第215話 干された伯爵と呼び出しの書状
「なんだと!? ブルゴーが宣戦布告してきただと!? それは間違いないのだな!?」
「恐れながら申し上げます。これは
「くそぉ、イサンドロめ……まったく余計なことを……!!」
カルデイア大公国大公の居城――ライゼンハイマー城の一室に、突如大声が響き渡った。
低くくぐもった
もちろんそれは大公セブリアンのものだ。
現在彼は宰相ヒエロニムス・ヒューブナーから報告を受けたところで、手に持った書状を震えるほど強く握りしめながら音を立てて椅子から立ち上がった。
「内容的には先日の非難声明とそう違いはありません。言うなれば最後通告のようなものでしょうか。陛下の身柄を期日までに引き渡さなければ、国境を越えて進軍するとのことです。その他の要求など、詳しくは書状に書かれておりますので、ぜひご一読を」
「おのれ……即位の儀も終わり、やっとこれから国を立て直そうというこのときに……まったくどんな嫌がらせだ!?」
ガリガリと頭を掻きむしりながらセブリアンが吠える。
未だ即位の儀を終えたばかりの新米大公でしかない彼だが、その姿はすでにこの国の行末を案じる立派な国家元首に見えた。
その様子に満足そうな笑みを浮かべたヒューブナーは、すぐに真顔に戻ると続きを話し始めた。
「嫌がらせですか……まぁ、確かにそうかもしれませんね。ブルゴーは我が国の財政状況を知った上で揺さぶりをかけてきているのですから」
「財政状況?」
「はい、そうです、財政です。 ――ご存知のように、軍を動かすには膨大な費用が必要です。武器の支給から始まって、兵站の準備や兵への手当などあらゆるところに金がかかる。これが侵略戦争であれば現地での調達や略奪で賄えるのでしょうが、防衛戦の場合にはそうもいきません」
「……」
「そもそも常備軍などというものは、平時ですらその維持のために巨額の費用がかかるものです。そのために財政難の我が国はこの10年で相当数を削減しました。成り立ちが軍事国家であるカルデイアとしては、現在のお粗末な軍備はご先祖様に顔向けができないほどです」
「あぁ、その辺は資料を読ませてもらった。今の軍備は最盛期の6割にも満たないというではないか。それでブルゴーに勝てるのか?」
「そうですね……削減したとは言え、もともと我が国の軍事規模は周辺国の中でも突出していましたから。減らしたのは国外への遠征軍に当たる部分ですので、国防だけで考えれば十分な数を揃えていると言えるでしょう。単純に数だけで比較すれば、決して負けはしないかと」
「……数だけなら?」
何処か含みのある言葉に、セブリアンは怪訝な顔を返す。
無言のまま続きを促すと、ヒューブナーの顔が歪んだ。
「はい。数だけであれば、です。全ての常備軍を直轄にしているわけではありませんので、直接国庫が負担する経費はそれほどではありません。しかしその他の武家領主たちは自軍の維持ですら難儀している状況ですので、それらを動かすのであれば当然のように国から補助金をつぎ込まなければならないでしょう」
「そうか……では今回それらを動かすことになるが――金が足りないと?」
「……
「……なんだそれは。ただのハリボテではないか。それに意味があるのか?」
10年前の「第八次ハサール・カルデイア戦役」で歴史的敗北を喫したカルデイア大公国は、戦後賠償金を未だに払い続けていた。
今のところは長期による分割払いを容認してくれているが、今後の情勢次第ではそれもどうなるかわからない。
仮にブルゴー王国との戦争が本決まりになってしまえば、取りっぱぐれがないようにと賠償金の一括返済を求めてくることも十分あり得る。
もしそうなれば最悪だ。
戦争真っ只中の国が金の返済などできるわけもないうえに、もしもカルデイアが負けてしまえばその回収すらできなくなってしまう。
その代わり、領土の割譲を要求するためにハサール王国は背後から参戦を表明してしてくるかもしれないのだ。
もっともブルゴー王国の要求がセブリアンの捕縛である以上、それに従えば戦争は回避できる。しかしその選択肢だけは有り得ない。
国家の名誉、プライド、体面などありとあらゆる事情を勘案しても、それだけは絶対に受け入れられないのだ。
そうなると、あとはもう話し合いか戦争かの二択になるのだが、諸々の事情を考慮しても前者は有り得ないので、結局は戦争を始めるしかなかった。
「
そこまで考えを巡らせたセブリアンは、無意識に腕を組む。
そしてふと思いついたように疑問を口にした。
「そういえば、前回の戦役で北東部のヴァルネファー領はハサールに割譲してしまっていたな。 ……その残党――ヴァルネファー伯爵家は今どうしているんだ?」
「あぁ、ダーヴィト・ヴァルネファー伯爵とその一派ですね。彼らは隣の領であるツァイラー伯爵家の世話になっているはずです」
「ツァイラー伯爵家?」
「はい。確か名前はジークムント・ツァイラーだったはず。彼は前回の戦役で将軍を務めたヴァルネファーの参謀役だったのですが、敗戦の責任を取らされた挙げ句に領地まで失ったヴァルネファー伯爵とその一派を引き取ったそうです。もっともその敗戦は自分にも責任があると、最後まで自分を責めていたようですが」
「ふんっ、傷の舐め合いか。くだらん。 ――で、その敗軍の将であるところのダーヴィトとやらは使い物になるのか? まぁ、能力がなかったから負けたのだろうが」
小さく鼻息を吐きながら言い捨てる。
その顔には何処か相手を蔑むような表情が浮かんでいた。
「いえ、お言葉ですが、彼の能力は決して劣ってはいるとは思いません。戦役で彼が負けたのは、妖精の女王を怒らせたからだと言われています。 ――なんでも森を荒らした兵たちに激怒した伝説の妖精女王が、軍に魔獣をけしかけてきたとか」
「妖精の女王? 魔獣? なんだそれは。敗戦の言い訳か?」
「失礼ながら、どうやらそれは真実のようです。なにぶん数百人もの兵たちが同時に目撃しておりますので、見間違いや勘違いの類ではないとのこと。中にはドラゴンに仲間を焼かれた者もいるそうです」
その言葉を聞いた途端、セブリアンは胡散臭そうな表情を浮かべながら勢いよく鼻息を吐いた。
「ドラゴン? ……まぁ今となってはその真偽はどうでもいい。確認するが、ここ最近で実戦を経験しているのは、そのヴァルネファーとツァイラーなんだな? それではすぐに呼んでこい。少し話を聞いてみたい」
「彼らを……? はい、承知いたしました。仰せのままに」
セブリアンの言葉に満足そうな笑みを浮かべながら、宰相ヒューブナーは
――――
カルデイア大公国の北西部、隣国ハサール王国との国境沿いには、かつてヴァルネファー伯爵領が存在していた。
しかし今その場所はハサール王国の直轄地となっており、西部辺境候ムルシア公爵が管理している。
10年前に勃発した「第八次ハサール・カルデイア戦役」において歴史的敗北を喫したカルデイアは、高額な戦後賠償金とともにその地の割譲を求められた。
奇しくもその地は数百年に渡って両国が争いを繰り広げた因縁の場所であったため、ハサールはその割譲に最後までこだわったのだ。
何故ならそこには、百メートルを超える川幅のザクセン川があるからだ。
様々な要因から防衛に適したその地は長年カルデイアも欲した場所だったため、これを好機としてハサールはその地の割譲を求めた。
さすがのカルデイアも、これには思い切り難色を示した。
しかし戦勝国であるハサールに抵抗などできるわけもなく、強引に押し切られる形で最終的に同意せざるを得なかったのだ。
そこで割りを食ったのが、ヴァルネファー伯爵家だった。
長年その地を治めてきた伯爵家は、もしも領地を割譲されてしまえば住む場所がなくなってしまうえに、領民たちもハサール王国に取り込まれてしまう。
もちろんそうなる前に住民たちが逃げ出すことも容認されていたのだが、あまりにもそれは領主として忍びなかった。
そのため最後までヴァルネファー家は反対したのだが、そもそもこの戦の敗軍の将であるヴァルネファーの言葉を聞く者など誰もおらず、そのうえ国家間での決め事に一伯爵家が反対できるわけもなく、結局そのまま領地を失ってしまったのだった。
そんな盟友の危機を救ったのが、隣の領の領主であるツァイラー伯爵だ。
突然領地を失ったヴァルネファー家に手を差し伸べると、自領内に彼らの住む場所を確保した。そして部下や使用人たちを引き取ったり再就職先を世話したりもしてくれたのだ。
それは昔から友好関係を築いてきた両家だからこその配慮だったのだが、実のところ事情はもっと複雑で難しかった。
何故なら、敗軍の将であるダーヴィト・ヴァルネファーの参謀として付いていたのが、誰あろうツァイラー家の次男――ジークムントだったからだ。
つまり
そんなわけで、以来10年にも渡る長い間ツァイラー家の領地の片隅でくすぶっていたダーヴィト・ヴァルネファー。
その彼のもとに、突如大公から書簡が届いたのだった。
「なぁ、ジークムント。これはどういう意味だと思う?」
「さぁな。新大公の即位の儀さえ呼ばれなかった俺たちなのに、どうして突然こんな文が届くかね」
「あぁ……さっぱりわからんな。何かの冗談ではあるまいな?」
ここはツァイラー伯爵領の片隅にあるヴァルネファー邸。
屋敷と呼ぶには些か小さいその家には、今ではダーヴィトとその妻エミーリアだけが住んでいた。
ここに移り住んだ10年前、当時ヴァルネファー伯爵家の当主であり領主でもあった父親も一緒だった。
しかし領地と領民を失った心労が祟ったせいで呆気なく一年後に他界、そしてその妻も後を追うようにして亡くなった。
次期当主にはダーヴィトの兄がなるはずだったのだが、領地も領民も持たない名ばかり伯爵に価値はないとして、妻の実家に婿入りする形でこの地を去ってしまう。
結局ここにはダーヴィトと妻と娘二人が住んでいたのだが、その後娘たちも他家へ嫁いでいったので、行き場のない彼らはそのままここに住んでいたのだった。
そんな彼の元に、ある日突然カルデイア大公から書状が送られて来る。
そして今日は、同時に同じ手紙が送られて来たとしてジークムントが訪ねて来ていたのだった。
あれから10年。
同い年の彼らは、今では46歳になっていた。
人生60年と言われるこの時代において、その年令はあと数年で老年と言われる年齢だ。
そんなシワの目立ち始めた顔を互いに眺めながら、ダーヴィトが口を開いた。
「それにしても、おかしな書状だよな。ただ登城せよと書かれているだけで、その理由には一切触れられていない。これはまた……」
「で、どうする? 行くのか?」
「当たり前だろ。これを見てみろ。これはどう見ても大公家の正式な封蝋だ。こんな物を送りつけられて、まさか無視するわけにもいくまいよ」
「まぁそうだな。どんな理由で呼び出されたのかは知らんが、まさか取って食われるわけでもないだろう。久しぶりの首都観光とでも洒落込んでみるか?」
「はははっ!! そうだな、それはいい。きっとエミーリアも喜ぶだろう。娘たちがいなくなって寂しがっていたところだ、たまには羽を伸ばさせてやらんとな。 ――お前はどうするんだ? もちろんテレジアも連れて行くんだろう?」
「あぁ、そうさせてもらう。俺たちが登城している間、女達には好きにしていてもらおう。ご婦人同士連れ立って、スイーツ店巡りなんかもいいかもしれんな」
「それはいいな。それを思えば、この呼び出しもそう悪いものではないかもな。はははっ」
ダーヴィト・ヴァルネファーとジークムント・ツァイラー。
幼少時から幼馴染の彼らは、妙に仰々しいサインと封蝋が目立つ割に決して良いとは言えない紙質の書状を手に、久しぶりの雑談を楽しむのだった。
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