第198話 最後の提案

 場所は変わって、ここはカルデイア大公国の東隣にあるハサール王国。

 大陸の北に位置するこの国の夏はとても短く、今ではすっかり秋の気配が感じられる季節になっていた。


 東部貴族家を震撼させたアンペール家の取り潰しから一か月が経ち、その領地と抱えていた軍隊は現在では王国府が管理している。

 しかし東西辺境侯のうちの一翼が欠けたままの状態は安全保障の観点から決して望ましいものではなく、可能な限り早急に後継の貴族家を決める必要があった。


 そのため東部貴族家の面々は、次期辺境侯の選出のために何度も会合を開いていたのだが、それらは完全に形式上のものでしかない。

 何故なら、アンペール家の直下には王国有数の東部貴族家であるラングロワ侯爵家が控えていたからだ。

 だから次期辺境侯の選出は完全に出来レースと言ってよかった。



 アンペール家と同じ爵位でありながら、序列では下位になるラングロワ家。

 その当主バティスト・ラングロワは副将軍として実質的にアンペール軍を指揮してきた実力派であり、自他ともに認める「仕事ができる男」だ。


 建前上としては東部辺境侯――アンペール家の当主が将軍職を務めていたが、実際に軍の采配を振るっていたのはバティストだったのだ。

 アンペール家の閥族のみならず、それ以外の貴族家でも少しでも事情に通じている者であれば、当然のようにそれは知っていることだった。

 


 そんなラングロワ家当主バティストは、まさに軍人になるために生まれてきたような男だ。

 オスカルの三歳年下で現在43歳の彼は、若い頃からその武勇は有名だった。

 毎年首都で開かれる剣闘大会では、彼が21歳の時から五連覇した記録は未だに破られていない。

 ちなみに次点は20歳から四連覇したムルシア家のオスカルなのだが、その彼の五連覇を止めたのがこのバティストだったのだ。

 

 「出来レース」という言葉が示す通り、アンペール家の後を継ぐのはラングロワ侯爵家一択だったのだが、形式上は閥族貴族家同士の話し合いで決められたことになっている。

 もっとも、アンペール家が所有していた広大な領地を買い上げられるほどの財力を持つ家は、東部ではその家しかなく、ムルシア家に次ぐ規模の軍隊を食わせていけるのも、やはりラングロワ家しかなかったのだが。



 そんなわけで、新しい東部辺境侯になるべくしてなったラングロワ家は、前任のアンペール家とは違って西部辺境侯とは融和路線をとるつもりらしい。

 国境を接する隣国のファン・ケッセル連邦国がいくら友好国だと言っても、いつまでも軍隊が機能しないのは安全保障上好ましくない。

 そのうえ、できるだけ早く体制を整えるようにとの指示も王国府からきていたのだ。


 そんな理由もあり、当主バティストはオスカルに頭を下げてでもその地位を早く安定させる必要があった。

 さらに、東西の辺境侯がいがみ合っているのを快く思っていなかった国王の手前、就任早々睨まれてしまうのはバティストとしても憚られたのだろう。


 同じ辺境侯同士なのだから協力し合って懇意にすべきであるのに、何故かアンペール家はムルシア家を敵視してきた。

 特にベネデットのオスカル嫌いは異常なほどで、まさに毛嫌いしていると言っても過言ではなかったのだ。



 本人が処刑された今となってはその理由は定かではないが、一説によると、過去にオスカルが剣闘試合を連覇したのが関係していると言われている。

 武家貴族の当主を務めていながら、決して個人の武勇に優れているとは言い難いベネデット。

 その彼がライバル(ベネデットが勝手にそう思っているだけだが)のオスカルと比べられて、そのちっぽけなプライドをへし折られたのが原因らしい。

 

 そんなベネデットの代わりに新辺境侯に就任したバティスト・ラングロワは、就任の挨拶と知己を得るために早速ムルシア家の首都屋敷を訪れていた。


 ちなみにこの会談は、バティストから望んだものだ。

 初めは彼の方からムルシア領まで出向くと申し出たのだが、その場合はハサール王国の東の端から西の端まで片道十日とおかもかかってしまうので、さすがにそれはオスカルが遠慮したのだ。

 そこで両家の中間地点である首都アルガニルの屋敷で落ち合う約束をしたのだった。


 そんなわけで、久しぶりに首都まで出て来たバティストが妻を伴ってムルシア家の首都屋敷を尋ねていくと、当主オスカルとその妻シャルロッテが待っていたのだった。

 



「こちらからのお願いにもかかわらず、わざわざ遠くまでご足労いただき誠にありがとうございます」

 

「なに、まったくかまわん。ちょうど俺も陛下に呼び出されていたからな。まぁ、言い方は悪いが、これはついでだ。気にするな」 


 慇懃な態度で深々と頭を下げるバティストに、鷹揚に頷くオスカル。

 今年46歳になったオスカルは、今や現役の武家貴族家当主の中では年長組になっていた。

 中にはさらに年上の者もいるのだが、未だ現役で軍の指揮を執っているのは彼が最年長だ。

 もっとも彼の父親――バルタサールが63歳で暗殺されるまで現役でいたことを考えると、まだまだ頑張れるとオスカルは思っているようなのだが。


 そんなムルシア家当主の顔を、バティストが正面から見つめる。

 その顔には未だ緊張が張り付いていた。



「お気遣いありがとうございます。 ――まずは、この度我が閥族であったアンペールが、貴家に多大なるご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。話によればご子息が大変な目にあったとか。それも含めて、重ね重ねお詫び申し上げる所存です」


 ただでさえ低く下げた頭を、さらに下げるバティスト。

 その彼に向かって、相変わらず無駄にデカい声でオスカルが応える。


「おぉ、バティスト殿、どうか頭を上げていただきたい。そう畏まらずに。 ――此度こたびの件は確かに少々堪えたが、おかげさまで息子も大事には至らなかったからな。まぁ、の家が勝手に仕出かしたことだ。同じ閥族とは言え、お主の手落ちではないだろう」


「そう言っていただけると、少しは救われる思いがいたします。もっとも、ベネデット卿を止められなかったのは、私にとって痛恨の極みではありますが」


「まぁな……あそこまではっきりと陛下に釘を刺されていたのに、まさか本当に行動を起こすとは思わなかったな。 ――あまつさえ息子の婚約者を拉致しようとするなど……まったく正気の沙汰とは思えん」


 そう言うとオスカルは、大きな身体を丸めて小さなため息を吐いた。

 仲が悪かった――いや、一方的にベネデットの方が気嫌いしていただけなのだが――とは言え、ベネデットとは同じ辺境侯として肩を並べていたのだ。

 その彼が家族ごと処刑されてしまったことは、オスカルにも些か思うところがあったらしい。


 そんな彼の様子を伺うように目を細めると、バティストは話を続けた。


 

「そう言えば、運よく生き残ったジル殿は、配下のキルヒマン子爵家が面倒を見ているそうです。もっともオスカル殿は、彼の顔すら見たくないでしょうが。なにせ、ご子息を殺されかけたのですからね」


「あぁ……彼か。俺もあの時は恨んだものだが、思えばヤツも可哀そうな男だった。侯爵家の嫡男にさえ生まれていなければ、あのような結末にもならなかっただろうに。ともかくヤツは、あの・・父親には逆らえなかったようだな」


「あぁ……わかります。とてもよくわかります」


 オスカルの言葉に顔を顰めながら、遠慮なく言い捨てるバティスト。

 その表情を見たオスカルは、皮肉そうに片方の口角を上げた。


「あの男の下にいたお主であれば嫌というほどわかっているだろうが、あのベネデットという男は、実の息子さえ捨て駒にしようとしたからな。 ――すでに戦闘不能になっている息子に、死ぬまで闘えと言ったのだ……実際、信じられん」


「まぁ……故人の悪口は言いたくありませんが、あのベネデット卿はお人柄に少々難がありましたから。先代のお父上は立派な人格者だったのですが、どこでどう間違ったのか……」


 どちらからともなく互いに顔を見つめ合うと、オスカルとバティストは同時に大きなため息を吐いてしまう。

 すでに終わったこととは言え、アンペール家の取り潰しは二人にとって色々と思うところがあるのも事実だ。

 愚かにも勝手に自滅したベネデットには全く同情の余地はないが、連座で処刑されてしまった妻や次男には同情を禁じ得なかったのだ。



 急にどんよりとした空気が漂い始めたムルシア家の応接室。

 オスカルもバティストも、そして両者の妻たちも何となく口を開けずにいると、そこで会話が途切れてしまう。

 その空気を払拭するつもりなのだろうか、突然不自然なまでに明るい声を出すと、バティストは今日の訪問の理由を切り出したのだった。


 それからしばらくの間、両者は事務的な会話に終始した。

 そこでバティストは、先輩辺境侯としてひたすらオスカルを立て続けたのだが、その姿は以前であれば考えられないものだった。


 これまで東西の陣営に分かれて反目し合ってきた両者は、当然のように個人的な付き合いはない。

 しかしその原因ともなっていたアンペール家なき今、この両者が敢えて仲をたがう理由などなかったのだ。

 それどころか、過去の剣闘試合において互いの力量を認め合っていた二人は、むしろ普通に付き合えるようになったことを互いに喜び合うほどだった。



 そんな二人であるので話し合いもスムーズに進んで行き、ここに幾つかの提案が出された。


 その内容は――


 ラングロワ侯爵家及び東部貴族家は、今後ムルシア家及びその閥族とは反目しない。

 次の大規模軍事演習から東西で合同訓練を実施するが、その際は西部軍――ムルシア軍の主導で行う。

 武器や糧食、支給品などは両軍で共同購入し、コストを引き下げていく。

 再編した東部軍が軌道に乗るまで、西部から幹部を数名派遣する。


 その他にも様々な提案が上げられたのだが、その全てに共通するのは、これにあたって終始バティストは頭を下げていたところだ。

 それらはあくまでもお願いの域を超えてはいなかったが、それでも彼の腰は終始低かったし、先輩将軍としてオスカルを常に立てていたのだった。


 そんな彼の態度に気を良くしたオスカルは、その提案の殆どを了承すると約束した。

 軍事のことなので、将軍と言えどもさすがにオスカルの一存では決められないが、それでも可能な限りは希望を叶えると告げたのだった。


 

 

 事務的な話が終わると、最後に雑談が始まった。

 持ち込んだ提案のほとんどを聞き入れられたバティストではあったが、未だその顔からは緊張が消えないままだ。

 何気にその様子に気付いたオスカルの妻――シャルロッテが おもむろに問いかけてみる。


「バティスト卿、如何されましたか? なにやらお顔が強張っておいでですが。まだ何かお話があるのではございませぬか?」


「あぁ……やはりわかりますか?」


 辺境侯同士の話に、これまで一言も口を挟まなかったシャルロッテだが、初めて口を開けばズバリとバティストの心の内を言い当てていた。

 そんな彼女に何処かバツの悪そうな顔をしながら、再び彼が口を開く。


「本当に奥方様には恐れ入りますな。 ――実は最後に一つ提案……と言いますか、お願いの儀がございまして」


「なんだ? 随分畏まっているが、どうしたのだ? まだなにかあったのか?」


 少々鷹揚にオスカルが問いかけると、汗を拭きながらバティストは話を続けた。


「はい。先ほども申し上げました通り、同じ辺境侯としてこれから西と東は連携していかなければなりません。しかし残念ながら、我が東部には旧体然とした家が残っているのも事実です」


「確かにな。恥ずかしいことだが、我が西部にも同様な家はある。特に年寄り連中には頑固者も多くてな。 ――長らく仲違いを続けて来た東部貴族と、いまさら仲良くなどできぬと奴らは言い張るのだ」


「まぁ、確かにそれも無理はないかと。いくら言葉で解いたところで、これまでの態度を急に変えることなどできないのでしょう。理解はできます。そこで我が家が、この身を以て西部との融和を証明して見せようかと思いまして」


「ん? 証明とは?」


 バティストの言葉に、怪訝な表情を返すオスカルとシャルロッテ。

 先ほど述べた通り、西の貴族家の中には未だに東との関係改善に懐疑的な家が多いのも事実だ。

 融和を図るなどとていのいいことを言いながら、すぐに掌を返すのだと信じて疑わない者も多く、そんな彼らをオスカルもシャルロッテも時間をかけて説得しようと思っていた。

 それを解決する策を、バティストは持っているというのだろうか。



 そんな二人の視線を真正面から受けたバティストは、些かたじろぎながら、それでもはっきりと告げた。


「そこで本日最後の提案なのですが、貴家のご息女であられるエミリエンヌ嬢を、我が息子ラインハルトの妻に迎えたく存じます。 ――如何でしょうか?」

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