秘密のschool days

遠野まさみ

第1話 崎谷先生



水色の空が、少し白く霞んでいる。春らしいうららかな陽気に、教室の空気も緩みがちだった。教室の正面では、ゴールデンウイーク中の注意事項なんかを、担任が話している。配られるプリント類は、いつもより多く、そのほとんどが校則からの抜粋だったり、職員室からの注意事項だったりしている。


「―――以上、短いとは言え、校則を破ることのないよう過ごすように。課題の提出には遅れないよう注意。各自、プリントを再確認。補習のない者から、帰ってよし」


先生の言葉で、教室のあちこちから椅子を引く音がする。鞄を抱えてあっという間に出て行く者も居た。


沙耶は机の上でプリントを整理しながら、教科書類を鞄に詰め込んでいた。教室の前方の席からやってきて、声を掛けてきたのは、幼馴染で親友の優斗だった。


「沙耶、今日どっか寄り道していこ? 折角で休みになるから、ちょっとくらい良いでしょ?」


にこにこと屈託ない笑みを浮かべながら、脇に鞄を抱えた優斗が言う。沙耶が応えようとする前に、教室の前方から声が掛かった。


「うら、高崎。岡本はこれから補習。余分な時間はないから、お前はとっとと帰れ」


沙耶の代わりに優斗に返答したのは、担任で数学教師の崎谷先生だった。


深い茶色のスーツに、リムレスの眼鏡。髪の毛は少し襟足が長く、切れ長の双眸は黒目がちで、端正な顔を、少し若く見せていた。


「なんなの、崎谷先生。そんなに生徒を邪険にしたら駄目なんじゃないの?」


「事実を言ったまでだ。ほんとに、岡本の点数、中間までにどうにかしないと、マズイからな」


先生に言われて、沙耶もちょっと恥ずかしくて俯く。始業式後の実力テストで、沙耶の数学の成績は壊滅的だった。二年生は、大まかな進路や、三年生の学力別クラス分けに影響のある、重要な時期で、だから先生も、新年度のしょっぱなから、沙耶の成績を気にかけていてくれていたのだ。


「…沙耶、そんなに悪かったの?」


「………学年、下から三番目」


うわ、と優斗が大きな目をより大きく見開く。流石にそこまでと思っていなかったのか、優斗は「じゃあ、頑張ってー」と言い残して、教室を出て行った。


「ふん」


「……あの、ごめんなさい……」


大きな息をついた先生に、沙耶は思わず謝っていた。先生方だって、ゴールデンウイーク中に学校に出てこなければならないなんて、きっと面倒なことに違いないのだ。なのに。


「ん? ああ、違う。岡本じゃない。…お前はそんなこと気にしないで、勉強に集中してくれたら良いから」


「…ハイ」


沙耶は返事をして、机の上に教科書と問題集を広げた。先生は、沙耶の為に放課後の時間まで使ってくれるというのだ。


穏やかな日差しが差し込む教室で、一人だけの補習を受ける。板書をしていく先生の文字を、間違わずにノートに記す。数式の応用の仕方や、考え方。色々苦手な項目はあるけれど、沙耶の致命的な欠点はケアレスミスの多さだった。


「計算式は何度も見直せ。公式の応用方法を覚えたら、後はもう数こなしてくしかないからな」


「ハイ」


ノートに問題集の問題を解いていく。ひとつずつ式を見直し、計算間違いを直していく。先生は、沙耶の席に寄ってきてくれて、手元を確認してくれた。


「…ここ、8か?」


「違いますか…? ……あ、5なんだ…」


「そう。焦ることはない。ゆっくり落ち着いて」


テストのときは、最初の方の問題に時間を取られすぎて、最後の方の問題が大慌てになる。その結果、式も間違えれば、計算もミスをするという悪循環がいつものことだった。


「今はテストと違うんだから、焦る必要なんて、ないからな。徐々に慣れていけば、良い」


穏やかに言う先生の声に、本当に焦らなくて言いのだと分かる。昔からの苦手意識で数学に取り掛かるときにはいつも焦るのだけど、この先生の声は、そういうことを忘れさせてくれる、そんな声だった。





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