不憫なままではいられない。聖女候補になったのでとりあえずがんばります。

吉野屋桜子

第1話 母の死と環境の激変

 まだ私が物心つくかつかないかという頃、突然、父が行方知れずになり、私と母は、母の兄の屋敷に身を寄せた。


 母の兄というのが、伯爵さまで、母は両親に反対されたけれど移民の父と一緒に暮らす事を選んだそうだ。


 その頃はまだ母の兄は親から爵位を継承されていなかったらしいけど、私が伯爵家に引き取られた時は、爵位を継がれていた。


 父と母の馴れ初めだとかは、よく知らない。母は父に関してそれ程多くは語らなかった。


 と、いうのも母はお嬢様育ちで、いつもお花畑の中にいる様な人で、ちょっと頭も緩かったのだと思う。


 けど、まるで天使だと揶揄する人がいる様な見ているだけで幸せになるような綺麗な人だった。


「陽だまり姫」と呼ばれていたらしい。母は精霊に愛された人で、そこに存在するだけで人を幸福に出来る人だった様だ。


 だから、彼女の望む大抵の事は叶えられた。父と暮らす事も許されたのだ。


 父が居なくなり、生活力のない母はすぐに実家を頼り、迎えに来て欲しいと言ったそうだ。


 家に帰りたくなったらいつでも連絡しろと言われていたのだという。


 その母の兄は(私にとっては伯父)、母が伯爵家に戻る時に、私をよそに養女に出すように言ったそうだが、愛する夫によく似ている私を手放すのなら池に飛び込んで死ぬと頑張ったそうで、母を溺愛していた伯父は仕方なく母と私を伯爵家に迎え入れたらしい。


 母と私は伯爵家の離れで暮らした。それはそれで幸せな時間だったと思う。


 伯父は母に専用の侍女をつけ、メイドも数人寄越してくれていた。何不自由ない暮らしだった。


 父と暮らしていた頃、母の世話は全部父がしてくれたそうだ。母は父が大好きで、幸せだったのだそうだ。


「優しくて、綺麗で、とても素敵な旦那様だったのよ。でもきっと忙しくて帰れなくなったのね」


 と母は私に話したが、正直、母の話は私にはよくわからなかった。


 よくある話、寂しすぎると死ぬ弱い動物っているけれど。母はどうやらそれだったらしい。


 母が兄である伯父を頼ったのも私が居たからで。私可愛さに、人の世に留まろうとしたのだろう。


 そうでなければ直ぐに弱って死んでいたのだと思う。



 確かに母は私を愛してくれていたけど、父のいない寂しさには勝てなかったのだ。


 まだ私が8才の頃に朝、眠ったまま目覚めなかった。まるでお人形の様に綺麗な死に顔だった。


 悲しくて涙がいっぱい出た。お姫様の様な母はもう居ない。


 しかし、私の苦行はここからはじまった。


 伯父は母をこよなく愛していたので、父そっくりの私が大嫌いだったようだ。


 母は、波打つ光輝く金の髪に、その時々に色を違って見せる青緑色の瞳をしていた。


 けれど私の髪は白金で、瞳は透き通るグレーだった。


 それは、父の持つ色で、母は美しいといつも褒めてくれたが、伯父は見るのも嫌だったらしい。


 母が亡くなり、離れから出され、メイドよりも下級の下働きとして扱われる事になった。


 髪は短く刈り取られ、少年の様にされた。母が好きだった父と同じ髪を切り取られ、母が悲しんでいるのではないかと心が痛んだ。

 

 母を亡くした全ての憎しみは私に向けられたのだ。


 だから、知らなかった。母がもしもの時にと遺していた手紙に、私を大切に育てて欲しいと懇願していた事を。


 それを伯父が、破いて燃やしてしまっていた事も。




 伯爵家の使用人達はとても意地悪だった。伯爵である伯父の命令もあったのかもしれないが。


 そして一番嫌なのが、伯爵家の私より二つ上の次男坊ケビスだった。してもいないのに、食べ物を盗んだとか、様々な言い掛かりをつけられ、その度にメイド長にぶたれた。


 私は、襤褸を着せられ、食事もわずかしか与えられずに、栄養不足でフラフラした。


 召使が与えられる部屋すら与えられず、馬小屋の横に寝るだけの小屋を与えられ、藁を重ねて寝ていた。


 今から冬が来るが、どうしたら良いのだろうか。


 饐えた土壁の匂いと藁の匂い。どうして母は私も連れて行ってくれなかったのだろう。


 私にも母の様に精霊の祝福があれば、ここでも大切にしてもらえたのだろうか?


 だけど、どんなに淋しくても、母の様に目を覚まさないという事もなく。朝目を覚ました。がっかりだ。


 


 母の形見は全て取り上げられて何も持っていなかったが、父の物だという銀色の懐中時計を母から貰っていたのでいつも肌身離さずそれを首からかけていた。取られないように服の下に隠していた。


 いつか、父が戻って来て迎えに来てくれないだろうか・・・。そんな事ばかり思った。


 ところがケビスが時計に目を付けたのだ。本当に目ざとい。


 ある日、廊下を雑巾がけしていたら、


 後ろから回り込まれて時計を盗られたのだ。


 首の鎖を引き千切り、笑いながら走って持って逃げて行った。


 まって、まって、お願い返して!


 奪われたそれを、取り返す為に追いかけた。


 それを失くしたら、全部なくなる。全部なくなってしまう。


「返して!返して!父さまの大切な物よっ。お願い返してっ」


 けれどもケビスは走って裏庭まで行き、その懐中時計を蓮の浮かぶ深い池に投げ込んでしまったのだ。


「アッハハハハ、お前にそんなもん必要ないだろ、時計が欲しけりゃ、土下座して俺に欲しいっていえ・・・」


 ――――――バシャ――――――ァァァン


 私は脇目もふらずにその池に飛び込んだ。深く蒼い池の底に煌めきながら落ちて行く懐中時計を追った。


 裏庭の池はとても深く、藻や水草、折れた樹木が複雑に絡み合っていた。


 底に吸い込まれる様に落ちてゆく懐中時計。母の微笑み、息の出来ない苦しさ・・・。


 ごちゃまぜになり、消えた。


 それはアッと言う間の出来事だったのだろう。




 

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