新婚初夜 その3

「ふぅ……」


 ムルシア侯爵家の首都屋敷。その二階の一番端にある新郎新婦用の寝室の前で、フレデリクは大きく息を吐いた。

 主役不在のまま酒宴が続く大広間から遠く離れたこの場所には、もはや喧騒もほとんど聞こえてこない。たまに大きな笑い声が届くことはあるものの、それはむしろ静寂を際立たせるものだった。


 すでに花嫁は中で待っているはず。

 その期待と不安、そして得も言われぬ緊張感とともにフレデリクが扉をノックすると、耳を澄まさなければ聞こえないほどのか細い返事が返ってきた。


「はい……どうぞ」


「し、失礼します……」


 返答とともに部屋の中へ滑り込むと、瞬時に視界が暗くなる。しかし目が慣れてくるにつれて、次第に中の様子が見て取れた。


 扉の横には女性が一人立っていた。

 それは今夜の立会人兼指南役、そして世話係でもあるメイドのミルシェ。

 彼女はムルシア家に勤めて40年になるベテランで、一昔前にはフレデリクの両親――オスカルとシャルロッテの初夜も見届けた人物だ。

 ちなみにシャルロッテの出産の際にフレデリクを取り上げたのは彼女だし、妹のエミリエンヌも弟のライナルトも彼女が取り上げていた。


 そんな現ムルシア家の家族を見守り続けてきたと言っても過言ではないミルシェは、年嵩としかさの者のみが持つ柔和な笑みを浮かべながら、孫のようなフレデリクに慈しむような頷きを見せる。

 その姿にホッと安堵の息を吐いたフレデリクは、続けて部屋の奥へと視線を向けたのだった。


 天蓋付きの豪奢なベッド。

 ダブルサイズ――いや、キングサイズと言っていいほど巨大なそれは、これまでの一人寝ではついぞ使ったことがないものだ。

 サイズ感に圧倒されること暫し。フレデリクの視界に白いものが揺れる。目を凝らすとそこに彼女はいた。


 それは今宵の主役の一人――リタだった。

 真っ白なシルクのナイトガウンを身に纏い、ひとりベッドに腰掛けていた。もとより小柄で華奢な彼女が佇む様は、ベッドとの対比で余計に小さく儚げに見える。


 燭台を減らし意図的に光量を落とした室内は、目が慣れてきたとは言え未だ薄暗いまま。その中で、それとわかるほどリタはその身を固くしていた。

 指の関節が白くなるほど力を込めて、必死に胸元を手繰り寄せる。その横顔にフレデリクが声をかけた。


「や、やぁリタ。待ったかい?」


「い、いいえ。私も今来たところだから……」


「そ、そうか……」


 怯えているのだろうか。

 普段からは考えられないほど弱々しい声とともに、リタが上目遣いに見つめてくる。その姿をフレデリクが遠目に眺めた。


 ゆらゆらと蝋燭の灯を反射する、まるで金糸のようなプラチナブロンドの髪。先ほどまで高く結い上げていたそれは、今ではすっかり下ろされていた。

 直前の湯浴みのせいだろうか。今やトレードマークになっているドリル縦ロールは緩く崩れてウェーブを作り、存外の長さを見せて腰まで届く。

 いつもばっちり決めているメイクは最低限に抑えられ、もとより幼い顔つきをより一層幼気いたいけに見せていた。


 その姿は新鮮だった。

 いつものリタは、頭の天辺から足の先まで完ぺきに着飾っている。もちろんそれは淑女の身だしなみとして当然なのだが、フレデリクにとってはすでに見慣れたものになっていた。

 

 薄い化粧と下ろした髪。実年齢よりも幼く見える、ややもすれば年端もいかない少女のような姿を見ていると、まるで昔の幼女時代に戻ったような錯覚を覚えてしまう。

 しかし遠目に見てもわかるほどの大きな胸と丸みを帯びた腰つきは、すでに彼女が子を成すことのできる立派な大人であることを思い出させる。

 その事実に改めて気がつくと、フレデリクは思わず唾を飲み込んだ。


「ごくり……えぇと……その……と、隣に座ってもいい?」


「は、はい。どうぞ……」


 夫の問いにリタがぎこちなく答える。その横にフレデリクが腰を下ろそうとしたものの、予想外のベッドの柔らかさに思わずバランスを崩した。


「おっと……」


「あっ……大丈夫?」


「あはは、ごめん。こんなに柔らかいとは思っていなかったものだから。――それにしても、ずいぶんと大きなベッドだなぁ。どうやってこの部屋に運び込んだのだろう」


「えぇと……きっとバラバラのまま持ち込んで、この場で組み立てたのだと思う」


「そ、そうだね。きっとそうに違いない。ははは……」


「……」


 どうでもいい呟きに真面目に答えるリタ。明らかに間をつなぐための中身のない会話にもかかわらず、それすらも途中で途切れた。

 普段の彼らならどちらからともなく話題を提供したり、他愛のない会話を続けるのも苦にならないが、どうやら今は勝手が違うらしい。


 さてどうしたものか。

 難題を突き付けられたフレデリクが途方に暮れて隣を見ると、小刻みに震えるリタに気付く。

 全身を覆い隠す純白のナイトガウン。その胸元を必死に押さえながら、彼女はその身を小さく震わせていた。

 その姿を見た途端、フレデリクはハッと胸を打たれてしまう。


 これから行う「床入りの儀」は、まかり間違っても失敗は許されない。なぜなら、無事に事を成さねば夫婦として認められないからだ。

 だから恐れていた。そして緊張のあまりフレデリクはその身を震わせていたのだ。

 しかしそれはリタも同じ――いや、女性である分、彼女の方が何倍も恐れていることに今更ながらに気付かされた。


 話に聞けば、破瓜の痛みは相当なものらしい。

 自分は男だから、初めての経験であろうとしたる影響はないのだろうが、リタにとっては恐怖以外の何物でもないはずだ。

 

 あぁ……いったい自分はなにをしているのだ。

 この期に及んで自分のことしか考えていなかった。

 初夜が上手くいくかどうかなど、もはやそんなことはどうでもいい。

 初めての経験に恐怖する妻。自分以外に一体誰が彼女を守ってあげるというのだ。

 そんなことにも気が付かないとは、なんてダメな夫なのだろう……


 思わず愕然としてしまうフレデリク。

 しかしかえってそれがよかったのかもしれない。あれだけ緊張していたにもかかわらず、今やそれも消え去り、身体からは無駄な力が抜けたのだった。


 

「ふぅ……。なぁ、リタ。まずは話をしないか?」


「えっ?」


 打って変わってフレデリクが明るい声を出すと、リタが訝しそうに顔を上げた。

 薄闇の中にあっても目を見張るほど美しい妻の顔。それを真っすぐ見つめながら、フレデリクが笑いかけた。


「緊張しているんだろう? 見ればわかるよ。でも大丈夫。確かに僕らはこれから大事を成さなければならないけれど、まったく慌てることはないんだ。――だって夜はとても長いのだからね」

 

「フレデリク様……」


「だから君の緊張がほぐれるまで、少し話をしようと思うんだ。君と出会って12年。これまでもたくさん話をする機会はあったけれど、こうして二人きりになれたことはなかったからね。これは絶好の機会だと思わないか?」


 そう告げたフレデリクが部屋の隅に視線を向けると、その先でミルシェがゆっくり頷いた。そして隣にある控えの間へと音もなく下がっていく。

 すぐに事は始まらないと判断したのだろう。やっと訪れた二人だけの時間を、彼女は大切にしようとしてくれたらしい。

 

 眼前で微笑む最愛の夫と、気遣い溢れる専属のメイド。

 同時にふたりの優しさに触れたリタは、その顔にゆっくりと笑みを取り戻していった。

 

「ありがとうございます、フレデリク様。――ううん、違う違う。もう『あなた』なのよね。私はこれからフレデリク様のことを『あなた』と呼ばせてもらうけれど……いい?」


「もちろん! いいに決まってる。――そうか、『あなた』かぁ。改めてそう言われると、なんだか照れてしまうなぁ。それじゃあ僕は君のことを……『お前』? 『君』? 『奥さん』? うーん、どれもしっくりこないなぁ……」


「うふふ。なにも悩む必要なんてないわ。これまで通り『リタ』で結構よ。――ねぇ、あ、な、た♡」


「お、おぅ……」


 緊張もほぐれ、愛らしい表情を取り戻した最愛の妻。耳元で囁かれたフレデリクは、まさに身悶えする勢いで顔を真っ赤にしてしまう。彼はそれを誤魔化すように言葉を続けた。


「そ、そうだリタ。疲れてないか? 今日は朝早くから長丁場だったからね。僕は男だからそれほど衣装は凝っていなかったけれど、君は女性だから大変だっただろう?」


「ふふふ。大丈夫――と言いたいところだけれど、本音を言えばけっこう大変だったかも。軽そうに見えて、実はあのドレスって意外と重かったのよ。そのうえコルセットで締め上げられていたものだから、ずっと呼吸が苦しくて。――あぁ、誤解しないでほしいのだけれど、嫌だったと言っているわけではないの。大切なあなたとの結婚式なんだもの。そのくらい全然平気だったわ」


「そうか、女性って大変なんだな」


「まぁね。――そうそう、なんなら見てみる? 胸の下についたコルセットの跡がなかなか取れなくて。えぇと、このあたりに……」


「えっ!? ……い、いや、今はまだいいよ。あ、あとでゆっくり見せてもらうからさ」


「あっ……そ、それもそうね。もう少し後にしましょう……」


 落ち着きを取り戻し饒舌になったリタではあるが、何を思ったのか、突然真っ赤になると再び顔を俯かせてしまうのだった。

 


 それから二人は暫く取り留めのない話に興じていたのだが、互いの距離は変わらず拳ひとつ分空いたままだ。どうやらその隙間には、未だ越えられない何かがあるらしい。

 それでも気付けばフレデリクはリタの右手を握っていたし、リタもされるに任せていた。

 繋がる手と手、絡み合う指と指。二人が互いの温もりを感じ合っていると、ぽつりとフレデリクが呟く。


「なぁリタ。こうしてやっと君と夫婦になることができたけれど、一歩間違っていればそれも叶わなかったんだなぁって。それを思うと、なんだか感慨深いよ」


「え……?」


「あはは。意味がわからないよね。突然変なことを言ってごめん。だけどどうしてもこれだけは言っておきたくて。――二年前、僕がジルが決闘した時、もしかしたら死んでいたかもしれなかった。でもそうならなかったのは、全て君のおかげなんだ」


「……」


「君は僕の命の恩人なんだよ。本当に心の底から感謝している。君は謙遜するだろうけれど、これは紛れもない事実だ」


「そ、そんなことない。あれはあなたが頑張ってくれたから……私のために命を賭けてくれたんだもの、むしろ私の方が感謝するくらいだわ」


「ありがとう。けれど君はなんと言おうと僕を救ってくれた。だから僕は一生をかけて君を守り続けると誓うよ」


 リタの右手を握るフレデリクの指にぎゅっと力がこもる。

 誠実すぎる覚悟が浮かぶその顔は、凛々しくて雄々しくて精悍だった。リタは見惚れるように瞳を潤ませた。


「あなた……」


「リタ。君は素晴らしい女性だ。いや、女性である前に一人の人間として心から尊敬している。確かに君は親同士が決めた相手ではあるけれど、もしもそうでなかったとしても、僕は君に求婚していただろう。――そんな君と結婚できたことは、僕の人生の中で最大の誉れだと胸を張って言える」


「ありがとう……私は……私は……あなたが好き。あなたの優しさも誠実さも、そして何事に対しても一生懸命なところも、その全てが大好き。もしも婚約者でなかったとしても、きっと私はあなたと結ばれていたと思う」


「リタ……」


 いつもの調子が戻ってきたのだろう。照れるリタの顔には自然な笑みが溢れていた。

 その妻にフレデリクが衝動的に抱きついた。


「あぁリタ! 好きだ、愛してる! こんなにも愛しい君と結婚できたんだ。こんなに幸せなことはない! 僕は君を一生離さないと誓うよ!」


「あぁ、あなた! フレデリク! 私もあなたを愛しているわ! 好き、好き、大好き!!」


「リタ!!」


「フレデリク!!」


 ついに感極まった二人が、最後の垣根を飛び越えて勢いよく抱きしめ合った。

 薄絹を通して伝わってくるリタの温もりと柔らかさ。そして鼻をくすぐる石鹸と香水の香り。

 長きに渡り夢にまで見たその感触に、みるみるフレデリクの脳が痺れていく。同時に抗いようのない男の本能が呼び覚まされていった。


 どれだけの時間そうしていただろうか。

 それすらもわからないほど抱きしめ合っていた二人だが、とうとうフレデリクの理性のたがが外れてしまう。そしてリタを押し倒そうとしたときに彼は気付いた。


「すぅ……すぅ……」


「えっ? リ、リタ……?」


「すぅ……すぅ……」


「あ、あの……リタ?」


 力なく夫に身体を預ける妻。規則正しく聞こえてくる呼吸音。

 その顔をフレデリクが覗き込んでみると……なんと彼女は眠っていた。


 思えば今日は早朝からずっと忙しかった。

 日が昇る前から窮屈で重苦しい正装に着替えさせられ、親戚に挨拶し、客一人ひとりを出迎えて声をかけた。

 結婚式では国王夫妻とブルゴー女王夫妻に気を遣い、披露宴では人形よろしく身動みじろぎもせず、雛壇上で客の挨拶に対応し続ける。


 今は「床入りの儀」のために中座しているものの、これが終われば再び宴の席に戻らなければならないし、その後の報告も待っている。

 今日に限って言えば、リタもフレデリクも誇張なしに激務だった。

 にもかかわらず、身を清めて楽な服装に着替え、柔らかなベッドに身を任せていれば、これで眠るなという方が無理な話だ。


 とは言え、フレデリクの目は冴えていた。

 なぜなら彼は、もはや辛抱堪らんほどに熱くなっていたからだ。

 しかしリタは逆だった。

 最愛の伴侶に抱き締められて、愛を囁かれ、優しさに包まれているうちに夢心地になってしまったのだろう。何たることか、そのまま彼女は気を失うように眠ってしまったのだ。


「リタ……ねぇリタ……リタってば……あぁだめだ、ぐっすり眠ってる……」


 何度呼びかけても一向にリタは目を覚まさない。瞳を閉じたまま夫にしなだれかかり、すぅすぅと規則正しい寝息を吐くばかりだ。

 まるでこの世の終わりを見たような凄まじい絶望感。それを嫌というほど味わいながら、それでもフレデリクはそっとリタを横たわらせる。そしてその横で添い寝を始めた。

 

「ごめんなリタ。強がっていたけれど、やっぱり君は限界だったんだよ。――でも大丈夫。まだまだ夜は長いのだから、なにも慌てることはない。君が目を覚ますまで待っていてあげるから、今はゆっくりお休みよ」


 妖精かと見紛うようなあどけない寝顔を眺めているうちに、フレデリクもゆっくり瞳を閉じていく。そして気づけば、彼もまた規則正しい寝息を立て始めるのだった。

 

 ベッドの上に身を投げ出して、仲良く眠る若い夫婦。

 互いの手を握りながら、すうすうと静かに寝息を立てる仲睦まじい姿は、見る者全ての微笑みを誘う。


 そんな二人に優しげな顔を向けるメイドのミルシェ。

 未だ彼らが事に及んでいないことは彼女とて承知していたものの、疲れ果て、ぐっすり眠る二人を起こすのはあまりに忍びない。

 そのため彼女は意図して事実を隠蔽し、無事に初夜が済んだとして一人報告しにいったのだった。

 


 翌日の朝。

 結局明け方までぐっすり眠ってしまった二人は、目を覚ますと同時に慌てふためいた。

 なぜなら、とっくに初夜を済ませていなければならなかったにもかかわらず、結局何もしないまま一晩中眠り呆けていたのだから。

 しかしミルシェから事の次第を聞かされて、二人揃ってホッと胸を撫で下ろした。

 そして着替えて宴の席に戻ってみると、一晩中飲み明かし、すっかり酔い潰れた親戚や客たちから下卑た歓声を浴びせられたのだった。




 ――――




「父上、母上。そろそろ僕達は休ませていただきます。――それでは失礼します」


 その日の夜。

 結婚式の後片付けも終わり、数日ぶりに落ち着いた夕食を済ませられたリタとフレデリクがそそくさと寝室に向かおうとしていると、突然その背に声をかけられる。

 それは母親のシャルロッテだった。彼女は二人を呼び止めるなり口を開いた。


「フレデリク。まさかとは思いますが、あなたは今夜もリタと仲良くするおつもりではないでしょうね」


 何か気に入らないことでもあるのだろうか。その声は些か咎めるようなものだった。

 するとフレデリクが、呑気にも気恥ずかしそうに答えた。


「いや、その……まぁ……夫婦ですから……」


「何を仰るのです。リタは昨夜、健気にも破瓜の痛みに耐え抜いたばかりではありませぬか。結構な出血もあったとミルシェから聞いておりますよ。にもかかわらず、未だ傷も癒えぬうちから致すなど……あなたは鬼ですか?」


「えっ……?」


「我が家にとって、リタは大切な嫁なのです。これからムルシアの子をたくさん産んでもらわなければならないのですから、決して無理はさせられないのですよ。初めが肝要。あなたにもそれはおわかりでしょう?」


「えっ……い、いや、確かにそれはわかりますが、しかし母上……」


「しかしもかかしもございませぬ! リタの身体が癒えるまでの七日間。あなたの寝室は別にさせていただきます。――リタもよろしいですわね?」

 

「あ……えぇと……その……」


 なんとも歯切れの悪いリタの返事。

 もっともそれは当然だった。なぜなら、公には昨夜無事に初夜を済ませたことになっていたのだから。


 とは言うものの、百歩譲ってリタはいい。

 実のところ彼女は未だ初夜の恐怖と緊張にその身を震わせていたし、正直に言えば逃げ出したい気持ちもあった。

 しかしフレデリクにとってはまさに切実以外の何物でもなかった。

 昨夜におあずけを食らってしまった彼は、ここに及んで色々と暴発寸前になっていたからだ。


 若く健康な二十歳はたちの男にとって、それを我慢するなど拷問に等しい。そのうえ長らく想い続けてきた最愛の女性と結ばれようとしているのだから、なおさら我慢できるものではなかった。


 しかしリタもフレデリクも昨夜については色々と思うところがあるため、咄嗟に言い返すことができない。

 なによりシャルロッテの言葉は正論以外の何物でもなかったため、反論自体が憚られたのだ。


 何やらもごもごと口ごもる息子と嫁。その二人になおもシャルロッテが追い打ちをかけた。


「二人とも返事をなさいまし! 一体どうなさったのです? わたくしとてあなた達の想いは十分承知しています。しかし事はムルシア家の将来にも関わることゆえ、これは当主の決定と心得なさい。――よろしいですわね!?」


 有無を言わせぬシャルロッテの言葉。

 もはやリタもフレデリクもそれに抗う術は持たなかった。

「ムルシアの女狐」とあだ名される、女傑と言っても過言ではないムルシア侯爵夫人シャルロッテ。

 かつて彼女を言い負かし、華麗に正面突破した面影は、今のリタにはまるで見当たらなかった。



 なにやら絶望的な若い二人。

 見かねたオスカルが横から口を挟んでくる。


「フレデリクよ。同じ男として俺もお前の気持ちはよくわかる。確かにこれは試練だろうが、逆にこれをチャンスととらえるのだ」


「チャンス……ですか?」


 訝しげな顔で父親を見つめるフレデリク。その彼に向かってオスカルはニヤリと笑った。


「そうだ、チャンスだ。リタに色々と教えるためのな。――お前はまだ知らぬだろうが、夫婦の営みも様々だ。リタ自身がしばらく無理だというのなら、代わりに手と口で――」


「あ、あ、あ、あ、あなたというお方は!! 一体なにを仰るかと思えば、なんという下世話な!! 信じられませぬ! いい加減になさいまし! ――さぁ、こっちへいらっしゃい!!」


「うあっ!! す、すまぬ、シャルロッテよ。許せ! た、頼むから許してくれ!!」


 突然上がった甲高い怒鳴り声。それとともに、まさにぎゅうぎゅうと音が聞こえそうなほど耳を摘み上げられて、どこへともなくオスカルが連れ去られていく。

 その背中を見つめながら、リタとフレデリクは深い深い溜め息を吐いたのだった。



 こうして意図せず七日間も新婚初夜をおあずけにされたフレデリクは、その後悶々とした日々を過ごす羽目になる。

 それは傍から見ても気の毒に思えるほどの、壮絶な煩悩との戦いだったという。

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