第146話 彼女の願い
互いの母親に引き離されたリタとエミリエンヌ。
無理やりに距離を置かれた二人からは不満が溢れ出し、その思いを胡麻化すように母の胸に顔を埋めて号泣する。
大声で罵詈雑言相手の悪口を言いふらす。
母親たちはそんな娘にしょうがないと言わんばかりに「はいはい」と苦笑を浮かべる。
そんないっそ平和ともいえる光景が広がっていた。
前回――リタとフレデリクの婚約の儀の時もそうだったが、二人が言い合いを始めると最後には必ず叩き合いの喧嘩になる。
諍いは同レベルの者同士の間でしか起こらない事実を考えると、やはりリタとエミリエンヌは似た者同士なのだろう。
侯爵家の長女として蝶よ花よと育てられたエミリエンヌは、当然のように超絶我が儘だったし、前世では「ベストオブ老害」とまで言わしめた偏屈な――いや、老人力に溢れるリタもまた然りだ。
特にリタは、エミリエンヌの態度が気に入らなくて仕方がなかった。
二百歳以上も年下なのに、常に上から目線なのが許せなかったのだ。
214歳の老成したリタなのだから大人の余裕を見せて然るべきなのに、それを「所詮五歳児のすることだ」とどうしても笑って許せない。
結局それは、その程度までリタの精神が幼児化している証拠だった。
自宅でのリタは、まるで年寄りのような言動を隠そうともしてしない。
その様子には両親も祖父母も、そして使用人たちもすっかり慣れており、それがリタの個性だとさえ思っていた。
そんな彼女ではあるが、それでも外では淑女を装っている。
それは伯爵家令嬢としての体面、
リタが初めて首都にやって来た時、それはもう市井で評判になったものだ。
「あの美少女は誰だ?」「レンテリア家の縁戚か?」などと口々に噂され、最後に出奔していた次男の娘だとわかった時には「あぁ、あのフェルディナンド様とエメラルダ様の血を引くのであれば、あの美貌も納得だ」と言わんばかりだった。
背が高くスラリとした容姿を父親から、そしてはっきりとした目鼻立ちと整った面差しを母親からそれぞれ受け継いだフェルディナンドは、誰もが認める美丈夫だ。
そしてその妻エメラルダは少々背が低く小柄ではあったが、貴族連中の中でもその美貌は有名だった。
そんな二人のいいところばかりを受け継いだとしか思えないリタは、弱冠五歳にして既に将来の美貌を約束されていた。
母親譲りのプラチナブロンドの髪は光り輝き、レンテリアの灰色の瞳は深い知性を感じさせ、恐ろしく整った顔の造作はまさに神の御業かと思うようなものだ。
長い闘病生活による発育不良のためなのか、母親からの遺伝なのかはわからないが、リタはかなり小柄な体格をしている。
もしもこの時代に児童の成長曲線があったなら、恐らく彼女はその最底辺を辿っていただろう。
貧しい村暮らしを抜け出してから相当な時間が経ってはいたが、未だリタの手足は細くてひょろひょろしている。
その代わり胴体だけは立派なイカ腹を晒しているのだが。
義妹になる予定の五歳児と盛大に喧嘩をした後、リタはそのまま泣き寝入りしてしまった。
敵兵士と大立ち回りを演じた上に敵魔導士と魔法合戦を繰り広げ、その上さらに魔力の続く限り召喚獣を呼び出したのだ。
相当リタは疲れていたのだろう。
初めのうちはエミリエンヌの悪口を叫びながら号泣していたが、次第にその声も小さくなると、気付けば母親の胸の中で寝息を立てていた。
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらすぅすぅと寝息を立てる娘を、エメラルダは愛おしそうにいつまでも撫で続けていたのだった。
夜も更け、皆が寝静まったムルシア侯爵邸。
真夜中でも明かりが消されることのない廊下を、見張りの騎士の足音だけが響いている。
そんな屋敷の一階に、特別に庭の眺めのいい部屋があった。
そこはレンテリア伯爵次男家族が借りている客間だ。
今はその部屋のベッドのひとつにフェルディナンド、そしてもうひとつにエメラルダとリタが眠っていた。
レンテリア邸でのリタは、夜は自分の部屋で眠っている。
一般的な貴族家では、その年齢の子供は一人寝をするのが普通だ。
生まれた時から子供を乳母に預ける貴族家では、両親と子供が同じベッドで寝る習慣がないからだ。
しかしリタの場合は少々事情が異なる。
リタは田舎の寒村で生まれ育った。
両親と三人で住んでいた家は家とも呼べないような
そんな環境で育ってきたリタは、当然のように夜は両親と一緒に眠っていた。
それが今の屋敷に住むようになってからは専用の子供部屋を与えられて、夜もその部屋で一人で眠らされていたのだ
だから夜中にふと目が覚めて寂しさを覚えると、お気に入りのぬいぐるみを片手に両親の寝室に入り込むこともあった。
もちろん両親は娘を快く迎え入れてくれたし、時にはエメラルダが子守唄を歌ってくれる。
それがまたリタにとっては嬉しかったのだ。
今夜のリタは久しぶりに母親と一緒に眠っていた。
もっともそれは彼女が母親の胸で泣き寝入りをしてしまったからなのだが、もしも起きていたとしても母親と一緒に眠ろうとしただろう。
昼夜を問わずユニ夫の背に揺られ、戦場に着いた途端に死闘を繰り広げた。
そして久しぶりに大量の魔力を放出したリタは、心身ともにすっかり疲れ果てていた。
そんな幼女が母親の胸に安らぎを求めたところで、誰も文句を言うものはいないだろう。
しかし中途半端な時間に眠ってしまったリタは、未だ夕闇に包まれる真夜中に目を覚ましてしまう。
すると父親の
不審に思って耳を澄ますと、それはすぐ近くからだった。
「ぐすん……
細く小さく、まるで小鳥の
それはピピ美だった。
暗い寝室の中でリタが目を凝らすと、小さなピクシーがうさぎのぬいぐるみに顔を押し付けて必死に嗚咽を堪えてたのだ。
その小さな囁きを聞く限り、彼女は遠く離れる母親に思いを馳せて、寂しさにその身を震わせているようだった。
二日前に妖精族の女王ティターニアに会った時、ピピ美は母親の伝言を聞かされた。
それは「愛している」という、当たり前に子を想う母の言葉ではあったが、それはピピ美の心を大きく揺さぶったらしい。
次代の女王ピクシーになる身でありながらも生活態度が悪すぎた彼女は、半ば追い出されるように里を離れた。
それは現女王の母親の親心からのものではあったが、正直なところピピ美にその真意が伝わっていたかと言えば怪しい。
しかし彼女はティターニアに伝えられた言葉によって、母親のことを思い出してしまう。
そしてやっと隠されていた想いに気が付いた。
その直後からロレンツォの救出やらに忙しくなったリタはすっかり忘れてしまっていたが、思えばそれからのピピ美はどこか様子がおかしかった。
あれだけうるさく喋りまくる妖精なのに、突然口数が少なくなり、急に遠くを見つめたかと思えば目に涙を浮かべたりしていた。
それはホームシックだった。
里に帰りたい。
姉妹たちに会いたい。
体長10センチにも満たない小さな妖精の中で、この想いだけがどんどん膨らんでいく。そして次第に抑えきれなくなっていった。
それでも彼女は必死に耐えた。
母親が帰って来いというまでは帰らない。里を出るときにそう誓ったのだから。
しかしその後、リタがエメラルダに抱きしめられるのを見てしまう。
母親の胸の中で甘える幼女。
その姿を見たピピ美の中で、何かが弾けた。
すると遂にその想いが溢れ出てしまったのだった。
「
ぬいぐるみに顔を押し付けながら、ピピ美が泣いている。
嗚咽を漏らさないように必死に我慢する彼女にリタは気付いたが、それにかける言葉が見つからない。
普段は軽口ばかり叩く能天気な妖精ではあるが、その実彼女は母親に突き放された幼い子供なのだ。
もちろんそれは彼女の将来を憂いた母親の苦渋の選択だったのだろうが、それでも未だ親に甘えていてもいい年齢に違いはない。
214歳にもなって母親に甘える自分と、生まれて三年で里を出されたピピ美。
その彼女は母親に甘えることもできない。
それを思うと、泣く妖精にかける言葉が咄嗟に見つからないリタだった。
翌日の午後、リタ一家は屋敷のある首都に向かって出立した。
屋敷を預かるシャルロッテ夫人は、せめて夫が戻るまではと引き留めたが、彼らは丁重にその申し出を断った。
リタを追ってレンテリア邸を飛び出した両親は、あまりの急な出立に全てを放り投げて来ていたし、祖父母には一刻も早く孫の無事な姿を見せてあげたかったからだ。
また正直に言うと、当主オスカルがいつ帰って来るかなど全く当てにならなかったのもある。
戦というものは、それ自体も大変だが、同時に後処理もとても骨が折れるものだ。
戦場では大量の戦死者(殆どがカルデイア兵)の処理から負傷者の保護、捕虜の確認と整理、兵員の移動と警戒作業など、その後始末は多岐に渡る。
そしてそのどれをとっても適当なことなどできるわけもなく、その処理が全て決了するのにひと月はかかるだろうと思われた。
そしてその真っただ中にいるのが将軍オスカル。
その彼が一体いつになったら家に帰れるかなんて誰にもわからない。
それでも彼が戦場で命を散らす心配から解放された家族たちは、いつ帰れるのかわからないオスカルであっても笑顔で待ち続けるのだった。
その日の夜、リタ一家は帰路の途中の町にある旅籠に泊まった。
そこはムルシア家の屋敷とは比べようがないほどに小さく粗末な宿ではあったが、それでも彼らは嬉々とする。
突然の伯爵家の宿泊にもかかわらず、満足な食事も出せずと平身低頭する旅籠の主人。
その彼にも笑顔で応じ、遠慮がちに出された食事もリタ一家は笑顔で食べた。
確かにその料理は豪勢どころか貴族が口にして良いものですらなかった。いや、むしろ人によっては粗末だと怒り出してもおかしくないものだ。
しかし何年も辺境の村で食うや食わずの生活を強いられた彼らは、そんなものでも平気で食べられたし、腹が膨れるだけで満足していた。
もちろんリタも食事に文句など言うわけもなく、黙々と空腹を紛らわせるのみだ。
そして小さく粗末なベッドに横になると、まるで我が家のように簡単に眠りに就くのだった。
それは夜も更けた真夜中だった。
尿意を覚えたリタが屋外の厠に用を足しに行くと、建物の裏手の鬱蒼と木の茂る場所に、薄ぼんやりと光るものに気がついた。
その光はどこかで見たことのあるものだった。
そしてそれが何なのか、リタにはすぐにわかった。
それはティターニアだった。
妖精族の女王と言われ、悠久の時を生きて来た半ば神のような存在。
その彼女が再びリタの前に現れたのだ。
頭の先から足の先まで、まるで理想を詰め込んだかのような完璧な容姿で近づいて来ると、
「リタ……いえ、魔女アニエス。あなたは
「ティターニア……様。わちはただ弟子を救いに行っただけじゃからの。あくまでも戦のことはついでじゃよ」
「ふふふ……あなたがそう言うのなら、そういうことにしておきましょう。それでも
ティターニアは絶世の美女と噂される美しい顔に、嫋やかな笑みを浮かべる。
そんな顔する彼女は少々幼く見えて、悠久の時を生きる女神のような存在だと知っていなければ、美しい人間の少女のようにも見えた。
するとリタは、そんな女王に胡乱な顔をする。
片方の眉を上げて目を細め、その美しい顔の奥を見透かすようだった。
「その言葉は
「ふふふ……さすがは年輪を重ねた『ブルゴーの英知』ですね。全てお見通しとは」
「不老不死のお前さんには言われとぅないわ。一体何万年生きとるん… で、なんぞ?」
「そのように訝しまないで下さい。此度の礼に、
「願い? なんぞ?」
「そうですね……魔女シャンタルは精霊界への移住を望みました。その願い通りに彼女は今でもそこで生きていますよ。そして永遠とも言える時間を魔法の研究に費やしていますね」
リタの表情が変わっていくのをティターニアは面白そうに見ている。
世俗のしがらみから解放されて、永遠の時を生きながら好きなことに没頭できる。
これほど彼女が望むこともなかったのだ。
そもそも彼女が師匠の後を継いで宮廷魔術師になったのも、従軍魔術師さながらに戦場を駆け巡ったのも、王族の家庭教師を務めたり魔王を倒す勇者を育てあげたのも、元はと言えば彼女が魔法の研究を続けていたかったからだ。
本当に力のある魔術師は、一人で軍の一個師団に相当する破壊力を有している。
そんな危険な存在が裏山に潜んでいるとしたなら、国として安心できない。
だから国は能力のある魔術師を積極的に囲おうとするし、管理しようともするのだ。
その存在自体が大きな脅威とも言える魔術師は、国の管理下に入らなければ迫害される。
それが野良の魔術師や魔女がその身を隠す理由になっていた。
元来魔術師とはそういうものだったのだ。
それがわかっていたアニエスは、自ら進んで国の役に立とうとした。
義務を果たし報酬を貰い、その身分を国に守ってもらいながら好きな魔法の研究を続けていく。
しかしそれでは時間がいくらあっても足りない。
だから彼女は魔法で己の寿命すらいじり、常人よりも遥かに長い生を全うしようとしたのだ。
そんなリタ――アニエスの心を見透かすかのように、ティターニアは尚も口を開く。
「それとも他に何か希望はありますか? もちろん
そこまで言うと妖精族の女王は、含みのある笑顔のまま一度言葉を切る。
その表情に妙な引っ掛かりを覚えたリタは、怪訝な顔のまま斜めにその顔を見た。
「しかし……? なんぞ?」
「はい。あなたを昔のあなた――魔女だった時の姿に戻して差し上げることくらいはできますよ? もしやそれがお望みですか?」
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