第273話 渡りに船

 それからさらに2日後、やっとファルハーレンの一行は隣国カルデイアとの国境付近に到着した。

 その間リタとジルの仲もやっと最低限の挨拶を交わすところまで回復していたが、それでも会話というには程遠く、未だ二人のわだかまりを払拭するところまでは至っていない。


 公妃アビゲイルの馬車酔いは相変わらず酷い状態だった。

 しかし本人の強い希望により日中に休息を取ることなくひたすら西を目指した結果、遂に南側を行進中だったアストゥリア軍を先行することができたのだ。

 そのため彼らの顔には心なしか笑顔が見られるようになり、漂う雰囲気も少々明るく感じられるようになった。

 

 ファルハーレン公城を出た一行は一路西を目指していた。

 本来であれば目的地のある北を目指すべきなのだろうが、敢えて西を迂回しようとしたのはリタの提案――いや、独断だった。


 とは言え、彼女自身には何ら権限が与えられているわけではない。

 そもそも先遣隊にはルトガー・ハッシャーという近衛騎士団副団長を本職とする隊長がいるのだし、全ての判断は彼が下すことになっている。

 しかし気づけば、何故か全てにおいてリタの意見が尊重されていた。


 それが何故かと問われても、誰も明確に答えられない。

 特に理由もなく気づけばリタがご意見番になっており、ルトガーはその言いなりになっていたのだ。

 小柄で華奢(しかし巨乳)なまるで妖精のような少女でありながら、その言動に一々説得力があるリタは、ファルハーレンの一行と合流した後も変わらずその意見には誰も異論を挟まなかった。


 とは言うものの、今まさに北ではハサール王国軍とアストゥリア帝国軍が衝突する直前であるうえに、南からはファルハーレン公国軍も北上しつつある。

 そんな中を公妃たちを乗せた馬車がのこのこ通過するのはあまりに危険すぎたし、場合によっては人質に取られる危険もあった。

 そのためリタの決定は十分に常識的かつ妥当だったので、そこに反対意見を唱える余地がなかったのも事実ではあるのだが。




 このまま西へ進めば、明日には国境を越えられる。

 遂にそこまで到達した一行は、明日の出立に向けて早めの野営に入った。

 思い思いのところに座り込んでメイドが作る夕食を楽しみに待っていると、リタに向かって数人の男たちが近づいてくる。


 それはハサールの先遣隊の者たちとファルハーレンの騎士たちだった。

 皆一様に浮かない顔をしているところを見ると、なにやら良くないことでもあったのだろうか。

 何気にリタがそう思っていると、その中の一人――隊長ルトガーが早速口を開いた。


「やぁ、リタ嬢。いま少しいいか?」


「どうされたのです? ハッシャー隊長。何やら浮かない顔をしてらっしゃいますわね」


「あぁ、ちょっとな。 ――実は先行させていた密偵スカウトたちがつい先ほど戻ってきたんだが……予想とは少し状況が変わったらしい」


「……なにかありまして?」 


「国境の向こう――カルデイア方面なんだが、予想以上にブルゴーが北上しているらしい。このまま西へ向かえば、恐らく我々はその背後に出ることになる」


「……それの何処が問題ですの? そもそもわたくしたちはそれを目的にしてきたのではなくって? ――北上するブルゴー軍の背後に出る。そして距離を置きつつ一緒に北上しながら、切りの良いところでハサール方面へと舵を切る。 ――それになにか問題がありまして?」


 思わず胡乱な顔を返してしまうリタ。

 長旅で少々煤けているとは言え、その顔は相変わらず美しかった。

 しかしそんなことにはまるで構わずに、ルトガーが話し続ける。


「いや、リタ嬢の言う通り確かにそこに問題はない。北上するブルゴー軍に付かず離れずついていく。これほど安全な方法はないだろう。なにせ奴らが下刈りをしてくれるようなものなのだからな」


「ならば、何の問題があるというのです?」


「問題か? あぁ、大ありだ。密偵スカウトたちの報告によれば、どうやらブルゴーは、我々の南を行進中のアストゥリアに兵を差し向けたらしい。 ――当たり前のことだが、奴らはアストゥリアに背後を取られるのが嫌なのだろう」


「あぁ……」


「それにブルゴーにしてみれば、カルデイアに対する今後の覇権もあるはずだ。 ――ここまで血を流してきたんだからな。最後に良いところだけを掠め取られるなんて、絶対に許すはずがない。もとよりこの二国は犬猿の仲なんだ。そこには様々な感情も渦巻いているのだろう」



 ルトガーの説明からもわかる通り、どうやらブルゴーは西進するアストゥリア軍を牽制するつもりらしい。

 もっとも牽制と言いつつも、いざとなれば実力行使も辞さずといった鼻息も荒い状況なのだろうが、いずれにしてもアストゥリアに背後に出られるのはブルゴーとしても非常に不味かった。


 もしそうなれば本国との連絡や補給にも支障が出てくるし、なにより長年の宿敵でもあるアストゥリアにどさくさに紛れてカルデイアの覇権を許すなどあり得ない。

 最早もはやそれは理屈ではなく感情的なところが大きかったが、どちらにせよブルゴーはアストゥリアの好きにさせるつもりは全くなかった。


 そしてその事実が何を意味するかと言えば、ブルゴー軍の一部がこちらに向かってきているということだ。

 もしもこの状況で見つかりでもしようものなら、全員捕縛されたうえにまず真っ先にスパイ容疑をかけられてしまうだろう。




 ルトガーの説明からリタがそんなことを考えていると、その横から一人の騎士が進み出る。

 それはファルハーレン公城から付いてきた、公妃アビゲイルの専属護衛騎士の一人だった。

 ミカル・ベントソンという名のその若い騎士は、緊張した面持ちのまま口を開いた。


「このまま西へ向かえば、恐らくブルゴー軍と鉢合わせするでしょう。そこで提案なのですが、国境を越える前に進路を北へ変えませんか? ――実は国境沿いの砦を起点にして北へ向かう道があるのですが……」


 なにを勘違いしたのか、なぜかミカルは自分よりも5歳も年下の少女に向かって伺いを立てようとしている。

 そして周囲の誰もそれを止めようとしないところを見ると、誰もがリタの判断を仰ぐつもりにしか見えなかった。


 そんなミカルに対して小さく鼻息を吐いたリタは、一瞬考える素振りを見せた後にこう答えた。


「確かにそうですわね。この状況でブルゴーに見つかってしまえば、間違いなくスパイ容疑をかけられてしまうでしょう。それは絶対に避けねばなりません。ならばここで進路を変えるのも悪くないのでしょうけれど……それで北へ向かう街道なのですが、どのようなルートになっていまして?」


「はい。我が国とカルデイアの国境沿いに真っ直ぐ北上していきます。そして最終的にはハサールとの国境に出ます」


戦場いくさばとの位置関係は?」


「そうですね……我々は東にそれを眺めながら北上することになるでしょう。この先東西に戦線が拡大しない限り影響はないと思いますが、もしそうなれば、その時にまた考えるしかないかと。 ――いずれにしてもハサール軍と合流できれば御の字だとは思いますが……」


「そうですわねぇ……少々行き当りばったりに過ぎるような気もいたしますが……」



 暫し思案顔のまま動きを止めるリタ。

 組まれた腕のせいで、まさに「むにゅん」と言わんばかりに豊かな胸が強調されて、思わずミカルが目を釘付けにしてしまう。

 するとそれに気づいたルトガーがわざとらしく咳払いをすると、それを合図に再びリタが口を開いた。


「わかりましたわ。それではその提案通り、国境沿いに北上することにいたしましょう。その後のことは少々不確定ですし、戦に巻き込まれる危険も捨てきれませんが、それでもこのまま西に向かうよりはマシですわね。 ――皆さま、それでよろしくて?」


「異論ありません」


「それでいい」


「あぁ」




 ――――




 翌日の正午前、先遣隊一行は予定通り街道の分岐点に到着した。

 ここから道は西と北、そして南へと分岐しているのだが、もちろん彼らは打ち合わせ通り北へ向かう予定だ。


 その脇には国境警備のための物見砦が建てられており、現在も数十名の兵たちが詰めているはずだった。

 しかし遠目に見てもまるで人けがあるようには見えず、様子を見るために一行が近づいてもやはり砦には人ひとり見当たらない。


 砦が無人などとは誰も聞いていなかったにもかかわらず、目立つ馬車列が近づいても人っ子一人出てこないのだ。

 そんな明らかに異常な光景に、思わずルトガーが眉を顰めた。

 

「おかしい……砦には警備兵が詰めていると聞いてきたのだが……まるで人けがない」


「もしや事前に撤退命令が出ていたのでは?」 


「いや、それはないだろう。そもそも俺は首都の軍部から司令書を預かってきている。これを砦の司令官に渡してほしいと頼まれたのだ。 ――ということは、ここに兵がいないのはおかしい」


「……なにか嫌な予感がしますね」



 馬車列の先頭で、隊長ルトガーとミカルがそんな会話を交わしていると、最後尾に佇むリタにラインハルトが近づいてくる。

 その顔には変わらずニヤニヤとした笑みが浮かんでいたが、このときばかりは目が笑っていなかった。


「おい、リタ。一応訊くが、お前気づいてるか?」


「えぇ、とっくに。 ――どうやらわたくし達、囲まれてしまいましたわね」


「だぁな。 10……50……100……もうわからん。こりゃあ少なくとも100は下らんだろうな。 それにこの殺気……おぉ怖い怖い。それじゃあ、皆に教えてやらんとなぁ。 ――おい、ジル!! 剣を抜いてリタを守れ!! 何と言われようと構わん、お前はお前の使命を全うしろ!!」


「えっ……?」


 突如かけられたその声に咄嗟に振り向いたジルだったが、まるで事態を把握していなかった。

 厳つい顔にポカンとした表情を浮かべて、ひたすらラインハルトを見つめていたのだ。

 そしてその横では、リタが心底嫌そうな顔をした。


 しかしそんなことにはまるで構わず、尚もラインハルトは叫び続ける。


「おい!! 隊長に騎士ども、なにボサッとしてやがる!! さっさと剣を抜いて臨戦態勢をとれ!! まだわかんねぇのか、俺たちは囲まれたんだ!! この状態では最早もはや逃げることも敵わん!! このまま迎え撃つぞ!!」



 その言葉にルトガーの眉が跳ね上がる。

 なぜかリタに頭が上がらないとは言え、彼とて近衛騎士団の副団長を務めるほどの人物なのだ。

 だからラインハルトの言葉に瞬時に事態を悟ると、矢継ぎ早に指示を出し始めた。


 素早く剣を抜きながら、馬車列を守るように輪を描いて広がる騎士たち。

 杖を片手に魔法の準備を始める魔術師とそれを守る護衛たち。


 彼らが一斉に臨戦体勢をとり始めると、それを合図にしたかのように砦から大勢の兵たちが現れた。

 そして瞬く間に周囲を取り囲んでしまう。


 全身灰色の衣装に赤いワンポイントの意匠が目立つその軍服は、間違いなくアストゥリア帝国のものだった。

 見たところその人数は100名を下らないだろう。 

 対してファルハーレン側は、ハサールからの先遣隊18名と合わせても戦闘要員は28名しかおらず、残りは公妃と公子とその世話役メイドと執事だけだ。

 

 そのあまりの人数差に思わず絶望を感じてしまう騎士たちだったが、決してそれを表に出すことはしなかった。


 

 今や顔に決死の覚悟を浮かべながら、必死に生き残るすべを模索し始める騎士と魔術師たち。

 そして恐怖に顔を歪めるアビゲイルとユーリウス、そしてメイドに執事。


 しかしその中でも一人だけ様子の違う者がいた。

 美しくも愛らしい整った顔に、まるで場違いな笑みを浮かべる一人の少女。


 そう、それはリタだった。

 まさにニンマリと、これ以上ないほど大きく弧を描かせたその口と、まるで舌なめずりするように小さな舌で唇を舐めるその様は、見慣れたラインハルトでさえ思わずゾッとするほど妖艶だった。


 その彼女が小さく囁く。


「ふふふっ……そろそろこの逃避行にも飽きてきたところでしたのよ。渡りに船とはまさにこのこと。 ――それではお言葉に甘えて、ひと暴れさせていただこうかしら。うふふふふ……さぁ、覚悟なさいませ」

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