馬鹿と本物の馬鹿
雨は一向に止まない。暗い室内は明かりも点らず時間と共に暗度を増していく。誰も居ない居間は広く感じるくせに、言いようの無い圧迫感があった。
「……」
壊れたドアのあった側に膝を抱え座っている情けない男。それが俺だ。
ボロ雑巾のような身体を拭きもせず、呆然と床を見ていた。
バンズさんは目を覚まさないず、牧場が焼け落ちた現実もそのまま。
そしてミルシェは連れて行かれた。
「…………」
今すぐに追いかけろよと、仮に漫画の中の主人公を見る側だったなら思っていただろう。だがこの有様だ。
これまでの人生の中で、最大級の無力感が俺を占めていた。
俺が行って何になる? またリンチされて終わりだ。いや今度は殺されるかもしれない。もしミルシェの前で無惨に殺されてみろ、彼女を深く悲しませるだけじゃないのか。
「……くそ……ッ」
誰に対しての言い訳だ。一人でメソメソうじうじ、情けなくて涙も出ない。
バンズさんにもミルシェにもハナ達にも、世話になった恩をこれっぽちも返してない。それどころか役立たずじゃないか。
ミルシェは此処を守ろうとしてサルテカイツの屋敷へ足を運んだ。酷い目に合うかもしれないと分かってるはずなのに、俺よりずっと勇敢だ。
俺はどうすればいいんだ、あるいはどうすれば良かったんだ。二人に対し出来ることは無かったのだろうか?
「…………ミルシェ」
女々しく少女の名前を呼ぶ俺の声が歪んで聞こえた。
「……タンスの引き出し、だったか?」
そこでミルシェの最後の言葉を思い出した。役に立つものが入っていると言っていた。
ノロノロと立ち上がり薄暗い部屋の隅にあるタンスの引き出しを目指す。
一番上、多分小物入れだろう。木を削って出来た取っ手に指をかけ、そっと引き出した。
「……なんだこれ」
そこに入っていたのは真新しい皮袋だった。手にとって見ると中身が入っているらしくズシリと重い。
口紐を解き中を広げてみる。
「……なんだよ、これ」
入っていた物自体は多くなかった。珍しいものでもなかった。
バンズさんには小さい男物の服、下着がそれぞれ何枚か、地図、携帯食料。そしてお金の入った小袋。
中身は銅貨が約二十枚、銀貨が三枚、銅紙幣が四枚ほどだった。
「なん……だよ、俺の、心配なんて……して、る場合じゃないだろうに……ッ」
これは俺の旅支度だ。
知らぬ間にミルシェとバンズさんが用意してくれていたのだ。商品が売れずに苦しいとき、ましてや牧場が焼け落ちてしまった後でさえ、俺のために。
二人の底抜けの優しさが俺の目を濡らす。溢れて、零れて、止めようが無い。頬を伝う涙の熱さは失われること無く、そのまま胸に染み入る。
「……だよな」
乱暴に目を擦り鼻を啜り、言い聞かせる。
こんな優しい人達が理不尽な目に遭っていい理由なんてある訳がない。
俺が行って何になる? 知るか、行ってみないと分からん。
今度は殺されるかもしれないぞ? どうせ一度死んだ身だよ、気にすんな。
無謀って言葉を知ってるか? 俺は馬鹿になるつもりか? 本物の馬鹿になるよりは良いだろ!
ダラダラしてんなよ、ここで動かなきゃ一生後悔するハメになる。
無謀も蛮勇も承知、安っぽいヒロイズムを掲げてヒロインを助けに行こうじゃないか。
やっと火が入ったのだ。ここで止まったら男じゃないだろ。
俺はバンズさんの寝ている枕元に、水とパンとチーズを置く。そして紙を拝借して一筆したためた。
『ミルシェは俺が連れて帰ります。今までお世話になりました』
残したのは誓いと離別の手紙だ。
バンズさんがいつ起きるか分からない。このまま家において行くことが少し気がかりだがアイツらの目的が牧場とミルシェだとした場合、ここにはまだ来ない筈だ。ミルシェを呼び出した名目上は牧場の権利を巡っての話し合いなのだから。
「……ありがとうございました。牛乳、本当に旨かったです」
頭を下げ、別れを惜しむ。もう二度と一緒に食を囲むことがないかもしれないと思うと、表現しようのない寂しさが胸を突く。日本で一人暮らしに慣れていた筈なのに、あの時の感覚が思い出せない。
「じゃ、行くか!」
振り払い、バンズさんの持ち物から借りたナイフを、無いよりは良いだろうと思ってベルトに差し外へ出る。
そして一歩も歩かないまま足が止まった。
「……サルテカイツの屋敷って、どこだっけ……?」
サーッと青くなるのは、雨風が冷たいからじゃない。
「バカか俺は……ええ、嘘だろ……」
なんてこった、パルゴアの家を知らない。
「電話帳とか無いか!? あるわけねーだろ!! あ、地図! 地図で調べればいいじゃん……字が読めねぇーーッ!!」
頭を抱え床に突っ伏す。なんなの俺!? どこへ行けばいいか分からないとか救いようの無いほど馬鹿だろ!! ここ止まったら男じゃないだろって、止まってんじゃねーか!!
モーゥ
「どうしようどうしよう……!」
モーゥ
「馬車の跡を追うか? 駄目だ。多分、雨で消えてる……」
モーゥ
「王都に行ってエッダおばさんに場所を訊くか? いや万が一屋敷も居なかったら……!」
モーゥ
「もーぅ! こうなったら王都中を走り回って……あ?」
モーゥ
声に振り向くとハナが居た。しきりに服の裾を引っ張っている。
「ああスマン。でも餌はちょっと待ってくれ。って、焼けちゃったんだっけか……」
モーゥ!
「は? 違う? じゃあ、何をそんなに……!」
モーゥ! モーゥ!
口を離し俺に背を向け、催促するように鳴き続ける。
当然、牛の言葉など理解できない。けど何を言いたいか何故か分かった。
「乗れって、言ってるのか? ミルシェのいる所が分かるのか?」
モーゥ!!
「……ハナ、お前ーー」
背に手を乗せる。大きな彼女はバンズさんとミルシェが大切に育てた証拠だ。ハナだけじゃない、十七頭の牛達全てがそうだ。全員、大事な家族なんだと言われなくても分かる。
ハナ達も悔しいに違いない。それこそ、俺よりずっと。
「頼むハナ! ミルシェの所まで連れて行ってくれ!! 皆の分までパルゴアの野郎をぶん殴ってきてやるから!」
モーゥ!!
背に飛び乗るや否や、ハナの体が静止状態から動き出す。脚部に溜めていたエネルギーが地面を蹴り、ぬかるんだ土をモノともせずグングン風を切る。なだらかな丘がまるでジェットコースターだ。
「すげぇ! 早いぞハナ!! てか怖ぇーッ!?」
いつものんびり歩く様子からは想像できない程のスピードに、俺はハナの背にしがみつき振り落とされないようにするのが精一杯だった。
あっという間に牧場下の街道に乗り王都方面へ向けて疾走する。ハナの走りには一切の迷いが無かった。
いつの間にか雨は止んでいた。
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