第292話 偉い人は、経済問題で頭が痛い

 その頃、ソビエト連邦では、財務委員長、商務委員長、民生委員長が極秘会議を行っていた。


 地球の一般的な国家にあてはめると――


 財務委員長は財務大臣。

 商務委員長は商業大臣。

 民生委員長は労働大臣。


 ――にあたる。


 つまり経済系の閣僚が集まって、何やら秘密会議を開いているのだ。


 会議を呼びかけた財務委員長が、まず発言した。


「同志よ。我が国は危機的な状況にある! 国庫から急速に通貨が消えているのだ!」


 財務委員長の言葉に、民生委員長は首をひねった。


「財務委員長、それはどういう意味でしょう?」


「そのままの意味だ。我々の金庫から、物凄い勢いで金がなくなっているのだ! このままでは、半年を待たずに我が国は破綻する!」


「「えっ!?」」


 商務委員長と民生委員長は、驚き言葉を失った。二人は財務委員長を見つめるが、財務委員長の表情は真剣で、ウソをついている気配はない。また、財務委員長がウソをつく理由も、二人には思い当たらなかった。


 商務委員長が咳払いをして、財務委員長に問い質した。


「同志財務委員長。没収した資産があるだろう? 王族、貴族、商人から莫大な額を没収したはずだが?」


「ああ、その通りだ。その没収した資産も消えつつあるのだ!」


「なぜ、そんな事態に!?」


「全ての労働者に給料を払っているからだ!」


 普通の国では……。


 それぞれの商店主が、従業員に給料を支払い。

 それぞれの工房の親方が、弟子に給料を支払い。

 それぞれの領主が、家臣に給料を支払い。


 農民は余剰作物を、商人に売ったり、市場で売ったりしお金を得る。

 漁民は漁でとれた魚を、商人に売ったり、市場で売ったりしお金を得る。


 しかし、ソビエト連邦は、共産主義国である。

 共産主義では、私有財産を認めない。商店、工房などは国営で、全ての商業活動と生産活動は、国の指導により行われる。

 当然ながら、そこで働く従業員、つまりほぼ全ての国民に国が給料を支払うのだ。


 財務委員長は、テーブルに身を乗り出して説明を始めた。


「いいかね? 現在我が国では、子供から老人まで、ほぼ全ての国民が働いている。つまり! ほぼ全ての国民に毎月給料を支払うのだ! 毎月莫大な額が国庫から支出されているのだ! このままでは――」


「お待ちを! 同志財務委員長!」


 商務委員長が、財務委員長の言葉を遮った。


「おかしいではありませか! 我々商務委員は、国営商店で農産品や衣服などを販売しています。その売り上げは、全て国庫に入るのですよ。毎月、莫大な額を納めているはずです!」


 共産主義国では、商業活動も全て国営になる。よって、国営商店の売り上げは、全て国庫に入るのだ。

 商務委員長は、その点を財務委員長に指摘した。商務委員長の心の声をわかりやすくすれば、『俺たちが毎月売り上げを作っているのに、金が足りないわけがないだろう!』だ。


 財務委員長は、商務委員長に向き合うと淡々と事実を指摘し始めた。


「その通りだ。商務委員長。つまり、あなたたちの経済活動は、赤字ということだ」


「そんな! バカな!」


「商務委員長……。これは確認だが、販売する商品の値付けは、どうしているのだね?」


「過去の販売価格と同額にしている」


「それだ! それが原因だ! 価格の見直しを要請する!」


 過去と同じ販売価格……一見すると間違いがなさそうだが、過去にかかっていなかった人件費の分が上乗せされていなければ赤字になってしまう。


 例えば、奴隷に給料は支払われていなかったが、現在は国が給料を支払っている。農民に給料は支払っていなかったが、現在は国が給料を支払っている。

 それら、これまでは発生していなかった人件費を、販売価格に反映させなければ赤字になってしまう。


 過去の販売価格、イコール、適正価格ではないのだ。


 商務委員長は、財務委員長が言わんとすること、なぜ販売価格の見直しが必要なのかを理解した。その上で、顔を下げ弱々しく返事をした。


「無理だ……」


「なぜ、無理なのだ? 原価と経費を計算し、適切な利益を上乗せした額が適正な販売価格だ!」


「同志財務委員長。そんなことは、私も部下も分かっています。問題は、二つ。一つは、原価がわからないのです! もう一つは、品目数が多く、流通経路が多様で経費計算をすることが不可能なのです!」


「は……?」


 財務委員長は、絶句し固まってしまった。横で見ていた民生委員長が口を挟んだ。


「商務委員長……先ほどの二つの問題は、理解が出来ません。もう少し詳しく説明を……」


「民生委員長。簡単なことですよ。現在、我が国は共産主義になっておりますので、市場がありません。例えば服を作るには、布や糸を市場で仕入れる必要があります。しかし、我が国の場合は、全ての生産活動は国営ですので、国の倉庫から布や糸を移動させることになります」


「……原価がゼロということでしょうか?」


「いいえ、違います。原価の計算が出来ないのです! 物がある以上、原価は必ず存在します。しかし、市場で取り引きがないので原価がわからない。だから、適正な値付けが出来ないのです。いくらで売れば、黒字なのか、赤字なのか、我々は、まったくわからないのです。だから過去の販売価格で国民に商品を販売しています」


「いや、それは、不味いのでは……?」


「不味かろうと、他に方法がないのです」


 民生委員長は、黙っている財務委員長を横目で見ながら会話を続けた。


「ならば、原価の計算をすれば良いでしょう? 布一枚を作るのにかかる人件費だとか、経費だとかを計算すれば良いだけではありませんか?」


「あなたは、どれくらいの品目が世の中に存在すると思っているのですか? その全てを計算し、国が管理するなど不可能です!」


「……」


 民生委員長は、ようやく商務委員長が言うことが理解出来た。原価計算や利益計算が出来ないということは、相当大雑把な経営しか出来ないということだ。


 民生委員長は、話題を変えようとした。


「商務委員長。大変申し上げにくいことだが、国民から要望が上がっている」


「一応伺いましょう」


「その……国営商店の品揃えに、『かたより』があると……。欲しい物が品薄で、不要な物の在庫が溢れていると……。何とかならないのか?」


「無理です! 我々は国が建てた生産計画にそって、経済活動を行うしかないのです」


「……」


 民生委員長は、再び言葉を失った。


 原価、経費などがわからない。

 つまり、効率的な経営が出来ない。

 そして、消費者のニーズに応えられない。


 ここに座る三人は、有能だから委員長を任されている。

 有能であるがゆえに、共産主義の問題点を理解出来てしまったのだ。


『このままでは、経済が行き詰まってしまう……』


 三人は同じことを考え、深く息をはいた。

 ずっと考え込んでいた財務委員長が解決策を提示した。


「給料の一部を現物支給に切り替えてはどうか? 食料や衣服を国民に報酬として配布すれば、国庫の減りを抑えられる」


 だが、商務委員長が否定する。


「無理です。我が国は戦争中で、食料は軍需用に徴発しています。それでも、不足しているのです」


「クッ! それでは、国営商店で商品の販売価格を上げるしかあるまい」


「いっそ給料を下げては?」


 値上げと言われても、どの程度値上げをすれば良いのか、商務委員長にはわからない。そこで『給料を下げる』と対案を出した。


 給料を下げれば、国庫から金銭の流出を抑えることが可能だ。


 だが、民生委員長が反対した。


「待ってくれ! 給料を下げたら国民の不満が高まる! 反乱だってあり得るのだぞ!」


「商品の値上げでも不満が出るでしょう?」


「それはそうだが……。現在、他のことでも国民から不満が出ているのだ! 厄介ごとを増やさないで欲しい」


「どんな不満でしょう?」


「仕事をサボる者、手抜きをする者が増えているのだ」


「働かない人間が出ているのか……」


 三人は頭を抱えた。

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