第147話 夜の帳の中で

「はい。あなたを昔のあなた――魔女だった時の姿に戻して差し上げることくらいはできますよ? もしやそれがお望みですか?」


 妖精族の女王ティターニアの突然の言葉。

 あまりに思いがけない言葉にリタが凍りついていると、女王はその姿を面白そうに眺める。

 まさに絶世の美女としか表現のしようのない彼女を見ていると、そのあまりの現実味のなさに寧ろ正気に戻ってしまう。


 人間は神によって作られたと言われている。そしてその容姿は彼らに似せたとも。

 ただしそれは何気に宗教的観念に囚われた神話の世界の話であって、誰もそれを本気で信じる者はいない。

 しかし目の前の女王を見ていると、あながちそれは間違いではないのではと思ってしまう。


 まるで神々しいまでに完璧なティターニアの美貌は、まさに人間――もっとも女性に限る話ではあるが――の目指す究極の美を体現していると言っても過言ではなかったからだ。

 


 思えば妖精の女王なる存在も、もしかすると半ば神のような存在なのかもしれない。

 そんな別次元の存在がこんなちっぽけな人間に礼を言い、あまつさえ希望をひとつ叶えてくれるという。

 

 それは前世を二百年以上生き、世界中の様々な文献を読み漁ってきたアニエスにして滅多に聞かない話だった。

 少なくとも同様の事例は、約三百年前に当時の最強魔女「シャンタル」が精霊界に移住を許されたくらいのものだ。


 ピクシーを含め、所謂いわゆる妖精族は嘘をつかない。いや、つけないと言ったほうが正しい。

 それは昔から有名な話であるし、リタ自身も多くの体験からそれを信じている。


 ということは、目の前の妖精族の女王も勿論偽りを述べるわけもなく、彼女ができると言うのだから本当にできるのだろう。

 しかしそれを自分が望むかと問われれば、それはまた別の話だ。



 二年前、自分は当時三歳だったリタの体を乗っ取った。

 いや、その言い方には語弊がある。自分は死んだリタに体を譲られた、それが正しい。

 それ以来自分はリタとして生きてきたが、それは体を譲ってくれた彼女へのせめてもの恩返しなのだと思っている。


 確かに前世の肉体に戻ることができれば、世に様々な貢献ができるだろう。

 古巣の者たちは皆それを喜んでくれるだろうし、養い子である勇者ケビンも同様だ。

 それにこれまで二百年以上にも渡って生きてきた祖国にはそれなりに愛着もある。


 更に今回のような侵略戦争にも、実力を以って介入出来るようになる。

 これまでは世界のバランスを崩すと思って自重してきたが、カルデイア大公国程度であれば首都に隕石を落とせばイチコロだ。

 


 しかしそれは、今の自分の周りにいる人々との別れを意味する。

 本物のリタがとっくに死んでいて、自分が偽物だと知れば両親は嘆き悲しむだろうし、溺愛してくれる祖父母も同じだろう。


 婚約者だってこんな自分を受け入れてくれたし、なによりあのバルタサールに孫を託されたのだ。その約束だって無碍にはできない。

 

 リタとしてこの世に生まれ変わって二年と少し。

 今ではすっかりリタ自身になりきっていた。

 無意識にリタとして振る舞っていたのだ。


 そうだ、自分はあの時決めたではないか。 

 一生リタとして生き、リタとして死んでいくのだと。

 自分を愛し、慈しみ育ててくれる両親と祖父母、そして周りの皆のために、このリタの血を後世に繋いでいくのだと。



「ティターニアしゃま。せっかくの申し出を感謝はするが、わちはそれを望まぬ。わちはこのリタとして生きていくと決めたのじゃ。それがこの体を譲ってくれた彼女への手向けなのじゃと思うとる」


 それまでの悩む様子を一転し、不意に顔を上げたリタ。

 今やその顔に迷いはなかった。

 それはいっそ清々しいとさえ言える笑顔で、目の前の絶世の美女を見つめる。


「そうですか――。ふふふっ……あなたならそう言うと思っておりました」

 

 己の申し出を断られたティターニアではあったが、その美しい眉を少しも動かすことなく微笑み続ける。

 そんな女王に向かって斜に構えるリタ。


「お前さんのことじゃから、わちがこう答えるのもわかっていたのじゃろう? 違うか?」


「ふふふ……さぁ、どうでしょう。 ――それでは他に望みがあるのですか?」


「うむ。それでは、わちの弟子――ロレンツォの腕をもとに戻してほしい。それならええじゃろ?」


「……残念ですがそれは叶いません。わたくしたちは人間の営みに関与できないのです。ご承知ください。それ以外で何かあればお聞きしますが」


「そこをなんとか。ティターニアしゃまのお力で」


「先程も申しましたが、私も全能ではありませんから……」


 その時初めて女王の表情が動いた。

 よく見ると、微妙に申し訳なさそうな顔をしている。

 その顔を見ながらリタは小さく鼻息を吐いた。


「うむぅ……」



 いや、この自分の体を元に戻すのだって十分に人間の営みだろう。

 それができるとかできないとか、その基準がよくわからん。

 もしかしてこの女王は、意外とポンコツなのか。


 などと意図せず思ってしまう。

 しかしその思いをまるで顔に出さずにリタがポーカーフェイスを貫いていると、即座にティターニアが反応した。


「――もしや、なにか良からぬことを考えていませんか?」


「いや、なにも……」


 まるで心の中を見透かされたように感じたリタは、動揺を隠せない。

 いつも冷静で腹芸に長ける彼女にしては、その反応は珍しかった。

 何気にジトッとした視線を向けるティターニアに、この絶世の美女王は意外と表情豊かなのだなと思うリタだった。




「そうですか。それならばいいのですが」


「ときに女王よ、お前さんはピピ美をどう見る?」


「ピピ美――あぁ、メルガブリルの森の『Φй∇Эюжθζ∬∂』ですね。あなたの相棒の。それで、どうとは?」


「知っての通り、次期女王ピクシーの身でありながらあまりに生活態度の悪い彼奴あやちゅは、勉強のために里を出された。じゃが、わちの見立てではかなり改善されたと思うがのぉ」


「……」


「そこでわちの願いじゃが、ピピ美が里に帰るのを手伝ってほしい。里の女王ピクシーにお前さんから口をきいてくれんかの?」


「あぁ……」


 そう言うとティターニアは、白く長い指を顎に当てて何やら考え始める。

 それから小さく頷くと、絶世の美女顔を盛大に綻ばせた。


「そうですね。少し早いかもしれませんが『Φй∇Эюжθζ∬∂』であればそろそろ女王教育を受けてもいいかもしれません。確かに未熟な部分は多々ありますが、その辺は母親が是正するでしょう」


「では……」


「えぇ、いいでしょう。彼女が里に帰れるようにわたくしから口添えをするのは構いません。 ――しかし、いいのですか? せっかくの機会をこのようなことに使ってしまって」


「うむ、かまわぬ。わちには他に望みはないしの。できればロレンツォの腕を治してほしかったが、できないのであれば致し方なし」


 その言葉にやはりジトッとした目付きを返すティターニア。

 彼女は彼女なりにリタの願いを聞き届けられないことを気に病んでいるのだろうか。

 どうもさっきからそんな気がするリタだった。



「わかりました。それでは『Φй∇Эюжθζ∬∂』をここへ」


「えっ? 今すぐにか? そ、それは随分せっかちじゃのぉ……」


「『思い立ったが吉日』、そんな言葉が人族にはあるでしょう? いえ『善は急げ』でしたか? 「旨い物はよいに食え」だったかもしれませんが……」


 視線を斜め上に上げ、宙を見上げながらティターニアが答える。

 そんな仕草に今度はリタがジトッとした目を向ける番だった。


「……おまぁ、意外とおもろい奴じゃの、そんな顔して」


「はい?」


「いや、なんでもなかよ。いまピピ美を起こしてくるから、ちょっち待っとれ」




 ベッドの上で涎を垂らして眠るピピ美。

 そのあまりに平和な姿を見ていると、本当にホームシックに罹っているのかと疑いたくなる。

 そんな彼女を叩き起こすと、リタは再び外へ出る。

 そしてティターニアの前で事情を説明すると、目と口を大きく開けて甲高い声をあげた。


「えぇぇぇ!! どうして!? どうして急にそんなことに!? ねぇねぇ、どうしてなの!?」


「なんじゃ? おまぁ、里に帰りたくないんか?」


「そ、そりゃあ帰りたいなの…… でも母様かあさまのお赦しもまだなの……」


 戸惑うピピ美に優しく言い聞かせるように、ティターニアが補足する。


「それはわたくしから母親へその旨を伝えます。そろそろあなたはこのリタではなく、母親から学ぶべき時。そして次代の里の女王として、姉妹たちを従えねばなりません」


「えぇ……? あ、あたしが女王……? 新しい母様かあさまになるの?」


「そうですよ。今すぐにではありませんが、あなたは将来母親になるのです。あなたの母様かあさまのようにね。そして子供をたくさん生んで、自分の里を作るのですよ」



 突然の説明に混乱するピピ美。

 そんな小さなピクシーにティターニアが滔々とうとうと言い聞かせると、次第にその瞳を輝かせる。

 そして決意に燃えた顔で声高に宣言をした。


「わかった!! あたしは里に帰って今度は母様から学ぶのね。そう、そう、学ぶのね。そして赤ちゃんをたくさん生んで、みんなの母様になるのね」


「そうですね。わかって貰えてなによりです。我が愛しい娘『Φй∇Эюжθζ∬∂』よ」


「うむ、その意気じゃピピ美よ。おまぁなら立派な母親になれるじゃろうの」


「うんうん、任せて任せて!! ――あぁ、母様に会えるなの!! みんなにも会えるの!! とっても嬉しいの!!」


 そう言うとピピ美は、未だぺったんこの裸の胸を自信満々にパシパシと叩く。

 しかしその直後、何かを思い出したようにハッとした。


「でも……それじゃリタとはお別れなの? もう一緒にいられないの?」


 愕然とした顔で小さく呟く、10センチにも満たない小さな妖精。

 そんなピクシーに慈愛のこもる視線を向けると、ティターニアは優しく微笑んだ。


「いずれあなたは里に帰る約束で出てきたのでしょう? それが早いか遅いかの違いでしかありません。そして今がその時だということなのです」


「……そうなのね。あたしもそれはわかっていたけど……」


「それでは行きましょうか、『Φй∇Эюжθζ∬∂』よ。別れを告げたい者がいるのであれば、言ってきなさい。私はここで待っています」


「えぇ!? 今すぐなの!? そ、そんな急な……」


「ごめんなさいね。わたくしはもう行かなければならないのです。急かすようで申し訳ないのですが、できれば別れも手短に済ませて頂ければと」 




 眠るリタの両親を叩き起こすと、ピピ美は寝ぼける二人に別れを告げた。

 初めこそ言葉の意味が理解できない二人だったが、頭が冴えてくるとそれが別れの挨拶だと理解する。

 そして旅籠の裏手に集まると、リタと一緒に森の中に消えていくピピ美を見送った。


「みんな、どうもありがとうなの。お喋りでお寝坊で食いしん坊なあたしなのに、みんなは可愛がってくれたの。感謝してるの。それじゃあね、バイバイ」


「体に気をつけて。オルカホ村の森なら、会おうと思えばいつでも会えるさ」


「そうね。あなたがいないと寂しいけれど、目的があるなら止められないわね。立派なお母さんになるのよ」


「ピピ美よ……必ず会いに行くからのぉ。それまで達者で暮らすんじゃぞ。また勝手に遊び歩いたりするでないぞ……」



 森の中に消えていくピピ美の背中を見つめるリタ。

 その瞳に涙が溢れる。

 遂にそれが目尻から零れた時、ピピ美の姿は森の中に見えなくなった。


「うえぇぇ……ピピ美よぉ……達者でなぁ……うわぁぁぁーん」



 夜の帳真っ只中で、未だ暗い空を見上げて泣きじゃくるリタ。

 そんな娘の頭を優しく撫でながら、いつまでも両親は彼女を抱きしめ続けたのだった。

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