初出社
067 初出社1日目 1
高橋氏が『特に』と言ったとおり、ワンボックスカーが寮の駐車場に着いても、亜香里は車の中で熟睡したままであった。詩織と優衣は亜香里を車から引きずり降ろし、それでも亜香里は寝ぼけたままだったので、501号室の亜香里の部屋まで引きずりながら連れて行く。
「仕方がありませんね。放っておくと亜香里さんは今日、出社しませんよ」
「世話が焼けるなぁ。うちらも支度(したく)をしないといけないから、急いでシャワーを浴びて会社に行く用意を済ませてから、亜香里に準備をさせましょう。どうせ今起こしてもまた寝てしまうからね」
亜香里の部屋のオートロックが閉まらないように、キャスターバッグを支(つっか)えにして、詩織と優衣は自分の部屋へと戻って行く。2人は急いでシャワーを浴び、メイクアップと着替えをして(初出社だからスーツ)大きめのバッグに必要書類を入れて、亜香里の部屋へ入ると亜香里は2人に引きずられて来たままの格好で熟睡中。
詩織が大声で呼ぶ。
「亜香里ぃ! 何で今日、会社を休んだの? 初出社だったのに!」
『ビクッ』として亜香里が顔を上げる。2人のスーツ姿を見て会社から帰宅したのだと,詩織の言葉を信じ込んだようだ。
「エェー! 寝過ごしたよー。 どうして起こしに来てくれなかったのー!」
「ハイハイ、そうならないように起こしに来ました。急いで準備をしないと本当に遅刻するよ」
「エッ! そうなの?(スマートフォンで時刻を確認する)アーッ、ビックリしたぁ。心臓に良くないよ、朝から驚かさないでよ」
「亜香里が寝過ぎなの。優衣と車からこの部屋まで運ぶのは大変だったんだから」
「そうですよ。亜香里さんは全身脱力しているし荷物もありましたから。萩原さんと加藤さんから『大丈夫ですか?』って心配されました。こっちの寮に男子は入れないので、手伝ってもらえませんでしたけど」
「それはそれは大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。あの島で稲妻(ライトニング)をたくさん落として疲れたのかな?(詩織「言い訳はしない!」)ハイ、スミマセン、言い訳です。明日の朝からは遅刻しないように、ちゃんと目覚ましを準備して起床に備えます」
そのあと、亜香里はシャワーを浴び始め、詩織と優衣は多目的室で朝食を取り、壁に設置されているディスプレイでニュースを見ていた。
「ここっていつもCNNなんですけど、何か理由があるのでしょうか?」
「何でだろうね? ずっとニュースをやってるチャンネルがこれしかないから?」
今どき、そんなことはないのだが。
亜香里が多目的室に走り込んで来た。「8時10分前だよ、急いで食べないと」
「そう思って、クッキングマシンに和食をセットしておきました。うちら、一度部屋に戻ってから出掛けるから、亜香里も遅れないようにね」
「了解です、ありがとう」
亜香里は朝食を掻き込み始めた。
詩織と優衣は駅のホームで電車を待っていた。
「電車に乗るのは久しぶりじゃないですか?」
「確かにそうね。優衣のスーツ、お初? 後ろのしつけ糸が取れてないよ。ちょっとじっとしてて… OK 取れました」
「ありがとうございます。新入社員研修のすぐ後に寮で缶詰研修があって、そのままスコットランドでトレーニングだったでしょう? スーツを取りに行く時間がなくて、宅配便で寮に届けてもらいました。詩織さんもスーツがキレイですけど、どうされたのですか?」
「寮のクリーニングシステムを使ったみたの。多目的室の隣にユーティリティ室があるじゃない? ドライクリーニングはハンガー掛け、ウォッシュはランドリーバッグで出しておけば、翌日には出来上がっていて便利よ。 あれ? 公園の中を走ってるのは亜香里じゃない?」
「亜香里さんですね。 アッ! 危ない! 滑って転びそうになりましたよ。スーツにパンプスで、よくあんなところを走れますね」
亜香里は公園を走り抜け、そのまま駅の改札を駆け抜け、ホームまでの階段を駆け上がり、詩織と優衣が乗車した電車に飛び乗った。
「間に合ったぁ」亜香里は肩で息をしながら髪を振り乱したまま、右手で詩織に捕まった。
「公園を抜けるときに、転びそうになったけど大丈夫なの?」
「とりあえず大丈夫かな? アッ! 左のヒールがヤバそう。まあいいや、帰りに修理屋さんに寄ろう」
電車が最寄りのターミナル駅につき、3人は本社への道を歩いて行く。
「ずいぶん早く会社に着きそう。走ることなかったよ」
「初日から、時間ギリギリの出社はまずいでしょう?」
1階のロビーに入ると張り紙があり『新入社員はIDカードでセキュリティゲートを通って、所属部署のあるフロアへ行く事』と書かれていた。
「人事部は十七階で、亜香里さんたちは二十四~二十五階ですね。エレベーターが違いますので、ではここで」
「優衣、エレベーターの中で埋もれない様にね」
優衣が乗るエレベーターには列ができていた。
「うちらのエレベーターは空いてるね。とりあえず二十四階に行きますか」エレベーターには、亜香里たちしか乗っていなかった。
「営業部門は、朝ゆっくり出社してるとか?」エレベーターはすぐに目的階に到着する。
「その分、夜が遅いんじゃない?」エレベーターを降り案内掲示板に従って、両開きのガラスドアを開ける。
「「おはようございます」」
入室して、亜香里と詩織は元気よく挨拶をする。
フロアにズラっと並ぶデスクのほとんどに社員がいて、電話をしたり、パソコンのキーボードを忙しく叩いたり、バタバタ歩き回ったりして、2人に注意を払う社員はいない。
「うちの会社って9時からよね? まだ8時半ですけど」
オフィス内は騒然としており誰も声をかけないので、2人は入口に突っ立ったまま。しばらくすると、奥の方から女性社員がやって来た。
「出社初日早々に放置状態で申し訳ないけど、金融庁が入りそうなの。小林亜香里さんと藤沢詩織さんですよね? 私、小林さんの上司になる本居里穂(もとおりりほ)です、よろしく。うちの会社は生保と損保が一緒になって、未だ中がいろいろなので、同じホールセール部門でもこのフロアは生保で、藤沢さんが配属される損保のフロアは上の25階、上司は香取早苗(かとりさなえ)という私の同期。藤沢さんには悪いけど1人で上の階へ行って、香取さんを訪ねてくれますか?」
「承知しました」
詩織は本居先輩と亜香里に会釈して、エレベーターホールへ向かった。
「それでは小林さん、新入社員の出社初日は関係のある職場を挨拶回りに連れ回すのが普通なのだけど、さっき言った通り、金融庁から指導が入りそうなので、その対応でバタバタしていて、チョット相手が出来そうにないの。悪いけど自分の机でパソコンを開いて社内ネットワークで基本的な諸事項とかを読んでいてもらえる?」
上司の本居先輩は話をしながら亜香里を席へ案内し、亜香里の隣にある自席に座り、書類をめくりながら直ぐに社内電話を始めた。
(あーっ、出社初日から大変そうな職場だよ、私に出来ることはないよね? 言われたとおり社内ネットで情報を見ますか)
初日から放し飼い状態の亜香里である。
お昼休みになっても上司の本居先輩は仕事が終わらないようで、亜香里に声を掛けた。「悪いけど一人でお昼を食べに行ってくれる? 三十階に行けば分かると思うから」
エレベーターで三十階に上がるとフロア全体がフードコートの様になっている。
お昼時のフロアは多くの社員でいっぱいで、知り合いを探すのも苦労しそうなレベルの混みよう。亜香里が何を食べるか迷っていると、詩織からメッセージが入って来た。『優衣とNEコーナーの外側にいます』
天井近くにある案内を見るとこのフロアを方角で8方向に区切っており、それを中心から3つの区画にエリア分けしているらしい。
(と言うことは、North EastのOutside NEOエリアかな? あ! いるいる)亜香里は迷わずに2人のところへ辿り着いた。
「寮と違って、場所の掲示がハッキリしているね。これだと迷わないよ。私も何か買ってくる」
椅子に荷物を置いて和食コーナーへ並び、とんかつ定食を運んで来た。
「お待たせしました。午前中、2人はどうでした?」
「本居さんに言われた通り二十五階に上がって、オフィスに入ったら直ぐに香取先輩が来てくれて、一通り説明を受けたり、関係部署の挨拶回りをしていました」
「私は、十七階に着いたらエレベーターホールにお世話をしてくれる桜井先輩が待っていてくれてビックリしました。あとはだいたい詩織さんと同じです」
とんかつを頬張りながら、亜香里が頷く。
「そうだよね、普通は新入社員が配属された初日はそうなるよね。詩織は見て知っていると思うけど、うちの部署はあのあともズッとバタバタで午前中、放置プレイでした。言われた通りにパソコンでドキュメントを読んでいたんだけど、眠くて眠くて。昨日と一昨日のトレーニングでいつもの通り、ほとんど寝てないじゃない? 午後、どうやって寝ないようにするのかを考えるだけでも大変だよ」
「本居さんが、金融庁がどうのこうの、って言っていたよね? 大変そうなの?」
「未だ戦力外だから全然分からないんだけど、周りの電話とか聞こえてくる内容からすると大変そう。おそらく余所(よそ)の部署の人に話してはダメなんだろうけど」
「じゃあ、その件は聞かないことにする」
「今日が出社初日だから、しばらくは無いと思うけど『日本同友会』の方はどういう形で始まるんだろう? 創業者が創設した社内的には認知された団体でしょう? 職場に何か連絡が来るのかな?」
「亜香里さんも詩織さんも聞いていないのですか? お二人の直属の上司が『組織』でも上司ですよ。私のお世話をしてくれた桜井由貴(さくらいゆき)先輩から聞きました。ちなみに3人は同期だと言ってました」
「「 エェッ!! 聞いてない!! 」」
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