第35話 【番外編】優斗side

幼馴染みの沙耶のことを好きだと気付いたのは何時頃だろう。もう多分、ずっと前から好きだった。幼い頃は無邪気に、それ以降も何度も沙耶に好きだと伝えた。言葉の花びらは、沙耶の好きな桜吹雪のように沙耶に降り注いだけれど、沙耶には本気だと伝わらなかった。


だから優斗はこの気持ちを秘めていようと決めた。もし沙耶に知れることがあったら、沙耶に一番近い『幼馴染み』という場所だって無くしてしまうかもしれない。優斗はどうにかして沙耶の一番近くに居たかった。だから、幼馴染みでも良かった。沙耶の、一番近くに居られるのなら。


何時か、優斗の敵わないような、素敵な彼氏を作るんだろう。その時には素直に負けを認めて、祝福しよう。沙耶の選ぶ男なら、きっとやさしくて沙耶のことを一番に思ってくれる。その時には沙耶を支える立場を明け渡しても良い。それまでは優斗がその人に代わって沙耶を守る。優斗は十年以上を掛けて、そう思うことに成功した。





雨雲が垂れ込めていた。もう、いつ降り出してもおかしくないような空模様の下で、優斗は今日もラグビー部の練習に出ていた。梅雨時だから、ちゃんと傘は持ってきている。今日、一年後輩の彼女は、友達と約束があると言って、既に帰ってしまっている。先刻教室を出るときに、芽衣と沙耶が残って勉強をしていく、と言っていたので、部活が終わってもまだ教室に居るようだったら、誘って一緒に帰ろう。沙耶たちと一緒に帰るのは、結構久しぶりだ。


ランニング、パス回しから始まって、タックル、サインプレーなど、一通りの練習を、今日も行った。どうやら雨はこのまま練習終了まではもちそうだった。じゃあ、家に帰るまで持ち堪えていてくれるといいなあ、なんて思っていた。最後のランニングをしているとき、ちらりと校舎の方を覗うと、まだ教室に明かりがついている。きっと沙耶たちが勉強しているんだろうと思った、そのとき。


「………っ」


教室の窓から、グラウンドを眺めている人がいた。見間違いができるはずもない。窓際に立っていたのは、担任の崎谷先生だった。一気に頭に血が上るのが分かった。


何故、先生があの教室に居るのだろう。芽衣は先刻、沙耶と勉強すると言っていた。もう沙耶たちは帰った後だったのだろうか。先生は何のためにあそこに佇んでいるのだろう。


沙耶は、そこに、居るのだろうか……。


いや、と思う。だって、沙耶とは約束をした。沙耶は約束を大事にする子だ。決してそんなことはない。


それでも、頭の中に嫌な考えが渦巻いてくる。ランニングを終え、ボールなどの道具を片付け、クラブハウスに戻ると、優斗は急いで制服に着替えた。丁度、夕方のチャイムが鳴って、昇降口から文化部の生徒たちが靴を履き替えて出てくる。その中に優斗は駆け込み、運動靴を上履きに履き替えた。


文化部の生徒たちは主に北校舎の階段から流れてきており、南校舎へ走っていく優斗は誰ともすれ違わなかった。階段を駆け上がり、二階まで上ると、廊下を走り始めた。すると、前方から背の高い生徒がこちらへ向かって歩いてきていた。


芽衣だった。


鞄を手に持って、芽衣がのんびりとした様子で歩いてくる。芽衣が今この時間に廊下を歩いているって言うことは、沙耶も今まで教室で芽衣と勉強していたということだ。そして、グラウンドから見た教室の窓には、崎谷先生が居た……。


「芽衣ちゃんっ!」


優斗は大声で前方から歩いてくる芽衣を呼んだ。芽衣は廊下の窓から外を見ていた視線を真っ直ぐに変えて、そして優斗の姿を認めると、少し驚いたような表情になった。


「ゆ、優斗くん」


芽衣らしくない、少しうろたえた声。嫌な予感がする。優斗は芽衣に走り寄り、言葉で詰め寄った。


「芽衣ちゃん。沙耶と一緒じゃないの? 今まで勉強してたんだろ?」


「あ、…う、うん。先刻まで、一緒に居たわよ。でも、もう今日の勉強はおしまいにしたの。チャイムも鳴ったし」


「それで、沙耶は?」


まさか、教室に残してきたというのだろうか。


「あ、ああ、ええと、なんかもうちょっと復習するって……」


「教室に残して来たんだねっ!? どうして、残して来たの!」


優斗の剣幕に、芽衣もたじろいだ様子だった。でも、そんなのには構っていられない。


「なんで、…って、だって、沙耶が残るっていうんだから、別に良いかなって思って……」


「教室に、崎谷先生が居ただろっ!」


優斗の言葉に、芽衣の顔がはっとした。その顔を見て、一瞬で理解した。芽衣は、共犯者なのだ。


「………っ!」


一瞬でも早く教室に行かなければならない。そう思って、芽衣の横をすり抜けようとしたときに、腕を後ろから捕まれた。


「…っ、芽衣ちゃんっ!」


「優斗くん! 今は、教室は駄目っ!」


「なんで! 沙耶と……、沙耶と先生が二人で居るんだろっ!」


そんなの、許せない。二人になった途端に、あの先生は沙耶に何をするか分かったものではない。


ぎり、と芽衣をねめつけると、それ以上に真剣な芽衣の視線が強くぶつかってきた。


「確かに、教室に二人とも居るわよ。…だけど、あの二人が望んだ時間なのよ。もう、許してあげてよ……」


芽衣の言葉に、優斗は激高した。


「許すって、何だよ! 芽衣ちゃんは、先生の味方するのか! おかしいだろっ!? 教師と生徒で、なんてっ!」


「でも、本人たちは真剣なのよっ!」


芽衣の言葉が理解できない。教師が…、大人が高々十七の子供に真剣だなんて、そんな訳あるか。絶対に崎谷先生が沙耶を弄んでいるだけに違いない。


「真剣なわけあるか! 沙耶は騙されてるんだ!」


もうこれ以上芽衣と話をしていても結論は出ない。優斗は芽衣の腕を振り切って廊下を走ろうとした。それを、芽衣が背後から腕を引っ張るようにして止める。


「本気なのよ! 先生も、沙耶も! 優斗くんたち、親友でしょ!? 分かってあげてよ!」


「そんな訳ない! 沙耶は…、騙されてるんだっ!」


芽衣の静止を引き摺って、勢い良く教室の扉を開ける。そこには……。


唇が触れ合わんばかりの距離で、先生と沙耶が寄り添っていた。先生は明らかに優斗を目で威嚇していて、扉の開く音に驚いた沙耶が体を引いても、沙耶の傍から離れようとはしなかった。


認めたくない。沙耶は、絶対に俺が守る。そう思っていたのに……。


「違う! 優斗! 私、本当に……、…本当に先生のこと好きなの……っ」


沙耶の口から、一番聞きたくない言葉だった。先生が何を言っても、沙耶が本気だなんて、思ってなかった。絶対に、先生に騙されているだけだと思っていた。…だから、自分が守ってやらなくてはと必死で…。


…でも、沙耶の瞳が、彼女の揺るぎない気持ちを物語っている。…本気だと、言っている。


信じたくなかった。信じたくなかった。でも……。


「…悔しいだろうけど、男だったら、好きな子の幸せ、喜んであげてよ……」


芽衣が優斗の腕を引っ張ったまま、そう言った。…そうしたかった。本当に、そうしたかった…。自分がちゃんと祝福してあげられる男子と結ばれてくれたのなら、いくらだって喜んでやれた。なのに……。


でも、もう何を言っても駄目だって、分かった。


大事な大事な幼馴染みの沙耶は、その手で自分の幸せを掴まえてしまっていた……。





秋の空。絹糸を引くような雲が薄紅に染まろうとしている。眩しいほどの金色の夕日が教室に差し込んでいて、優斗の背後に長い影を作っていた。


今日の部活はお休み。終礼後、久しぶりに友達と教室で無駄話をしながら過ごした。その友達たちも、そろそろ帰る、と言って、教室を出て行った。優斗も机の中身を確認する。忘れ物はないようだ。


ふと、窓際に立って体育館の脇の紅葉した桜の木を眺めていると、あまり人の通らないそこに、二人の人影があった。


沙耶と、先生。


眩しいくらいの光の影で、二人はのんびり歩いている。沙耶の、先生に向ける笑顔が金色の夕日よりも眩しくて、優斗は窓辺から身を離した。


…もう直ぐ沙耶が教室に戻ってくる。そうしたら、笑って駅前のハンバーガーショップに誘ってみよう。


まだ少しだけ、ほんの少しだけ胸が痛いけれど、でもきっと楽しい話をしながらハンバーガーを食べることが出来る。


誰にも譲りたくない、沙耶の幼馴染みとして、きっと優斗は隣に居られるのだ……。





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