097 優衣の初ミッション6 李人傑氏

 初日のミッション(開催会場である李人傑氏宅の外から党大会の様子を伺っただけ)が終わり、3人はホテルの部屋に戻り順番にシャワーを浴びる。

 部屋はスイートルームの間取りでも、バスルームは1つなので女性3人だと時間がかかる。

 おまけに水とお湯の出方が不安定なため、早くホテルに戻ってきたにもかかわらず、3人が眠りにつく頃には日付が変わる時刻であった。

 翌朝7時過ぎ、3人が朝食のため外に出る用意をしているとフロントから電話が入り、朝粥であれば1階のダイニングで提供できるとの連絡が入った。

「いただきに参ります」ホテルの申し出に桜井由貴の一言で、3人はダイニングで簡単な朝食を取ることとなった。

 朝食があっけなく終わったため『これからどうしよう』と相談をする中で『朝だから大丈夫ですよ』という優衣の言葉に押され、とりあえずホテルの近くを散歩してみることにした。少し路地を入ると朝からいろいろな屋台が出ており、美味しい匂いが漂ってくる。それぞれの屋台では、現地の中国人が朝食を取っている。

「こっちの方が良かったかも知れません」由貴がそう言うと、優衣が

「明日の朝食は、ここのどこかの屋台で食べましょう」と、亜香里に影響を受けたのか食欲旺盛。

「この辺ならば、大丈夫だと思います」

 玲のお墨付きも出たので、優衣は明日の朝食が楽しみになる。

 ホテル周りの朝の散策をして部屋に戻ると、由貴が2人に提案をする。

「ミッション2日目です。昨日お話ししたとおり、李人傑さんのお宅へ伺おうと思います。こちらの設定ですが、私たちの身分を示す書状が何もないため、いきなり行っても会ってくれるかどうか分かりません。最近、李人傑さんを訪問した芥川龍之介の名前を使おうと思います。私たちは彼の知り合いで、芥川龍之介から届いた手紙に李人傑さんのことが書かれてあり、是非、直接お目にかかってお話をお伺いしたいということにします。社会主義革命に情熱を持っている方のようなので、日本から来た私たち女性3人が訪問すると、意外なことに驚いて会ってみようと思うかも知れません」

「そうですね、この時代の上海で政治の事を考えている女性は少ないはずですから、私たち3人が訪問すると興味を持ってくれるのかも知れません」

「玲さんの言った通りになれば良いのですが、そうならなければ桜井先輩の能力を使って、なんとか面会まで持ってくるというか、持ってこさせるというか」

「最後はその手段で行こうかなと思っています。途中までは優衣に探ってもらいます」

 3人は李人傑のお宅に伺うのにモダンガールの格好は不適切だと考え、トランクの中身を改めて調べてみると、クラッシックな形をしたスーツがシュリンクパックされており、それに見合う小さな帽子もある。

「いつの時代の何なのか分かりませんが、これを着ていきましょう」

 カッチリしたスーツ姿に着替えた3人はフロントで車を呼び、李人傑氏の家へ向かう。

 車を待たせたまま、戸口から中に入ると直ぐに使用人が出て来る。

 李人傑氏に会いたい旨を玲が説明すると、約束をしているのか、どういう要件か、を聞いてくる。

 玲は、先ほどの打ち合わせ通りの話をすると、少し待つように言われた。

 こちらは女性3人なので、先方は警戒をしていないようだ。

 しばらくすると中に入るように言われ、広い部屋の真ん中にテーブルがあるところへ通される。

 3人がテーブルの片側に座り待っていると2階から李人傑氏が降りて来た。

 その部屋は中国共産党第一次全国代表大会が行われていた部屋であった。

 李人傑氏は3人の向かいに座り、顔を一通り見回してから話を始めた。

「皆さんこんにちは。日本から来られたとお聞きしましたが、どの様なご用でしょうか?」

 綺麗な日本語である。短期間日本で学んだだけとは思えないくらい達者な日本語である。

 桜井由貴が背を正して、答える。

「私、桜井由貴と申します。右が篠原優衣、左が張玲です。最近、李先生のお宅へ日本人の作家、芥川龍之介が訪ねて来たかと思います。彼とは顔見知りで、先生に上海でお会いしたとの手紙が届き、上海へ行くことがあれば是非、先生のお話を伺った方が良いと書かれておりました。今回上海へ来る機会があり、お邪魔した次第です」

「そうですか、あなた方は芥川先生のお知り合いですか? それで芥川先生は私の事を何か仰っておられましたか?」

「中国の現状を深く憂慮され、社会主義革命が必要である事を理路整然と語られる素晴らしい方だと、手紙には書かれておりました」

「大学の後輩の私に、そのようなお褒めの言葉を。そうですか、芥川先生が手紙にそう書かれておられましたか? それで、皆さんとはどの様な話をすればよろしいのですか?」

「先生が目指しておられる社会主義革命における女性の役割について、お聞かせ頂けませんか?」

「女性の役割についてですか? 大事な事柄ですが、これを話し始めると長くなります。今日はこれから会合がありますので、またの機会にお越しいただければ、ゆっくりと私の考えをお話ししたいと思います」

「(今日もこれから党大会をやるのね?)いえいえ、先生はお忙しいとお聞きしておりますので、無理にとは申しません。また伺いますので、よろしくお願いいたします」

「せっかくお越し頂いたのに、追い出すようで申し訳ありません。またいつでもいらして下さい」

 3人は挨拶をして、李人傑宅を辞し、待たせておいた車に乗りホテルの部屋へ戻っていく。

「優衣さん、インターカムの配備は出来ましたか?」由貴が確認する。

「はい、玄関を入ってすぐのところにある大きな木の根っこの飾り物の外から見えないところに仕掛けて来ました。チョット聞いてみますね」

 優衣は小さなハンドバッグからインターカムを取り出して、耳に装着する。

「あっ、大丈夫です。続々と人が入って来て挨拶をする声が聞こえてきます。これで党大会を邪魔しそうな人たちが押し入って来たら、すぐにここから出動できます。この距離だとパーソナルムーブを使えば、李人傑さんのお家まで十分はかからないと思います」

「了解です。あとは交代でインターカムで李人傑宅の様子を確認しながら、昼間はパーソナルシールドで光学迷彩をかけて時々、見に行けば良いですね。今日も含めてあと8日間もあるので長期戦になりますけど」

「桜井先輩、インターカムの当番ですが、夜は全員ここにいるし食事も一緒なので、昼の午前と午後の当番を決めて、その間ほかの2人は上海共同租界工部局の調査を兼ねて市内探索をするのはどうでしょうか?」

「それが良いと思います。工部局が本当に党大会を邪魔しようとしているのかも確認したいですから」玲は優衣の意見に頷きながら同意する。

「2人ともそれで良いのなら、そうしましょう。今日はもうすぐお昼だから、私が最初にインターカム担当をやります。2人も念のため外出時はインターカムをつけて、パーソナルムーブはバッグに入れて持ち歩いて下さい」

「「了解です」」

 3人は、スーツから昨日着たモダンガール姿に着替えてホテル近くの屋台で昼食を取り、桜井由貴はインターカム当番でホテルへ戻り、優衣と玲は市内探索へ出かけた。

 2人は馬車に乗り外灘方面へ行ってみることにする。

「百年前とは思えないくらい、立派な街並みですね」

「ここはイギリス租界で、建物もヨーロッパ調です。その後、上海は日の目を見ない時代が続きましたが、開放政策後は街並みが修復され二〇二〇年もほぼ同じ建物が数多く残っています」

「そうなのですね。あっ! あそこにあるビルは子供の頃、両親に連れられて中にあるレストランへ行ったことがあります、馬車を降りて少し歩きましょう」

 来たことのあるビルを見つけて、少し浮かれる優衣であった。

 2人は馬車を降り、御者への支払は上手くこなして、外灘の街を歩き始める。

「当時と言うか、今、目の前にあるのは、ユニオン・アシュランス・カンパニーズビルです。保険会社が入っています」

「そうなのですか? 私が親に連れられてこのビルに入ったときには、お店やレストランがあったと思います。ちょっと見てきますね」

 優衣は足早にビルへ向かい、入口を眺めながら『前に来た時と同じ。このルネサンスもどきの円柱の柱は、子供の時に見たのと同じです』と感激し『ちょっと中に入るくらいならOKですよね?』中に入ってみるとオフィスビルのロビーの様なフロアが広がっている。『さすがにビルの中は21世紀とは違いますね』一応満足してビルの外に出てきた。


「あれ? 玲さんが居ない。いや? 景色が違う。あそこに見えるのは電波塔? ということは今は、いつなの?」

 優衣は先週、詩織がミッションで遭遇した『世界の隙間』から『世界の隙間』へ飛び込んだ話を思い出し、振り返り急いでビルに戻ろうとしてドアに手をかけると、大きな警告音が鳴り、扉は開かず近くの回転灯が点灯し、警報が鳴り響いた。

 ビルの両側からペッパー君に黒い塗装をし、顔を怖くして巨大化させたロボットが近づいて来る。

「黒いペッパー君? ブラックペッパー? 辛いの?」

 優衣が一人で、ボケツッコミをやっていたら、優衣命名のブラックペッパーが優衣をつまみ上げようとして、アームを伸ばしてきた。

「黒胡椒のかけ過ぎは嫌いです!」

 優衣は訳の分からない言葉を叫びながら、車道に飛び出した。

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