第10話 疑問



「よし、終わり。後ろから集めて」


横尾先生の声で、一気に教室がため息をついた。一番後ろの座席の生徒が、順に答案を回収していく。沙耶は答案を渡してしまうと、前方の席の優斗の方を見た。優斗は答案を回収しに来る生徒を見ていて、ふと沙耶の視線に気付くと、ちょっと情けないような顔をした。


答案が全部集まると、丁度チャイムが鳴った。日直の号令で礼をして、横尾先生が答案と教材を抱えて教室から出て行く。ざわめいている教室の中、沙耶は優斗の席に近寄った。


「どうだった?」


「…どうだろ…。カタカナの名前って、なんか覚えにくくて駄目だ。人物にしても、都市の名前にしても」


「そうね、私たち日本人だしね。もう、ひたすら覚えるしかないもんね…」


沙耶が同調すると、優斗は「そう! そうなんだよ!」と嘆いた。


「ヨーロッパの過去の出来事が、俺の未来に何を残してくれるんだ、っつー話!」


「それ言ったら、数学だってそうよ。私、別に理系に進むわけじゃないのに……」


「な! 世の中、無駄な勉強が多いよなあ」


どうしても、学生としては勉強に文句が出てしまうのは仕方がないことだ。苦手科目なら尚更のこと。沙耶と優斗は、互いに顔を見合わせて苦笑いをした。


「仕方ないよな。もう終わったテストのことは、なにも言わない。それより、沙耶の数学だよ」


優斗が気持ちを切り替えるように首を回しながら言った。どうやら、優斗は本当に沙耶の数学を見てくれようとしているらしい。


「でも、本当に良いの? 優斗だって、勉強しないと駄目でしょ?」


「それは、沙耶のを見ながら一緒にやるからいいよ」


にこにこ笑って優斗がそんなやさしいことを言ってくれる。放課後は部活がある優斗には、明日の昼休みに少しだけ問題集を見てもらうことにした。


「じゃあ、今日、家で頑張って問題集やってくるね。頼むわね、優斗」


「うん。俺も、ちょっと復習しとく。頑張ろうな、沙耶」


ぐっと握りこぶしを作って、優斗が教室を出て行く。沙耶も、机の教科書を鞄に詰め込んだ。


廊下に出ると、丁度階段に向かって芽衣が歩いてきているところだった。校舎の階段は、沙耶の教室と芽衣の教室の間にある。芽衣が、沙耶に気付いて手を振ってきた。


「芽衣ちゃん。今帰り?」


「うん。沙耶も?」


頷くと、駅まで一緒に帰ろうか、という話になった。そのまま一緒に階段を下りて、昇降口に向かう。


靴を履き替えて、昇降口を出ると、グラウンドの方からは、もう運動部の練習の声が聞こえていた。きっと優斗もランニングくらいしているところだろう。部活の負担のある優斗にあまり迷惑はかけられないから、やっぱり今日は家で一生懸命勉強をしておかなければ。


つい、グラウンドの方を窺ってしまっていて、隣の芽衣がどうしたの? と聞いてきた。


「あ、ごめんね。ラグビー部も、練習してるなって思って」


「ああ、優斗くんか」


「うん。明日、数学見てくれるって言ってくれたから、悪いなあって思って」


「数学? ああ、小テスト? 今日ウチのクラスでもやったよ」


全然わかんなかったよー、と芽衣が嘆いていた。ああ、やっぱり難しそうだなあ、なんて、ちょっと心配になる。


「でも、優斗くんも、言うほど数学良くなかったと思ったけど」


「うん、そうなの。だから、悪いなあって」


ふうん? と芽衣が首を傾げた。そんなんなら、先生に聞きに行けばいーのに、なんて言っている。…ちょっと、沙耶は考え込んでしまった。


そうなのだ。優斗があまりに気持ちよく「教えてあげる」なんて言うものだから甘えてしまったけど、お互い余裕も無いことだし、どうしてあんな風に言ってくれたのかなあ、と思ってしまう。…少し、授業の前に話したことが頭の中に蘇ってきた。


……でも、崎谷先生も横尾先生も、そんな贔屓をする先生には見えないんだけど……。


ちょっとそう思って、もしかしたら、優斗はその辺を気を利かせて、沙耶に数学を見てあげる、なんて言ってくれたのかもしれない。そうだとしたら、優斗は随分人が良すぎる。


「さや? どうしたの?」


黙り込んで考えてしまっていたので、芽衣が心配して声を掛けてくれた。なんでもないよ、と言ってみたけど、芽衣がじっと沙耶のことを見てくるから、ちょっと口がもごもごと動いてしまう。


「……芽衣ちゃん。……先生が、贔屓なんて、すると思う?」


「贔屓?」


突然の話向きに、芽衣はちょっと驚いたようだった。でも、うーん、と考えて、あんまり無いんじゃないかなあ、と言った。


「今、そういうの、厳しい目で見られてるじゃない? 生徒同士の関係にも影響出てくるし…。だから、よっぽどは無いと思うけど」


芽衣の言葉にほっとする。沙耶が安心したのを見て、芽衣が笑った。


「むしろ、逆じゃない? 生徒の方が、先生の好き嫌いはっきりしてるから。…ほら、三年生の先輩達のこと、聞いたことない? 横尾先生、大人気って」


「うん、聞いたことある」


「ね。でも、問題とかにはなってないし、そういうのは先生たちはきっと何度も経験してるから、上手に相手してるんだよね。多分」


にこにこと笑いながら、そう話してくれるので、沙耶も余計に安心できた。明日、優斗にもそう言ってみよう。崎谷先生や横尾先生があらぬ疑いをかけられるのは、沙耶としても残念だから。


担任だし、やさしいから、崎谷先生には嫌われて欲しくないって思う。生徒側の受け取り方が一様ではないことは沙耶も承知しているけど、でも親友には崎谷先生や横尾先生のことを悪く思って欲しくない。生徒との間が不穏なものになってしまったら、先生だってクラスを纏めることがやりづらくなってしまうだろうから。


「そうよね。崎谷先生も、横尾先生も、もう何年も先生やってらっしゃるんだもんね」


「そうよ。そんな、変なことしないわよ」


嬉しくなる。やっぱり先生たちはいい人だって思う。芽衣にその気持ちをわかってもらえたような気がして、沙耶は心から安心した。






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