第210話 義父の訪問
唯一の現役の勇者として、その名を世界に轟かせるケビン・コンテスティ。
現在ブルゴー王国の王城内で仕事に就く彼は、今では「国王直轄近衛隊指南役」などという、なんだかよくわからない役職を与えられていた。
その役職名から推察できるように、彼は国王の周辺警護を任されている。
しかし実際には殆ど仕事がない毎日だ。
何故なら、ケビンの仕事は直接国王を警護することではなく、国王専属の警護部隊――近衛隊の騎士たちに剣術を指南することだからだ。
しかし常人の域を遥かに超えた戦闘能力のために、彼の教えについてこられる者は誰一人としていなかった。
さらに言えば、ケビン独自の戦闘理論が難解すぎるのと、剣術というよりも
結局ケビンは一人も生徒がいない剣術指南役という、言わば閑職に追いやられた形になってしまい、毎日朝9時に出勤して夕方5時過ぎに帰る毎日だった。
12年前の魔王討伐作戦において魔族の王――魔王を打ち滅ぼし、以来「
「ちちうえー、お帰りなしゃいー」
「お帰りなさいませ」
「あぁ、ただいま。みんな変わりないか?」
「はい。母上は今リオネルに乳を飲ませていますので、出迎えには来られません。ヘルミーナとカタリーナはクリステルと一緒です」
「アルフォンス兄しゃまとコンスタンは、ねんねしてるの」
「そうか。 ――皆平和そうで何よりだ」
夕方の5時過ぎにケビンが屋敷に帰ると、長男のクリスティアンと三女のロクサンヌが出迎えてくれた。
どうやら彼らは父親の帰りを待っていたらしく、玄関に姿を現すと同時に駆け寄ってくる。そしてすかさず現状の報告を行った。
それはコンテスティ家の日課だった。
父親が仕事から帰ると、長男クリスティアンを先頭に子供たちが迎えに出てすかさず家族の状況を伝える。
過去に家族を人質に取られた経験のあるケビンは、仕事から帰って来ると必ず家族全員の安否を確認しなければ気が済まなかった。
だから、子どもたちにその日課を課していたのだ。
今日の出迎えはロクサンヌの番だったらしく、彼女は大好きな父親に向かって満面の笑みで駆け寄ると、そのままの勢いで抱きついた。
「ちちうえー!! 抱っこちてー!!」
「よぉし、ロクサンヌ!! ――うーん、相変わらずほっぺがスベスベだなぁ」
「いひゃひゃひゃー!! おひげがくしゅぐったいでしゅ!! うひゃー!!」
腕の中で、思い切り身悶えるロクサンヌ。
そんな可愛い盛りの3歳三女を愛おしそう抱きしめていると、その横からクリスティアンが声をかけてくる。
「父上、今日はお爺様とエルシュ様がお見えになっています。客間でお待ちになっていらっしゃいますので、どうぞこちらへ」
兄の言葉を聞いたロクサンヌは、ハッと思い出したように小さな可愛らしい口を開いた。
「そうそう、じぃじが来てるの。あとね、エルシュしゃまも」
「先王殿下と……エルシュ様が? ――あぁ、わかった。とりあえず中に入ろう」
思わず胡乱な顔を見せたケビンだったが、颯爽と歩き始めた長男の後をついて屋敷の中に入っていったのだった。
ケビンとエルミニアの間に生まれた長男――クリスティアンは、今年10歳になった。
平均的な10才児に比べるとやや小柄な彼は、背の高さも含めて決して体格に恵まれているとは言い難い。
それでも父と同じ黒髪と浅黒い肌、そして母から受け継いだ整った顔立ちはなかなかに精悍で、将来はかなりのイケメンになるだろうと言われていた。
しかし彼の真髄はそこではなかった。
確かに見た目は細く頼りなく見えるが、持って生まれた剣術の才能は、現役の勇者である父をしてかなりのものだと言わしめたほどだ。
もちろんそこには多分に親の贔屓目もあるのだろう。
しかしその剣術は「
事実、大の大人である近衛騎士たちでさえケビンの稽古にはついていけないのだから、毎日それを事も無げに続けているクリスティアンの腕前は決して大げさではなかったのだ。
クリスティアンが生まれたのは、父が21歳、母が18歳の時だ。
若い二人の間には当然のようにすぐに子供が生まれたのだが、その子が生後1か月の時にその事件は起こった。
それは今から10年前、当時第一王子だったセブリアンの起こした暗殺事件と、その出自についての暴露を終えて帰ってきた時だった。
主人の妻と息子を攫われて右往左往する屋敷の者たち。
その姿を見つけたケビンは、犯人への怒りとともに彼らの対応の遅さに冷静さを失いそうになったのだが、鉄のような自制心でそれに耐えた。
妻と子の命を引き換えに、犯人はケビンを呼び出した。
しかしケビンは瞬く間に彼らを皆殺しにした挙げ句に、事件を解決に導く証拠を手に入れたのだった。
その事件以来、屋敷に帰ってきたケビンは家族全員の安否を確認しなければ気が済まなくなったのだ。
心配性と言うには少々神経質すぎるきらいのある彼の日課は、すでに10年以上続いていたのだった。
応接室に入っていくと、そこにはエルミニアの父親――先代国王のアレハンドロとその友人のエルシュ・アーデルスが
如何に他人の屋敷といえど、それが実の娘夫婦のところであればやはり肩の力が抜けるらしく、まるで自分の家にいるかのようにリラックスしている。
眠る1歳三男のコンスタンを抱えてエルシュは幸せそうな顔をしているし、アレハンドロはその二人の姿を微笑みながら眺めていた。
そんな二人の姿を見つけたケビンは、挨拶とともに話しかける。
「先王殿下にアーデルス婦人、ようこそいらっしゃいました。このような時間にいらっしゃるのは珍しいですが、なにかお急ぎのご用事でも?」
「おぉ、婿殿よ。お勤めご苦労であった。 ――いや、こんな時間にすまぬな。少し急ぎの話があったゆえ寄らせてもらったのだ。それに、久しぶりに孫の顔も見たくなったしのぉ」
久しぶり……って、あなたたち二日前にも来たばかりでしょう――
思わずそう思ってしまうケビンだったが、敢えて口には出さなかった。
それから何事もなかったかのように、ツラっとした顔で話を続ける。
「せっかくですから、夕食をご一緒されませんか? 急ぎのお話とやらもその席でされては如何でしょう?」
「いや、すまぬがこれは子どもたちの前で話すことではないのだ。できればこのまま話をしたいと思うのだが……」
そう言うとアレハンドロは、ケビンと一緒に入室してきたクリスティアンとロクサンヌに視線を向ける。
するとその空気を敏感に察したクリスティアンが口を開いた。
「わかりました、僕たちは母上のところに行っていますね。 ――ロクサンヌ、これから父上たちは難しいお話をするんだ。僕たちは行こう」
「はぁい、兄しゃま」
妹の手を引いてそのまま部屋から出ていこうとするクリスティアン。
その背中にケビンが声をかけた。
「クリスティアン、少し待て。 ――殿下、この子はもう10歳です。そろそろ大人の話に混ぜてもよろしいかと思うのですが、如何でしょうか?」
「そうだな……これはこの子にも無関係ではないか。よかろう。クリスティアンも一緒に話を聞くといい。しかしロクサンヌは――」
何気に気の毒そうな顔をすると、アレハンドロは3歳女児のロクサンヌを見つめた。
すると彼女は、何やら仲間はずれにされたような悲しい顔をしながら、母親譲りの真っ青な瞳に涙を浮かべ始める。
その姿を見たアレハンドロは、慌てて声をかけた。
「おぉおぉ、ロクサンヌや。そのような顔をせずに、こっちへおいで。どれどれ」
「じぃじ……わたちもお話聞きたいの。兄しゃまだけずるいの」
「すまんのぉ。これは難しい大人のお話だから、ロクサンヌが聞いても面白くないと思うぞ? いい子だから母上のところに行っててくれんか?」
「うむぅ……」
これまで数十年に渡って国を率いてきた英傑が、たかが3歳女児のご機嫌を取るのに難儀していると、その横からエルシュが声をかけてくる。
どうやら彼女は見かねたらしく、アレハンドロにとってそれは救いの女神の声に聞こえた。
「ロクサンヌ。それでは
「……うん。母上のところにリオネルとクリステルを見に行く。 ――エルシュしゃまも一緒に行ってくれるの?」
「はい、一緒に行きますね。二人で双子の赤ちゃんを見に来ましょう」
「あい」
そう言うとエルシュとロクサンヌは、仲良く手を繋いで部屋から出ていったのだった。
すでに6人もの子宝に恵まれているケビンとエルミニアではあったが、今から二週間前に彼女は第七子と第八子を出産した。
これまでは1歳の三男――コンスタンが未子だった。
しかし今回、その下に一気に二人も増えたのだ。
腹の大きさからして双子だろうと以前から医師には言われていた。
するとその予想は見事に的中し、彼女は四男リオネルと四女クリステルを続けて出産した。
これで彼らは四男四女の10人家族になったわけだが、未だ31歳のケビンと28歳のエルミニアは色々な意味でまだまだ元気だったので、まさかの9人目もあり得る。
そんな娘婿に思わず苦笑を浮かべながら、アレハンドロが口を開いた。
「それで、だ。 ――要件に入る前に、まずはお前に礼を言わせてもらおうか」
「礼……ですか?」
「あぁ、礼だ。わしの愛する末娘を娶り、このような賑やかな家庭を作ってくれたことへの感謝だよ」
「えっ? いや、そんな……な、なんです? 急に」
突然の改まった言葉に、怪訝な表情を隠せないケビン。
その真意を伺うように義理の父を見つめると、アレハンドロは顔に苦笑を浮かべた。
「なにもそんな顔をすることはなかろう? わしがお前に礼を言うのがそんなに意外か?」
「い、いえ、そんなことはありませんが……」
「本来であればエルミニアは他国へ嫁ぐはずだったのだ。それも国益を第一に考えた政略結婚の道具としてな。しかしお前のおかげで、そうはならなかった」
「……」
「遠く離れた異国ではなく国内に嫁いでくれたのだからな。しかも、わしの屋敷からもこんなに近い。それこそ散歩のついでに寄れるほどだし、さらにこんなにたくさんの孫まで作ってくれた。これこそがわしの礼なのだ」
「いえ、それは……」
子供がたくさん生まれたのは、自分たちに節操がないだけだろう。
そう思わずにいられないケビンだったが、敢えてその言葉を受け流した。
他国との政略結婚が当たり前の王族の中で、エルミニアのように国内に嫁ぐのは珍しい。
しかも父親の屋敷から30分もかからない距離に住んでいるなど、それこそ滅多にないことだろう。
もしも他国へ嫁いでしまっていれば、こうも頻繁に会うことなどできなかっただろうし、こうして孫たちに囲まれることも決してなかったはずだ。
それを考えると、やはりケビンには感謝するしかない。
魔王討伐の褒美として末娘と結婚したいと言われた時は本気で腹を立てたものだが、今こうして改めて考えてみると、それはまさに理想的だった。
長男は行方不明になり次男には子供ができず、他国へ嫁いだ長女にはもう12年も会っていない。
彼女には一男一女が生まれているが、その子たちには一度も会ったことがなかった。
そんな中で一人で8人もの孫を生んでくれた末娘とその夫には、感謝してもしきれないアレハンドロだった。
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