カフチェーク

月夜調

第1話


 頬をに触れ鼻を擽るは草原を駆け抜ける爽やかな風。

 耳に流れて来るは心地良い音階による小川のせせらぎ。


「ふぅ〜、久し振りに有意義な休日だなぁ・・・」


 《白井 白しらい あきら》はそんな台詞を駆け抜ける風に乗せ漏らしたのだった。

 白は現在二十七歳の社会人五年目、大手書店チェーンで店長を務める独身貴族。

 まぁ、貴族と呼ぶには収入に寂しい所もあったが、独身で金の掛かる趣味も無い白は決して貧乏な訳でも無かった。

 まぁ、中肉中背の凡庸な容姿も貴族のそれとは言えないものだったが・・・。


「でも・・・、もうこんなに技術が進化してるんだな」


 自然の中にその身を置き、技術の進化を口にする白。

 そのミスマッチな発言の理由。

 それは白が現在その身を置く・・・。

 否、正確には身体を置いている訳では無いのだが、その世界にあった。


「これが最新のフルダイブゲーム機の実力・・・、か」


 白の今居る世界。

 それは世界的電子機器メーカー『イカロス社』の発売した新型フルダイブゲーム機『アイタース』。

 そのローンチタイトルとしてイカロス社が発売した『カフチェーク』の世界。

 其処は五感を見事に錯覚させる世界で、尚且つ自らの身体を自在に動かしているかの様な感覚。

 そんな自身が園児の頃、初めて触れた携帯ゲーム機からの進化に、白は心底からの感嘆を漏らしていた。


「あの時に見てた3D映像も十分凄かったが、これはちょっと次元が違うな」


 子供の頃からゲーム好きで、将来の夢がゲームクリエイターだった時期もあった白。

 しかし、ある時から恋焦がれたゲームから離れ、約十年振りのゲームプレイ。

 

「カフチェーク・・・、ね」


 白の漏らした現在プレイ中のゲームの題名にして、立って居る世界の名。

 それは白がゲームから離れた理由で有り、ゲームから離れたその日以降、思考の端に置く事さえも禁忌としていた、過去の傷を思い起こさせる哀しき名なのだった。


「・・・」


 十年の月日を刻み、未だそれに耐える事が出来ない事を理解させられた白。

 沈み込んで行く心を追う様に、静かに草原の上へと腰を下ろす。


「ふぅ〜・・・」


 絡まり合って行く思考を止める様に双眸を閉じ、横たわり溜息を空へと吐く。

 胸元を探り目当ての物が無い事に気付き・・・。


「そうかぁ・・・、此処はゲームだったな」


 当然の事を再び口にする。

 一瞬、この世界で目当ての物を探そうかとも思ったが、直ぐに首を振る。


「一度戻るかな」


 この世界に白の求める煙草が有る可能性は低いと知る彼が、フルダイブ下の一服を諦め、一度ログアウトしようとした・・・、次の瞬間。


「ギィィィ・・・!」


 爽やかな微風の新緑色を、一瞬でドス黒さを感じさせる深紫色へと染め上げた金属を擦り合わせる様な不快音に顔を上げた白。

 しかし、それは音では無く・・・。


「彼奴は・・・、『パウーク』か」


 白にパウークと呼ばれた存在は、身体は約一メートル、複数の節に別れた身体の倍程の長さの八本脚を持つ、蜘蛛の姿をしたモンスターだった。


「『第四位』だったよな?」


 そんな風に誰にとでも無く呟いた白。

 白の口にした第四位とは文字通り階級の事で、此処カフチェークではモンスターに限らず、装備や魔法、アイテムはそれぞれの価値で五階級に分けられており、第五位を最下位とし、最上位は第一位となっていた。


「数は全部で1、2・・・、5匹かぁ・・・」


 白はその姿その鳴き声に若干の気持ち悪さを感じながらも、現実では勿論の事だが、ゲームに於いても勝利には如何に冷静でいられるかが重要。

 静かに敵の様子を観察した。


「ギッ」

「ギッギッ、ギッ!」


 そんな白に対しても、一切の知性を感じさせない反応を見せるパウークの群れだったが、自身を狩る者、白を獲物とは理解しているらしく、一定の距離を保ちながら、陣形と何とか呼べる程度の隊列を組んでいく。


「・・・」


 背後に廻ろうとするパウークに対して、白は自身の前方を警戒しながらも足下の草を擦って千切りながら距離を取る。


「ィィィ・・・」

「・・・」


 一定の距離を保ちながら、廻り込もうとしたパウークは白の側面にしか付けず、苛立ちを低く、しかし風に消え入りそうな程小さく呻く様な鳴き声で示す。


「此奴等は・・・」


 視界に映るパウーク達に警戒の思考を巡らせながらも、その奥底に刻み眠らせていた記憶を呼び起こし、白はパウークという魔物の情報を即座に確認する。

 このパウークという魔物は姿形は蜘蛛そのもので、攻撃手段は八本の脚によるものと、鋭利な鋏角による強力なもの。

 脚は白の身長を越えるリーチを誇るが致命傷を喰らう程のものでは無く、鋭い鋏角は危険だが捕らえなければ喰らう心配は無かった。


「ニートカによる巻き付けにも注意が必要だが・・・」


 ニートカとはパウークの使用するスキルで、蜘蛛の糸による捕縛攻撃。

 それ自体には大したダメージは無いし、スキル発動迄の時間も約十秒と地味に長く、何より再発動迄の時間はかなり長かったが、ソロで捕縛されてしまうと、殆ど脱出手段が無く、強力な鋏角による攻撃を真面に喰らってしまい、一巻の終わりとなる事が必至だった。


「それに此奴等は跳躍力が侮れないからなぁ」


 ニートカは見た目に反し外皮は柔らかく、その跳躍力は地上を主戦場とする同レベル帯魔物の中ではトップクラスで、高い機動力は群れで現れるとソロの初心者プレイヤーなどは混乱のままやられてしまう相手だった。


「兎にも角にも得物を・・・」


 久し振りに触れるゲーム機で、それも最新の物という状況。

 対峙するは中々の強敵という状況。

 そう考えると最悪の状況だったが、白は意外な程冷静に全部プレイヤーに初期に配られるアイテムポーチに触れると、宙に白にしか見えないアイテムウィンドウが浮かぶ。


「彼奴は・・・」


 直ぐに見つかった目当ての品。

 初期配布アイテムが並ぶウィンドウの中に刻まれる、白がこのカフチェークに来て直ぐ取りに行った武器。

 白の微かに動かす視線に応える様にカーソルが合うと、その名が強調される様に浮かび上がって来て・・・。


「来い!」


 現実感を強く感じさせる状況が、ロールプレイをスムーズに行わせるのか?

 白は自然と強い声を発して得物をを呼んでいた。


「『ウプイーリ』‼︎」


 白の叫びに呼応する様に現れたのは、漆黒の海に真紅の雫を一滴落とした様な紅黒い刃を持つ剣。

 刀身は細身ながら一メートルを越え、鋼のそれなら重みを感じそうなものだが、白は何でも無い風に一度空を試し斬りした。


「行けそうだな?」


 入手した時に素振りはしていたが、その重量を再確認し頷く白。

 そんな白の頭に突如として・・・。


《ウプイーリの装備を確認。呪いによるバッドステータスを発動します》


 穏やかでは無いシステム音声が聴こえて来たが・・・。


《ウプイーリによる呪いの発動を確認。ユニークスキル『運命を破壊せし叛逆者』が発動しました。ウプイーリによる呪いのバッドステータスを解除しました》


 続け様のシステム音声によって、それが打ち消された事が宣言されたのだった。


「ギッ・・・!」

「・・・」


 それが聞こえた訳でも無いだろうが、白の右側面に付いていたパウークが、たった一音に怒りも警戒も含めた様な重く複雑な声を上げ・・・。


「イイイーーー‼︎」


 白へと一跳びで五メートル程有った間合いを詰める。


「っ・・・!」


 想定はしていた白だったが、全身に影が掛かる程の体長を持つパウークの俊敏な動きを目の当たりにし、若干の驚きを覚えた。


「視える!」


 何処ぞのエースパイロット達が口にしそうな決め台詞を口にし、手にしたウプイーリを振り上げた白。


「ッ⁈」


 白を捕らえ様と脚を伸ばしたパウーク。

 自身の脚を待ち構える様なウプイーリの刃に、感情を感じさせなかったパウークの表情に焦りの色が一瞬見えた。


「ん・・・!」


 パウークの脚がウプイーリの刃へと達すると、僅かな掌の感触と共に、パウークの深緑に近いドス黒い色をした血が頰に掛かり、白は妙に色っぽい声を洩らしてしまう。


「ギィ・・・」


 脚先部分を斬り落とされたパウークは、ウプイーリとの衝突の衝撃から僅かにその身体が外に流れ、結果当初から狙っていた白の背後へと着地する事になった。


「っ・・・!」


 未だ距離を取るパウーク達を警戒しながらも、背後のパウークへと視線で牽制をする白。

 そんな視界に映るのは、脚を斬られたパウークに薄らと浮かぶHPゲージで、その三分の一程が緑から赤に変わり、斬撃によるダメージを表していた。


「やはり弱点じゃないと、高い攻撃力があっても一撃では仕留められないか」


 白の手にするウプイーリは第三位に位置する片手剣で、ゲーム中盤で手にする様なレベルの武器であり、しかも呪われた装備特有の能力の高さもある為、攻撃力は第二位に迫る程のものを誇っていた。

 しかし、第四位と本来なら初心者脱出後のプレイヤーの敵であるパウークに対して、白は未だレベル1。

 通常なら真面にダメージを与えられる相手では無いが、ウプイーリの力で何とか戦闘が成立する可能性が生まれていた。


「ん?」


 そんな白の手にしたこの戦闘のキーとなるウプイーリ。

 その刀身をパウークのドス黒い血が一線伝い、それに呼応する様にその刃の底に流れる真紅が姿を現す。


《ウプイーリ固有スキル『生き血を渇望する魔剣』が発動しました》


 白の頭に鳴り響くシステム音声と共に、徐々にその刃を真紅へと変えていくウプイーリ。


「ふっ・・・。速く血を寄越せってか?」


 一閃の風が吹き抜け、ウプイーリの柄を手にした右掌が柄と一体化してしまいそうな不思議な感覚が白を襲い、摩訶不思議な感覚に僅かに鳥肌を感じ、白は冗談めかした台詞で震えそうな気持ちを落ち着けた。


「ィィィ・・・」


 そんな白の耳に届く、低く唸る様な背後のパウークの威嚇。


「そら・・・」

「ギッ⁈」

「喰らえ‼︎」


 咆哮はパウークに対してか?

 それともウプイーリに対してか?

 それとも何方に対してでも無く、自身に気合いを為なのか?

 とにかく白の刻んだ真紅の斬月は、刃先だけが触れたパウークの全身を引き千切り、クリティカルヒットの文字と共に、パウークのHPゲージを遥かに越えたダメージを刻み、絶命の叫びを上げる間も無く、パウークは倒れたのだった。


《白はレベルが上がった》


 それと同時にファンファーレと共に白のレベルアップを告げるシステム音声が響き、白は不思議と自身の身体が軽くなった様な感覚を覚えた。


「良く出来てるもんだ」


 フルダイブ型のゲームシステムの影響なのだろうが、そんな感覚に白は素直に感心した。


「ギーーー」

「ギッ!ギッ!ギッ!」

「ィィィ・・・!」


 しかし、パウーク達は白にそんな事を考えさせる間を与える理由は無く、徐々ににその距離を縮めていた。


「そう慌てるなよ?」

「ギッ!」


 意味は決して伝わっていないだろうが、パウーク達に向かいそんな台詞を投げ掛けた白は、横目だけでウプイーリの刃を見る。


「こっちも時間はそう無いんだ」


 ウプイーリの刃が真紅から漆黒へと戻り始めているのを見て、白はそんな呟きを洩らす。

 時間が無い。

 それはウプイーリの固有スキル生き血を渇望する魔剣の発動時間の事で、このスキルは攻撃を当てダメージを与えてから五秒以内なら、次の攻撃がクリティカルヒットとなるという性能で、スキルを維持するにはラッシュを続ける必要があるのだった。


「ギッ・・・」


 しかし、そんな事情をパウーク達が知る訳も無く、痺れを切らして一匹のパウークが身体を沈めた・・・、刹那。


「はぁぁぁ‼︎」


 そのパウークへと向かい駆け出す白。


「ッッッ⁈」


 しかしパウークも止まる事が出来ない体勢となっていた為、白へと跳躍し、その脚で白を捕らえる為目一杯節を伸ばす。


(さっきより楽に対応出来る!)


 レベルアップした事で余裕を持ちパウークの動きに対応出来る様になった白。

 大地を蹴る為に踏み込んだ右脚を深く沈め、パウークの下に潜り、狙いをパウークの弱点である腹へと定め・・・。


「これで!」


 微かに真紅の残るウプイーリで、空を貫くかの様な刺突を放つ。


「ギッ・・・」

「っ・・・」

「ィィィーーー‼︎」


 刺突は正確にパウークの腹を貫く事に成功し、ドス黒い血の雨を浴びる白の耳に、今度はパウークの断末魔の叫びが響き渡ったのだった。


「ぅ・・・」


 フルダイブの弊害か、何とも言葉に出来ない不快な感触を全身に感じる白。


「ちっ」


 行儀の悪い舌打ちも致し方無い事だろう。

 しかし、今は戦闘の最中。


「っ・・・!」


 漢らしい仕草でそれを拭った白は、その勢いのままにパウーク達を見据え・・・。


「行くぞ?」


 ウプイーリを手にする掌に力を込め、足裏に感じる大地の感触を、目一杯の力で蹴り出したのだった。

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