お盆休み
黒百合咲夜
8月13日
鳥の群れが飛んでいる。俺が乗る船を追い越し、一足先に島へと帰っていった。
俺が今立っているのは、島に向かうフェリーのデッキだ。潮風が顔に吹き付けていた。
「懐かしいな。変わってないし」
俺――
フェリーが港に入り、乗客がぞろぞろと降りていく。俺もそんな人たちに続いて島の土を踏んだ。
深呼吸をして島の空気を肺一杯に取り込む。実に一年半ぶりの空気だ。去年のお盆休みは、部活動の練習で忙しかったので帰ってこれなかったのだ。中学三年の時のクラスラインに帰るとメッセージを送り、結局帰らなかったから数日間説教のラインが続いたのはいい思い出だ。
港から家までは近い。なら、歩いていこう。
蒼空で輝く太陽がアスファルトを熱している。真夏の日差しが俺にも容赦なく降り注いでいた。蝉の声もあいまって、これぞ夏という空気を感じる。
四日分の荷物を詰め込んだ鞄は重く、持ち手が肩に食い込んでシャツを汗で濡らす。
次第に、立ち並ぶ家の密度が濃くなってきた。この光景も変わってない。
そんな家の中から一軒の家の前に立つ。懐かしの我が家だ。
一応チャイムを鳴らして玄関を開ける。すると、すぐに奥から足音が聞こえてきた。
「お帰り蒼太! 暑かったでしょう? これ、食べる?」
「いらないよ。それ、姉さんの食べかけでしょ?」
半分ほどかじったアイスキャンディーを差し出してくる女性。俺の姉の
でも、これでしっかりしてるんだよな。俺が小学六年生の時から四年間も世話してくれてるんだから。
――そう。四年間、姉さんは頑張って俺の面倒を見てくれた。
小学六年生の時に、両親が死んだ。交通事故で、別れは一瞬だった。
母さんの妹――つまりは叔母が経済的に援助してくれたけど、住んでいる場所が遠いから生活の助けにはなれないとのことだった。そこで、姉さんが一人で頑張ってくれたのだ。
自分の勉強のこともあるのに、一生懸命世話してくれた。彼氏を作ろうともせず、部活動も辞めて俺のために青春を費やした姉さんに対し、どうお礼を伝えればいいのだろう。
姉さんが笑いながら居間に戻っていく。俺は、ひとまず自分の部屋に荷物を置きにいくことにした。
自室も変わっていない。ベッドも、本棚も、机に書いた美少女らしき人物の落書きもそのまんまだ。
ベッドに腰かける。スマホを確認すると、何通もメッセージが届いていた。中学三年の時のクラスラインだ。
『蒼太が帰ってきたらしいぞ』
『マジ? 見間違いじゃない?』
『あいつ、帰ってくるとか言いながら帰ってこなかったしな』
素晴らしい。まったく信用されてませんね。
さすがにそれは傷つくので、帰ってきた旨のラインを送る。すると、何人もがお帰りのラインを送ってくれた。
なんだか懐かしくなり、俺は部屋を出る。居間にいる姉さんに一声かける。
「少し出掛けるね。中学の友達の顔を見てくる」
「あっ……うん。行ってらっしゃい」
俺は再び真夏の世界に繰り出した。重い荷物が無いとはいえ、身にまとわりつくような暑い空気は気持ち悪い。汗が額を流れる。
さて、どこに行こうか。友達に会う……なんて言ったが、どこに行けばいいのやら。
ぶらぶらと道を歩いていると、不意に声がかけられた。懐かしい女の子の声だ。
「久しぶり。やっと帰ってきてくれたんだ。私のこと、覚えてる?」
遠慮がちに話しかけてくれた彼女を、俺は忘れてない。
「もちろんさ。佳澄こそ、俺を覚えてるなんてな」
俺に声をかけてきたのは、小中と同じ学校の女の子だった。
佳澄は、眩しいほどの笑顔を俺に向けてくる。今まで見たことのないようなその顔に、ドキッとする。
「私もね、蒼太と同じだよ。蒼太もお盆だから帰ってきたんでしょ?」
「ああ。私も……ってことは佳澄も?」
「うん。私もね、今は遠いところに住んでるんだ。でも、お盆だからここに帰ってきたの。そしたら、蒼太に会えた」
嬉しいことを言ってくれる。まるで、俺に会いたくて仕方がなかったみたいな。
佳澄が距離を詰めてくる。そして、意を決したような表情を見せてきた。
「私、蒼太が好き……大好き! ずっと、この想いを伝えたかった!」
突然の告白に、俺の脳がオーバーヒートする。
つまりあれか? 俺がずっと好きだった佳澄も、俺のことが好きだったと?
夢を疑って頬を思いっきりつねる。とても痛い。夢の中でも痛みは感じるものだが、これだけ長くやって目が覚める様子がないということは、現実だという証明だろう。
佳澄がうつむいて喋る。
「分かってる。本当はこんなこと言っちゃいけないって。でも、どうしても伝えたかった」
「佳澄…?」
「ねえ蒼太、お願いがあるんだ。16日の花火大会……一緒に行ってくれない?」
「花火大会か。いいよ」
お盆最後の日に行われる花火大会。俺たちの島の唯一といっていい大規模イベントだ。
俺が帰るのは17日だ。余裕はあるから問題ない。
俺の返事を聞いた佳澄が表情を明るく輝かせる。顔を次々と変えるから見ていて面白い。
とりあえず場所を変える。真夏の真っ昼間に屋外で立ち話などしていたら、まず間違いなく熱中症で病院送りだ。
佳澄と一緒に近くの駄菓子屋に向かう。子供の頃は、この店でよくお菓子やジュースを買っていた。この店のお婆ちゃんとも仲がいい。
店に入ると、お婆ちゃんが懐かしそうに話しかけてくれる。
「おやまぁ蒼太くん。よぉ帰ってきたねぇ」
「お盆期間ですからね。ラムネ二本ください。あと、店先のベンチを使っていいですか?」
「かまへんかまへん。ゆっくりしていきんさい。はい、ラムネ二本ね」
代金を払ってラムネを受け取り、店先のベンチに移動する。待っていた佳澄にラムネを渡し、俺もその隣に座る。
「ありがと。相変わらず優しいね」
「気にすんなよ。ほら、乾杯」
ラムネ瓶をぶつけ合う。心地よい音が鳴り、二人で栓を開けた。
プシュッという音がする。聞くだけで清涼感を感じる心地よい音だ。
瓶の中身を一気に呷る。冷たくて爽やかな炭酸水が喉を刺激して暑さを吹き飛ばす。体内にこもっていた余分な熱が、炭酸の泡が弾けるみたいに消えていった。
「くっはぁー! 夏はこれだね!」
「風呂上がりの親父か! ……でも、そうだな」
それから、太陽が沈むまでお互いのことを話し合った。途中からは主に俺の話になっていたけど。
蝉の声が聞こえなくなる。代わりに鈴虫が合唱を始める時間になったので、家に帰ることにした。
空き瓶をゴミ箱に放り込んで駄菓子屋を離れる。優しいお婆ちゃんは俺たちを待っていてくれたらしく、離れた途端にシャッターを下ろしていた。
佳澄の家は少し登ったところにある。俺の家とは道が違うため、ここで別れる。
「じゃあ、花火大会はよろしくね!」
「……どうせなら、明日も遊ぼうぜ。海とか行ってさ」
俺の言葉を聞いた佳澄が止まった。恐る恐るといった感じで聞いてくる。
「いいの?」
「いいもなにも、その、俺たちあれだろ? なら、海くらい普通じゃないか?」
やっぱり少し恥ずかしい。直接言葉にするのは照れる。
佳澄が少し考えるように腕を組む。そして、顔をあげて笑顔で承諾してくれた。
明日の昼、また駄菓子屋で集まる。
佳澄と別れ、俺は家へと帰ってきた。気分がいいのでスキップをする。
玄関を開けると、懐かしい匂いが鼻孔をくすぐる。姉さんの得意料理の麻婆豆腐だ。真夏の暑い夜に麻婆豆腐というのも、意外に美味しいものである。
「ご飯にするよ。手を洗ってきて」
相変わらず下着姿の姉さんに従い、手を洗ってから食卓につく。姉さん特製の麻婆豆腐に白米を投入し、勢いよくかきこむ。
麻婆豆腐の旨辛さと、白米のほのかな甘味がベストマッチ。とても美味しかった。
「それで、誰に会ってきたのさ?」
姉さんが面白げに尋ねてくる。別に隠す必要もないので、正直に答える。
「あぁ、佳澄だよ。小中と一緒だった」
「なるほど。本上さんとこ……の……佳澄……ちゃん…?」
あれ? 姉さんの反応がおかしいぞ? どこか困惑した表情をしている。
……帰ってきたことを知らないんだな。佳澄は遠くに住んでいるらしいから、帰ってきたことに気づかなくても当然か。
「今、あいつ帰ってきてるよ。ちょうどお盆だしね」
「……そうね。お盆、だもんね」
姉さんの様子は少しおかしかったが、麻婆豆腐の旨味を前にそんなことを気にしていられない。大盛りご飯と共に完食する。
姉さんに「ごちそうさま」と言ってから部屋に戻る。着替えを鞄から取り出し、我が家のお風呂でゆっくりと汗を流した。
気持ちいい気分のまま、俺は早々と布団に潜る。そして、明日からの楽しい数日を想像しながら夢の世界へと旅立っていった。
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