第284話 夜のハッスル同志

 ――翌朝。


 フルシチョフ付きの侍女は、フルシチョフの寝室をノックした。


「フルシチョフ閣下。おはようございます」


 返事はない。


 年若い侍女は、『変だなあ』と思った。いつもならすぐに『入れ!』と声がかかるのに、どうしたのだろう?


 観音開きのドアの前には、二人の不寝番の兵士が眠そうな目をして立っている。

 侍女は兵士に話しかけた。


「あの……フルシチョフ閣下は、まだお休みでしょうか?」


「そういえば、返事がないね……」

「普段は、すぐに返事があるのになあ……」


 フルシチョフが寝坊するなど、今までなかったことだ。

 年長の兵士が強めにドアを叩き、寝室のフルシチョフに大声で呼びかけた。


「閣下! フルシチョフ閣下! 侍女が来ております! 朝のご支度を!」


 返事はない。

 年長の兵士が侍女に話す。


「閣下もお疲れなのだろう。もう、しばらく待ってみてはどうだ?」


「そうですね。しばらくしたら、また、お声がけしてみます」


 その後、侍女が何度も声をかけたが、寝室からフルシチョフの返事はなかった。


 やがて、会議の時間となりギガランドの幹部――政治将校たちが、異変に気が付いた。

 彼らは大人数で、フルシチョフの寝室へ駆けつけた。だが、寝室のドアは閉じたままだ。


「同志フルシチョフは、どこだ!」

「まだ、お休みだと?」

「一体どうしたのだ!」


 大人数に詰め寄られ、侍女は恐縮して答える。


「それが、何度もお声がけをしたのですが、一向にお返事が……」


「そんなバカな! 同志フルシチョフは、時間に厳格だ。今まで一度も遅刻をしたことがない。寝坊などあろうはずがない!」


 侍女と兵士二人は、困ってしまった。


「いえ! ですが、本当に何度もお声をかけたのですよ!」

「侍女殿の言う通りです。私も扉を何度も叩いて、声をかけましたが、お返事がなく……」

「そうです! 俺たちも、やることはやったんですよ!」


「ふーむ……そうなのか? ならば、君、もう一度やってみたまえ」


 政治将校の一人が腕を組みながら、侍女と兵士に指示を出した。


「閣下! みなさまがおいでです! 起きてください!」

「フルシチョフ閣下! 起きてください!」

「俺たちが怒られてしまいます! 頼みます! 起きてください!」


 だが、扉の向こうの寝室から返事はなかった。


 侍女と兵士二人の様子を見て、政治将校たちがザワつき始めた。


「おかしい!」

「そうだな。これだけ大きな声を出しても起きてこないとは……」

「病気か何かで倒れていたら大変だぞ! ドアを開けて中を見てみよう!」


 フルシチョフは、初老と言って差し支えない年齢である。最悪の状況を心配した政治将校たちは、ドアを開け薄暗い寝室に入った。


「閣下! 失礼します!」

「ご無礼をお許しください!」


 政治将校たちに続いて寝室に入った侍女が、カーテンを開いた。ガラス窓から朝の光が部屋に差し込む。だが、フルシチョフは目を覚まさない。


『まさか! 急病でお亡くなりになったのでは?』


 最悪の予想が、政治将校たちの脳裏をかすめた。

 フルシチョフは、ヨシフ・スターリンのお気に入りである。フルシチョフが不慮の死を遂げれば、自分たちが責任をとらされるかもしれない。


 政治将校たちの背中に嫌な汗が流れた。

 その時、寝台からいびきが聞こえてきた。


「ぐお~! ぐお~! ぐお~!」

「GU-! GU-!」


「「「「「はああああ!」」」」」


 政治将校たちは、ホッと息をついた。なんだ、本当に寝坊しただけじゃないか……と。


 やがて、政治将校の一人が気付いた。


「なあ、いびきが二人分聞こえないか?」

「「「「えっ?」」」」


 大きな寝台には、こんもりと毛布で山が出来ている。フルシチョフの姿は見えない。おそらく毛布で出来た山の下なのだろう。


「ぐお~! ぐお~! ぐお~!」

「GU-! GU-!」


 こんもりした山からは、確かに二人分のいびきが聞こえる。


「同志……!」

「まさか……!」

「いや、きっとそうだ……!」

「同志フルシチョフは、昨晩女性を連れ込んでハッスルされたに違いない!」

「ククク……それで朝寝坊とは……同志フルシチョフも隅に置けないな!」


 謎は解けた!

 政治将校たちは、ニヤニヤ笑いが止まらなかった。普段堅苦しい上司であるフルシチョフだが、自分たちと同じではないか。


 謹厳実直な同志が、実は『夜のハッスル同志』であったことに、政治将校たちは盛り上がった。


「では……同志フルシチョフを籠絡した令嬢のご尊顔を拝すとしよう!」


 一人の政治将校が、毛布を勢いよくめくり上げた。


 そこには全裸のフルシチョフと……。

 ゴブリンがいた。


 全裸のフルシチョフに寄り添って眠る醜い魔物ゴブリン……。


「あっ……!」

「やっ……!」

「これは……!」


 顔を引きつらせ言葉をなくす政治将校たち。

 見てはいけないモノを見てしまった……。

 まさか、上司のお相手がゴブリンとは……。


 もちろん、このシチュエーションは、グンマー連合王国情報部員とルーナ・ブラケットの共作である。


 ルーナは、情報部員の手引きで使用人に紛れ込み、フルシチョフの寝室へあらかじめ侵入しておいた。

 夜になり、転移魔法でフルシチョフの寝室へ転移、睡眠作用のある『眠り草』を焚きフルシチョフを熟睡させ、同じように熟睡させたゴブリンをベッドに放り込んだのだ。


 ご丁寧にゴブリンには、派手な化粧まで施していた。



 この異世界で、魔物は人と敵対する存在である。

 魔物の種類によっては食料になり人の役に立つが、ゴブリンなどは食べることが出来ず、人と見れば襲いかかってくる迷惑な存在なのだ。


 魔物と一夜をともにするなど、あり得ないことなのだ。


 まさか敬愛する自分たちの上司が、かくも醜悪な魔物を愛する趣味であったとは……。

 ケモナーを超えたマモナー……、人々は同志フルシチョフの行いに恐怖した。



 さて、同僚に叩き起こされたフルシチョフである。


「んん……、いや……、よく寝たな! ん!?」


 政治将校たち、メイド、護衛の兵士たちの視線に気が付いたフルシチョフは、雷を落とした。


「これ! 人の寝室に無断で立ち入るとは、何をしておるか!」


 政治将校たちはフルシチョフを取り囲み、何と言おうかと思案した。


 オマエが言え!

 いや、オマエから言え!

 ――と、嫌な役目を押しつけ合ったが、結局、一番役職の高い政治将校が話すことになった。


「えー、ゴホン! 同志フルシチョフ、もう、会議の時間です」


「何だと! なぜ、起こさなかったのだ!」


「メイドは何度もドアをノックしたそうです。その……昨晩は、大いにご活躍をなさったご様子ですが……。もう、少し相手を選ばれた方が……」


「なに?」


 フルシチョフは、政治将校をにらみつけた。


『昨晩は活躍などと、コイツは何を言っているのだ!』


 政治将校は深くため息をつき、フルシチョフの隣に横たわる醜いゴブリンを指さした。


「同志……。ゴブリンと同衾されるなど、とんでもないスキャンダルですぞ!」


「なにい? 何を――」


 政治将校が指さす先を見たフルシチョフは、ゴブリンに気が付いた。

 驚き目を見張るフルシチョフ。

 そして、自分が誤解されていることに気が付いた。


「ち……違う! 違うぞ! 違うのだ!」


 自分を取り囲む政治将校たちは、頭を抱える者もいれば、ニヤニヤと下衆な笑いを浮かべる者もいる。

 何よりも堪えたのは、いつも従順なメイドが、ゴミを見るような目で自分を見ていることだった。


「貴様ら! 何を勘違いしておるか! ゴブリンなどと寝るわけがないだろう!」


「違うのですか?」


「違うに決まっておる!」


「しかし、閣下の隣にはべっておるのは、ゴブリンに見えますが?」


「こ……こんなモノは、敵対勢力の陰謀だ! 見張りの兵士は何をやっていたのだ!」



 フルシチョフは顔を真っ赤にして、怒鳴り散らした。しかし、政治将校たちには、恥ずかしさを誤魔化すために怒って見せているのだと解釈をした。


 政治将校たちの表情を見て、それが分かるフルシチョフは一層声を張り上げた。


「貴様ら出て行け!」


「わかりました! わかりました!」

「同志、落ち着いて! 会議室でお待ちしておりますから」

「では、後ほど。プププッ!」


 フルシチョフは、面白がる政治将校たちの背中に否定の言葉を投げつけた。


「ハッキリと言っておくが、違うからな!」


 否定すればするほど、怪しまれ誤解されてしまう。

 フルシチョフは、魔物がお好き……、と非常に不名誉なレッテルが貼られた。


 この状況を、喜んでいる者たちがいた。グンマー連合王国情報部員とルーナ・ブラケットである。

 彼らは、ニヤニヤと笑いながら天井裏から覗いていた。


「ルーナ様、狙い通りですな!」


「面白い! 顔を真っ赤にして弁解しているところが笑えた!」


「それでは……」


「第二弾!」


 グンマー連合王国情報部員とルーナ・ブラケットは、天井裏から転移魔法で姿を消した。

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