004 研修1日目 夜もトレーニング?

【本文】

「…と言う経緯を経て、当社は今年で創業百二十周年を迎えます。以上、本日の講義はここまでです。明日は9時から講義を始めます。今日は初日なので、このあとプログラムはありません。ゆっくりと休息を取り明日からの研修に備えて下さい」

 川島講師は終わりの言葉を告げ、教室を退室した。


 小林亜香里の席まで来た藤沢詩織に、亜香里は半分独り言のように言い放つ。

「あーっ、昼寝したのにー、ますます疲れた。眠ぃー」


「体調が悪いの? 午後の講義で途中から身体が斜めになっていたけど」


「うーん、なんでだろう? 身体は動かしていないのに長距離を走ったあとの様に身体がダルいのよね。でも、お腹が空いたから早く食堂に行こう」


「昼食でドンブリご飯をお代わりしていたのに? 大丈夫?」


「お昼の分は、しっかり消化したから大丈夫。さあ、ご飯、ご飯」

 人生で一番好きなことを思い出し、元気が出てきたようだ。


 配膳の列に並ぶ2人。

 急いで来たので食堂は未だ人もまばら。

「麻婆豆腐、シューマイ、杏仁豆腐とかとか、まさしく中華定食ね」

 亜香里はとりあえず食事があれば、中身にはあまりこだわらない。


「研修センターの食事はこんな感じじゃない? フカヒレや北京ダックは出てこないよ」

 詩織は円卓でクロス二枚掛けの中華屋さんがお気に入りのようだ。


 亜香里の『一刻も早く食べたい』というリクエストで、2人は配膳を直ぐ近くのテーブルに置き『いただきます』と言うのもそこそこに夕食を食べ始めた。

「うん、思った通り、街の中華屋さんと学食の味が混じった感じ。これはこれで、ご飯が食べられる」

 亜香里はどんぶりご飯の一杯目を食べ終わり、立ち上がろうとしている。


「また、ご飯をお代わりするの? 研修が終わって太っていたら、履歴書の写真しか知らない上司が亜香里を見て、履歴書詐欺だと思われちゃうよ」


「大丈夫、大丈夫。体重が増えたら走るから。ここのグランドは広いでしょう。トラック1周三百メートルくらいありそうじゃない?」


「社員研修用の施設にしては不必要なくらい広いね。会社の実業団チームが使っているのかも」


「うちの会社、陸上が強かったよね。でもあの人たちが使うには狭いような気がする。見た感じトラックは土だし」


「そう言えばそうか、謎だね」


「うん、謎なぞ」


     *     *


 深夜午前2時、新入社員の多くは研修初日の緊張と疲れでグッスリと眠りについていた。


「さぁて始めますか。研修期間中とはいえ、深夜のオペレーションはキツいですね。これって代休をもらえるのでしょうか? 上司が出張中のワンオペだし、ほどほどにしておきますか」

 グチりながら業務を始める、担当。

「能力者候補のみなさん、トレーニングテストを始めますよぉ!」


(ちょっと、ちょっと、なに? またこの夢! 私、頭は大丈夫かなぁ?)

 グッスリと眠り込んでいる亜香里は『また変な夢が出てきた』と思い、ゲンナリしている。

 研修初日のテスト中のうたた寝と、昼休みのお昼寝で見た夢の中で聞いたのと同じ機械的な音声が聞こえてくる。

 今回は場所が変わり研修センターのグランド(だと思う、まだ行ったことがないけど)だが、なぜかグランドに足が着いておらず、地上から身体が数十センチ浮いている。

 周りには同じ様にグランドに漂っている(たぶん)新入社員が十名ほど。

 みんなもキョロキョロと周りを見ている。

 着ている服は寝る時に着ていたジャージではなく、昨日と同じ黒のジャンプスーツ。


「では皆さん、このグランドを出来るだけ早く回って下さい」


(また訳の分からないことを… 地に足が着いていないから走れるわけがないでしょう?)

 周りの誰も何も言い出さないので、亜香里は心の中でブツブツとつぶやく。

 モニターに映っている能力者候補たちが、じっと留まっているのに気がついた担当は、機械的な音声で指示を出す。


「説明が足りませんでした。皆さんのそれぞれ右側にある青い光を追いかけるように飛んで下さい、反対側の左手にある赤い光が皆さんを追いかけます。それに触れると良くない刺激を受けます。そうならないように頑張って青い光を追いかけて下さい」


「(また、変なこと言っているよー)って、痛ぁぁい!」

 赤い光がお尻に触れ、亜香里が悲鳴を上げる。

「機械音声のおっさん、何するんだよ!」

 こうなると、夢であろうがなかろうが関係ない、痛いものは痛い。

 亜香里は思わず大声を上げた。


「先ほど説明したとおりです。赤い光に触れないようにして、青い光を追いかけて下さい」


 コミュニケーション自体は成り立っていないが、能力者候補の中で初めて亜香里が機械的な音声と会話をした。

「なんで、そんなことしなきゃならないのよー」

 痛みをこらえながら、ブーたれている亜香里だが、周りを見るとみんな青い光を追い掛け始めていた、というか赤い光から逃げていた。

 亜香里も痛みに耐えられなくなり、赤い光から逃げるようにして青い光を追い掛け始める。

(私、走っていないのにトラックの上を回っている?)

 亜香里にはそう感じられたが、グランドの外から見ると十数個の黒い人影が、地上数十センチ上を、秒速十メートルを超える速さで滑るように動いている。


「みなさん、順調ですねー。では動きに高さを加えます。青い光にしっかりと付いて行って下さい」


 亜香里たちは、今までグランドの上を滑るように動いていたが、そのグランドが突然消えた。

 昨日と同じ様に上は明るく、下は暗い空間。

 先ほどまで見えていた研修センター外の夜景も消えてしまった。

(昨日の昼に見た夢と同じ景色! やっぱり夢かぁ)

 亜香里は事態の展開に妙に納得していた。


 青い光は大きな弧を描きながら、徐々に上昇している。

(やっぱり上に行くの? それで今度は円形だから、軌跡は斜め上ってこと? 斜め上目線よね、全くぅ)

 亜香里はどうでも良くなってきたが、夢の中でも痛いのは嫌なので頑張って青い光を追いかける。


「みなさん優秀、優秀、行けるところまで行ってみますかぁー」

 ノリノリの機械音声。


(何言ってるの、あの声は。こっちは疲れてるの! 研修初日からこんな夢ばっかりで…あれ? なんだか息が…、息が吸えないよぉ)

 この夜、集められた能力者候補たちの中で、亜香里は上昇高度がトップになり、他の能力者候補はあとに続いていた。

 脱落したものは、すでにこの空間から姿を消している。


『あ、まずい! 成層圏の限界に近づいてる。彼らはまだ自己プロテクトとか出来ないよな。トレーニングモードで保護が効いているから大丈夫だとは思いますが…、 何かあるとまずいから、そろそろ終わらせますか』

「みなさん、その辺でいいでしょう、今回のトレーニングテストはこれで終了です。また明日」

 適当な言葉でトレーニングテストを終了させる機械音声であった。


     *     *


 亜香里がグランドの数十センチ上で上げた大声を聞いて(あの声は、昨日どこかで… そうだ! 同じクラスの子だ。カワイイ子だったと思うけど昼食も夕食も、どんぶり飯をお代わりしていたよな)

 夢うつつの萩原悠人は考えていた。

(俺、変な夢を見てる? 何で夜中にグランドにいるの? 明日、グランドで何かやるって聞いていたっけ? それにしても薄暗いのにメガネなしでよく見えてるな。変な服を着てるし、地面から浮いてるし、変な声がなんか指示しているし、研修に慣れなくて緊張しているのかな? まあ夢だから気楽に行きますか? 光る青玉を追いかければ良いのかな)

 お昼に食堂へ行く途中、亜香里たちのうしろを歩いていた理系男子の一人、長身メガネの萩原悠人である。

 大学の専攻は数学科で根っからの理系脳なので、こんな物理的に支離滅裂な状況は、最初から現実だとは思っていない。

 自分にしては訳の分からない夢を見ているな、と感心している。

(上空へ行くに従って空気が薄くなっていくのは、夢にしては理論的だな。感覚的には富士山のテッペンより少し空気が薄い感じだから、5千メートルくらいかな? 俺って、夢でも几帳面だな)

 悠人は夢の中で自己分析をしていた。

(他に飛んでる新入社員は顔もよく分からないのに、何であの子(小林亜香里)だけがハッキリと分かるわけ?)

 彼女もジャンプスーツ姿であることに気がついて、思わずガン見する。

(昼も夜もあれだけ食べていて、スタイルがいいなぁ。アッ! これは夢か! 現実じゃないよね?)

 納得するうちに気が薄れていく悠人であった。


    *     *


「はぁ、はぁ、はあー」

 宿泊棟のベッドの上で亜香里は汗びっしょりになり息をきらせていた。

 同室の3人からは寝息が聞こえてくる。

(変な、夢見たぁ! 枕が合わないのかなぁ?)

 大声はあげられない。

(何で変な玉に追っかけられるの? お尻がヒリヒリするし、って! 何で夢なのにお尻が痛いの? ベッドに変な虫でもいるの?)

 急いで枕元の灯りを点け、布団の上掛けをひっくり返して見る。

(何もいないなぁ、お尻も触った感じ、どこも腫れてなさそうだし)

 ヒリヒリ感がだんだん引いてきて、眠さに耐えられず、そのままのカッコウで朝を迎える亜香里であった。

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