第2話_それは寂しさを紛らわせるだけの

 霊付きにはくらいが大きく三つある。まず普通の『霊付き』、そしてその上に『精霊付き』と『神霊付き』がある。大きく違う点は、精霊付きと神霊付きは『霊』自体が意志を持ち、言葉を扱い、人間と会話が出来るということだった。通常の霊付きは、不思議な力はあるけれど、それを与える霊そのものとの交流は特に無いらしい。勿論私は霊を持たないのだから、これら全てはラジオで聞いた話。

 また、精霊付きであるだけでも、普通の霊付き全員がまとまって戦うよりもずっと強いって聞くのに、神霊付きはそんなレベルでもないのだとか。椿つばきの女神は勿論、その神霊付きに分類される。そして神霊付きは、彼女以外には現在一人も確認されていない。それだけでも彼女の力が最大であることが決まるのに、更に彼女には神霊が。一つ以上の霊が付くなんてことは、どのくらいでも、彼女以外には例が無いそうだ。

 彼女に付いている神霊の数は発表されていないけれど、少なくとも映像では三種類くらいの能力を使っていたと思う。つまり、彼女は世界にただ一人の、遥かに次元の違う霊付きだった。

 絶望的な世界をたった一人で支えていると言っても過言ではない、そんな重要人物が、今、私の目の前で、私を見上げていた。固まっていたのはきっと二秒や三秒くらいの時間だったけれど、動かない私を見つめ返す目は、眠気を教えるように何度か頼りなく瞬きをする。あ、そうだった。私が無用に起こしてしまったんだ、この重要人物。

「あ、あの、ごめんなさい、倒れているのかと思って……」

「ああ……ううん。寝てただけ」

「お休みだったのに本当にすみません……お疲れですよね、今回もありがとうございました」

 私は椿の女神に向かって真っ直ぐ頭を下げる。避難指示が出ている間にはいつもラジオで状況が伝えられるが、今日も椿の女神は他の霊付きとは桁違いの数を撃破し、新しい被害者を出すことなく穴を閉じさせた。四月九日の被害から一年と少し。あの一日だけで九千万人くらいが死んだのに、ここ一年間の被害は百を下回ると聞く。それは全部、椿の女神と、他の霊付きが戦ってくれているお陰なのだ。彼女は私の言葉には何も応えず、小さく欠伸をした。

「あなたは、近くの人? 驚かせてごめんね、この辺りにも人が居ると思わなくて」

「えっと、はい、すぐそこに住んでます。そう、ですね、多分、この辺りは私だけかと……橋を渡るともう少し人が居ますけど」

 私がろくに施錠をしないのはそれが理由。付近は誰も住んでいないし、開いている店も無ければ、動いている自販機も無い。役場近くに行くともうちょっと色々ある。コンビニ跡を利用した日用品店は、品数こそ少ないけれど日中はほとんど開けてくれているし。だからこの近辺に用がある人は居なくて、何の利も無いから誰も来ない。つまり人を避けるという意味では、この辺りは適していたのだと思う。ということは……駆け寄ってきた私は彼女にとってはとても邪魔なのではないだろうか。至った思考に青くなりながら、少し肩を縮めた。

「具合が悪くないなら良かったです、お、お邪魔しました……」

「いいえ、気にしないで」

 言葉は短く素っ気ないけれど、声が柔らかい。本当に怒っていないのだと感じて、ほっと胸を撫で下ろす。椿の女神を怒らせたりしたら、生き残った人類総出で袋叩きにされてしまうところだった。恐る恐る後退し、再び頭を下げてから、私は彼女に背を向ける。

「帰り、気を付けて」

「本当にすぐそこですから。ありがとうございます」

 背に掛けられた言葉に思わず顔がほころんだ。優しい人だ。短い言葉に対してこの感想は単純すぎたかもしれないけど、私は何だか嬉しくなってしまった。疲れ果てていたはずの脚がちょっと軽くなった心地がする。歪な形をしたコンクリートブロックをよじ登り、配給の重みに苦戦しつつ坂を下りて、やっと家に到着。振り返ればもう堤防しか見えなくて、その向こう側にある橋も、その更に下も、全然見えない。

 そういえば、どうしてあんなところで彼女は休憩していたのだろう。辺りには空き家となってしまった民家が立ち並んでいるし、誰がどの家を使っていようと政府はもうそんなことまで管理できない。つまり空いてる家は暗黙の了解で生き残りが使い放題となっている。その内の一つにでも入ってしまえば、私のような通り掛かりに邪魔されること無くゆっくり休めたのだろうに。

 そんなことを考えながら玄関先で佇んでいると不意に屋根の上で、バサバサと鳥が羽ばたくような音が聞こえた。見えなかったけど、何か、大きそう。洗濯物が急に心配になり、私は配給物資を抱えて急いで家に入った。


 社会が滅びても仕事は無くならない。配給を続ける為には、生産だって続かないといけないんだから。橋を渡って、役場と逆方向に自転車を走らせた先で、私は週に三日ほどの労働をしている。配給を貰っている人はほとんど何処かでこうやって働く。そうじゃないと配給は減らされる。当然の措置だ。勿論、病人や怪我人には免除があるのだけど。

由枝ゆえちゃーん、あの荷物全部、四番倉庫に運んでもらえるー?」

「はーい」

 私の仕事の半分くらいは倉庫内の雑用。もう半分は畑仕事のお手伝いだ。この世から消えてなくなったのは接客業と、多くの事務仕事かな。一日中、腰が痛くなるくらい座って書類と睨めっこしてなきゃいけないのは多分もう役場の人と、政府本部くらいだと思う。私は高校ではずっと陸上部で、大学でも続けていたから身体を動かすのは少しも苦じゃない。まあ、あんな訳の分からないものから逃げ延びられた結果、生きてるんだし、生き残りってほとんどそんな人ばっかりだと思う。

 去年の四月九日、私は大学生で十九歳だった。今は二十歳を迎えて大人の仲間入りをしたけれど、もうどうでもいいことだ。成人式なんて行事は無くなった。生き残った人は何歳でも現役で働かなきゃいけないし、何歳でも子供だからって甘えられない。この日も一日中ヘトヘトになるまで身体を動かして、暗くなる前に自転車に跨った。電気は生きているけれど、街灯なんてのは使われていない。日が暮れてしまうと誰だって帰りが困難になるから、太陽で解散時間が決まる。

「あ……」

 帰宅直前、橋の下を振り返るのが癖になった。もうあんな場所に彼女が転がっていることは無いだろうと思うのに、あの日があまりに印象的だったから。けれど今日は、その姿があった。存在を確認するように振り返っておいて、本当に見付けたら驚いて固まってしまう。この間より少し長く迷ってから、結局私は自転車を止めて、堤防を下りた。

「ええと、椿の女神さん、もうすぐ日が暮れますよー」

 前回の反省を生かして極々小さな声で話し掛けると、椿の女神さんは寝転がったままでひょいと首を動かして私の方を向いた。起きていたらしい。

「こんなところで寝て、お身体壊しませんか?」

「んー、割と居心地がいいよ」

 アスファルトの上は別に気持ちよくも何ともないと思うけれど、彼女は言葉通りの感想を抱いていると示すように、ゆったり身体を伸ばしている。

「……っていうかさっきの、やっぱり私のことなの?」

「え、椿の女神ですか?」

「そう」

 数日前と同じようにのんびり起こされた身体からは、花びらは落ちてこなかった。今日は近くに椿の花は見えない。けれど例えあの日、近くに椿が散らばっていなくても私は顔を見れば彼女だと分かったと思う。ほとんど映ることの無くなったテレビが一か月に数回映像を流す時には、必ず中央に彼女が居た。政府や役場から与えられる数少ない情報の中、彼女が占める割合はとても多い。それを、――当の本人が、何も知らないと言うのか。

「テレビとかラジオでは、いつもそう呼ばれていますよ」

「へえー、はは、似合わないなぁ、恥ずかしい」

 彼女の目尻が柔らかく下がる。可笑しそうに笑う横顔は間近で見ても美しい。似合わないとは、私には少しも思えなかった。花びらを舞い上げて戦っている姿があまりに美しかったから、みんながまるで当たり前みたいに彼女を『女神』と呼んでしまうのだ。動いていなくて、花びらのヴェールに隠されてもいない彼女の顔をまじまじと見つめる。生で見ても、美人だと改めて思う。

「なに?」

 私からの視線は無遠慮が過ぎたのだろう。でも、視線だけを此方に向けて薄く笑うような表情は今の思考を止めるどころか続けさせ、私に余計な言葉を口走らせた。

「おぉあ……ごめんなさい、美人ですね」

 完全に口が滑った。悪口じゃないから後悔は無いんだけど思ったことが何のつかえも無く外に出て行ってしまった。ここ一年、決まった人と決まったことしか話さないものだから、色々機能していない。私の言葉にまた女神がくつくつと笑った。

「それよりもう日が暮れるから、あなた早く帰った方が良いよ」

「はい、いや、それを言いに来たような……?」

「あ、そうだったね。でも私は住処を持ってないから良いの、別に何処に居ても」

「えっ?」

 一歩彼女から離れようとしていた半端な姿勢で私は固まる。一塁ベースでリードしてる野球少年みたいなポーズだったけれど、その不格好さにも自覚できないくらい驚いた。女神は今、一体何を言ったんだろう。

「普段、何処で寝てるんですか、まさかこんな所で?」

「そういうこともあるね、毎日では無いけれど。そんなに不便は無いよ、シャワーもランドリーもその辺で使えるし」

「えぇ……」

 問題はそんなところであるように思えない。どうして椿の女神ともあろう人が、いわゆる言葉通りの『橋の下』生活をしているというのか。この人が美しくて段ボールの家が無いせいかそんな風には全く見えないが、今の言葉は間違いなくそういうことだ。呆然とする私を、彼女は再び身体を横たえて見上げた。え、そこで寝るの。本当に?

「ほら、無霊の人が長く一人歩きは危ないから、早くお帰り」

「それは、えっと、はい……」

 無霊というのは私のように霊付きではない一般人のことだ。もう少し食い下がりたかったけれど、彼女の生活について、私はどうこう言える立場ではない。大人しく立ち去ることにした。赤を通り越して紫に変わった空の色から逃げるように、家へと帰る。実際、私のような戦う術を持たない人間と比べれば、霊付きは、そして椿の女神ほどの人であれば、世界の何処にも危険なんて無いのかもしれない。怖いことだって、何にも。

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