義妹へ会いに行こう! その7

 南北に短く東西に長い国土を持つハサール王国は、四方の国境警備を各辺境候に任せている。

 今は無きカルデイア大公国――現在のブルゴー王国カルデイア自治領に面する西国境はムルシア侯爵家が、盟友ファンケッセル連邦国に接する東国境はラングロワ侯爵家が自軍を用いて固めていた。


 西のムルシア、東のラングロワと言われるように、この両家は国防の両翼だ。規模の差はあれ、ともに自前の軍隊を持つ武家貴族家であり、国王に仕える臣下でもある。そのため両家の扱いは平等で、そこには如何なる優劣も存在しなかった。


 とは言えそれは表向きに過ぎず、細かいところでムルシア家が優遇されているのも事実だ。

 なぜなら、王国最古の貴族家でありハサール建国にも寄与した「由緒正しき」ムルシア家に対し、長らく他家――アンペール家の下に付いてきたラングロワ家は、いわゆる「ぽっと出」の新興侯爵家でしかなかったからだ。

 おまけに領地の広さと領民の数、軍の規模や財力など、その全てにおいて凌駕されているのだから、如何なる事情があろうともラングロワ家が優先される謂れはなかった。


 そんなラングロワ家なので、同じ辺境候でありながら当然ムルシア家には頭が上がらない。挙句に長女を嫡男の嫁に貰ったものだから、余計に頭が低くなる始末だ。

 対してムルシア家は、あくまで対等を貫こうとする。東西辺境候がいがみ合い、互いに相容れなかったのも今は昔。親戚同士となった今では、親しげに酒を酌み交わす仲にまでなっていた。



 ラングロワ侯爵領の領都ハイデンラント。

 その中心に建つ一際ひときわ大きな屋敷の前に、緩々ゆるゆると3台の馬車列が止まる。

 美しい白馬のみで構成された馬車馬と、艶のある黒塗りの車体のコントラストが映える、見るからに豪奢な馬車列。

 それ自体が芸術品にすら見えるそれらを、多大な興味と少々の畏れとともに出迎えの者たちが見つめていると、音もなく馬車の扉が開かれた。


 最初に姿を現したのは、身の丈180センチを超える大柄な男だった。

 決して整っているとは言えないが、精悍とすら言える顔からは隠し切れない勇猛さが滲み出し、着衣の上からでもわかるほどに鍛え抜かれた体躯はまさに筋骨隆々だ。

 のっそりと姿を現した男は、おもむろに後ろを振り向いて手を差し伸べる。するとその手に掴まりながら、今度は一人の女が姿を現した。


 年齢は40歳前後だろうか。すでに中年と呼ぶべき年齢にもかかわらず、未だ十分に美しいその姿は巷で話題の「美魔女」と呼ぶに相応しい。

 若い頃は絶世の美女と呼ばれていたに違いない。そう思わざるを得ないほどその容姿は美しかった。


 思わず息を飲むラングロワ家の使用人たち。

 するとその中から、当主バティストと妻ユゲットが進み出た。


「ムルシア侯爵オスカル殿、シャルロッテ夫人。ようこそ我が家へ。貴殿らの訪問を心待ちにしておりました」


「おう、ラングロワ侯爵。わざわざの出迎えを痛み入る」


「いやいや、かえって恐縮にございます。――長い馬車旅でお疲れでしょう。まずは屋敷の中で暫しお寛ぎください。さぁ、中へご案内いたします」


「うむ。――と言いたいところだが、実はもう一人同行者がいるのだ。行き違いゆえ手紙には書かなんだが、今回は嫁も連れてきた」


「おぉ! 此度こたびはリタ殿もご一緒ですか?」


 ラングロワ侯爵夫妻の顔にパッと喜色が広がる。

 その様子を見ていると、ムルシア家の嫁――リタに対する彼らの好感が窺える。オスカルが鷹揚に頷いた。


「うむ。不躾ぶしつけなのは承知だが、急遽連れてくることになった。リタは幼馴染だからな。我が娘、エミリエンヌも喜ぶと思ったのだ。――おぉい、リタよ。なにをしておる? 早く出てこぬか」


「はい、ただいま」


 馬車の中から若い女の声が返ってくる。

 まるで鈴を転がすような美しい声。同時に姿を現した。


 従僕に手を取られながら馬車から降りてくるムルシア家の若奥方。その姿は妖精と見間違うほどの可憐さだった。 

 成人女性としては背が低く、小柄で華奢な体躯。首も手首も軽く捻るだけで折れてしまいそうに細い。八頭身と見紛うほどに小さな顔は神憑り的に整っており、まるで良くできた人形のように隙のない美を醸していた。


 一見幼気いたいけな少女のように見えて、実は人妻なのだから驚きだ。彼女の夫となった人物は、さぞ男どもの嫉妬を一身に集めているに違いない。そう思わざるを得ないほどその姿は見目麗しかった。


 瞬間止まる場の時間。

 想像を超えたリタの美しさに誰もが声を奪われていると、少々わざとらしくラングロワ侯爵バティストが咳払いをする。


「あぁ、ごほん! 皆なにをしている? さぁ、お客様を中へご案内してくれ」


 その言葉を合図にして一斉に使用人たちが動き始める。そしてうやうやしくリタたちを屋敷の中へ案内していったのだった。




 長く窮屈だった馬車旅もやっと終わり、屋敷の応接室でしばくつろぐムルシア家の面々。

 疲労に効果があるからと出された茶をそれぞれに楽しんでいると、前触れもなく突然ドアが開かれた。

 客がいるのをわかっていながら、ノックもせずに入ってくる一人の貴婦人。

 もちろんそれはオスカルとシャルロッテの長女にしてリタの義妹、そしてラングロワ家の若奥方でもあるエミリエンヌだった。三人を見つけるなり彼女は大声で叫んだ。


「お父様、お母様! リタ! あぁ久しぶりぃ、会いたかったわぁ!!」


 言いながら満面の笑みで走り寄ってくるエミリエンヌ。ドレスの裾が派手に波打とうがまるでかまわず三人の前に躍り出た。


 いくら相手が実の両親と気の置けない幼馴染だからといって、侯爵家の嫁ともあろう者がなんたる無作法か。などと思ってしまうところだが、今この部屋にはムルシア家の者たち以外にはいないので特に問題はなかった。

 とは言え、やはりそこは王家の親戚筋であり、お堅いバルテリンク公爵家出身のシャルロッテ。彼女が苦言を呈した。


「これ、エミリエンヌ。なんですかその無作法は。今やあなたは辺境候の若奥方なのですよ? 結婚前の生娘でもあるまいし、もう少し慎みというものを――」


「うはははは! いいではないかシャルロッテよ。嫁いで一年と少し。やっと愛しい娘と再会できたのだ。そのように固いことを言うな、野暮であろう」


「まったく……どうしてあなたは娘にだけ甘いのですか? これだから男親というものは……」


 能天気な声を上げる夫に向かって、ぶつぶつとシャルロッテが文句を言う。けれど隠し切れない笑みが零れる顔を見る限り彼女も満更ではないらしい。

 そんな義両親を横目に見ながら、今度はリタが大声を上げる番だった。


「あぁーん、エミリー! 久しぶりぃ、元気だったぁ!?」


「きゃー、リタぁ! 元気、元気、全然元気! あんたは?」


「おかげさまで私も元気よ! 旦那様は優しいし、侯爵様にも奥様にもとっても良くしていただいているから! 屋敷の者たちも敬ってくれるしね!」


「あぁ、それは良かったわ! 相変わらず頼りないと思うけれど、末永く兄さまをよろしくね! それはそうと、結婚式に参列できなくて申し訳なかったわ。不義理してごめんなさい。私は平気だと言ったのだけれど、どうしても旦那が許してくれなくって」


「ううん、謝ることないわ。だってあの時は一番大事な時期だったでしょう? 初めての赤ちゃんなのだし、ラインハルト様が神経質になるのも無理ないわよ」


「ありがとう! リタなら許してくれると思ってた!」


「当り前じゃない、私とあなたの仲なんだもの! あぁーん、エミリー!!」


 ドレスが着崩れるのもかまわずに、甲高い声をあげながら手を取り合ってぴょんぴょん飛び跳ねるリタとエミリエンヌ。その姿は互いに結婚前の娘時代を思い出させた。

 さすがのオスカルも、それには苦笑を隠し切れない。


「おいおい、お前たち。積もる話もあるだろうが、今はその辺にしておけ。――それでエミリエンヌよ。早速で悪いが、お前の息子――俺たちの孫に会わせてはくれぬか?」


「あなた。当主夫妻の案内もなしに勝手に赤子に会いにいくなど、あまりに無作法が過ぎます。少しは自重なさいまし」


「いいではないか。あの・・バティスト殿ならば、そのような些事など気にもするまい。大目に見てくれるであろうよ」


「……」


 変わらぬ夫の破天荒な物言いに再び苦言を呈しようとしたシャルロッテではあるが、彼女も彼女なりに初孫の顔を早く見たかったらしい。

 それ以上なにも言わずに大人しく引き下がったのだった。



「うわっ……か、かわいぃぃぃ!!!!」


 第一声はそれだった。

 育児室の中心に置かれた豪奢なベッド。その中ですやすやと眠る赤子を見た途端、リタが黄色い声をあげた。それにシャルロッテも続く。


「あぁ……あなたがフェリクスですのね、なんて愛らしいのでしょう。赤子などライナルト以来ですが、何度見ても良いものですわねぇ……」


 眠る赤子に、うっとりと見惚れるシャルロッテ。

 隣に乳母がいなければ、そのまま抱き上げそうな勢いだ。その横ではオスカルも感慨深げに目を細めていた。


「おぉ……髪の色はラインハルト殿だが、顔の造作はエミリエンヌだな。果たして瞳の色は何色か。やはりそこもエミリエンヌなのか?」


「きっとそうですわ。男児は母親に似るとよく言いますから。――それにしても、見れば見るほどエミリエンヌにそっくり。間違いなく将来は、両親に似てすらりと背の高い美丈夫になることでしょう」


「うむ。違いない」


 フェリクスが起きないように気をつけながら、オスカルとシャルロッテが小声で話し込む。その横では辛抱堪らんとばかりにリタとミュリエルが身悶えしていた。


「可愛い……抱きしめたい……チューしたい……」


「リタ様……赤子って本当に尊いですねぇ……あぁ、抱っこしたい……」


「うふふふ、どう? 私のフェリクスってば、とっても可愛いでしょう? なんなら抱っこしてもいいわよ?」


「えっ? いいの?」


「もちろん! ほかの誰でもない、リタの望みとあらばやぶさかではないわ。――さぁ、フェリクスいい子ね、こちらへいらっしゃい……」


 眠る赤子をそっと抱き上げるエミリエンヌ。まるで壊れ物を扱うが如きその慎重さは、実の母親でありながら、未だ彼女自身も育児に慣れていないことを物語っていた。


 貴族の子育てにおいて、母親が直接携わることはほとんどない。

 子の面倒は乳母やナースメイドが見るのが当たり前であって、母親は社交や夜会、趣味に勤しむのが一般的だ。

 もちろんエミリエンヌも例外ではない。自身もそのように育てられた彼女は、当然のように我が子を乳母に任せていた。だから彼女は、産まれてひと月も経つというのに、未だ数えるほどしかフェリクスを抱いたことがなかった。


 乳母のヴェーラが心配そうに見守る中、エミリエンヌがぎこちない手つきでリタに子を手渡す。対してリタは、全く危なげなくフェリクスを抱き抱えた。

 それは6歳下の弟――フランシスの面倒を幼少時から見てきたリタだからこその余裕と言えよう。嬉々として赤子を抱く姿は、エミリエンヌよりも余程母親らしく見えた。


「あぁーん、この独特の香り! そして柔らかな感触! これぞ『赤ちゃん』って感じね! あぶー」


 眠るフェリクスの頬にキスしながら恍惚の表情を浮かべるリタ。

 それをミュリエルが羨ましそうに見つめていると、部屋の扉が静かに開かれた。そして入って来たのは――


「あぁん、リタ様ずるいです! わたくしもフェリクスを抱っこしたいですぅ!」


「よう、リタ。どうだ? 我が息子ながら、とても可愛らしいだろう?」


 同じような光り輝く金色の髪と、どことなく似通う整った顔立ちの若い男女。

 それはラングロワ家の次期当主にしてエミリエンヌの夫、そしてフェリクスの父親でもあるラインハルトと、その妹であるマルスリーヌだった。


 現在14歳のマルスリーヌは、すらりと背の高い兄とは対照的に小柄で華奢な体躯をしている。絶賛成長期の今でさえ身長は151センチしかなく、出るところも出ていない、まるで棒のように細い少女だ。

 そのマルスリーヌが鼻息も荒くリタに駆け寄ってくる。


「ささっ、リタ様。次はわたくしにお渡しくださいませ。我が甥の成長を直接この身で確かめとうございます」


「えぇ、わかったわ。それじゃあお任せするわね」


「えぇと……その……僭越ながら、私にも抱かせていただけないでしょうか? 一度赤ん坊を抱っこしてみたかったのです」


 わいわいと楽しそうなリタとマルスリーヌ。すると横から、今度はミュリエルが遠慮がちに声を掛けてくる。

 もちろんそれに否やのない二人は、嬉々としてその申し出を受け入れた。すると今度は、それ以上に控えめな声が聞こえてきた。


「あの……よろしければ、わたくしも混ぜていただけませぬか?」


 ハッと振り返るリタとマルスリーヌとミュリエル。その視線の先には、いつもの生真面目さを捨て去って、今にも指をくわえそうな勢いで羨望の眼差しを向けるシャルロッテがいた。

 実を言うと彼女も孫を抱き締めたくて仕方がなかったのだが、リタたちを優先するために己を抑えつけていたのだ。しかしどうやらそれも限界らしい。


 変わらぬ笑顔でありながら、ヒクヒクと口の端を痙攣させるシャルロッテ。

 その彼女に向けてリタがフェリクスを手渡した。


「あぁ、これは奥様! 大変失礼いたしました。さぁどうぞどうぞ、可愛いお孫様ですよ。存分に抱き締めてくださいませ」


「あら、よろしいのですか? わたくしは最後で結構ですのよ?」


「いえいえ、どうぞお先に! 誰あろう、あなた様のお孫様なのですから遠慮なさらずに!」


「も、申し訳ございません! 立場もわきまえずに失礼いたしました! どうかお先に!」


「あら、そうですか? ならば遠慮なく」


 口々に勧められる中、忘我の表情でフェリクスを受け取るシャルロッテ。胸に伝わる赤ん坊特有の高い体温とほのかに香る乳の香りにその顔をとろけさせた。

 

「あぁ……至高。孫とはこれほどまでに可愛いものなのですねぇ……」


「本当に。赤子とはまさに人類の宝ですわ」


「あぁーん、可愛いぃぃぃぃぃ!」


「こうして赤ちゃんを眺めていますと、私も早く結婚したくなってきますね」



 赤ん坊という名の絶対正義を前にして、あれやこれやと盛り上がる女四人。

 対して、今やその存在を完全に忘れ去られた男二人――オスカルとラインハルトは、所在なげに部屋の隅に固まるしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る