029 研修第2週 能力者補トレーニング 1

 食堂から宿泊棟に戻り、亜香里は着替えをショルダーバッグに詰めて準備を整えて、優衣の方を見ると彼女のベッドの上にはまだ衣服が散乱していた。

「亜香里さん、もう少しで準備が終わりますから待ってくれませんか?」

「良いけど、優衣の荷物、多くない?」

 今朝、新たに持って来たのかキャリーバッグが増えている。

「淑女には、いろいろと必要なものがありますので」バッグにせっせと服を詰め込む優衣。

「トレーニングの時は、いつもの黒いジャンプスーツに着替えるから着替えをたくさん持って行っても着る時がないでしょう?」

「それはそうなのですが、こちらへ戻ってきたときにはキリッとした服に着替えたいじゃないですか?」

「そう? 詩織も私もその辺はあまり気にしていないけど」

「亜香里さんも詩織さんも、女性としてのスペックは高めなのですから、もう少しその辺に気を使ってください。そうすれば、すごい玉の輿に乗れるかもしれませんよ」

「アラブの富豪とか?」

「そうそう、アラブの皇太子とか」

「GAFAのCEOとか」

「そうそう、個人資産が数兆円のCEOとか」

「優衣さぁ『アラブ富豪の第何夫人』は昭和の話よ。どこかの国の元第三夫人とかいう派手なオバさんがTV出てくるけど、あの人、私たちのおばあちゃんくらいの年でしょう? それにGAFAのCEOは妻帯者かLGBT推進者だから、媚びを売るような女性には寄ってこないよ。と言うか、詩織も私も他人の嗜好は何とも思わないけど、自分がそういう事に気をつかうのは、好きじゃないの」

「そうですか? その辺は個人の好みですから仕方ありませんね。一応承知します。お待たせしました。行きましょう」

 優衣の準備を待っていたため、宿泊棟を出たのは一時になろうとするところ。

 悠人と英人、それに詩織は建物の前で話をしている。

「毎回、この建物の前に立って待つというのは、どうなんですか? どこかの部屋で待つのが普通だと思いますが」

 悠人が古い建物を眺めながら語る。


「トレーニングA棟と呼ばれている、この中で待ちませんか?」

 詩織が扉を押し開くとロックはかかっておらず、中は先週末に退出したときと同じ状態のようだ。

「建物の中は先週の土曜日と同じですね。週末に改造は無かったみたいだし、更衣室もそのままみたいです」

 避難訓練以来、この棟に来るたびに中身が変わるので、英人は少し警戒していた。

「広いホールだからソファーか長椅子でも置けば良いのに。『組織』はそういうところに、気が利かないのかな?」

 食事や更衣室に気を使ってくれているのだから、ここも少しは良くならないのかと詩織は思っていた。

 3人で話をしていると、亜香里と優衣がバタバタとホールへ入ってきた。

「みんなが建物に入っていくのが遠くから見えたから、もう始まったのかと思って焦りました」

 優衣が息を弾ませながら話をする。

「見ての通りまだ始まっていません。定刻を過ぎて責任者が現れないのは先週と同じです。ボーッと外で待っていても仕方ないから勝手に入ったの。優衣はそんなに大きなバッグ持って来て何が入っているの?」

「さっき、部屋で同じ質問をしたけど『淑女のたしなみ』だそうです」

 亜香里が代わりに答える。

「フーン、淑女ですか? ところでこのままホールでどうします?」

 詩織の言葉に応えるように、いつもの3Dホログラムが現れた。


「みなさん、こんにちは。ビージェイです。このチームの担当、高橋氏は遂行中のミッションが長引いており、今日も指導には来られません。今回も私がトレーニングプログラムを担当します。前回と同じ要領で、更衣室で準備をしてからトレーニングを始めて下さい」


「ビージェイ担当、1つ、いや2〜3質問があります」

 亜香里がホログラムに問いかける。


「小林亜香里さん、答えられることであればお答えします。言い忘れていましたが、昨日未明の依頼、藤沢さんと遂行していただき、ありがとうございます。質問をどうぞ」


「前回は、木曜午後のトレーニングのはずが終わってみれば、金曜の遅い時間でした。研修期間中とはいえ、この様な長時間の拘束は労働基準法違反ではありませんか? これが一つ目です。次にこの様な職務を離れられない現場では、雇用者側が適切な時間に食事を供する環境を整えるべきだと思いますが、いかがですか? これが二つ目。三つ目はトレーニングの内容についてです。まだ始めたばかりなので、とやかく言うつもりはありませんが、変なモノから逃げたり、ゾンビを銃で打ったりすることが、能力の向上につながるのでしょうか? 以上です。」


「(単に大食いなだけではなく、いろいろと考えているようですね)小林亜香里さん、一つ目の質問ですが答えはグレーです。先週、説明のとおり『組織』は企業活動をしているわけではありません。先週皆さんがお話しされていた『社内にある活動団体みたいな、お助け部隊』が近い説明だと思います。私はそれを聞いて皆さんは新しい能力者補としての最初の課題をクリアしたと感じました。能力者が能力を最大限に発揮するためには動機づけが重要です。これからの活動は労働ではなく世の中への貢献です。それに対して能力者に対価が出ないのはバランスを欠きますので『組織』がその貢献に見合った処遇しているというのが現状です」


(やっぱり『組織』は、こちらの会話や行動を全部モニターしているのね。施設内だから仕方ないけど)詩織は一言、言いたかったが言っても仕方ないなと思っていた。


「二つ目の質問ですが、こちらの想定外でした、申し訳ありません。あのトレーニングは、どこかで行き詰まれば終了予定でしたが皆さんが協力してミッションを完遂したため、想定していた以上に長いトレーニングとなってしまいました。実際のミッションでは現在、こちらへ来られない高橋氏の様に期間が延びるものもありますが、能力者は『組織』と密に連絡を取り合っていますので、飲まず・食わず・休まずでミッションを続けることはありません。ミッション中は『組織』のネットワークを使って24時間、例えば南極大陸や南太平洋の無人島でもサポートしますので安心してください」


(南太平洋ですか? ボラボラ島には行ってみたいなぁ)話を聞きながら優衣は南太平洋の海岸を思い浮かべていた。ビージェイ担当は『組織』のミッションを説明しているわけだが。


「三つ目のトレーニングの内容について、先週のはウォーミングアップですから、能力者補として特殊な能力を引き出すことを目的としたものではありません。それぞれの特徴や個性をお互いに分かり合い、少しずつ信頼感も育まれて来ているのではないかと考えます。高橋氏から説明があったとおり、能力者の能力はジェダイの血液の様に物理的なモノではなく、精神的な活動に大きく依存しています。ミッションを遂行していく上で、能力者の精神バランスはとても重要であり、それには能力者間の信頼関係が大きく関わってきます。よって1回目のトレーニングも能力の向上に十分つながっているはずです。長くなりましたが、以上が回答です。よろしければトレーニングを始めて下さい。それから、このホールの什器備品については次回のトレーニングまでに整えておきます」

 3Dホログラムがスッと消えた。


「更衣室へ入りますか? 機能性は高いのだろうけど、あのピッチリしたジャンプスーツは、なんとかならないものですかね?」詩織が不満を言いながら更衣室の扉に手をかける。

「私的には目の保養になるし、良いと思いますが? 萩原さん、加藤さん、では後ほど、と言って、前回はずいぶんお会い出来ませんでしたが、それでは」同性にはハラスメント気味、男子にはちゃんとした挨拶をする優衣であった。

 更衣室の中は前回と同様に設備が整っているロッカールームである。

「こんなにトレーニングがメインだったら、いっそのこと宿泊棟から荷物を全部こっちに持ってきた方が良くない? トレーニング中は食事もここで取るのでしょう? あと足りないのはベッドくらいだし」

「亜香里の言うとおりね。次にビージェイ担当に会ったときに聞いてみない?」

「そうですね。こちらの施設の方がパウダールームも充実していますし、ジャグジーもありますから」優衣らしい評価ポイントである。

「さて、着替えますか? またロッカー扉のディスプレイに何か諸注意が表示されているよ」


『注意:ジャンプスーツに着替えて下さい。私有物は全てロッカーへ入れておいて下さい。現地に着いたらジャンプスーツから、リュックに入っているウエアに着替え、現地での所持品はリュックに入っているウエストバッグとその中に入っているものだけにして下さい』


「やたらと『現地』を強調するけど、これからどこかへ行くのかな?」今まで『気がついたら知らない場所に飛ばされていた』が多かったので、亜香里は場所の説明に違和感を感じている。

「行ってみてからのお楽しみね」詩織はジャンプスーツに着替えてリュックを持ち、出発する準備が完了する。

「よし! 行こう!」

 亜香里は前回のトレーニングを思い出し覚悟して思いっきり扉を開けると、扉の先には普通の通路が続いている。

 上り階段が所々にある狭い通路を上って行くと、ハッチの様なものをまたぎ、狭い室内に入る。円錐形の部屋に座席が5つ用意されている。すでに悠人と英人が6点式のシートベルトをつけて座っている。


「悠人さん、英人さん、今回は直ぐに会えましたね。座ってシートベルトを締めれば良いのですか?」優衣が聞くと英人が答える。

「その通りです。真ん中にある円筒形のディスプレイに表示されているとおりです」

 亜香里たちはディスプレイを確認して座席につきシートベルトを締める。全員が揃うとディスプレイがカウントダウンに変わり、ゼロ表示のあと大きな振動と共に加速Gを感じる。

(今回は宇宙船に乗ってどこかの星へ行くという設定ですか? 『組織』は、毎回設定が凝ってるのね。でも宇宙食はイヤだな)と思いながら、亜香里は急速に意識が薄れていく。他の4人も、すぐに眠ってしまった。


「今回は少し遠い場所でのトレーニングですので、しばらく眠ってもらいましょう」ビージェイ担当は独り言を言いながら、機内に流れる気体の成分を調整し、5人を乗せたカプセルを貨物用飛行機に積み込み送り出し準備を行っていた。

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