシェは思った。
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