第145話 懲りない二人
両親に抱きしめられて号泣するリタ。
落とし切れない泥と返り血で汚れたまま、顔を歪めて泣きじゃくる。
その姿には、かつて『ブルゴーの英知』と呼ばれた偉大な魔女の片鱗はまるで見られず、それは如何に彼女の精神が低年齢化しているのかがわかるものだった。
初めは少々きつい言葉を投げていた両親も、反省し号泣する娘の姿に表情をやわらげると最後には優しく抱きしめた。
その様子を離れたところから眺めていたロレンツォは、彼らが落ち着いたのを見計らうと、遠慮がちに声をかけた。
「この度は大変申し訳ありませんでした。これは僕の不甲斐なさが招いた結果なのです。皆さんには幾らお詫びしても足りません」
神妙な顔で頭を下げるロレンツォにフェルディナンドが答える。
その右手は未だ涙を流し続けるリタの頭に置かれていた。
「そんな……フィオレッティ先生が謝る必要は全くありませんよ。これはリタが勝手にやったことですから」
「しかし、僕がもっとしっかりしていれば、こんなことには――」
「いえ、そうではありません。お願いですから、あなたが責任を感じるのはやめてください」
「しかし……」
ロレンツォの謝罪を遮るようにフェルディナンドが声を被せる。
その表情を見るに、どうやら彼は本気でロレンツォに謝罪されたくないようだ。
ロレンツォの謝罪――
そのような物言いは、普通であれば上辺だけのものであることが多いのだが、彼の言葉は心からのものだった。
そう、ロレンツォは本気で自分のせいだと思っていたのだ。
しかしその言葉を真面目に受け取るフェルディナンドではない。
神妙な面持ちで頭を下げるロレンツォを押し留めると、その必要がないことを再度告げた。
彼がリタの押しかけ弟子になってから一年、そして無詠唱魔法を使えるようになってから半年。
もちろんそんな短期間ではリタから学んだことを十分に生かせるはずもなかった。
しかしあの時、もう少し他にやりようがあったのではないかと今更ながらに思ってしまう。
助けに来てくれたリタに謝罪をした時、彼女は「弟子を助けるのも師匠の務めだ」と言ってくれた。
そして「弟子なんて、師匠に迷惑をかけてなんぼだ」ともだ。
その言葉を聞いた時、自分の頼りなさ、不甲斐なさを本気で呪った。
確かに弟子になってからの時間は短いが、これまでも20年に渡って魔法の訓練は積んでいたし、この年齢で二級魔術師の認定すら受けていたのだ。
それが戦争というリアルな舞台に出てみればこの体たらくだ。
幾ら相手の魔術師が滅多にいない無詠唱魔術師だったからといって、あれほどに浮足立つとは思わなかった。
散々主導権を握られ、大切な仲間を目の前で殺された挙句にこの左腕だ。
リタの闘いぶりを見ていたが、それはもう凄まじいものだった。
あれを目の前で見てしまうと、自分の闘い方など稚拙以外のなにものでもない。
これまでも自分の魔法にはそれなりに自信を持っていたが、その全てを否定された気分だ。
あの戦い方もそうだが、その後に見せてもらった召喚魔法も凄かった。
幼い肉体のせいで今は使えないそうだが、本来のリタ――アニエスはその他にも広域殲滅魔法も使いこなすと聞いている。
自分があの高みに辿り着くまでに、何年かかるだろう。
もしも彼女と同じ年数を生きたとしても、自分には到達できないかもしれない。
それだけの差を見せつけられてしまった。
それでも自分は彼女についていく。
まだ見ぬ高みを、必ず自分の目で見るために。
そんなことを思いながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった師匠をロレンツォは見つめていたのだった。
その後リタは、ムルシア家で歓待を受けた。
そこには約二ヵ月ぶりに会う婚約者フレデリクはもちろん、同い年にして将来の義妹になる予定のエミリエンヌの姿も当然ながらあった。
リタが到着したと聞いた彼らは、待ちかねたように屋敷の外まで走ってきたが、その姿を一目見て茫然としてしまう。
何故なら、リタの姿があまりにも酷かったからだ。
ここに来るまでの間に、ブリジットが手伝ってリタは汚れを落としていた。
それでも落とし切れない返り血で自慢のプラチナブロンドの髪はガビガビだったし、乾いた血の跡でローブはどす黒くそまっていた。
それはまさに「人を殺してきました」と言わんばかりの格好で、今まで人死になど見たこともない二人の子供には些か刺激が強すぎたようだ。
ムルシア家の浴室で身体を洗ってもらったリタは、またしてもエミリエンヌに下着から洋服まで全てを借りた。
前回は婚約の儀での「おもらし」という大失態のために少々彼女も気後れしていたが、今回は「借りて当然」といった顔だ。
これは名誉の汚れなのだと言わんばかりの面持ちだった。
それでもやはり一言言いたいエミリエンヌは、「私のお洋服なんだから、汚さないでよね!!」などと悪態をついていたのだが。
そんなこんなで夕食も終わり、親たちは戦場から帰ってきたロレンツォとブリジットから話を聞いて、子供たちはリタとお話をしていたのだった。
「それじゃあリタは敵の魔術師を倒したんだ!! 凄いなぁ!!」
リタの話にフレデリクが熱心に相槌を打つ。
その瞳は好奇心にキラキラと輝き、絶世の美女と名高い母親似の顔が余計に美しく見えた。
少年の顔を「美しい」と表現するのもおかしな話だが、確かにその通りなのだから仕方がない。
奇跡的に母親の良いところばかりを受け継いだ彼は、まさに美少年との表現が相応しかったからだ。
確かに横顔などに父親「脳筋」オスカルの面影は見て取れるが、全体的な造作は母親そっくりだった。
その分妹のエミリエンヌの方に父親の血が色濃く出ているようだが、その彼女も絶妙なバランスで二人の良いとこ取りした様な容姿だったりする。
そして世の多くの父親がそうであるように、やはりオスカルもそんな長女にメロメロだった。
そんな義妹になる予定の幼女を視界の隅に捉えながらリタは答える。
「はい。確かに倒しましたが、それは師匠の力が大きかったかと。
「でも、師匠の危機を聞いた君は、一人で屋敷を飛び出したって聞いたよ。とても僕には真似できないなぁ」
「い、いえ、それほどでも……でも、それでとと様とかか様には叱られてしまいましたのれ……」
そう言うとリタはしょんぼりとしてしまう。
先ほど両親に叱られたのが余程こたえたのだろう、目に見えるほどがっくりと肩を落としていた。
そんな婚約者を前にして、何を思ったのか不意にフレデリクが手を伸ばす。
そしてリタの頭を優しく撫でた。
その突然の行為に、母親譲りのプラチナブロンドの髪の間でリタの瞳が見開かれる。
フレデリクにとって、その行為に他意はなかった。
確かにリタは婚約者ではあるが、五歳の幼い彼女は彼にとっては妹のようなものだったからだ。
いくら年上とは言え、フレデリクとて八歳の子供なのだ。だから妹のエミリエンヌと同い年のリタをまるで妹のように扱ってしまうのも無理はなかった。
しかし当のリタはそうではなかったらしい。
突然美少年に「いい子いい子」と頭を撫でられたのだ。その予想外の行為に灰色の瞳をひん剥いていた。
未だ五歳児にして、まるで
顔を真っ赤に染めて婚約者に頭を撫でられるリタ。
その姿にエミリエンヌが嫉妬した。
「あぁ、ずる-い!! リタだけ兄さまにいい子いい子されてる!! 私も、私も―!!」
突然二人の間に割って入ると、ぐりぐりとエミリエンヌは父親譲りの髪色の頭を押し付ける。
そして自分も撫でろと強要し始めると、フレデリクは困ったような顔をした。
「エ、エミリー、やめろよ。いつも撫でてやってるだろ!? リタ嬢はお客様なんだから、お前は遠慮しろよ」
「えぇー!! やだやだやだー!! 私も私も私もー!!」
「お、おい、エミリー、だめだって、やめろよ」
困惑する兄に妹がにじり寄る。
その様子にやっとリタが正気に戻った。
そして迷惑顔を隠そうともしない婚約者を庇うように彼女も身体をねじ込んだ。
「うぬぅ……エミリエンヌ様、おやめくだしゃい。フレデリク様がお困りではありませぬか」
「な、なによ、あんた!! ちょっと、押さないでよ!! リタのくせに生意気よ!!」
「な、生意気――」
生意気とは何事か。
そもそも自分とお前は同い年ではないか。
しかも「リタのくせ」にとはいったいなんなのだ。さっぱり意味がわからない。
訳あって今はこんななりだが、本来の自分はお前などより二百九歳も年上なのだ。
その言葉はリアル五歳児のお前に
「ぐぬぬぬ……フ、フレデリク様が嫌がっておいででしゅ!! おやめくだしゃいと言っていましゅ!!」
「うるさいわね!! あんたなんてお呼びじゃないのよ!! あっちに行きなさいよ!!」
むぎゅうー!!
ぎゅうぎゅうと二人の間に身体をねじ込むリタ。
その頬をエミリエンヌが思い切り押しつけると、リタの顔がむにゅうと変形してしまう。
如何に幼い五歳児と言えど、互いに貴族の令嬢なのだ。それが乱暴に相手の顔を押し退けるとは何事か。
この腐れ外道め、幼女の風上にもおけぬわ!!
「いだだだだ!! な、なにすんのじゃ、やめぇや、このハゲが!!」
「なんですってぇー!! 誰がハゲよ!!」
ぎゅー!!
やめろと言うのに、一向にやめようとしないエミリエンヌ。
そのあまりの仕打ちにとうとうリタは声を荒げてしまう。
「じゃかましいわ!! ハゲはおまぁじゃ!! わちがフレデリク
「な、な、な、なんですってぇー!?」
遂にブチ切れたリタが正体を現してしまう。
もっともそれは以前にも二人の前で披露したことがあるので、今更フレデリクは驚いたりはしなかったのだが。
フレデリクは、リタの生い立ちを知っていた。
彼女が辺境の村で生まれたことも、生まれてから三歳まで病気で寝たきりだったことも、言葉を話せるようになったのがここ二年ほどであることも、その全てを聞いていたのだ。
もちろんそれは彼なりに自分の婚約者を理解しようとした結果だった。
約二ヶ月前の婚約の儀では、二人の前でリタは正体を晒した。
それまでの彼女は幼いながらも淑女然とした装いだったが、突然それをかなぐり捨てて妹と叩き合いの喧嘩をしたのだ。
それをフレデリクは間近で見ていた。
あまりと言えばあまりな姿に普通であればドン引きするのだろうが、むしろその姿はフレデリクには面白かったらしい。
確かに初めは度肝を抜かれていたが、妹と口汚く喧嘩する姿に何処か惹かれるものがあったようだ。
自分とは生まれも育ちも全く違い、一皮むけばまるで貴族令嬢らしくないリタ。
また類稀な魔力持ちであり、魔術師への道を歩むリタ。
その隣にいることができれば、自分では決して叶えられない夢を、彼女が代わりに叶えてくれるだろう。
そんな彼女が自分の婚約者に選ばれて、本当によかったと思うフレデリクだった。
「痛い痛い!! 何すんのよ、この!!」
びばし!!
「痛ったぁ!! おまぁこそ、何するん!! ええかげんにせぇや!!」
ばしん!!
「痛いって!! や、やめてよ、さっきから何よ!! あんたこそいい加減にしなさいよね!! 私の兄さまを独り占めなんかにさせないんだから!!」
ぐりぐり!!
「いたたたたっ!! やめぇや!! フレデリク
ぱちんっ!!
「あうっ!! 婚約者だからってなによ!! 兄さまは私の兄さまなんだから、気安く触らないでよねっ!!」
びしっ!!
「な、なんじゃー、痛いじゃろ……!! ぐしゅっ……ふえぇぇー!!」
ばちんっ!!
「いったーい!! やめてよ、痛いじゃない…… うえぇぇぇ」
「うえぇぇぇぇー!! エミリエンヌが虐めるぅー!!」
「リタが意地悪するー!! ふえぇぇぇぇーん!!」
いつぞやと全く同じことを繰り返すリタとエミリエンヌ。
まるで成長しない二人の幼女の泣き声が、夜も更けたムルシア侯爵邸に響き渡った。
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