第25話 芽衣-1
眠れない夜を過ごした。なにをどうやっても昨日のことが頭をよぎり、なにもかもが上手く出来ない。食欲はなく、母親に心配されながらも朝食を抜いてしまった。制服に腕を通すだけで緊張する。駅で電車を降りるのも、校門を潜るのも、昇降口を入るのだって緊張する。教室になんて、行ける訳がない。どうしても昇降口に入ることが出来ず、うろうろとグラウンドの運動部の朝練を何とはなしに見学してしまったくらいだ。
勿論その運動部の中にはラグビー部もいて、優斗が校舎とグラウンドの間でうろうろしていた沙耶を見つけて声をかけてくれた。
「沙耶、おはよう。もうすぐ終わるから、一緒に教室に行こう?」
曇天の空の下、朝の日差しみたいに優斗が笑う。咄嗟に、優斗にはこんな心中を明かせない、と思って、大丈夫、先に行ってる、と手を振ってしまった。
そろそろ登校のピークだ。次から次へと生徒が昇降口に吸い込まれていく。やっぱり沙耶は入り口を前にして緊張してしまった。
…昨日、あそこで先生にあんな場面を見られたばかりか、………。
うわ、と思う。もう今きっと顔が真っ赤だ。どうやって教室へ入ったらいいのだろう。どんどん通り過ぎる生徒たちに訝られないように、沙耶はぱん、と自分の両頬を叩いた。その時。
「おっはよー、沙耶。なに気合入れてんの?」
元気よく背後からかかった声に飛び上がりそうになる。ぱっと振り向くと、そこには今登校してきたばかりの芽衣が居た。
「なになに? なんかあるわけ?」
「……芽衣ちゃん…」
朗らかな芽衣の顔を見て、一瞬強張っていた体の力が抜ける。沙耶は気付かないうちに、ほ…、と息をついていて、それを見た芽衣は、ん? と思った。
「どーかした? なんか、…あった?」
芽衣に問われてどきっとする。彼女は意外にこういうとき、鋭い。沙耶が咄嗟に返事が出来ないでいると、芽衣は何か察したように、ぐいと沙耶の腕を掴んだ。
「め、芽衣ちゃん?」
「ごめん、沙耶。ちょっとだけ付き合ってよ」
驚いた沙耶は、芽衣に引き摺られる形で昇降口を入る。そのまま、南の校舎じゃなく、北の特別教室を集めた校舎へと引っ張っていかれた。
一階から二階へ上がる踊り場で、芽衣は沙耶をその角に立たせて、自分の背中で廊下から覆い隠すようにして立った。そして、両手を沙耶の頭の左右上あたりについて、まるで沙耶のことを囲うようにした。なんだか雰囲気がただ事じゃない。
「…め、芽衣ちゃん…?」
「あのさ、単刀直入に聞くけど」
声は潜められている。耳元とは言わないけれど、明らかに内緒の話の体勢だ。
「崎谷先生と、なんか、あった?」
ぎょっとする。何故、芽衣が、ここで崎谷先生の名前を出すのだろう? 一気に頭の中が昨日の事を思い出してパニックになる。口は動くが言葉にはならず、あわあわと息を継ぐだけだ。
「あ、当たり?」
芽衣は沙耶の様子を見て、軽くそんな風に言った。でも沙耶はそれどころではない。
「め…っ、……め…、めいちゃ……」
「あー、うん、ごめんね、驚かせて」
内緒話の体勢のまま、芽衣が沙耶を安心させるように微笑った。彼女は沙耶が落ち着くまでじっと待ってくれて、それで沙耶はなんとか走る心臓を抑えることができた。
「…な、……んで……」
でも、それしか言えない。だって、昨日、教室近くには誰も居なかったし、沙耶もあの時教室から逃げるように出ても校門を出るまで誰にも会わなかった。だから、言い当てられたことが、本当に驚きで。
だけど芽衣は、なんというか悪戯っ子が困ってしまったみたいな顔で笑ってウインクをしてきてこう言った。
「そういうのはね、第三者のほうが分かるもんなのよ。意外にね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます