第209話 軽薄な王

「大公陛下。ハサール及びブルゴー王国より非難の書簡が届いております」


 ここはカルデイア大公国大公の居城――ライゼンハイマー城。

 その中でも執務室として使われている一室に、厳かな声が響いた。


 この世界には数多くの国があり、それと同じ数だけ国家元首の居城が存在する。

 しかしその作り、内装、置かれている家具に至るまで、これほど質素かつ簡素、そして殺風景な部屋は見たことがない。

 訪れる全ての者がそう思うほど、その部屋には何もなかった。


 あるのは執務用の机と椅子と幾つかの書棚、そして来客用のソファと応接テーブルくらいで、それらも決して新しいものとは言えない。

 所謂いわゆる調度品の類は一切置かれておらず、あまりに生活感のないその景色は、誰が見ても引っ越し直後かと思ってしまうほどだった。

 

 しかし少しでも事情を知る者であれば、それも致し方ないと思うだろう。

 何故なら、この国の財政はとっくに破綻しかけていたからだ。


 今や倒れる寸前のカルデイア大公国。

 その国家元首の部屋に無駄な調度品が溢れるなど、これほど現実を無視した光景はない。

 むしろその殺風景な部屋は、未だ国家として正常な思考を保っていることを証明していたのだ。


 

 そんな何もない部屋の中心に、一人の男が座っていた。

 年の頃は40歳手前だろうか、それほど高くない身長と小太りの体型、そして沈んだような暗い目つきが特徴的な中年の男だ。

 身に纏う衣装は動きやすさを重視した簡素なもので、そこに豪奢さなどといった趣は全く見えない。


 それは誰あろう、新大公に就任したばかりのセブリアン・ライゼンハイマーだ。

 彼は目を通していた書類を傍らに置くと、報告をしてきた宰相――ヒエロニムス・ヒューブナー公爵に胡乱な視線を向けた。


「そんなものは、もとより織り込み済みではないか。その二国からは早晩非難の声が上がるのは想定していたはずだが?」


「はい。一応お知らせだけしておこうかと思いまして」


「……で? 要求は?」


「陛下の身柄の引き渡しです。 ――それも想定通りかと」


「ふんっ」


 宰相の言葉に小さな鼻息を吐くと、セブリアンは手元の書類に再び目を通し始めた。




 新大公の即位の義まで、あと一か月。

 前大公オイゲンの葬儀から日が浅いために未だ式典を終わらせてはいなかったが、すでにセブリアンは国家元首としての実務をこなしていた。

 とは言え、これまで国家運営などしたことのない彼がいきなり重要な案件を任されるはずもなく、これまで同様に宰相ヒューブナーが実質的に仕切っていたのだが。


 それでも国としての重要な判断は、ヒューブナーの補佐のもとにセブリアン自身が行っていた。

 前大公オイゲンは、亡くなる数か月前から国政に携わることができなくなっていたので、引き継ぎと国の現状を理解するのを兼ねてセブリアンは現場に出ていたのだ。


 これまで一度も国政に携わったことのないセブリアンではあるが、幼い頃から帝王教育を叩き込まれてきた彼は飲み込みも早かった。

 生まれ育ったブルゴー王国とは国家体制が違うので一概には言えないが、それでも国家運営というマクロな概念に対しては一介の素人とは一線を画した理解力を示したのだ。


 これには教師役のヒューブナーも良い意味で予想を裏切られたらしい。

 これまで散々聞いてきた彼に対する評価とは大きく異なる現実に、彼なりに思うところがあったらしく、今ではあまり細かいことは言わなくなった。

 さすがに経験不足からくる判断の誤りにはやんわりと修正を入れてくるが、大まかな方針に関してはセブリアンのしたいようにさせてくれる。


 そんな宰相にはセブリアンも信頼を寄せるようになり、今では真っ先に相談するようになっていた。

 もっとも、大公と言えどこの国に全くパイプも人脈もないセブリアンは、数少ない味方としてヒューブナーを頼るより他なかったのだが。




「それで、お返事は如何いたします?」


「……それを俺に訊くのか? 仮にも国家元首の身柄を渡せとか、正気の沙汰とは思えん。そもそも先方とて無理筋とわかって言ってきているにすぎんのだ。そのまま放置でかまわんだろう」


「しかし、正式な外交ルートを通じた抗議なのです。無視するのは悪手かと存じますが」 

 

「それならば、抗議文を送り返すか? 『受け取り拒絶』の付箋でも張り付けて。はははっ」


 いったい何が面白かったのかわからないが、セブリアンは小さく笑うと、片方だけの口角を上げた皮肉めいた表情を浮かべた。

 その様子は、この国にやってきてからの10年間で、彼の根っこの部分がかなり変わっていることがわかるものだった。


 

「はははっ……『受け取り拒絶』ですか。それもまた一興ですな。 ――しかし一般的な外交儀礼としては、送られてきた書簡は一旦それを受け取ったうえで何からの返事をしなければなりません。封も開けずに送り返すのは、あまりに礼儀を欠くかと。場合によってはそれが戦争の原因になったりもします」


「そういうものか。 ……それではどうすればいい?」


「そうですねぇ…… 『話は理解したし、言いたいこともわかる。しかしその話は受け入れ難い。このような声明を送られたことは甚だ遺憾である』などと返事を返すのが適当でしょうか。ここで大切なのは、確実にボールを投げ返すことですね。この後どうするのかは、相手の出方次第になります」


「……そんなものか? しかしハサールはいいとして、ブルゴーは大丈夫なのか? よもや、強硬手段に出てくることはないだろうな? 即位の儀も済ませておらぬうちから戦争とか、本当に勘弁してほしいぞ。そもそもこの国にそんな余裕などないだろう?」


「まぁ、それは相手次第でしょうね。 ――僭越ながら個人的な見解を申し上げさせていただければ、今のブルゴーにはそこまでする気はないと思います。今回は対外的な事情からこのような書簡を送らざるを得なかったのでしょうが、決してそれ以上のことをする気はないでしょう。 ……もっとも現イサンドロ国王の為人ひととなりは、陛下のほうが詳しいのでしょうが」


 そう言うとヒューブナーは、ちらりとセブリアンの様子を伺った。


 知っての通り現ブルゴー国王イサンドロはセブリアンの実の弟だ。

 不幸な出来事により彼とは半分しか血は繋がってはいないが、それでも三歳違いの弟とは幼少時には一緒に遊んだ仲であり、その為人ひととなりはヒューブナーよりもセブリアンのほうがよっぽど詳しいはずだ。


 しかしその視線に気付きながらも、セブリアンは素知らぬふりをする。

 そしてその話題を打ち切るかのように、そのまま受け流した。

 


「それではそのように頼む」


「承知いたしました。御意のままに。 ――ときに陛下、今朝のことですが、バッケスホーフ婦人から知らせが入りました。例の件です」


「……例の件?」


「お忘れですか? 陛下の奥方候補の件ですよ。候補者が決まったので、近日中に一度お目通りを願いたいと申し入れてきました。スケジュールを調整いたしますので、一度お会いいただけますか?」


「あぁ……」


 何気に気の進まない返事を返すセブリアン。

 肩眉だけを上げた眉間には深いしわが寄り、口はへの字に曲がっている。

 その顔を見る限り、今でも彼は正妃を娶るのに乗り気ではないのだろう。

 そして隣の部屋に控える恋人――ジルダの方を見たかと思うと、不愉快そうに口を開いた。


「なぁ、ヒューブナー。どうしても妻を迎えなければならぬのか? 俺はジルダがいればそれでいいのだが……」


「誤解を恐れずに申し上げますが、貴方様の使命は大まかに言うとたった二つだけなのです。一つはこの国を正しく導くこと。そしてもう一つは、この国を次代に繋げていくことです。それはおわかりですね?」


「わかっている。もう何度も聞いたからな」


「であるならば、まずは一つ目の義務をお果たし下さい。ジルダ殿を想うお気持ちはわかりますが、何卒これは義務だと思っていただきたいのです。従前から彼女も理解を示しております故」


「あぁ……それもわかっている。 ――まぁ、仕方あるまい。わかった、会おう。スケジュールを確認してくれ」


「承知いたしました。それではそのように計らいます」




 ――――




 カルデイア大公国の南東の隣には、大公セブリアンの生まれ故郷であるブルゴー王国がある。

 その国は南を魔族の国――魔国に接し、北をアストゥリア帝国、そして東をアルバトフ連合王国を代表する小規模国家群に挟まれており、その歴史は周辺国との小競り合いと牽制の歴史でもあった。


 特に南の魔国とは、今から約12年前に盛大な戦を繰り広げたのは記憶に新しい。

 最終的には魔国の王――魔王を、勇者ケビン率いる魔王討伐隊が暗殺に成功したのだが、ここ最近は新しい魔王の台頭が報じられるようになり、何やらきな臭い噂も聞こえるようになっていた。


 今から10年前、ブルゴー王国では幾つかの大きな事件が発生した。

 それは当時第一王子であったセブリアンのハサール王国将軍暗殺事件及び彼自身の出自の発覚、それに伴う有力貴族家の取り潰しとその再編だ。


 それらの事件の発生には、しものブルゴー王国も上を下への大騒ぎになったのだが、勇者ケビンの尽力により速やかに解決が図られた。

 主犯であるセブリアンは捕縛され、罪人用の尖塔にて死罪を待つ日々を送っていた。

 しかしある日突然その姿を晦ましたのだ。


 以来10年の間、彼の姿も名前さえも表舞台に出てくることはなく、次第に人々からその名前さえ忘れ去られようとしていた。

 しかしカルデイア大公国大公オイゲン・ライゼンハイマー亡き後、ここにきてその後釜としてセブリアンの名前が挙がったのだった。



 その事実に、ブルゴー王国はもとよりハサール王国までもが大いに憤慨した。

 一国の将軍を暗殺し、自身の出自をたばかって国家を我が物にしようとした国家反逆者が、のうのうと生き延びた挙句に他国の国家元首になろうというのだ。


 しかし如何に逃亡した罪人と言えど、今では一国の大公を務めるほどの人物なのだ。

 そんな人間の身柄を引き渡すよう要求したところで、無碍もなく断られるのは目に見えている。

 それでも国の体面を考えた場合、非難声明及び身柄の引き渡しを申し入れなければならない。

 もしもそうしなければ弱腰外交として諸外国から舐められてしまうし、いては国家の信用も失う原因になりかねないからだ。


 そんな事情もあり、無理筋であるのを承知のうえでブルゴー王国はカルデイア大公国に非難の書簡を送ったのだ。

 その際にはハサール王国とも秘密裏に連絡を取り合い、二国で足並みを揃えることにしたのだった。



 実は10年前の事件以来、ブルゴー王国とハサール王国の間には水面下で交流が続いていた。

 もちろんブルゴー王国とは犬猿の仲であるアストゥリア帝国の手前、その関係を大っぴらにはできないのだが、そこはそれ、これはこれだ。

 

 もっともハサール王国としては、無理にセブリアンを捕えようとは思っていない。

 何故なら、カルデイアからは10年前の戦役による膨大な戦後賠償金を今でも受け取っているし、バルタサール卿を暗殺された恨みもとっくに金銭で解決していたからだ。

 それでもやはり、ハサール王国としても形だけでも非難しておかなければならない事情があった。

 斯様かように国家の体面を保つのは些か面倒なものではあったが、それも致し方ないといったところなのだろう。




 そんなわけで、満を持して送った抗議文とセブリアンに対する身柄引き渡しの返事がカルデイアから送られてきた。

 もちろんその内容は「推して知るべし」といったところだが、当然のようにブルゴー王国の重鎮たちは会議に収集される。

 そして今まさにその対応を協議しているところだった。


「陛下!! カルデイアはやはり断ってきましたな!!」


「おのれ、舐めた返事を返してきおってからに!!」


「我が国の体面を潰されましたぞ!! 如何いかがされるおつもりか!?」


 好き勝手にがなり立てる口ばかり達者な年寄り連中の中心に、一人の若い男が佇んでいる。

 若いと言ってもすでに30代も半ばに達する年齢ではあるが、長く美しい金色の髪と美青年とも言えるほど整った顔、そして透き通るような青い瞳から、未だ二十代後半と言われても通用するような容姿をしていた。



 その男こそが現ブルゴー王国国王、イサンドロ・フル・ブルゴーだ。

 五年前に父親からその王座を受け継いだ彼は、今ではすっかり王の風格を身に着けて――いなかった。


 35歳にもなるというのに、未だ軽薄そうな口調と態度、そして服装が目立つ彼は、公務を宰相以下重鎮たちに丸投げした挙句に側妃が住む離宮に入り浸っていたのだ。

 見かねた前国王アレハンドロには毎日のように苦言を呈されているが、一向に直す気配さえ見せない。


 それでも彼が国王である手前、誰もがイサンドロに裁定を迫る。

 すると彼は、事も無げにこう言い放った。


 

「ふーん、そうか。それじゃあ、こうしよう。 ――戦争だな。我がブルゴー王国に舐めた態度をとるのであれば、誰であろうとぶちのめす!! そして二度と逆らえないようにすればいい」


 その口調と表情は、まるで夕食のメニューに言及するような軽いものでしかなかった。

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