085 詩織の初ミッション3
エアクラフトがダイヤモンドヘッドに音もなく着陸した。
軽い振動が座席に伝わってきたが光学迷彩が起動したままなので、中からは外の様子は分からない。
「着いたようですが、光学迷彩で外の様子が分かりませんが…」初ミッションの詩織はどうしたものかと思っている。
「心配はいりません。エアクラフトが着陸すると小さなドローンが飛ばされて周辺の状況がモニターに映ります。ほら、どう? 見た感じ周りに人は居なさそうだし、大丈夫でしょう? トレッキングパックを担いで外に出ましょう」
香取早苗と藤沢詩織は光学迷彩モードが起動したままのエアクラフトから外に出てみる。もしも周りに観光客がいれば、東洋人の女性二人が突如ダイヤモンドヘッドに現れて驚かれるシーンである。
二人が降り立った場所は、5月の夕方でも摂氏二十度以上あり過ごしやすい。
「『世界の隙間』の入口は直ぐそこです。クレーターの真ん中辺りかな? スマートフォンに位置が表示されています。ここです、行きましょう」
詩織は『モワッ』とした空気の揺れを感じ、おそらく一九八〇年に入ったと思うのだが、そもそもハワイが初めてなので様子の違いが分からない。
「香取先輩、一九八〇年に来たのでしょうか?」
「エアクラフトから降りたときも『空気が違うな』と思ったから、時代の空気が違っても『良く分かりません』というのが正直なところよ。スマートフォンでネットが見られないからインターネットが普及する前の時代なのは確かです。確かめるのはあとにして、真っ暗になる前にワイキキビーチを目指しましょう」
二人は市内への距離が近いダイヤモンドヘッド頂上展望台を目指す。
周りは薄暗く人気(ひとけ)も無いので、最初からパーソナルムーブを使って進んで行く。誰かに見られたときのためにパーソナルムーブ・スケートボード仕様にしているが、地面が土や草なので見られたら絶対に怪しまれる姿。雪山のスノーボードなら分かるが、オフロード用スケートボードなどあるはずがない。
二人はすぐに展望台に着くことが出来た。展望台には未だ観光客がいるので、トレッキングパックを担ぎ直しスケートボード仕様のパーソナルムーブを片手に持って、階段と坂道を下って行く。
「下りだけど、結構キツいね」
「香取先輩、もうチョットですよ。あそこに見える駐車場から先は舗装路ですからパーソナルムーブ・スケートボード仕様にすれば、スケートボードでダイヤモンドヘッドを駆け下りる、変わった東洋人にくらいにしか見られないでしょう?」
「そうだけど、この大きなトレッキングパックを背負ったまま、駆け下りたら少し目立つかも」
2人は駐車場からパーソナルムーブ・スケートボード仕様で、車道を使って一気にワイキキビーチまで滑るように降りて行った。
日本だと直ぐに警察に捕まりそうな姿だが、一九八〇年のハワイでは偶(たま)に擦(す)れ違う対向車の運転手から声援が上がる。
午後6時前に無事、ワイキキビーチへたどり着いた。
「さてと、藤沢さんの初ミッションなので、泊まりたいホテルのリクエストはありますか?」
「普通に泊まれれば、どこでも良いです」
「じゃあ、せっかくだから、ハレクラニあたりに行ってみますか?」
ハレクラニホテルに入る手前で、二人はシェラトンワイキキホテルに入り、1階のラバトリーでスーツとパンプスに着替えてからハレクラニホテルへ向かう。
早苗からホテル宿泊の交渉を任された詩織は、ハレクラニホテルに入ってからフロントへは向かわずに周りを見回し、コンシェルジュデスクへ行く。
詩織は『日本から急な取材でオアフ島に来た雑誌社の編集長と編集者だが、明日有名なウィンドサーファーの取材をするので、部屋は開いていませんか?』という内容を早口なカナディアン・イングリッシュでコンシェルジュに伝えた。
(藤沢さん『日常会話くらい』と言っていたけど、普通に話せるじゃない? 明日のインタビューも任せられそう)
インタビューに行く前から安心する早苗、何を聞くかが問題なのだが。
コンシェルジュがフロントに行って話をすると、2人のパスポートとクレジットカードの提示を要求され、それらを渡すとフロントはクレジットカードを手に取り、どこかへ電話をかけていた。
電話が終わると“Aloha Hawaii”と言いながらフロントはパスポートとカードを返し 、二人が『いまさら?』と思っていると、ベルボーイが呼ばれて荷物を持ち、直ぐに部屋へ案内される。
ドアを開けると内廊下が続き、その先の部屋には応接セットと、椅子が6脚あるテーブルがある。その部屋にもドアがいくつかあり、ベッドルームは別にあるようだ。
オーシャンビューの窓から見える日没の景色に2人が見入っていると、後ろでベルボーイが立ったままである。
詩織が振り返って、まだベルボーイが居ることに気がつき「あっ! そうだ!」と慌てて財布から1ドル紙幣を数枚渡す。
お礼を言って、ベルボーイはドアを閉めて出て行った。
「久しぶりに海外へ行く日本人の、アルアルをやらかしました」
「でも、藤沢さんは良いよ。言われる前に気がついたから。私なんてボーッと突っ立って、どうしたの?と思いましたから」
「欧米はチップ文化があるから、日本人の私たちからすると面倒ですね」
「この部屋、随分広いけどスイートルームの間取り?」
「はい、コンシェルジュと話している時にクレジットカードの事を聞かれたので、『組織』のカードを見せたらコンシェルジュがフロントに『日本から来たこの方々は有名な出版社から来た編集者だから』って話して『このカードだから良い部屋へ』と言っていました。私の発音が悪かったのか、言ったことと微妙に内容が違ってましたが、泊まれれば良いかなと思って聞いてました『組織』のカードを初めて使いましたが、このカードはそんなに凄いのですか?」
「どうなのかな? カードが使えないところに行くミッションが多いから、そんなに有り難みを感じたことはないけど。『組織』が用意するツールの方が有り難みを感じるかな? ここに来るときに使ったパーソナルムーブもそうだけど、あれがなかったら私たちはまだダイヤモンドヘッドをウロウロしていますよ」
「そうですね、ところで夕食はどうしましょう?」
「日本時間だと、お昼を少し過ぎたぐらい? ハワイ時間に身体を合わせなきゃだから、ガッツリ食べて早く休みましょう。今から外に出るのもあれだから、ホテルのレストランにしない?」
「賛成です、電話してみます」詩織はコンシェルジュデスクに電話を掛け、レストランの予約といくつか他のことを聞いたりお願いしたりしていた。
「ラ メールというレストランを予約しました。ついでにレンタカーの予約も依頼しました。明日の朝、ホテルまでレンタカー会社が持ってきてくれるそうです。朝食はオーキッズというレストランがお薦めとのことで、お任せしました」
「手際が良いね。じゃあ、すぐ食べに行きましょう」
「ラ メールはドレスコードがあるそうです。男性はジャケット、女性は優雅な何たらかんたら、と部屋の案内に書かれていますが」
「ホテルに入る前に着替えたこのスーツ姿だから、問題ないでしょう? 肩のところに違和感を覚えるけど、シャネルスーツですから」
一九八〇年当時は、シャネルですら女性のジャケットには、今見れば笑えるくらいの肩パッドが入っていた。
2階にあるレストランは空いていて、ワイキキビーチとダイヤモンドヘッドが見える窓際の席に案内される。
「あそこから一気に駆け下りて来たのね。こうしてみると結構な距離」
「パーソナルムーブで楽にここまで来られましたけど、帰るときは登り坂だから同じことをやったら怪しまれますね?」
「ミッションがどういう形で終わるのか分からないけど、帰りはタクシーを拾えば展望台の入口まで行けるから心配は要りませんよ」
ウェイターがメニューを持ってくる。
コースメニューが一種類と、アラカルトは一通りのものが揃っている。
面倒なのでコースメニューを選ぶことにして、飲み物はペリエにする。
「亜香里だったら、あれこれオーダーしそうなメニューです。言うのを忘れていましたが、この『世界の隙間』に入る前に亜香里からメッセージが届いていました。フィルムカメラの扱い方が箇条書きで書かれていたので、何とかなりそうです。注意事項は『オートフォーカスではないので、ちゃんとファインダーを覗いてピントを合わせてからシャッターを押すこと』だそうです。ついでに苦情ではないとは思いますが『なんで、私が幕末の京都で、詩織はハワイでリゾートなの?』と書かれていました」
「小林さんらしいのね。私も里穂から先週のミッションの大まかなことを聞いたけど、この時代のハワイに来るよりも、幕末の新撰組と一戦交える方が能力者としては、やりがいがあるんじゃない? 小林さんの稲妻(ライトニング)と里穂の竜巻(トルネード)で新撰組をビビらせたのでしょう? やりたくてもなかなか出来ない経験ですよ」
「そうですねよ、私たちは今のところハワイ観光ですから」
コース料理が少し早いペースで運ばれてくるので、それに合わせて2人ともサッサと食べ進む。
「もうデザートですか。明日もあるので早いけど食事を終わらせて、部屋へ引き上げましょう」
ウェイターが billing statement のホルダーを持ってくる。
詩織が Tip 欄に total fee の15%くらいの額を書き込み、ルームナンバーとサインをしてウェイターにホルダーを渡す。
ウェイターと入口に立つ人(誰?)から挨拶を受けながら、早苗と詩織はレストランを出て部屋へ戻って行く。
まだ、スイートルームの部屋全部を見ていなかったので、二人は探検を始める。
最初に入ったリビングルームの他、2ベッドルームでキッチンや、小さな打ち合わせ室があり、バスルームも2つあった。
椅子やテーブルが置かれたバルコニーも2つある。
「ベッドルームとバスルームが2つあるのは助かります。お互いに気をつかわなくて済みますから。明日の食事は何時に予約したの?」
「7時です。レンタカーは8時半にホテルの玄関に来るそうです」
「明日から4日間あるから、今日はここで活動を終わりにしましょう。おやすみなさい」
「明日もよろしくお願いします、おやすみなさい」
詩織はベッドルームに入り隣のバスルームにお湯を溜めている間に、一通りのことを済ませてから、バスに入り外の景色を眺めながらボーッと考えた。
「これって観光よね? ミッションってこんなものなの?」
今までやってきたトレーニングとあまりにもいろいろな事が違うため、詩織は拍子抜けしつつ、どこかで『ドッキリ』があるのではないかと思っていた。
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