086 詩織の初ミッション4

 ミッション2日目の朝、詩織はいつもと同じように目を覚ます。

 一九八〇年五月第3週の火曜日、ハワイ時間で午前6時である。

(時差、だけじゃなくて、年差?もあるのに、いつもの通り6時に目が覚めるのは、我ながら自分らしいな)そんなことを思いながら、朝食まで時間があるので短パンにTシャツ、スニーカーを履いて1階まで降りてみる。

 フィットネスルームを覗くと、普通のホテルのそれとさほど変わらず(トレーニングマシンが旧式なのは仕方がない)、庭のプールも小さいのでシェラトンワイキキにつながる扉からビーチへ出て、ワイキキビーチを走り始める。

 クヒオビーチを抜けカイマナビーチまで来ると、その先はプライベートビーチとなっており折り返してホテルに戻って行った。

(往復で5kmぐらいかな? 朝のジョギングにはちょうど良い距離)

 部屋に戻りシャワーを浴びTシャツを着替え、ホテルの案内を再度見てみると朝食を予約したオーキッズにもドレスコードがあることに気がついた。

 香取早苗が『おはよう』と言いながら詩織のいる部屋に入って来る。詩織と同じTシャツ姿である。

「おはようございます。朝食を予約したところにもドレスコードがあるようですが」

「朝食も? 面倒だけど仕方ないわね、昨日の夜みたいな格好が必要なの?」

「そこまでは厳しくないのですが、Tシャツや水着、ビーチサンダルはダメみたいです」

「何度も着替えるのは面倒だから『組織』が用意したラコステのポロシャツにチノパンかスカート、スニーカーで良いのでは? それでこの時代に合っているみたいだから。その格好でインタビューにも行けるでしょう?」

 早苗の提案で、詩織もトレッキングパックの中から八〇年代ファッションらしきものを選んで着替え、エレベーターで1階へ向う。朝から良く晴れており、外のテーブルに案内される。

「外で食べるのにドレスコードがあるのは不思議じゃない? ここなら水着でも良くない?」

「そう思います」

 ウェイターがメニューを持ってくる。

 セットメニューでジュース、卵料理、パン、コーヒー紅茶の種類のみ選択をする。直ぐに運ばれてきたものを食べながら、昨日に引き続き、どうしたものかという表情の香取早苗。

「昨日、ベッドに入ってから考えたんだけど、やっぱりこのミッションは変。初めてミッションを経験する藤沢さんには悪いのだけど、正直なところ能力者としてのモチベーションが上がりません」

「そんなに、このミッションは変なのですか?」

「ええ、こんな風にホテルに泊まってゆっくり朝食を取る、というのは今までのミッションでもありましたけど、そのあとは遂行しなければならないことがたくさん控えていて、それには時間や地域や人の制約条件が必ずあって、その環境の中でミッションを遂行できれば達成感のある成果が感じられ、やっている時は大変なのだけど満足感が得られる、という癖になりそうなやりがいのあるのが『組織』のミッションなの。今回の『究極の波と風の関係について』のインタビューをするというミッションは、気持ち的にエンジンが掛かりません。先輩能力者として申し訳ないのだけど」

「そうなのですか? 私は初めてのミッションなので何とも言えませんが、良い方向に考えれば制約条件がほとんどなくて、成果もあまり求められていないのであれば、ミッションを失敗するリスクも少ないから、肩の力を抜いてミッションをこなせば良いので楽かな?と思います」

「藤沢さんはポジティブ思考なのね。でも今の藤沢さんの言葉で少し考えを改めます。今回は制約条件がないから楽に行きましょう。ミッションの途中で時間の余裕があれば楽しむこともありです『世界の隙間』なので『組織』から監視もされていませんから。初めて能力者補の藤沢さんを引率して、肩に力が入りすぎていたのかも知れません。インタビューをして何かを聞き出せたら、そのあとは一九八〇年のハワイを楽しんでから二〇二〇年に戻ることにしましょう」

 香取早苗の『ハワイを楽しむ』宣言で、二人とも表情が明るくなり朝食を終えた。

 部屋に戻り、自分たちが考えるサーフィン雑誌の編集者風の格好(結局、朝食の時と余り変わらず、日本人のハワイ観光客女性2人組の格好。早苗はターコイズのネックレスを付けていた)をして、1階のロビーから正面玄関に出た。

 レンタカー屋らしき中年の白人が "Ms. Fujisawa" と書かれた小さなボードを掲げて立っており、その脇にはベージュ色のメルセデス300TDステーションワゴンが停まっている。詩織がパスポートと免許証とクレジットカードを見せ、書類にサインをしてキーを受け取ると、レンタカー屋は歩いてホテルの玄関から立ち去って行った。

 詩織と早苗はカメラやバッグを後部座席に置き、車に乗りこむ。

「左ハンドルの4速AT、TDっていうグレードですが3リッターのガソリンエンジンなのですね。ターボディーゼルかと思いました」

 詩織はキーを差し込んで回し、アクセル吹かしてエンジンを起動させる。

「エンジン音を聞く限り問題は無さそうです。この時代の新車だから当たり前ですね」メーターを見ると走行距離はまだ3千マイル弱であった。

 助手席の早苗がスマートフォンのアプリを立ち上げる。

「二〇二〇年から持ってきたスマートフォンのナビがどれだけ役に立つか分かりませんが一応、確かめてみます。今のところGPSは使えています。ちょうど、このホテルを出たところ。藤沢さん、行き方は分かりますか?」

「ええ、昨日、ホテルで貰ったオアフ島の地図でだいたいのところは。このまま西に向かって走り、ホノルル美術館を過ぎた辺りから高速1号線に入って、途中で3号線に入ったら、あとはずっと3号線を走れば着くみたいです。近道もあるようですが、観光客にはこれが間違わない道順だと思います」

「了解です。カイルア・ビーチまでの道は、お任せします」

 交通量は少なかったが、高速道路に入ってからも速度制限の80マイルを守りながら詩織は慎重に運転をした。

 山を越える手前では霧雨が降っている。

「ホノルルはあんなに晴れていたのに島の天気なのですかね?」

 山を越えて北側の海岸に近づくと、雲はあるが日は差している。

 気温はホノルルと比べると涼しい感じ。

「Naish Hawaii って言うショップが、去年の一九七九年からあるみたいで、そこに行けば会えるんじゃないのかな? 住所が変わってなければ、ここの道をもうチョット行って、右に曲がってしばらく走れば着くはずです」

 早苗のナビゲーションの通りに走ると、ウインドサーフィンショップらしきものがあり、店の表にはボードとセイルがいくつも並べられている。

 パーキングの明確な表示はないので、車が何台か停まっているところに詩織はレンタカーを停めた。

 詩織と早苗は車を降り、扉が開けっぱなしになっているショップの入口から中に入ると、店内には店番の男性が一人いるだけである。

 昨晩、ホテルでコンシェルジュに話しかけた時と同じように早口で詩織が話し始める『サーフィン雑誌の編集者ですが、ナッシュ親子にインタビューをお願いしたくて日本から来ました。彼らに会えますか?』と聞き、2人のネームカードと『組織』が作ったサーフィンライフ一九八〇年一月号、編集長と編集者に二人の名前がクレジットされている雑誌を渡す。

 店番をしていた男性は『本当に日本から取材で来たのか? 残念だが、ロビーはカリフォルニアで行われている大会に遠征していて、父親も一緒だ。明後日の木曜日にはここに戻ってくる』と答えてくれる。

 お互いに顔を見合わせて、「「どうする!?」」と二人の声が重なる。

「明後日までの丸2日間どうしましょう? 困りました」詩織の焦る顔を見て、ニコッとする早苗。

「朝食の時、藤沢さんが言ったじゃない? 制約条件が無ければ、失敗も無いって。今初めて明後日以降という条件が付いたけど、今回のミッションの期間内です。金曜日に帰還すれば良いから余裕余裕。明後日まで、この島を楽しみましょう」

 早苗の吹っ切れた表情と言葉に納得し、詩織が店番の男性に話をする『明後日またここに来ます。ナッシュ親子のスケジュールが変わる様であれば、ここのホテルに泊まっているので電話が欲しい』と言い、渡したネームカードにホテルの電話番号とルームナンバーをメモする。

 するとその男性が『明後日まで居るのなら、レンタルボードがあるので借りて楽しめばいい』と商売も兼ねた嬉しい提案をしてくる。

「香取先輩どうします? ルーフキャリアもレンタルできるそうなので、明後日まで借りちゃいますか?」

「藤沢さんが教えてくれるのなら、やってみたい!」

 詩織は店番の男性からこの季節の風や波の強さと向き、ビーチの様子を聞き、ウインドサーフィンのボードを2枚、セイルを4枚、ブームとマスト、ジョイント2セットをレンタルし、ハーネスとウエットスーツのベストを購入した。

 クレジットカードで手続きを済ませると、店番の男性が車にキャリアを取り付けてくれ、ウインドサーフィンのボードとマストをキャリアのベルトで縛ってくれた。

 残りの物は詩織が後部座席を倒して、車内に積み込む。

 店番の男性に見送られ、二人は車でビーチに向かう。

「一九八〇年のオアフ島に何をしにきたのか、ますます分からなくなりました」

「藤沢さんに同じくだけど、まあ、こういうミッションもあるということで」

 香取早苗がウインドサーフィンをやるのは全く初めてというので、ビーチぎわは穏やかで波のないカイルア・ビーチでウインドサーフィンをセットアップする。

 午前中なので風は微風。早速、詩織コーチのレッスンが始まった。

 亜香里に水泳を教えた時と同様にスパルタ式。初心者の早苗にセイルアップではなく、ビーチスタートから教えている。

「だって、セイルは持ち上げるものではなくて、風を受けて進むものでしょう?」

 そう言われると早苗が「今日じゅうに乗ってみせる」宣言をして、何度も海に落ちながら、そのたびにビーチまでボードとセイルを引っ張ってきて再びスタートする。だんだん乗れる距離が長くなり、海に落ちると、なかなかビーチまで戻って来られない。

 詩織が助けに行こうとしたら、ウインドサーフィンだけがビーチまで一瞬で戻ってきて、早苗は泳いで戻って来た。

「香取先輩、今、能力を使いましたか?」

「うん、念動力(テレキネシス)、一応ミッション中ですからね。いつ何があっても大丈夫な様に時々、使ってみないと」

 香取早苗のもっともらしい言い分に、詩織は突っ込みようがなかった。

 お昼になり、ビーチから見えるステーキハウスで昼食を取ることにする。

 『お昼からステーキ?』と思いつつ、レンタルしたボードやセイルをそのままにして置けそうなので、二人は店に入りステーキをオーダーすることにした。

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