第2話 人攫いの首

 手が痛い。

 アルーフは手首にはめられた粗雑な手枷を恨めしげに睨んだ。木の板と金属を組み合わせた簡単なものだが、両手とも固定されては容易に破壊はできない。

 ついでに言えば尻も痛かった。

 舗装されていない道を走る安物の馬車の荷台はひどく揺れ、小石の上を通る度に跳ねるのだ。固い床に直接転がされれば痛むに決まっていた。身に纏っていた外套を敷けば多少マシだろうが、今はアルーフの手元にはない。同じように手枷をはめられた幼い兄弟の手に外套は握られていた。


「あのー、これどこに連れて行かれるんですかね?」


 世間話でもするような調子で隣に座り込む小柄な少女に問うが、反応は無い。薄暗い視界では正確なことはわからないが、十代前半くらいだろう。ごわついた銀髪は肩のあたりでざっくりと切りそろえられ、少女の横顔はほとんど見えなかった。

 楽しい所ではないであろう事は検討がつく。襤褸ぼろを纏った痩せぎすの老若男女が濁った目をして狭い荷台に詰め込まれているのだ。さすがにこの状況で楽観視できるほどアルーフの頭はお花畑ではなかった。


「どこでも一緒だろ。どっかの街に連れて行かれて奴隷として売り飛ばされるだけだ」


 間を置いて少女の口が開かれた。年の割に掠れた声をしている。無視されたかと思っていたアルーフは安心して、文字通り少女の方へと耳を傾けた。


「ドレイ?」

「ははっ、アンタ現実を見たくない口か。残念だったな。これからは家畜みたいに働かされて死ぬか、慰み者になって死ぬかの二択。……まあ、アタシらが選べるわけじゃないけどな」


 聞き覚えのない単語にアルーフの理解が追いつかなかった。当たり前と言えば当たり前だが、数千年の間に新しい概念が生まれていたのだろう。ただそれが合法のものとも思えなかった。


「でもそんな事、衛士えいしに見つかったらただじゃすまないんじゃ」


 アルーフが言い終わらないうちに少女は大きく口を開いて笑い飛ばした。ついでに蹴り飛ばしもした。予想だにしない衝撃にアルーフは無様にひっくり返る。隣にいたはずの少女はいつの間にか腹の上に陣取っていた。彼女の頭上に伸びた獣の耳は低く伏せられたままだ。


「アンタ、大耳マグナウリスのわりに随分小綺麗ななりしてるとは思ったが一体どこの坊ちゃんだ? 衛士が大耳のために動いてくれるわけないだろうが!」


 少女の目が爛々と暗い光を反射する。剥き出しになった牙は鋭く、大きく開けられた口に引っ張られた火傷跡が痛々しく引きつっている。


「いいよなアンタは上等なツラでさ。目もそんな珍しい色してりゃ高く売れんだろ? 高い金出して買ったんならそりゃ可愛がられんだろうなぁ。羨ましいよ運のいい奴は!」


 口の中に広がる鉄錆の味。戦闘の素人であろう彼女の動作はそう速いものではなかった。防ごうと思えば手枷のついた腕でも防げたはずだ。だがアルーフは現状に愕然としていてそれどころではなかった。世界が違いすぎた。

 魔物や魔族といった脅威が生まれ始めた頃とはいえ、アルーフの知る世界では、道を訊いただけで手枷をはめられて拉致されたり、見知らぬ子に問答無用で布を剥ぎ取られたりするようなことはなかった。


「……ここから出る」

「はあ?」


 一発顔にくれてやってから瞬きもせず、ぴくりとも動かなくなったアルーフを前に少女は顔を青くしていた。

 一言二言交わしただけだが、恐らく彼女は普通の、ごく平凡な人だ。若干粗雑ではあるし、領域を出てから言葉を交わした人のサンプル数が極端に少ないから怪しいところだが。少なくとも、見ず知らずの輩の呑気な疑問に答えてくれる程度の良識があることは確かだった。

 良くも悪くも人は染まりやすい。がこれだけ攻撃性を全面に出さなければやっていけない世に変わってしまった──変えてしまった。

 己らは選択を誤ったのだ。

 奥歯を噛み締め、腹の上から少女を退けたアルーフは後ろの格子に手をかけた。

 金属製の頑丈なものだ。魔素を使った術は周りを巻き込む可能性があり使えない。手でこじ開けようにも、知る限りでは女神くらいしか素手でこじ開けることはできないだろう。


「あんま下手な動きすんなよ。あいつらに見つかったら何されるか」


 少女が顎で指した先には男が四人。布の隙間から見える男達は、馬車の操舵と金貨数えに忙しいようだったが、いつ振り返ってもおかしくはない。

 だが一刻も早く聖剣を手にする必要がある。このまま売り飛ばされて時間を浪費するわけにはいかなかった。一日かそこらで状況は変わらないかもしれないが、気は急く。

 下ろされる瞬間を狙って逃げたほうが現実的か? と、アルーフが思案し始めたその瞬間、轟音と共に馬車が前のめりに止まった。格子を掴んだまま、たたらを踏む。短く上がる濁った悲鳴が四つ、耳に届いた。荷台にまで流れてくる臭いは、ついさっきまでアルーフの口内を満たしていたものと同じだ。


「みんな無事!?」


 急に差し込む強烈な光にアルーフは目をすがめる。どうやら荷台にかけられていた布地が取り払われたようだった。

 明るさに目が慣れ、ようやく景色が認識できるようになったアルーフの目の前では、腰に剣を下げた大耳の若い女が格子に外からしがみついていた。長く伸びた麦穂の髪越しに、武装した幾人かの姿が見える。纏っている血の臭いからして、先ほどの騒動は彼女らの手によるものだろうことは想像に難くなかった。


「下がってて。今開けるわ」


 女の言葉と共に刃が一閃。

 なにか特殊な強化が施されていたのだろう。頑丈なはずの鋼鉄の格子は音を立てて崩れた。

 唖然とそれを眺めていたアルーフとは対照的に、荷台に押し込められていた人々は次々と喜びの声を上げて彼女に群がっていく。それに倣わないのはアルーフくらいのものだった。


「里の人じゃないわね。貴方もあいつらに捕まったの?」

「道を訊いただけなのに捕まってしまって」

「フードも被らずにこの辺りふらふらするなんて、不用心にも程があるわ。今度からは気を付けなさいよ」


 運良く私たちが助けに来たから良いものを。と、続ける彼女の目に曇りはなかった。たまたま彼女らが、浚われた同郷の者達を助け出すのに居合わせたのは、たしかに運が良かったとしか言えない。

 そうだ。運良く自分たちは助かった。そして彼らは運悪く死んだ。

 女に促されるままに荷台から降りれば、首と胴が綺麗に分かれた肉袋が砂地に打ち棄てられてる様が目に入る。恐怖か驚愕か。見開かれたままの首と目が合い、アルーフは思わず目を逸らした。


「なあスイコ! この馬車まだ使えそうだし、街までこれで移動しようぜ」


 よく通る声は丸耳ブレウェの少年のものだった。手枷を外されている最中も顔色を悪くしていたアルーフとは対照的に、黒衣の少年は血濡れの御者台で明るく言い放つ。彼らにとっては日常なのだろうが、アルーフはまだ馴染めていなかった。

 乾いた音を立てて手枷が外れる。手首は赤くなっていたが、それだけだ。何をするにも支障は無い。


「なああんた、よかったら街まで送ってやるよ!」


 鉄檻の外された荷台は再び人で溢れていた。だが先ほどとは異なり皆の表情は明るい。信用すべきか否か。アルーフは逡巡した。

 周囲は建物もろくに無い荒野だった。右も左もだだっ広い砂地が広がっているだけで、徒歩で行くにはいつ街に着くかも見当がつかない。野獣のような少女は既に荷台に乗り込んでいた。警戒心はそのまま、荷台の隅に陣取ってはいるが。

 いざとなったら逃げればいい。手枷も格子も無いのだから。

 アルーフは首だけになった男の目を閉じて、荷台に飛び乗った。

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