第256話 思わぬ出来事

「リタ様……リタ様……お休みのところを失礼いたします。早朝に大変恐縮なのですが、王城より呼び出しが来ております。すぐに起きてくださいませ」


「うぅーん……もう食べられない……」


「リタ様」


「でも……ケーキは別腹なのよねぇ……おかわり」


「リタ様……」


「うぬぅ……なぁに? おかわりを持ってきてくれたの……? 気が利くじゃない……さすがはフィリーネね……」


「……リタ様。残念ながらケーキではありませんよ。 ――国王陛下より直々の呼び出しがかかったのです。起きてくださいませ」


「うのぉー……あ゛? あぁ、フィリーネ……おはよう。 ……なぁに? 呼び出しですって? こんな朝早くに? ……いま何時?」



 ここはハサール王国の首都アルガニルにある、レンテリア伯爵家の首都屋敷。

 国内有数の財閥貴族家として有名な名門伯爵家の一室に、そんな眠そうな声が響いた。


 呼び出しがかかるにしては早すぎる早朝6時。

 一体何事かと思いながらも専属メイドのフィリーネがリタを起こしに来たのだが、何やら嫌な予感を隠せなかった。

 そもそもこんな朝早くから登城せよなどと、どう考えても真っ当な理由であるとは思えない。そのせいで、リタを揺り動かす手も鈍ってしまう。

 それでも彼女は己の仕事を全うしようとした。


「はい、今は6時を回ったところです。しかし身支度が済み次第速やかに登城せよとのご命令ですので、大変申し訳ございませんが、朝食は馬車の中でお願いいたします」


「うぬぅ……わかった、起きるわ。だけど、こんな朝早くに一体何かしら。 ――なんだか嫌な予感しかしないわね」


「はい。確かに。私もそう思います」


「ふぅ……それじゃあ急いで着替えるから、手伝ってちょうだい」


「かしこまりました。それでは失礼いたします――」




 スルスルと衣擦れの音を響かせながら、シルクのネグリジェを脱いでいくリタ。

 そんな主人の姿に、毎朝のこととは言えフィリーネは見惚れてしまう。


 小柄な母親に似て身長こそかなり低いが、その他の部分は両親から良いところばかりを受け継いでいる。

 顔が小さく、まさに八頭身かと見紛うような姿はまるで天使か妖精のようにしか見えず、美しくも愛らしい面差しはよく出来た人形のように整っていた。


 さらに母親譲りの豊かな胸は存在感抜群で、ともすれば幼くも見える容姿とのアンバランスさは、初対面のほぼ全員が顔と胸に交互に視線を泳がせてしまうほどだ。

 さらに礼儀作法から言葉遣い、そして様々なマナーに至るまで、全く付け入る隙が見当たらないほど貴族令嬢として完璧だった。



 まさにそんな巨乳縦ロール超絶美少女完璧貴族令嬢然としたリタなのだが、その素顔は意外と残念だったりする。

 誰もいない自室ではいつも半裸でウロウロしているし、いくら注意をしても、ベッドの上に寝っ転がってお菓子をもりもり食べる癖をやめようとしない。


 さらに余所よそ行きの口調は上品かつ優雅であるくせに、そのじつ屋敷内では案外ぞんざいだったりする。

 飾らない様子で使用人には話しかけるし、小腹が空いたと言っては厨房でつまみ食いをする。さらに外出時には、こっそりと屋台の料理に舌鼓を打つこともある。


 そんな見た目と実際に多大なギャップのある主人ではあるが、フィリーネは心の底から慕っていた。

 10歳以上も年下の少女であるはずなのに、まるで達観した大人のように頼りになるリタを敬愛していたのだ。



 自慢の胸をドレスの中に押し込みながら、慣れた手付きで飾り立てていくフィリーネ。

 するとリタは、されるがままになりながらもポツリとこぼした。


「ねぇ、フィリーネ。クラリスも退職しちゃったし、ブリジットも近々結婚するらしいわね……約束したとおり、私がここを出ていくまでには良い人を探してあげるから。だから気を落とさないで」

 

「リタ様……ありがとうございます。 ――しかし、そのお気持ちだけで結構でございます。そんなことであなた様のお手を煩わせるなんて、あまりに心苦しいですから」


「いいのよ、フィリーネ。いずれ――そうね、恐らくあと2年以内に私は嫁いでいくわ。だからそれまでに、必ず素敵な殿方を紹介してあげる。それがあなたにしてあげられる最後のことだと思うのよ」


 その言葉を聞いた途端、フィリーネの手が止まってしまう。

 彼女とて長年リタのメイドを務めてきたのだから、その事実は百も承知だった。しかし敢えてそれから目を逸してきたのだ。


 

 リタの嫁ぎ先は、言わずと知れたムルシア侯爵家だ。

 その家は武家貴族家筆頭であるうえに、西部辺境候でもある。そのうえ国内最古の貴族家でもあった。

 そんな家であるからには、幾らリタが望んだとしても平民――しかも農村出身の卑しい自分はついていくことは許されない。

 侯爵家婦人の専属メイドであるならば、最低でも伯爵家以上の出身者しか許されず、どう足掻いても自分は認められるわけがなかった。


 リタがいなくなった後、いったい自分はどうなってしまうのだろうか。

 恐らく一般メイドに逆戻りして、ここレンテリア家で屋敷の雑務をこなしながら歳を重ねていくのだろう。

 モサリナ村の実家は弟が継いでいるのだし、すでに妻も子もいる彼の家には自分の居場所はない。

 だから歳をとったり身体を壊したりしても、今や自分には帰る場所はないのだ。

 


 そんな思いに囚われたフィリーネは、思わず涙を流してしまう。

 そして小さくリタに告げた。


「ありがとうございます。このような不出来なメイドであるにもかかわらず、優しいお心遣いをいただきまして感謝の言葉もございません。 ――あなた様のような素敵な方にお仕えできて、私は本当に幸せです」


「フィリーネ……」


「さぁ、できました。 ――いつにも増して美しく、完璧に仕上がりましたよ。どのような呼び出しなのかは存じませんが、これなら何処へ行っても注目の的間違いなしです」


 瞳の端に涙を溜めながら、それでも無理に明るく振る舞うフィリーネ。

 恐らくその言葉に深い意味はなかったのだろう。しかしそれは何かを予感させるものでもあった。





 登城したリタが会議室に入ると、すでの大勢の者たちが集まっていた。

 それは国の大臣や事務方の役人、そして主だった重鎮たちなど錚々そうそうたる顔ぶれだったが、彼らは皆最後に入って来たリタに好奇な視線を向けてくる。


 例のアンペール侯爵家取り潰し事件のあと、リタの名は王国中に広まっていた。

 もちろんそれは彼女の美しさなどではなく、女だてらに武家貴族家の嫡男相手に大立ち回りを演じたことと、智謀を弄しての家を陥れた事実に対してだ。


 今ではそんな「武勇伝」とも言える伝説を残すリタではあるが、普段は魔術師協会内で地味な仕事に従事しているために、実際にその姿を見る者は少ない。

 そのため噂同様豪快な容姿を想像していた者たちも多く、そんな彼らはあまりのギャップに驚きを隠せずにいた。


 想像に反して小柄で華奢(しかし巨乳)なリタの容姿を信じられないとばかりにまじまじと凝視する者、値踏みするような視線を投げる者、美貌に魅入られてしまう者まで反応は様々だったが、概ね彼らはリタを歓迎しているように見えた。


 


 そんな視線を敢えて無視したリタは、澄まし顔でゆっくり歩いて手近に空いている席に座る。

 するとそこは顔見知りの隣だった。


「や、やぁ、リタ嬢。暫くぶりだけれど、元気だったかい?」


 軽い緊張とともに、隣の席から声をかけてきた若い男。

 それは――ヘラルドだった。

 

 彼はレンテリア伯爵家の隣の領地――ベラスケス伯爵家の長男で、年齢は17歳。

 背が高くがっしりとした体格と年の割に落ち着いた雰囲気のヘラルドは、年齢が近いリタとは幼馴染のような関係だ。

 しかし普段は領地の屋敷に住んでいるヘラルドと首都の屋敷に住んでいるリタとではそれほど頻繁に会う機会はなかったし、本家の長男と分家の長女である二人には接点自体もそれほどなかった。

 それでも互いの祖父同士の仲が良いこともあり、年に一度程度は顔を合わせていたので、幼少時からの付き合いは続いていた。


 何故か顔を真っ赤に染めたまま、おずおずと話しかけてくるヘラルドに対し、リタは巧妙な作り笑顔で返事を返す。

 

「あら、ごきげんよう、ヘラルド様。お久しぶりでございますわね。おかげさまで元気に過ごさせていただいておりますわ。 ――そういうヘラルド様はお変わりなくって?」


 吸い込まれるような笑みとともに、可愛らしく小首を傾げるリタ。

 その仕草を見た途端、普段の落ち着き払った態度は何処へやら、ヘラルドは何度も言葉を噛んでしまう。


「あ、あぁ。ぼ、僕も元気だよ。 ――リ、リタ嬢も元気そうで、な、なによりだ」

 

 顔を真っ赤に染めたまま、チラチラとリタの顔と胸に視線を泳がせるヘラルド。 

 しかしリタは、そんな様子になどまるで気づかないふりをしながら上辺だけの会話に終止する。

 そんな状態を暫く続けていると、突如部屋の中に呼び出しが響き渡ったのだった。





「このような早朝にもかかわらず、不躾な呼び出しに応じていただいたことにまずは感謝の意を表したい。 ――などと、本来であれば長々と謝辞を申し上げるところではあるが、事は緊急ゆえ、早速本題に入らせていただく。よろしいか?」


 静まり返った部屋の中に、宰相モデスト・エッカールの声が朗々と響き渡る。

 しかし普段の会議などとは違い、このまま彼は前口上抜きで話を始めるつもりらしく、ちらりと部屋全体に視線を投げるとそのまま話し続けた。

 その様子にただならぬ気配を感じた者たちは、固唾を呑んで聞き入ってしまう。

 中には無意識に前のめりになる者までいた。


「つい先程、国境を越えたアストゥリア帝国軍が、ファルハーレン公国に侵攻したとの知らせが入った。今日皆に集まっていただいたのは他でもない、その対応を協議するためだ」


「なに!? アストゥリアが!?」


「そんな馬鹿な!!」


「しかしの国とファルハーレンには条約が――」


 あまりに唐突すぎる宰相の言葉に、皆それぞれが勝手に話し始める。

 中には場をわきまえずに大声で話し始める者まで出る始末だったが、すぐにエッカールが一喝した。


「お静かに!! ――このような突然の知らせに、皆それぞれに言いたいこと、思うところもおありだろう。しかし、まずは最後まで話をお聞きいただきたい!!」


「……」


「ご存知のようにアストゥリアとファルハーレンは、我が国を経由して親戚のような関係を築いている。それだけに留まらず、両国には不可侵の条約まで交わされているのだ。 ――にもかかわらず、アストゥリアはファルハーレンに侵攻した。これは紛れもない事実である」


「し、しかし、ファルハーレンにはアビゲイル様――我が国の第一王女が嫁いでいるですぞ!! 言ってみれば、アストゥリア皇帝の姪にあたる御方でもあるのです。それなのに何故そのような真似を?」


 恐らく黙っていられなかったのだろう。まるで反論するかのように言葉をぶつける者がいた。

 普通であればそれは不敬に当たるのだろうが、当の宰相はまるで構いもせずに言葉を続けた。



「確かにそのとおりだ。我が国の王妃――マルゴット様は前アストゥリア皇帝の娘であり、現皇帝の妹にあたる御方だ。つまり、エレメイ・ヴァルラム・アストゥリア皇帝にしてみれば、ファルハーレン公国は己の姪が嫁ぐ国でもある。それなのに何故そのような真似をしたのかと申せば――」


「えぇい!! 最早もはや理由などどうでもよい!! そもそもここは、それを詮索する場ではあるまい!? 違うのか!?」


 突如差し挟まれる、威厳に満ちた低い声。

 一般に宰相と言えば国政に関する最高責任者であり、言わば国王の次に権威を持つ者だ。

 つまり、その言葉を途中で遮るなどそれこそ不敬の極みに他ならない。

 しかしそれをまるで無遠慮に遮る者がいたのだ。

 

 そんなことができる人物といえば――思わず部屋中の者たちが視線を向けると、そこにはハサール国王――ベルトラン・ハサールがいた。

 その言葉と同様に盛大に不機嫌な顔をしたベルトランは、まるで掴みかかる勢いで宰相ににじり寄る。

 そして怒鳴った。



「アストゥリアがファルハーレンに侵攻したのは紛れもない事実であろう!! そしてそこに我が娘、そして我が孫がいるのもまた事実!! 父親として、祖父として、そして同盟国として、この窮状をなんとかせねばならぬのだ!! ――こうしている間にも着々とアストゥリア軍は西進しておる!! 故に急いで対策を講じなければならぬのだ!!」


「はい、それは私も重々承知しております。であるからこそ、こうして――」


「それがまどろっこしいと申しておるのだ!! いいか? 私の口から単刀直入に言わせてもらう!! 異論はあるか!?」


「いいえ、ございません。 ――それでは陛下、お願いいたします」


 幼少時からのベルトランの幼馴染であり、個人的にも親しい宰相エッカールは、国王の焦りと苦しみが痛いほどわかる。

 そのため彼は、一切の意見を挟むことなく全てをベルトランに任せることにしたのだが、それは彼だからこそできることだった。


 そんなエッカールの想いを知ってか知らずか、まるで無遠慮にベルトランは大声を上げた。



「よいか皆の者、よく聞くのだ!! 状況は今申したとおりである!! それゆえ我が国はファルハーレンに援軍を送ることとする!! 軍は西部ムルシア侯爵軍を中心に、東部ラングロワ侯爵軍からも選りすぐることとし、指揮はそれぞれの選出に任せる!!」


「はっ!!」


「そしてこれが一番大切なのだが……軍の編成には時間がかかるゆえ、先だって先遣隊を送り込むこととしたい!! それにはリタ・レンテリア!! お主が同行せよ!!」


 その言葉とともに、部屋中の視線が一気にリタに集中した。

 右を向いても、左を向いても、もちろん正面を向いても、自分を見つめる人、人、人。

 そんな状況の中で、思わずリタは目を剥いてしまう。

 そしてやっと理解が及んだリタは、思わず叫んだ。


「えぇ!? わたしぃー!!??」


 甲高くも愛らしい、そして素っ頓狂な叫び声が、緊張満ちる部屋の中に響き渡った。

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