第140話 誰かの陰謀、もしくは策略
リタとロレンツォの師弟ペアが敵魔術師――ステファンを屠っていた頃、ムルシア侯爵軍の兵士たちもカルデイア兵を制圧していた。
初めは五十名程度いたカルデイア兵だったが、リタ一人に十九人も倒されていたので、残った者たちだけでは六十名からなるムルシア侯爵軍兵には敵わなかったのだ。
それでも彼らは必死に戦ったが、最後まで数の劣勢を覆すことはできなかった。
最終的に十人前後にまで減らされたカルデイア兵は、本隊のいる東に向かって敗走していったのだった。
砦の中のムルシア侯爵軍兵が六十人もいるのに、何故カルデイア側がそれよりも少ない兵しか配置していなかったのだろうか。
それは魔術師ステファンの存在があったからだ。
類稀な攻撃魔法の技量を見込まれていたステファンは、一人で約五十名の兵士に匹敵するものと見られていた。
しかしその計算は、リタが乱入してきたことで破綻してしまう。
本来はステファンが敵の兵士を魔法で牽制する手筈になっていたが、途中から彼は目の前のリタを倒す事しか考えなくなっていたのだ。
そしてさらにロレンツォが加勢すると、ステファンの頭からは他の兵士たちへの援護などすっかり抜け落ちていた。
結局ステファンはリタとロレンツォの師弟コンビに屠られてしまい、残ったカルデイア兵たちも敵の多さに為す術もなかったのだ。
ムルシア侯爵軍兵たちの士気は高く、まるでこれまでの鬱憤を晴らすかの如く暴れ回る。
その姿は、自分がやらねば誰がやるのかと言わんばかりだった。
それは彼らがリタの姿を見たからだ。
まさに
そんな年端もいかない女児が多数の敵兵相手に孤軍奮闘する姿に、彼らも心が奮い立ったのだ。
彼女は自分たちを助けに来てくれた。
そして誰一人として助けもない中で、たった一人で戦っている。
それに比べて、自分たちは一体何をやっているのか。
何故あんな小さな女児一人に戦わせているのか。
今こそ撃って出る時だ。
そしてあの子供を助けるのだ。
リタの戦う姿に居ても立ってもいられなくなったムルシア侯爵軍兵たちは、大挙して砦から飛び出してくる。
そして鼻息も荒く異常なまでに士気を高めた彼らは、あっと言う間に敵兵を敗走させたのだった。
「うおおお!! ざまぁ見やがれ、侵略者どもめ!!」
「勝った、勝ったぞ!!」
「助かった!! これで
ふとリタとロレンツォが周りを見ると、
未だ
戦闘も終わり、すっかり肩の力を抜いたリタがそんな彼らの姿をぼんやりと眺めていると、横から声をかけられた。
それは弟子のロレンツォだった。
いまにも泣き出しそうな瞳に涙を溜めながら、震える口を開く。
「リタ様。この度はありがとうございました。こんなに役立たずの僕なのに、身体を張って助けてくれるなんて……僕は……僕は……なんて素晴らしい師匠を持ったのかと――」
「泣くでない、ロレンツォよ。弟子のピンチを
「でも……リタ様には大変な迷惑をかけたのではないかと……」
「ふふん、何を言う、一丁前に。 ――師匠に迷惑をかけない弟子なんぞ、いるわけなかろう? 弟子なんぞ、迷惑をかけてなんぼじゃろが」
「……はい」
身長104センチの幼女が168センチの弟子に、まるで母親のような言葉をかけた。
その優し気な微笑みが浮かぶ顔を、泣きそうな顔で弟子が見る。
端からみるとその様子は、些か滑稽に見えた。
その時、突然思い出したかのようにリタは話題を変えた。
いや、実際には今思い出したわけではなかった。
何故なら、彼女はずっとロレンツォの左腕を見つめていたからだ。
「それはそうと……ロレンツぉよ、おまぁ、その左腕は……」
「あぁ、これですか? まぁ、これは僕の至らなさの結果ですね。仕方のないことです」
ロレンツォの着る魔術師用のローブは、その左腕の半ばから焼け焦げている。
そしてそこから覗く彼の左腕は、肘から先が無くなっていた。
見たところ傷は塞がっているようだし、痛みも感じていないらしい。
恐らく彼は、治癒魔法を駆使して自分で自分を治療したのだろう。
それでも彼の青ざめた顔を見る限り、それなりに出血は多かったようだが、こうして立って話している姿を見る限り、特に後遺症などはなさそうだった。
もっとも、その心の傷は計り知れないのだろうが。
そんなことを考えていたリタは、ふと地面に横たわるステファンの死体に目をやった。
「……そりは、この男がやったのか?」
「はい。この魔術師に吹き飛ばされました。――でも、正面から正々堂々と戦った結果ですから……悔いはありませんよ」
「悔いはないって……おまぁ……」
まるで事も無げに言っていたが、その言葉の端々にはロレンツォの喪心が透けて見える。
表面上はなんともなさそうに見えるが、その実彼は相当無理をしているのだろう。
そんな彼の様子に、思わずリタは言い淀んでしまう。
そんな時、レンテリア邸で帰りを待つロレンツォの恋人――ジョゼットの姿がリタの脳裏を過った。
彼女がこの腕を見たら、一体何と思うだろう。
真面目で責任感の強い彼女のことだ。
ロレンツォがこんな身体になってしまったというのに、それに対して何もできない自分を彼女は一生責め続けるのかもしれない。
それを思うと、とても居た堪れなくなってしまうリタだった。
「おい、ロレンツォ。お前その天使の知り合いなのか? 俺にも彼女を紹介してくれよ」
そんな二人が少々重苦しい空気に浸っていると、突然横から声をかけられた。
ふと横を見ると、それは砦救出隊の隊長を務めていたハーマンだった。
相当派手に暴れていたのだろう、彼は全身に返り血を浴びて凄まじい姿になっていた。
そんな彼に、ロレンツォが返事をする。
その姿からは、直前までの重苦しい様子は消えていた。
「あぁ、ハーマン隊長。ご無事でしたか。 ――敵兵はどうなりましたか?」
「奴らはほとんど倒したぞ。最後に十名程度残っていたが、全員東の方へ逃げて行ったな」
「そうですか…… 追わなくてもいいのですか?」
「放って置くさ。どうせ奴らは本隊に合流するつもりなんだろうが、今更ここには戻ってこないだろう。いまとなってはここに拘る意味がないからな。――それはそうと、俺にこの嬢ちゃんを紹介してくれよ」
「あぁ……そ、そうですね……」
その言葉とともに、ロレンツォの顔に迷いが見えた。
果たしてここでリタの素性を明かしていいものだろうか。
少なくともこの場の全員はリタの戦う姿を見ているだろうし、その凄まじい闘いぶりも目の当たりにしているはずだ。
それに自分が彼女の弟子だという言葉も聞かれているかもしれない。
やはりここは適当に誤魔化すべきだろう。
そう思ったロレンツォは、ちらりとリタの顔を見た。
するとその顔からは、彼女が自分と同じように考えているのが伝わってくる。
その意を汲んだロレンツォは、やはり適当に誤魔化そうとした。
「えぇと、彼女は――」
「あぁ、その子、知ってるぞ!! 見たことある!! あれだろ!? 一時期首都で話題を攫っていた、あの美少女だろ!?」
「えっ……あぁ、そうだ!! 俺もあの街道で馬車を見ていたんだよ。まだ小さいのに凄い美少女だって評判だったよな。……あぁ、間違いない、その女の子だよ、そうだ、そうだ!!」
「へぇ、この子がそうなのか。確かに、こりゃあ将来
ハーマンとロレンツォが話をしていると、その後ろから続々と兵士たちが集まってくる。
彼らとて、突然現れて自分たちを救ってくれたリタに対し、興味深々だったのだ。
それもそうだろう。
未だ幼児にしか見えない小さな子供なのに、凄まじいまでの戦闘力を見せつけたのだ。
果たしてこの子は何者なのか。
絶対に只者ではないだろう。
しかしこの期に及んでもロレンツォとリタが誤魔化そうとしていると、遂に誰かが決定的な一言を告げたのだった。
「あぁ、そうだ、思い出したぞ!! その美少女って言やぁ、確かレンテリア伯爵の孫娘じゃなかったか!?」
「そうだ、そうだ!! 出奔していたご次男――確かフェルディナンド様だったかが連れ帰って来たお孫様だよ」
「お前、よくそんなこと憶えてんな」
リタとロレンツォ、そしてハーマンを囲みながら勝手にがやがやと噂話を始める兵士たち。
その中心でリタは盛大に冷や汗をかいていた。
このままでは確実に自分の正体がバレてしまう。
ここはなんとか、逃げ出して――
などと性懲りもなくリタが考えていると、遂に誰かが真実に辿り着いてしまったらしい。
それはまさに、リタが一番知られたくないことだった。
「……って、ちょっと待てよ。レンテリア伯爵のお孫様ってことは……オスカル将軍のご子息の婚約者なんじゃ……?」
「なにっ!? ……ってことは、なにか? この子は、我らがムルシア侯爵家の次期当主夫人ってことか?」
「なにぃ!?」
「えぇ!?」
「えぇぇぇぇー!!!!」
そのあまりの衝撃に、この場の全員が目をひん剥いていた。
戦場から逃げ出すことも叶わなかった彼らは、砦に籠城して半ば死ぬつもりだった。
そしてやっと来てくれた救出隊は、敵の策略にはめられて結局砦の中に逃げ込んだのだ。
そして日増しに減っていく水と食料を見つめながら、絶望感だけが満ちていく。
そんな中に颯爽と現れたのがリタだった。
果敢にもたったひとりで敵に挑み、最後まであきらめずに戦い続けた。
見たところ魔術師の卵なのだろうが、まるで剣士のような接近戦まで演じてみせたのだ。
そんな武神の如き強さを見せつけた幼女。
この子が何者なのかと尋ねてみれば、それは次期ムルシア家当主フレデリク・ムルシアの婚約者だという。
つまり彼女は、次期ムルシア侯爵夫人なのだ。
そして自分達ムルシア侯爵軍の次期将軍の妻でもある。
それからたっぷり十秒は経っただろうか。
衝撃の事実の発覚にその場の全員が一言も発することができないでいると、突然その中に大きな笑い声が響いた。
「わはははっ!! こりゃあいい!! なんと、次期ムルシア侯爵夫人がバリバリの武闘派だったなんてな!! こりゃ傑作だ!!」
「あぁ、その通りだ!! この子が嫁に来るのなら、次のムルシア家も安泰だな!!」
「あははははっ!! 本当にそうだ!!」
現ムルシア家当主、オスカル・ムルシアには息子が一人いる。
しかしその息子――フレデリクは父や祖父にはまるで似ていなかった。
性格はおとなしく、剣の腕はからっきしで、極端な学者肌の少年だったのだ。
ムルシア侯爵家と言えば、ハサール王国の武家貴族の筆頭だ。
その歴史を遡るとハサール王国の建国時にまで辿り着く、王国最古の貴族家でもある。
そんな王国の盾とも言えるムルシア家であるのに、次期当主であるフレデリクにはまるで武の才能がなかったのだ。
そしてそれこそが、現当主オスカルとその夫人シャルロッテが頭を悩ませているところに他ならなかった。
内政に関してはすでにその才を見せ始めていたが、それに反して軍務にはまるで才能を持ち合わせていない。
そもそもフレデリク自身が軍務に対してまるで興味を持っていなかったのだ。
そこに来て、この婚約者である。
その武闘派としての性格は間違いないものであったし、その戦いぶりを見る限り、将来は立派な女将軍になれるだろう。
もちろんリタ自身はそんなことなど全く望んではいなかったが、夫になる人物の性格を知る者が皆そう思ってしまうのは無理もなかった。
そのくらいフレデリクは、極端な草食系男子だったからだ。
聞けばリタは、今は亡きバルタサール・ムルシア自身が直接孫の婚約者として請うたという。
そしてあの「ムルシアの女狐」とまであだ名されるシャルロッテをして正面から打ち負かしたとも聞く。
その結果、シャルロッテをして是非リタに嫁に来てほしいとまで言わしめたのだ。
そんな人物が将来のムルシア家を背負って立つと思うと、この場のムルシア侯爵軍兵たちは思わず興奮してしまう。
そして気付けば口々に叫び出していた。
「うおおおぉ!! 凄いぞ、この子が次期ムルシア家の嫁なんだ!!」
「次期当主夫人ばんざい!! リタ・ムルシア、ばんざーい!!」
「リタ様!! 次代のムルシア家をよろしくお願いします!!」
「あなたがいるのであれば、次のムルシア領も安泰だ!!」
興奮した兵たちが自分の名前を叫びまくるのを聞きながら、リタはその愛らしい顔を引きつらせていた。
そして茫然とした顔で、小さく呟く。
「どうして……こうなった……? これは誰かの陰謀なんか……?」
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