クモの巣
ガタンと、誰も居ない筈の室内に小さい音が響く。
「――……ンッ!?」
栗毛の少女、ミルシェは不審な物音に身を固くする。この部屋に連れてこられた後は、手足に束縛の鎖を追加され猿ぐつわまで噛まされ身動きできずソファに転がされていた。
ガタガタと音は部屋に備えらつけられていた暖炉から聞こえる。
恐怖に身を縮め、息を潜めていると音の主が現れる。
「ぷはぁっ……! うへ、灰被っちまった……」
そんな事を呟きながら、暖炉の奥、石壁をスライドさせモゾモゾ這って出てきた。
先ほど床の下に身を消し今は執事長の書斎に向かっているはずの青年、ムネヒトだ。
「んむっ……! むんんんーーッ!」
その姿を視界に捉え、ミルシェは声が出せないことも忘れ名前を呼ぶ。
「シッ、静かに。直ぐに屋敷から出よう。ええい、この部屋にもクモの巣だらけだ……」
ムネヒトは身体に付いた
そしてすぐに猿ぐつわを外し、鎖に手を掛けようとする。
「っは……ムネヒトさん! どうやってここまで!?」
「貴賓室から避難するための通路があってな、それを使って……この鎖、ライジルの魔術か? だったら触らない方がいいかも」
ムネヒトは探知系魔術などを警戒し伸ばした手を引っ込める。
「腕を俺の首に引っ掛けてくれ、それならおんぶできるから。地下通路を通って汚い身なりになっちゃったが、我慢してくれ。急いで脱出して騎士団かエッダさんの所にでも匿って貰おう。ハナも来てるし乗せて貰えば直ぐだ。バンズさんも心配だし、ミルシェを連れて行ったあと俺は直ぐに牧場へ戻る。出来れば誰かを派遣してくれると助かる。あと……」
「え、あ、あの……」
矢継ぎ早にムネヒトに言われ、ミルシェは目を白黒させる。
その様子に、ムネヒトは自身でも気付かない焦燥に囚われると思い至った。一度息を吐いて少女の琥珀色の瞳を見つめる。
「あぁー、うん。さっきも言ったけど助けに来た。だからもう大丈夫だ」
「……――!」
不器用に笑う黒髪の青年を見たとき、胸に形容しがたい熱が灯る。痛みにも似たそれは真っ直ぐ上に突き上げ、目頭を熱くさせる。
その彼女の様子に気付いたか否か定かではないがムネヒトはミルシェに手を伸ばす。
埃だらけの手が彼女の細い腕を掴もうとしたとき、それは起きた。
『――生憎、それは無理だ』
「ッ!!」
ミルシェでもムネヒトでもない第三者の声がした。ムネヒトの顔が途端に強張り、咄嗟に彼女に向けていた手を腰のナイフに伸ばすが、無駄に終わる。
突如、貴賓室の床が轟音と共に破壊され透明の鉄槌――風の魔術が青年を強打した。
「がはッ―――!?」
「きゃああぁあぁーーッ!?」
目の前の青年が横凪に吹き飛ばされ、ミルシェも当然の烈風に目を瞑り、轟音に耳をつんざかれる。
通過した暴風は貴賓室を我が物顔で蹂躙する。部屋全体をギシギシと軋ませ、備え付けられていた調度をなぎ倒し、釣り下がるシャンデリアを壊しキラキラしたガラスの雨を降らせる。
ムネヒトは落ち葉のように吹き飛ばされ、床に何度もバウンドし壁にぶつかりようやく止まった。
「――ぁぐ……、な、なにが……」
ムネヒトは苦痛に喘ぎながらもミルシェを確認する。彼女に怪我は無い。それは良いが、何が起きた?
『命中だな。流石にここからでは中級魔術でも致命打にはならんか』
部屋の中から例の――ライジルの声がする。激痛に上手く動かない身体に鞭打って、ムネヒトは頭を上げる。そして貴賓室の床を無惨に抉った穴を見た。
正確には穴は真下からでは無く、斜め下から空いていた。
ライジルは未だ書斎の前にいる。ただしその手に持つ杖は真っ直ぐ穴の向こうからコチラを指していた。
ムネヒトはライジルが何をしたか悟った。
壁も天井も斜めに最短距離を貫き、ここに魔術で強襲。それもミルシェを傷つけることなく、ムネヒトのみを攻撃した。信じがたい技量だ。
「ムネヒトさん、しっかりしてください!」
縛られた体を必死に動かしミルシェはムネヒトの側に寄る。
「ぅ……ぁ、お、俺は……良いから……早くッ…………」
逃げろと訴えたかったが声が出ない。ましてや彼女の体には自由を奪う戒めが健在だ。
程なく、ライジルの部下とサルテカイツの召使が貴賓室に現れた。慌しくムネヒトを取り囲み、必要以上に粗暴に彼を押さえつける。
ミルシェも鎖の端を乱暴に引きずられ抵抗も虚しくムネヒトから引き剥がされた。
完全に身動きが取れなくなった頃、悠然とパルゴアとライジルが姿を見せる。
「ライ、ジル……ッ!」
フードの男は這い蹲るムネヒトを見下ろし、気持ち悪いほど優しく声を掛けてきた。
「まあ会ったな異邦人。ほう……本当に隠し通路なんて有ったのだな。知らなかったよ」
「ぐ……っ」
全身を床に押さえられ指一本動かすのも困難だった。唯一自由に動く目でライジルを睨むことしか出来ない。
「何から訊きたい? お前の猿知恵に何時から気付いていたかか? 何故この部屋に来たことが分かったかか?」
ライジルは喋りながら、頭から被っていたフードを脱ぎ顔を見せる。
ほぼ眉は無く目つきの鋭い、頬に何か幾何学的な模様を施した三十歳前後の男だ。とても九十歳越えているようには見えない。
だがムネヒトが最も気にしたのは、彼の頭部だ。
焦げ茶色の頭髪は至る所が千切られていた。バラバラの長さで統一を欠き、髪型と言えるものではなかった。
「この屋敷、クモの巣が多かったとは思わなかったか?」
「……なんの話だ……?」
ライジルは
「『
その髪をムネヒトに見えやすいように指で挟み、スキルを唱えると糸のようなそれは消えた。
いや消えたのではなく、見えなくなっただけだ。魔力を帯びて確認できないほど細く変質したのだ。
「これはクモの糸ではなく探知用の網だよ。あらかじめ屋敷の全域にこの魔術の網を張っていた。無論、この部屋にもな。お前が庭園の端から侵入したのは当然気付いていたし、例え屋敷の仕掛けを網羅していなくとも、お前が現れれば直ぐに察知できた」
「……――!」
「ああそれと、これを応用し話することもできる。最初、お前に声を掛けたのもこのスキルだ」
ライジルは自身の髪を媒体にし魔術の行使することに長けていた。探知用の網や強力な鎖、ミルシェを縛っているのも牧場でバンズを拘束したのもそれだ。
これらは約四十年前に、ライジルが【神威代任者】の称号を賜った時に身に付けたものだ。
無言で歯噛みをする。最初から気付かれていてここまで泳がされたというのか。
ムネヒトとミルシェが幻視したのは、クモの糸に絡め取られ身動きとれない自身の姿だ。
「残念だがここまでだ。抵抗は無駄だと分かってくれたかな?」
ライジルの口から出た動かしがたい事実が二人の上にのし掛かる。わざわざ言われるまでもない、絶体絶命だった。
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