第262話 いざ出陣……!?

 翌日の早朝。

 ハサール王城の広間に先遣隊のメンバーが集結したのだが、そこに及ぶまでにはそれぞれに余話があった。

 家庭を持つ者であれば暫しの別れを告げて、独身でも恋人のいる者は、これが最後とばかりに夜通し燃え上がる。

 恋人すらいない独り者は酒場で管を巻き、娼館で思い出作りに励んだ。


 そんな選抜メンバーの中にあって、もちろんリタ――レンテリア家も例外ではなかった。

 屋敷に戻った彼女が国王の勅命を告げた途端、祖父母であるレンテリア伯爵夫妻及び両親、そして弟も含めて皆驚愕のあまり卒倒しそうになっていたからだ。


 それもそうだろう。

 なぜなら、今まさに戦が始まろうとしている場所に敢えて飛び込もうというのだから。

 しかも去年成人したばかりの自慢の娘が死地に向かわんとする様は、家族全員を震撼させた。

 

 しかし国王からの勅命である事実は如何ともし難く、表立って批判することもできない彼らは言いたいことも言えないまま、ただひたすらにリタの身を案じるばかりだ。

 母親のエメラルダに至ってはあまりのショックに泣き腫らし、両目を真っ赤に染めたまま娘に抱きついて離れない。


 そんな祖父母、両親、弟、そして屋敷の者たちに向かってリタは告げた。


「そんなに心配しなくても大丈夫。私達の任務はあくまでアビゲイル様とユーリウス様の保護であって、直接戦に参加することじゃないもの。予定としてはアストゥリアとファルハーレンが衝突する前に、お二人を連れて逃げ出してくるつもりなのだし」


「でも……でも……大切なあなたを戦地に送り出すのかと思うと、母は、母は……うぅぅぅぅ……」


「大丈夫よ、お母様。お願いだからそんなに泣かないで。 ――ほら、せっかくの綺麗なお顔が台無しじゃない。さぁ、もう泣きやんで」


 己に抱きついて泣き続ける母親の頭を優しく撫でるリタ。

 身長だけで言えば母親よりも1センチ高い彼女ではあるが、こうして並んでいると最早もはやそれは誤差にしか見えず、顔が小さく揃って八頭身かと見紛う姿は、同じプラチナブロンドの髪も相まって、遠目で見れば双子の姉妹のようにも見えた。



 そんな中、何か思うところのあるらしい弟のフランシスが口を開いた。しかし若さゆえ純粋すぎる口から出たのはこんな言葉だった。


「だけど……なぜ陛下は姉上に行かせようとなさるのでしょう。御自身のお嬢様を救うために他家の娘に行かせるなど……理不尽すぎて僕には納得がいきません」


 まさしくそれは彼ら全員の代弁だった。

 しかしそれを口に出してしまえば国王に対する不敬となってしまうので、敢えて誰も触れないようにしていたのだ。

 しかし弱冠9歳のフランシスにそんな斟酌しんしゃくなど理解できるはずもなく、思ったままを口にする。


 未だ幼さの抜けきらないそんな長男に、父親のフェルディナンドが諭すように言った。


「フランシス、それ以上言ってはいけない。いいかい? 此度こたびの件は、陛下としてもまさに断腸の思いだったと伺っている。それでもそうせざるを得なかった事情を慮れば、決してそんなことは言えないはずだ。 ――それがお前にわかるかい?」


 深い含蓄の滲む父親の言葉は、幼いフランシスにはあまり伝わっているようには見えなかったが、それでも彼は自身の発言が失言だったと気付いたらしい。

 何気にバツの悪そうな顔をすると、そのまま押し黙ってしまう。


 決して叱られたわけではないが、それでも諭されたことはわかる。

 そんなフランシスがしょんぼりと肩を落としていると、遂に耐えきれずにリタが抱きしめた。


「あぁ、フラン!! そんなに悲しい顔をしないでちょうだい!! そんな顔を見てしまったら、姉上は、姉上はっ!!」


「あぁ!! あ、姉上!?」


「あぁん、フラン!! 姉上は暫く留守にするけれど、気を落とさずに元気でいるのよ!! 少しの間あなたをこうして抱きしめられないかと思うと、寂しくて仕方がないわ!! あぁーん、フランー!!」


 ぎゅうぎゅうと情け容赦なく豊かな胸を押し付けてくる姉に、さすがのフランシスも顔を赤らめてしまう。

 そして叫んだ。


「あ、姉上!! お願いですから胸を押し付けるのはおやめくださいと、何度も申し上げて――」


「いいじゃない!! いいじゃなぁい!! 暫しのお別れなのだから、少しくらいは大目に見なさいよ。あぁーん、フランー!! 私のフラン―!! むぎゅー!!!!」


「うわぁー!! あ、姉上ぇ!!」




 そんなわけで、家族との暫しの別れをたっぷりと堪能したリタは、今日も朝から艶々の顔を綻ばせながら王城の一室に入る。

 するとそこには幾人もの先客がいた。


 部屋に入って一番最初に目についたのは、一際ひときわ大きな体躯を持つ近衛騎士だった。

 そしてその周りに佇む総勢9名の仲間たち。

 その彼らがまさに近衛騎士と言うべき秩序と礼儀正しさでリタを出迎えた。


「リタ・レンテリアだな。私は近衛騎士団副団長を務めるルトガー・ハッシャーと申す。此度こたびは同じ仲間として同行させていただく。他の者たちも含めて、よろしくお願いしたい」


 その言葉とともに、残りの団員達も丁寧に騎士の礼を交わした。


 ルトガー・ハッシャーは、ハサール王国の東部貴族であるハッシャー侯爵家の次男坊で、幼少時から近衛騎士になるために鍛えられてきた男だ。

 190センチに届く筋骨隆々とした大柄な身体は、まさに騎士になるべくして生まれてきたと言っても過言ではなく、もしも長男だったとしても、家督の相続を放り投げてまで騎士になっていただろうと言われるほどの騎士道馬鹿だった。


 名誉職の意味合いの強い団長などよりよほど腕が立つとの評判で、彼自身は肯定も否定もしていなかったが、今回の先遣隊に選ばれたのは自身の実力が認められた証拠だとして、とても嬉しそうに見えた。

 


 次に目に入ったのが、魔術師の二人だ。

 恐らく魔術師協会から派遣されてきたのだろう。ともに似たような灰色のローブに身を包む、一人は若い男で、そしてもう一人は小柄な中年の男……


「はぁぁぁぁぁ!!?? なんであんたがここにいるのよ!?」


 その姿を見た途端、驚きのあまり貴族令嬢としての嗜みさえ忘れたリタが素っ頓狂な声を上げてしまう。

 特徴的な細い眉を跳ね上げ、灰色の目を見開き、小さな口を大きく開けたまさにアホとしか言いようのない顔で見つめる先には――


「あぁ、リタ様。おはようございます。今朝もまたご機嫌麗しく……って、なにをそんなに驚いてらっしゃるのです?」


「ロ、ロレンツォ!? ――も、もしかして、あなたも陛下から勅命を……!?」


「いやぁ、実はそうなんですよ。突然のお話だったものですから、僕も驚いてしまいまして」


「そ、そうなんだ……っていうか、どうしてあなたが!? 協会の要職に就くあなたを敢えて差し向ける意味がわからないのだけれど」



 未だ目を見開いたアホの顔のまま言い募るリタ。

 その言葉にロレンツォは、所在なさげな右手で頭をかきながら何気に困惑した顔をする。


「どうやら陛下のお気遣いのようです。絶対に失敗の許されないこの作戦において、リタ様のサポート役は僕が適任だと仰いまして。 ――全くの他人よりも気の置けない者のほうがいいだろうと、突如白羽の矢が立ったというわけです」


 相変わらず何処かのんびりとした口調で、ロレンツォはそう答えた。

 


 今やリタの元家庭教師にして、魔術学の師匠として有名なロレンツォ・フィオレッティ。

 しかしそれはあくまでも表向きの話でしかなく、その実態は魔術の教えを乞おうとリタの元にやってきた押し掛け弟子だった。


 今では若くして王国魔術師協会副会長にまで上り詰めている彼ではあるが、それは全て無詠唱魔術を教え込んでくれたリタのおかげと言っても過言ではない。

 さらにロレンツォはリタの正体を知る数少ない者であると同時に、偉大な魔女アニエスとして心の底から敬愛しており、そんな彼にはリタもまるで遠慮のない付き合いを続けていた。


 彼が就く副会長という役職は、名前だけではナンバー2のようにも聞こえるが、その実態は実質的なトップと言っていい。

 なぜなら、唯一の上司である協会長は、所管の貴族家当主が就くのが慣例となっている、単なる名誉職に過ぎないからだ。

 特に名ばかりの会長であるオーガスト・マクブレイン侯爵の代わりに、ロレンツォがほぼ全ての決裁権を持つことからも、組織内での彼の地位が窺われる。

 


 とは言うものの、そんな要職に就く彼を敢えてこの作戦に選抜する意味があるのかと問われればいささかか疑問だ。

 確かに魔術の実力で言えば、リタとともに無詠唱魔術を行使できるロレンツォは他の追随を許さない。

 しかし、そんな細かい事情を理解しているとも思えない国王がなぜ彼を選んだのかといえば、やはりそれは作戦の可能な限りの成功を鑑みたからだった。


 複数の魔術師の連携においては、互いの魔術の相性はもとより魔術師同士のそれも当然重要になる。

 そのため全くの他人を突然組み合わせたところで、いきなり連携が上手くいくとは限らない。

 それをロレンツォに指摘された国王は、それならばお前が行けとばかりに突然めいを下したのだ。


 当のロレンツォにしてみれば全くの藪蛇やぶへびだったのだが、それでも彼はリタの役に立てるからと嬉々としてそのめいに従った。

 とは言え、長らく裏方の事務仕事ばかり続けてきた彼は、久しぶりに外で暴れたくなっただけなのかもしれなかったのだが。


 そんな弟子に、リタは胡乱な視線を向けた。



「突然の出征なのだもの、ジョゼットは悲しんでいたのではなくって? それに子どもたちも泣いていなかった?」


 その言葉に、ロレンツォは再び頭をかいた。


「あぁ、さすがにジョゼピー……失礼、妻は泣いていましたね。あと子どもたちも抱きついて離れませんでしたし。 ――まぁ、気持ちはわかりますが。しかしそれを言えば、リタ様もそうですし他の者達も同じですからね。僕だけ我儘は言えませんよ」


「まぁね、確かに。 ――ねぇロレンツォ、一応言っておくけれど、私はこれっぽちも死ぬだなんて思っていないからね。絶対に生きて帰って、私の愛しいフランシスを抱き締めるんだから!! そのためなら、アストゥリアの首都に隕石の雨を降らせるのもやぶさかではないわ!! むふぅー!!」


「い、いや、さすがにそれは……」


 リタであれば本当にやりかねないのと、あまりのブラコンぶりに少々呆れた視線を向けるロレンツォ。

 しかしそんな顔には全く気づかず、最愛の弟の面影をリタは思い描いていた。



 そんな中、親しげな二人に話しかけてくる者がいた。

 それはロレンツォの隣に佇む一人の若い魔術師で、国から支給される安物のローブに身を包んだその姿は、見たところリタとそう変わらない年齢に見える。

 その彼がまさにおずおずと言った様子で口を開いた。


「あ、あの……お、お初にお目にかかります。私は魔術師協会所属の二級魔術師、ルイ・デシャルムと申します。い、以後お見知りおきを。リ、リタ様のお噂はこれまでもかねがね伺っておりまして――」 


 ひと目でわかるほど、緊張にその身を震わせる若い魔術師。

 どうやら彼はリタを見るのが初めてだったらしく、予想を上回る彼女の美しさ、愛らしさ、そして可憐さに思わず怖気づいてしまっていた。

 そのルイにロレンツォが言及した。


「あぁ、申し遅れました。ただいま自己紹介したとおり、彼はルイという名の回復、治癒、補助魔法を専門とする魔術師です。リタ様と同じように、若くして二級魔術師となったエリートなのですが……そのご様子では、どうやらご存知なさそうですね」


「ごめんなさい。そうね……会ったことはなかったかも。もっとも名前は知っているわよ。 ――あれでしょ? 魔術師協会に所属する魔術師の中でも、回復、治癒魔法に長けた若手のホープとかいう触れ込みの。確か私の一歳下だったと記憶しているけれど……」


「い、いや、そんな……ホープだなんて……」


 リタの言葉に何気に頬を赤らめながら、はにかんだような笑みを見せるルイ。

 年齢のわりに幼く見える、ともすれば可愛らしいとも言える顔を見ていると、不思議と弟のフランシスを思い出してしまう。

 その彼に向かってリタは背筋を伸ばすと、貴族令嬢として完璧な礼をして見せた。



「改めまして、ルイ・デシャルム。わたくしはリタ・レンテリアと申しまして、その名の通りレンテリア伯爵家の者ですわ。あなたと同じ二級魔術師として、そして今作戦のメンバーとして仲良くしていただきたいところですの。 ――よろしくお願いいたしますわね」


 美しくも愛らしい顔に満面の笑みを湛え、透き通るような灰色の瞳を細めながら貴族令嬢の挨拶――カーテシーを披露するリタ。

 そのあまりに可憐な姿に胸を撃ち抜かれたらしきルイは、見惚れた顔のまま慌てて言葉を返した。


「あ……いいえ、その……こ、こちらこそ、よろしくお願いいたしますっ!! 私達若手魔術師の中で筆頭でもあるリタ様とご一緒できることは、このルイ、一生の喜びでございますっ!! ぜ、ぜひ、懇意にしていただけると嬉しいです!!」


「ふふふ……ありがとう、ルイ。あなたとなら仲良くできそうですわ。 ――改めてお願いね」


「は、はひっ!!」




「リタ……年下の少年をからかってはいけないよ。ほら見てごらん。緊張して震えているじゃないか」


 未だ幼さの抜けきらない14歳の少年が、年上の女性(と言っても一歳しか違わないうえに、そもそもリタ自身がロリ属性なのだが)の魅力にすっかりやられていると、その背後から声をかけてくる者がいた。


 するとそこには次期西部辺境候にして次代のムルシア侯爵家当主、そしてリタの未来の夫でもあるフレデリク・ムルシアが立っていた。

 どうやら彼は、リタがルイを面白がっているのをずっと見ていたらしく、些か複雑な顔をしながら近づいてくる。


 するとリタは直前までの澄まし顔を一変させて、頬を赤らめながら両手を揉みしだいた。


「あぁ、フレデリク様。もしかしてお見送りに来ていただけたのですか? とっても嬉しいですわ」


「当たり前じゃないか、リタ。愛する君が出征するんだ。僕はもう居ても立ってもいられないよ。何度も言うようだけれど、必ず無事に帰ってきてくれ。 ――もしも君の身に何かあったらと思うと、僕は……僕は……」


「畏まりました。もとよりわたくしは死ぬつもりなんて毛頭ございませんわ。再び貴方様と相まみえるためであるならば、アストゥリア全土を焦土に変えるのもやぶさかではございませんの。 ――このわたくしが派遣されたことを、皇帝に後悔させて差し上げますわ。うふふふ……」


 突如不敵な笑みを浮かべ始めたリタ。

 そのあまりの迫力に気圧されそうになりながら、フレデリクは言葉を続けた。


「そ、そうか、リタ。 ――いいかい? しつこいようだけれど、とにかく無事に帰ってくるんだ、いいね? もう僕には君のいない未来なんて考えられない!! だから、だから――」


「あぁ、フレデリク様!! そのようなお言葉を聞いてしまうと、このリタは――」


「リタ!!」


「フレデリク様!!」


 若さ故なのだろうか。

 突如燃え上がった二人は、そのまま勢いよく近づいて互いの手に触れてしまう。

 それは指先だけを触れ合うような可愛らしいものではあったが、たとえ婚約者同士と言えども、未だ結婚前の若い男女が互いの肌に触れ合うのはご法度だ。

 しかし場合によってはこのまま二度と会えなくなる事情を鑑みたこの場の者たちは、敢えて見ないふりをしてくれた。


 そんな二人が濡れた瞳で見つめ合っていると、今度は横から声をかけられてしまう。

 それはまるで怒鳴るような大きなものだった。



「かぁー!! 相変わらず飯事ままごとかよっ!! 見てらんねぇな、まったくよぉ!! おら、全員よそ見しててやるから、そのままブチューっといっとけ、ブチューっと!! ――なんなら別室を用意してやろうか!? 一通り終わるまで待っててやるぞ!!」


 この場に全く似つかわしくない、あまりと言えばあまりに下世話な言葉。

 今やリタは、振り返らずともその声の主がわかった。


 しかし彼女が敢えてその身を翻して声の主を睨みつけると、案の定そこにはラインハルトが立っていた。

 そして次の瞬間、その後ろに目が釘付けになってしまう。

 何故ならそこには、あのジル・・が立っていたからだ。



 その姿を見た途端、リタの右手にはパリパリと音を立てて稲妻が光り始めたのだった。

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