第216話 命令と打算と恩賞

 ダーヴィト・ヴァルネファーとジークムント・ツァイラー。


 ともにカルデイア大公国の貴族である彼らは、新大公セブリアンの呼び出しに応じて首都ベラルカサにやってきた。

 彼らの住む領地から首都までは馬車で6日もかかるので、特に用事がない限りめったに来ることはない。

 事実、彼らが最後に首都を訪れてからすでに10年が経っていた。


 俗に言う「第八次ハサール・カルデイア戦役」での敗戦の責任を背負わされた彼らは、中央から完全に干されていた。

 毎年年初に行われる新年の儀にはここ10年呼ばれておらず、つい先日行われた新大公の即位の儀ですら招待されなかったのだ。


 そんな状態であったため、自分たちはとっくに終わった人間だと彼らは思い込んでいたところに、唐突に呼び出しがきた。

 しかしその文面には何ら詳しいことが書かれておらず、その意図はまるで不明だった。


 とは言え、二人が揃って呼ばれたということは、その内容は幾つか推測できる。

 事は10年前の戦役についてか、軍事に関することか、はたまた復権が許されるのか、もしくは何かのお咎めか。

 いずれにしてもあまり良い話ではなさそうだったので、彼らは多大な不安と少々の期待を抱えたまま登城したのだった。



 10年ぶりにやってきた首都は、すっかり変わり果てていた。

 ダーヴィトもジークムントも、そして妻たちやその他の同行者なども、皆記憶の中にある首都の景観との相違に驚きを隠せずにいる。

 そしてお上りさんよろしくキョロキョロと周りを見渡してしまう。


 その成り立ちが軍事国家のカルデイアは、国家思想の根底に「質素倹約・質実剛健」なるものがある。

 そのため過度の贅沢や豪奢な装飾などは忌避される傾向にあるのだが、それらを勘案しても目の前の光景は酷かった。

 荒れた石畳は放置され、外壁が欠けたままの建物も修繕されないままで、その有様はまるで廃墟のように見える。


 厳しい国家財政のために街の景観維持の優先順位は低く、余程のことがない限りそこに予算は下りてこない。

 それでも多くの人々が歩いているところを見ると決して廃墟ということではないのだろうが、最早もはやそれは見窄みすぼらしいとしか言えない景色だったのだ。

 

 さらに街全体に漂う何処かどんよりとした空気は、今現在のカルデイアの国情を如実に物語っており、歩く人々の顔も何処か暗く沈んでいるように見えた。



 ダーヴィトは妻エミーリアを、そしてジークムントは内縁の妻テレジアを伴って来ており、彼らが大公の居城――ライゼンハイマー城に登城する間、妻たちには首都で有名なカフェに行くように勧めた。

 すると彼女たちは、嬉々としてその提案に従った。

 その背中を眺めながら、ダーヴィトとジークムントは大公の居城の門をくぐったのだった。

 

 



「ダーヴィト・ヴァルネファーでございます。呼び出しに従いまして登城いたしました」


「ジークムント・ツァイラーでございます。この度の大公へのご就任、まことに――」


 深々と頭を下げながらひざまずく二人を前に、鷹揚に頷くセブリアン。

 大公に就任してから未だ二か月しか経っていないが、今やその姿は一国の大公たるオーラに満ちていた。

 生まれた時から第一王子として育てられてきた彼は、人の上に立ち、命令することに慣れている。だからこの二人にひざまずかれても、当然のような顔をしていた。


 それでも、過度に緊張する二人に対して何か思うところがあるらしく、セブリアンは些か肩の力を抜いた様子で話しかけた。


おもてをあげよ。 ――そう緊張するな。なにも取って食おうという話ではないのだ」


「はっ。失礼いたします」


 その言葉から一拍おいて、ダーヴィトとジークムントが頭を上げる。

 するとその視界に、新大公セブリアンの姿が入ってきた。



 170センチないであろう小柄な体格と、少々だらしない小太りの体型のせいで実際の年齢よりも老けて見えるセブリアンだが、決して整っているとは言い難い顔のために何処か年齢不詳に見える。

 しかし身に纏う支配者としての佇まいは本物であり、そこには決して逆らえない迫力が感じられた。

 即位の儀に呼ばれなかったダーヴィトたちは、初めて見る主君の姿に思わず感慨を覚えてしまう。


 話によれば、セブリアンは前大公オイゲンの唯一の血族であると同時に、実妹ローザリンデとの間に生まれた不義の子であるらしい。

 つまり、血の濃さだけで言えば彼に勝る者はおらず、まさにカルデイアの大公になるために生まれてきたような人物と言えた。

 


 そんな己の主君を感慨深く眺めていたダーヴィトとジークムントではあるが、その時ふと、ある人物に気がついた。

 大公の背後に控える、30代中頃と思しき妙齢の女性。

 特に背が高いわけでも女性的な魅力に溢れているわけでもない彼女からは、地味で控えめでありながらも隠し切れない存在感を感じてしまう。

 すっかり落ちぶれたとは言え、生粋の武人であるダーヴィトは、その女が醸し出す空気を敏感に感じ取っていた。


 噂によれば、大公は専属護衛と情婦を兼ねた女性を傍に置いているらしい。

 恐らくアレがそうなのだろうが、それにしてもなんという隙の無さだろう。

 あれではまるで暗殺者アサシンのようではないか……


 思わずそう思ってしまうダーヴィトだが、敢えて素知らぬフリを続ける。

 するとその視線に気づいたらしく、隣で控えていた宰相ヒューブナーが口を開いた。



「あぁ、彼女は大公陛下の専属護衛のジルダ殿です。近々側妃になられるお方ですので、どうかこの機会にお見知りおきを」


「ジルダでございます。只今ご紹介にあずかりましたとおりでございますので、お二人にはお見知りおきいただきますよう、よろしくお願いいたします」


 大公の専属護衛と紹介されたジルダ。

 その言葉を証明するように周囲に睨みをきかせる鋭い瞳とまるで隙のない佇まいからは、間違いなくベテランの護衛であることが伺える。

 しかし身に纏うドレスは高価かつ豪奢であり、履いている靴も装飾性の高いヒールの高いものであるために、およそ動きやすいとは思えなかった。

 それでも妙齢の女性にしては珍しいほど短く整えられた髪には、彼女の護衛としての拘りが見て取れた。


 38歳のセブリアンと35歳のジルダは、その年齢の近さと、傍から見ても仲睦まじい様子のためにまるで本当の夫婦のように見える。

 その様子だけを見る限りでは、彼女が護衛であるとはとても思えなかった。



 そんなジルダが会釈をすると、滲み出る迫力にダーヴィトもジークムントも思わず唾を飲み込んでしまう。

 すると二人にセブリアンが声をかけた。


「二人とも、遠路遥々はるばるご苦労だった。首都に来るのは久方ぶりだったのではないか?」


「恥ずかしながら、約10年ぶりでございます。 ――あの戦役以来かと」


「そうか」


 ダーヴィトの言葉に短く答えるセブリアン。

 直接関与していなかったとは言え、ハサール王国の将軍を誤って殺してしまったセブリアンは、その戦役にも一枚噛んでいたとも言える。

 もしもあの時バルタサール卿が死んでいなければ、また違った未来になっていたかもしれない。

 それを思うと何やら感慨深くなってしまうセブリアンだが、そんな思いなど露にも見せずに話を続けた。


「皆にも言っているが、俺は回りくどいのは嫌いだ。だから単刀直入に説明させてもらう」


「はっ」



 新大公は飾り気のない人物だと、以前からダーヴィトは聞いていた。

 社交辞令は言うに及ばず、余計な口上なども一切排除した些か事務的な対応に終始する人物だと言われていたのだ。

 前大公オイゲンが、威厳と重厚さを演出するために過度に仰々しい態度を崩さなかったことを思えば、それは些か拍子抜けするようなほどの簡素さだった。


 そんな二人の胸の内を知ってか知らずか、まるで世間話でもするような気軽さでセブリアンは言葉を告げた。


「実はブルゴー王国に宣戦布告されてしまってな。そこで二人に力を借りようと思った次第だ」


「宣戦布告……ですか?」


「ブルゴーが……?」


「そうだ。しかしこの件はお前たちも含めて数名しか知らぬこと。わかっているだろうが、一切他言は無用だ」


「は、はい。承知いたしました……」



 未だ呼ばれた理由すら告げられていないにもかかわらず、いきなり国家の機密を告げられてしまう二人。

 彼らの顔には驚きと同時に怪訝な表情も浮かんでいる。

 その様子に一切気を遣うことなく、セブリアンはそのまま続きを話し始めた。


「今この場で真偽を論じるつもりはないが、お前たちも知っての通り、俺はハサールとブルゴーから犯罪人として訴追されている。そんな人間が国家元首になったことが相当気に入らないらしく、あろうことか我が国に進軍するとまで告げてきたのだ」


「……」


「そこでお前たちを呼び出したわけだが……そろそろ察しがついたか?」


 その問いに、思わず眉をひそめてしまうダーヴィトとジークムント。

 彼らの顔を見る限り、まるで見当がついていないのは明白だ。

 するとセブリアンは、「ふふん」とばかりに小さく鼻で笑った。

 



「お前たちに軍を率いてもらいたいのだ。国境を越えてくるブルゴーを迎え撃つ。その指揮を執ってもらいたい」


「えっ……!?」


「はい……!?」


 その言葉に、二人ともが己の耳を疑ってしまう。

 10年前の敗戦の責任を負わされて以来、彼らは国から干されていた。

 遠征軍の将軍を務めたダーヴィトは、戦後の賠償交渉において所領をハサール王国に割譲させられてしまい、今では領地も領民も持たない「名ばかり伯爵」になっている。


 その後も中央の会合や年始の大公挨拶にも声をかけられず、新大公の即位の儀では招待状すら来なかった。

 そんな状態が10年も続いていたものだから、彼らは色々と諦めていたのだ。


 伯爵家の次男であるジークムンドは、正妻をもらえずに20年来の愛人であるテレジアと一緒に暮らしているし、二人の娘を嫁に送り出したダーヴィトは、このままヴァルネファー家の名とともに滅びる覚悟だった。


 そんな折、突如中央から呼び出しがかかったかと思えば、唐突に軍の指揮を執れと言われてしまったのだ。

 あまりと言えばあまりに突然の出来事に二人が固まっていると、その続きを宰相ヒューブナーが引き継いだ。




「知っての通り、この国が最後に戦を起こしたのはもう10年も前の話です。それについてお二人に語るのは笑止と言えるでしょうが、それは紛れもない事実。つまり、我が国は軍事国家として名を馳せているにもかかわらず、この10年実戦を経験していないのです」


「……」


「同じことは各軍を率いる指揮官にも言えます。何より最後に軍を率いたのは貴殿たちが最後。 ――その前は24年も前になるのですから、現役で残っている者は一人もおりません」


「つまり……我々が最後の実戦経験者だと?」


「そういうことですね。事態は切迫しています。いまさら一から指揮官を鍛え直している時間はないのです。そのような事情ですので、唯一の実戦経験者として貴殿らには即戦力となることを期待します。 ――もちろんこの依頼――いえ、今や命令ですが――に否とは答えませんよね? ここまで聞いておきながら、断る道はありませんよ?」


 も当然と言わんばかりにヒューブナーが頷く。

 口ではそう言いながら、ダーヴィトたちが断るとは露ほども思っていない彼は、口元に緩く笑みさえ浮かべている。

 そして続けて口を開いた。



「そうそう。貴殿らがこのめいを果たした暁には、それぞれに恩賞を授けましょう。 ――そうですねぇ……ヴァルネファー殿には領地などいかがです? もちろん以前同様の広さは望むべくもありませんが、それでもそれなりのものをご用意いたします。 ――お家の再興を図るもよし、お嬢様夫婦に継がせるもよし、お好きになさるがよろしいかと」


「えっ!?」


「そしてツァイラー家の次男坊であらせられる、ジークムンド殿もいかがです? そのお歳で実家の部屋住みは、さぞ肩身が狭いでしょう? ヴァルネファー殿と同様に領地を下賜いたしますので、この機会に独立されてみては? 聞けば内縁関係の女性がいらっしゃるとか。もしも独立できるのであれば、その女性とも正式なご夫婦になれますよ」


「なっ!?」


 その提案に思わず絶句してしまうダーヴィトとジークムント。

 二人はそのまま互いの顔を見つめてしまう。

 しかし直後に浮かんだその表情を見る限り、その申し出はあまりに魅力的だったらしい。



 ダーヴィトには二人の娘がいる。

 長女は他家の長男に嫁いだので問題ないのだが、次女は田舎貴族の三男に嫁いだので、現在も孫たちと一緒に相手の実家に間借りする肩身の狭い思いをしているという。


 そこで新たな領地を与えられるのであれば、それを彼らに継がせることができる。

 もちろん家の名を残すために婿には名を変えてもらわなければならないが、それでも自分の領地が手に入るのであれば彼も喜んで同意してくれるはずだ。


 なにより、再び娘と同居できることが素晴らしかった。

 次女が嫁いでから、ずっと寂しそうにしている妻。

 娘を呼び戻したうえに孫たちも同居できるとなれば、これほど幸せなことはないだろう。



 それから、次男が故にずっと実家の部屋住みを続けているジークムント。

 そのせいで愛する女性と正式な夫婦になることができず、未だに内縁関係のままだった。

 しかし領地を手に入れて独立できれば、晴れて正式な夫婦になれる。

 年齢的に子を望むのは難しいかもしれないが、それでも38歳の彼女であればまだチャンスはあるかもしれない。



 脳裏に様々な打算と夢を溢れさせた二人は、瞬時にその返事を決めた。

 そして口を開く。

 

「承知いたしました。 ――お任せ下さい、必ずや期待に応える働きをお見せいたしましょう!!」


「ヴァルネファー将軍の参謀として、私も精一杯の汗を流しましょう。そして必ずや祖国に勝利を!!」



 これまで10年もの長きに渡って干されていた二人ではあるが、今やその顔には往年の自信が漲っていた。

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