第143話 戦争の結末

「リタ様。始まったようですね」


「うむ。あとはやちゅらに任せておけばよかろう。わちにできるのはここまでじゃ」


 遠くから悲鳴が聞こえ始めたのを確認すると、既に興味を失ったと言わんばかりにくるりとリタは踵を返す。

 それから一度も振り返ることなく歩き出そうとしていると、その背中に心配そうな顔のロレンツォが声をかけた。


「あの……余計なことかもしれませんが、あまり派手にやると後から訝しむ者が出てくるのでは……?」


「心配無用じゃ。その辺はティターニアが上手くやってくれると言っていたからの」


「えっ……ティターニア様が?」


「うむ。それがどういう意味なのかわちにもようわからんが、まぁ、追々わかるじゃろ。それにマンさんたちには作戦を言い含めてあるしの。そもそもわちの役目は、敵を全滅させることではないからな」


「……全滅させずに、どうするつもりなのですか? 一部に損害を与えた程度では、一万からいる敵が容易に退くとも思えませんが」


 いまいち要領を得ないロレンツォの言葉に、リタの眉が微妙に上がる。

 少々たれ目がちの灰色の瞳を細めると、何やら面白そうに弟子の顔を見つめた。



「なんじゃ? おまぁ、わからんのか? 確かにわちはこの戦をやめさせるとティターニアと約束やくしょくしたが、全てをわち一人でやるとは一言も言うちょらんじょ?」


「……ではどうするおつもりなのです? 如何にマンティコアやヘカトンケイルと言えど、一万の兵を皆殺しにはできないでしょう?」


「おまぁの目は節穴か? いまのこの状況で理解できんか? わちがわざわざ出しゃばらずとも、敵兵なんぞ殲滅できるじゃろ。ほれ、良く見てみい」


「……」


 

 したり顔の五歳女児に、偉そうに顎をしゃくられるロレンツォ。

 その微妙に憎たらしくも愛らしい顔を見つめながら、思わず周りを見渡してしまう。

 しかし幾ら考えてみても、ロレンツォにはその言葉の意味が良くわからなかった。


 確かにリタはティターニアにこの戦をやめさせろと命じられた。

 しかし国と国とがぶつかり合い、数万人の人間が殺し合うこの戦争において、個人ができることなどそう多くはないはずだ。


 これが前世でのリタ――アニエスであったなら、広域殲滅魔法で敵を一網打尽にできたのかもしれないが、今の幼い身体ではそれは望むべくもない。

 それを考えると、彼女が一人でできることは精々召喚魔獣たちに戦場をかき回させる程度だろう。

 しかし如何にそうしたところで、一万からいる敵兵全てを殲滅させられるとも思えなかったのだ。


 

 己の思索に沈む弟子の背を、微妙に背伸びをしながらリタがぽんと叩いた。


「まぁ、見ておれ。わちの見立てでは、全てが良いように収まるはずじゃ。 ――もっともカルデイアにとってはまさに悪夢以外のなにものでもないじゃろうがな」


「はぁ……」


 凡そ五歳児とは思えないたちの悪い笑みを浮かべるリタ。

 そんな師匠の顔を見ていると、何か背中に薄ら寒いものを感じてしまうロレンツォだった。




 ――――




 あと数分で先頭集団が戦闘に突入するタイミングで、突如カルデイア軍が陣形を崩した。

 それまでは整然と陣を敷いていたにもかかわらず、突然無秩序に走り出したのだ。


 その姿には戦を始める気概など微塵も感じられず、ひたすら何かから逃れるように、皆一様に恐怖に顔を歪めている。

 そんな敵軍の状況を見ていたオスカル以下ムルシア侯爵軍の幹部たちは、突如騒然とし始めたのだった。



「将軍。突然敵が崩れ始めました。一体どうしたのでしょうか?」


 明らかにおかしい敵兵の動きに、胡乱な顔を隠せないオスカル・ムルシア将軍。

 そんな彼は、何気ない部下の問いに吐き捨てるように答えた。


「知るか。 ――差し詰め、戦の恐怖に負けたのではないか? 先陣は死ぬ確率が高いからな。大方、農民からの徴兵で固めていたのだろう」


「はぁ。それにしても、酷いありさまですな。これでは陣形も何もあったものではない」


「ふんっ、なんにせよこれは天の配剤だ。 ――よしっ、当初の作戦は中止だ!! 全軍突撃!! 一気に殲滅するぞ!!」


 一瞬だけ考える素振りを見せたオスカルだったが、勢いよく踵を返すとそのまま指揮所を出て行こうとする。

 そんな彼の背中に、参謀プリモ・ロブレスが追いすがる。

 そして必死に彼を止めようとした。


「しょ、将軍!! 少しお待ちを!! まさかとは思いますが、これが敵の策略という可能性も――」


「やかましい!! これは明らかに敵が浮足立っている証拠なのだ!! 叩くなら今しかない!! いいか、俺は今回先陣を切る。ついて来られない臆病者は、今すぐここから立ち去れ!!」


「し、しかしオスカル様!! 将軍自らが先陣を切るなど、無茶すぎます!! もしもその身に何かあったらどうするおつもりですか!? 今やあなたお一人の命ではないと何度――」


「えぇい、くどいぞ!! 俺が死ぬわけなかろう!! いい加減にしろ!!」


「オ、オスカル将軍!!」



 部下の提言にもまるで耳を貸さずに、オスカルは自分の意見を押し通す。

 そして誰にも相談をしないまま、先頭に立って敵に突っ込むと言い始めた。

 なんという「脳筋」か。

 その場の全員がそう思ったが、誰も口に出す者はいなかった。


 叩くなら今しかない。


 確かにその判断は正しいのかもしれないが、考えれば考えるほど敵の動きが罠に思えてきてしまう。

 まるでこちらを誘っているようにしか見えないのだ。


 もう少し様子を見るべきだろう。

 オスカルの周りの者は全員――参謀のプリモ・ロブレスも含めてもう少し慎重な判断をするように提言したのだが、オスカルはまるでその言葉に耳を貸そうとはしなかった。


 押し留める部下に蹴りを入れると、愛馬に跨り軍の先頭目指して走り去って行く。

 そんなムルシア家の若当主の後を、参謀プリモ・ロブレスが必死に追いかけた。



「あぁ、バルタサール様。どうか御子息をお守りください。いま彼に死なれたら、間違いなくこの軍は崩壊します。そして領都もすぐに落ちるでしょう。どうか、どうかお願いです。お力をお貸し下さい!!」




 ――――




「ヴァルネファー将軍!! 大変です!! 左翼は完全に崩壊しました!! 今も三頭のドラゴンに兵たちが焼かれています!! どうかご指示を!!」


「右翼の被害が百名を越えました!! 残った者たちも恐怖のあまり逃げ惑うばかりで、既に陣形は崩れ去りました!!」


「黒い巨人の攻撃で、既に一個中隊が全滅しました!! また、第二陣との連絡も取れない状態になっています!! 如何致しますか!?」



 カルデイア大公国軍の指揮所に、各所からの報告が続々と集まってくる。

 しかしその全てが聞きたくもないと思うようなものばかりで、将軍ヴァルネファーは己の耳を塞ぎそうになってしまう。

 しかし全軍の指揮を預かる将軍の立場として、それだけはできなかった。


 これからまさに敵軍と衝突するというタイミングで、いったい何が起こっているのか。

 もしやこれは敵の策略なのではないだろうか。

 そんないささかイラつく状況の中、その感情を隠すように敢えて彼は普通の声音で声を出す。


「いったい何が起こっているのだ? だれかわかる者はいるか?」


「恐れながら閣下、これは森の妖精の怒りだと噂するものがおりまして……」

 

「森の妖精だと? 何故にそのような話が出ているのだ? なにか根拠はあるのか? それとも単なる憶測か?」


「はい……実は複数の者が森の中に絶世の美女を見たと話しておりまして」


「絶世の美女? なんだそれは」


 まるで話が理解できないと言わんばかりにヴァルネファーが奇異な顔をしたが、それには少なくない侮蔑の感情が含まれていた。

 そんな将軍の表情に対し部下が怯えたような顔をすると、助け舟を出すように参謀のツァイラーが口を挟んでくる。



「閣下、伝承ですよ。古い言い伝えです。古い森には妖精が住んでいて、その女王が森を荒らす人間に天誅を加えるという。そんな言い伝えですよ。まぁ、話半分に聞いていただいて結構ですがね」


「妖精の女王……? なにか? その女王とやらが化け物をけしかけているとでも言うのか? なにを馬鹿な――」


「し、しかし……実際に見た者が何人もいるのです。全身に光を纏った絶世の美女が、その化け物に寄り添っていたと」


「……くだらん」


 実際には限りなく真実に近い話を、たった一言で斬り捨てたヴァルネファー。

 そんな彼に、参謀のツァイラーが再び話しかけてくる。


「閣下。いずれにしても、この場をどうにかしなければならないでしょう。起こってしまったことは今更どうしようもありませんが、これからどうするかを考えるのがあなたの仕事なのではありませんか? すでに敵国の奥深くまで入り込んでいるのです。ここでゆっくりと考えている時間はないはずです」


 ジッと射貫くような参謀の視線に怯んだヴァルネファーは、ふと自分の左手に目が止まる。

 そしてその薬指にはめられた指輪を見た途端、大きく息を吐いた。

 次の瞬間には、彼は元の落ち着きを取り戻した様子に戻っていたのだった。


「ここは一度後退させるべきだろう。しかし後方には黒い巨人とやらがいるらしいな。まずはそれを何とかしなければ、退がることも儘ならん」


「化け物とやらは私が様子を見て来ます。閣下は陣形の立て直しをお願いします」


「わかった。それでは後方はお前に任せる。気を付けろよ、ツァイラー」


「はい。お任せを――」



 左右と後方は魔獣に暴れられているが、正面のムルシア侯爵軍は今すぐに動きを見せることはないだろう。

 当初の予測通り、暫くは様子見に徹するはずだ。

 

 そう思ったヴァルネファーは、次の指示を部下に与えようとする。

 しかしその時、突然指揮所に一人の兵士が駆け込んできた。

 余程慌てていたのだろう、敬礼も無しにいきなり要件を告げたのだった。


「申し上げます!! 正面にて待機していたムルシア侯爵軍が、突如大挙して押し寄せてきました!! こ、このままでは激突します!! ご指示を!!」


 その報告に、ヴァルネファーの眉が上がる。

 如何にも武人らしい厳つい顔を顰めると、彼は大きく叫んだ。


「なにぃ!? このタイミングでか!? ムルシア将軍は余程の名将か馬鹿かのどちらかだな!! ――くそぅ、こうなったら我々も迎え撃つしかないだろう。!! 全軍に告ぐ!! 全ての兵力を前面に集中し、敵の突撃を防ぐのだ!! 急げ!!」




 まさかいきなり敵が突っ込んでくるとは露にも思わなかったカルデイア軍は、完全に不意を突かれた形になっていた。

 これまでも三方向から謎の魔物に襲われて、無秩序に兵は逃げ惑い、陣形が崩れていた所に最悪のタイミングでムルシア侯爵軍に突撃されたのだ。


 魔物から逃げ惑う兵士たちは恐怖のあまり使い物にならなくなっていたし、その影響で大きく陣形が崩れて指揮系統もめちゃくちゃだった。

 そしてその影響を受けた前面は、すでに敵の突撃を防ぐ力はなかったのだ。


 カルデイア大公国軍一万に対し、ムルシア侯爵軍一万五千。

 幾ら戦力差があるとは言え、たった一時間で決着がつくとは誰が想像し得ただろうか。


 カルデイア軍の周りで暴れていた魔獣たちは、ムルシア侯爵軍が突撃した時にはすでにその場から消え去っていた。

 しかし、既にその時には遅すぎたのだ。


 軍としてのカルデイア軍は完全に崩壊し、最早彼らは烏合の衆と同じだった。

 隊長クラスが何人も焼かれ、食い殺され、叩き潰されたせいで満足に兵を動かせる者もおらず、兵士たちはそれぞれがバラバラに行動した挙句に敵兵に各個撃破されていく。

 いまとなってはカルデイア兵の中にまともに戦う意欲のある者はいなかった。

 既に戦意も失って、ただ敵の蹂躙するに任せていたのだった。

 


 カルデイア軍の後方には予備兵力が約三千あったのだが、たった一体の黒い巨人によってその合流を妨げられていた。

 いや、それどころか、第一陣を助けようと進軍を始めた第二陣に向かって彼は真正面から虐殺を始めたのだ。


 突然現れたヘカトンケイルに蹂躙される第二陣の兵たち。

 さらにそこに三頭のマンティコアとワイバーンが加わると、もはや前進することも叶わずに彼らは西に逃げ戻ることしかできなくなってしまう。

 


 結局カルデイア軍一万は、オスカル・ムルシア率いるムルシア侯爵軍によってたった一時間で全滅させられ、予備兵力の第二陣も三千いた兵力を二千まで減らした挙句に本国まで逃げ帰っていったのだった。


 こうして約一ヵ月に渡った二国間の戦争は、ハサール王国の圧倒的勝利で幕を閉じたのだった。

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