温泉の話(下)
頭に冷たい水で絞ったタオルを乗せ直し、縁を背もたれに温泉に沈んだ。バンズさんは隣だ。
「ほー、湯を商売に……」
「俺の居た国ではかなり盛んでした。温泉を利用して宿にしたりしてですね……」
「なるほど宿な……人通りの少ないトコだから思い付きもしなかった……」
「もしかしたら、パルゴアがそんな事業を目論んでるのかもと思いまして」
「有り得ん話じゃねぇな。王国一の宿屋を作るつもりでも、奴の資金力なら可能だろう」
バシャッと顔に湯をぶつけた。
「ま、だとしても断るさ。ここには近所の酪農仲間もたまに入りにくるし、中には湯水を農作物にやっている奴もいる。そしてその代わりに野菜やら果物やらを置いていくんだよ。今さら金を寄越せなんて言いたくもねぇ」
どのみちミルシェはやらんしな! とガハガハ笑う。
「けど立派なお風呂ですねー……いったい何時からあるんですか?」
「牧場が建てられた時期と大差ないだろうから、ざっと数十年は経ってる。この風呂は牧場がもっと大きかった時の名残だ。何度も改修されちゃあいるが」
「ああ、その時の従業員が使っていたとか?」
「そうだ。かつては住み込みの者もたくさん居てな、専用の宿舎だってあった」
現在より何倍も広かった牧場に、大勢の従業員。この温泉やさっきの脱衣所も何人で利用しても平気な理由が分かった。以前はこの規模がちょうど良かったのだろう。
「ま、俺がここに押しかけてきた時は既に全盛期の半分以下だったらしいが」
それでも今よりはずっと多かった、と続けた。
「時代のせいなんて言い訳はしたくねぇが、国営の牧場や他国から安い牛乳が多く流通するにつれウチの需要が下がってきてな……牧場の縮小は避けられなかった」
ミルシェが産まれる頃には、バンズさんとミルフィさんと三人のみとなったらしい。
「俺らの作る牛乳は最高だ。どこに出したって負けることはねぇ。そう思ってくれる根強い客が王都にはまだまだ居る」
揺ぎ無い自分達の仕事への誇りがあった。
「だが最近は特に厳しい。税金がキツくなって儲けなんてほとんど出ないんだ。牛達にも満足に餌も食わせることすらできねぇ。それなのに、たんと乳を出してくれる」
アイツにらは助けられてるんだとバンズさんは言う。
「だからよ、今日ハナが倒れた時はもう駄目だと思った。ミルシェから聞いてるかもしれねぇが、ハナはこの牧場の働き頭だ。ハナに何かあったらどれほどの打撃を被るか……」
バシンと肩を叩かれる。ゴツゴツした逞しい手だった。
「ムネヒトが居てくれて本当に助かったぜ。礼になるか分からんが、気の済むまでのんびりしていくと良い」
「――バンズさん……」
「ミルシェだってハナ達だってお前のこと気に入ってるみたいだしな」
「そ、そうですかね?」
ハナはともかく、ミルシェはラッキースケベしちゃいましたが。
「父親兼牧場の主が言うんだから間違いねぇ。おーい、そうだろー!?」
壁に向かって急に大声出したから少し驚いた。やはり壁の向こうは女湯らしい。
『大声出さないでよー! みんなが驚くでしょー!』
ミルシェもどうやら入浴中らしい。
……こっちからが駄目なら、外側からならどうだろうか……?
「牛舎まで聞こえる訳ねぇーだろー!」
『だからってもう夜なんだから! 恥ずかしい事しないでよー!』
「恥ずかしいってなんだ! おとーさんとおかーさんが一緒じゃないとお風呂に入れないって泣いてた奴には言われたくねぇーっ!」
『わぁーっ!? 何叫んでるのおとーさんのバカー! 昔っ! ムネヒトさん昔の話ですからねーっ!』
微笑ましいエピソードが飛んできた。仲の良い家族のやりとりに心まで温かくなるようだ。
「そうだ、お前もコッチに来てみねぇかー!?」
『えぇーっ!?』
「わぁーっ!? 何いってんですか!」
今度は俺が大声を出す番らしい。
「裸の付き合いってヤツだ! 一気に親密になるぞ!」
まさか酔ってんのか!?
「飲み過ぎですよバンズさん!」
飲酒後の入浴は危険だ。血行が良くなりアルコールの回りも加速しますます酔った状態になる。もしかしたら素面かもしれないけど……。
『いい加減にしておとーさん! あんまり迷惑かけちゃ駄目だよ!』
壁の向こうから……先ほどより近い位置でミルシェの声が聞こえる。壁側に歩み寄ったのだろう。
何気なく――見えるはずもないのに往生際悪く――壁に目をやると、赤い点が二つ浮いて見えた。
(あんな模様あったっけ?)
壁を全て観察したわけじゃないから自信は無いが、確かに無かったような気がする。しかも良く見ると壁ではなく更にその向こうを指しているような……。
(――はっ!)
この現象には覚えがあった。バンズさんとハナを襲った盗賊達に石を投げた時、奴等の両胸辺りに見えた青い二つの点。
それは『
(ってことは、あの赤い点はミルシェの乳首の位置を――!?)
見えるのは分厚い木だけだが、俺の目の焦点はそこには合ってない。3D立体視本を見た時のようだ。壁越しに乳首の位置を追うなど今までしたこともない。しかも良く見ていると二点は常に一定の距離では無く、短くなったり長くなったりと僅かに変動している。これは盗賊達の時には無かった事だ。
そうだよね、男とは違うよね。おっぱいの先っぽに付いてるから、弾んだり揺れたりすると位置が変わるよね。特にミルシェのは大きいから……。
実際に覗いてる訳じゃないからセーフ。とか謎弁明をしつつ点を目で追っていた。
俺くらいのおっぱい星人にもなれば、その程度でも心が踊るのだ。
「ん? ムネヒトどうしたあっちばかり見て……」
「えっ!?」
急に静かになった俺を不思議に思ったのだろう、声を掛けてきた。掛けられた側はビクついてしまったが。
「おーいミルシェー!! ムネヒトもお前と風呂に入りたいってよぉー!!」
『えぇーっ!?』
「ぎゃぁぁぁああ!? ちょっ、勘弁して下さいよー!」
ぎゃんぎゃんと結局男湯女湯双方で騒がしくなってしまった。御近所さんが居なくて良かった……。
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