幕間6 チェスの懺悔 其の二

「――何故なら私が恋をした女性とは、誰あろうあなたなのですから……チェス殿」


 神殿の懺悔室で突然告白をされた神術僧侶のチェスは、その言葉に思わず混乱してしまう。

 まさかここでいきなり愛の告白をされるなど全くの想定外だったし、それに対してどう返答すればいいのかもわからなかったからだ。


 しかしこのまま無言を貫くのも気まずいと思った彼女は、無理やり話を進めようとする。

 その声は震えて、上ずっていた。


「な、な、な、何を仰るのです!? じょ、冗談にしては少し度が過ぎますよ!?」


「いいえ、決して冗談ではありません。これは私の本当の気持ちなのです」


「えぇ……」



 間を隔てる壁のせいで相手の顔は見えないが、話しぶりからも、声のトーンからも、決して冗談を言っているようには聞こえない。

 いやそれどころか、緊張のためだろうか、些か掠れたようなその声からは切ないまでの想いが伝わってくる。

 

 それを聞いたチェスは、猛烈に相手のことを知りたくなってしまう。

 これまで20年生きてきた中で、両親以外から好きだと言われた経験がなかったからだ。

 しかしその両親とも四歳の時に引き離されていたので、事実上これが初めて人から向けられた好意かもしれない。

 こんな自分に好きだと言ってくれた相手とは一体どんな人物なのか。それが気になって仕方がないチェスだった。



 こんなチャンスは滅多にない。

 とは言え、自分は神職に就く身。一体どうすればいいのだろう……


 思わず本気で悩み始めたチェスだったが、ここで相手の名前を聞いたり身元を詮索するのは教会のルールに反する。

 なのでチェスは、別のアプローチをしてみることにした。


「お話はわかりました。しかしわたくしは神に全てを捧げた身。あなたの好意はとても嬉しいのですが、それを受け入れることはできません」


「やっぱりそうですよね…… いや、わかってはいるのです。あなたが僧侶である以上、このような世俗のことに関わってはいけないことは……」


 相手の顔は見えないが、その声には大きな落胆が滲んでいた。

 壁の向こうの相手は、今にも泣きそうな顔をしているに違いない。

 図らずもそう思わずにはいられないような力のない声だった。



 その声を聞いた途端、チェスは慌てたように声を上げる。

 確かに僧侶の自分に愛の告白をされても困ってしまうが、この話をこの場限りで終わらせても良いものだろうか。

 いや、こんな一生に一度あるかないかのチャンスを不意にするわけにはいかない。

 これはきっと、いつも頑張っているご褒美として神が遣わせてくれた御心なのだ。


 などと少々都合よく解釈したチェスは、一つの提案をしてみることにした。


「あなたのお気持ちはよくわかりました。確かにわたくしとしてそのお気持ちに応えることはできません。しかし迷えるお心を昇華させるためのお手伝いはできます」


「それは……どういう意味でしょうか?」


「このような場所ではなく、直接お会いしませんか? もちろん場所は教会内に限られますが、互いに顔を合わせながら一度お話をしてみましょう」


「えぇ!? 宜しいのですか!? こんな私の告白を聞いていただけただけでも満足ですのに……直接会って頂けるだなんて……」


「えぇ、かまいませんよ。それであなたの想いが昇華できるのであれば、わたくしはいくらでも協力いたしましょう」


 そんなわけでチェスとその男性は、一週間後に再び会う約束をした。

 今度は懺悔室ではなく、神殿の一般参拝者用の部屋で。

 

 



「ねぇリンジ―。変なことを訊くけれど、最近この神殿に来る参拝客の中で、一人で来る男性っていたっけ?」


 その日の夜。

 仕事の終わったリンジーが寮に引き上げようとしていると、突然チェスが話しかけて来た。

 いつもであれば勤務を終えた安堵感にホッとした顔をしているチェスなのに、今夜に限っては妙に真面目な顔をしている。


 そんな彼女に向かって、胡乱な顔でリンジーが答えた。


「えぇ……男性が一人で……? 若い人? お年寄り?」


「多分……若いと思う。そうねぇ――二十代の貴族子息っぽい人。思い当たる人いる?」


「……二十代の青年貴族で、一人で参拝に来る人? ――うーん、そんな人いたかなぁ……ってか、なにそれ? もしかして恋人欲しい病をこじらせすぎて、遂に妄想まで見るように――」


「違うわよ!! 今日の懺悔で、突然男の人に告白されて――はっ!!」


 勢いに任せてうっかり口走ってしまったチェスは、慌てて口に手を当てた。

 しかし時すでに遅し。

 しっかりと言質を取ったリンジーは思い切り大声を出した。



「こ、こ、こ、告白!!?? なにそれ!? そんな話聞いてないし!! ってか、それをわざわざ懺悔するってことは、その想いが相当ヤバいってことを相手も理解してるってことでしょ!?」


「ま、まぁ…」


「そりゃぁ、あんたみたいな『ぺたんこイカ腹女』に惚れてしまったら相当ヤバいでしょうけど!! 一体どんなマニアなのよ」


 その言葉に、一瞬にして物騒な顔になるチェス。

 どうやら彼女は「ぺたんこ」「イカ腹」という単語に過剰反応してしまうらしい。

 その理由は――推して知るべし。


「ぺたんこじゃねーし!! イカ腹じゃねーし!! マニアとか意味わかんねーし!!  なんで私に惚れるのがそんなにヤバいのよ!?」


「そりゃあ、あんたが合法ロリ――いや、神の巫女だからでしょ。決して結ばれることのない相手に惚れても苦しいだけだし、あんたも苦しめてしまうと思ったからに決まってんじゃん」


「なんでいきなり真面目に答えるし!! ――で、思い当たる人がいるのかって聞いてるでしょ。早く答えなさいよ、使えないわねっ」


「なんでそんな上から目線なのよ……くそぉ、自分が告白されたからって、マウント取りやがって……」


「あ゛っ!?」


「な、なんでもない……」



 

 神殿にやって来る参拝客は、その多くが夫婦や家族連れ、そしてお年寄りばかりだ。

 中には女性が一人で訪れることもあるが、若い男性が一人で来ることなど殆どない。

 だからもしも本当にそういう人物がいればすぐに思い出しそうなものだが、二人が頭を捻ってもなかなか該当する人物は出て来なかった。


 そんな中、何かを思い出したかのようにリンジーが口を開く。


「あぁ、そう言えば一人いるかなぁ。ほら、あれあれ。聖教会の所管貴族家のジーゲルト伯爵家の次男……なんだっけ、ほら、あのイケメンの――」


 イケメン。


 その言葉に即座に反応したチェスは、必死に記憶を呼び覚ます。

 しかし週に一度しか神殿に出ないチェスには、どうしてもその人物を思い出すことができない。


 もしやその人物とは会ったことがないのではないか。

 そもそもイケメンなら、一度でも見ていれば絶対に忘れない。それだけは自信を持って言える。 

 チェスが諦めたように見返すと、続けてリンジーが口を開く。


「あぁ、思い出した!! そうそう、ディートフリート様だよ。確か年齢は25歳くらいじゃなかったかなぁ。もういい歳なのに婚約者もいないから、皆不思議に思っているみたい。あまり社交的な性格じゃないらしく、夜会とかにも殆ど顔を出さないらしいよ。そのせいで、社交界の隠れキャラって言われてるんだって」


「えぇ……知らない。私そんな人知らない」


「えぇ……? でも彼はあんたを知っているんでしょう? 告白してきたってことは、少なくとも会ったことがあるんじゃないの? 父親の伯爵様がこの教会の所管貴族なんだから、彼も一緒に足を運んでいるはずだけど」


「えぇ……」


 リンジーの言葉に何度もチェスは記憶を探ってみるが、どうしてもそのディートフリートとやらを思い出すことができない。

 確かに聖教会の所管貴族家――ジーゲルト伯爵家を知ってはいるが、その彼にさえ会ったことはないのに、その付き添いともなれば尚更だ。


 しかし自分は思い出せないのに、どうして相手は自分を知っているのだろう。不思議だ。

 そう思わざるを得ないチェスだった。



 しかし彼女の疑問もそこまでだった。

 何故ならチェスは、そのディートフリート様とやらのイケメンぶりが気になって仕方がなかったからだ。


 言われてみれば、懺悔室で聞いた声は素敵だった。

 あの低い声質と礼儀正しい口調からも、壁の向こうにはイケメンがいたのだとしか思えない。

 そんな彼とのニアミスを想像すると、思わず興奮しそうになってしまう。


 おっと、神の巫女がそんな世俗に囚われていてはいけない、などと他の女僧侶が聞いていれば「どの口が言うのか」と速攻で突っ込まれそうなことを考えながら、それでもチェスはまだ見ぬイケメンに想いを馳せてしまう。


「それで……そのディートフリート様ってどんなお方なの?」


「そうねぇ……さらさらの金色の髪が素敵な背の高い美丈夫って感じ? そんでもって、とても優しそうかな」



 おおぅ……ドストライクではないか。

 

 さらさらの金髪――素敵!!

 背が高い――ええな!!

 美男子――でゅふふふ……

 優しそう――ぬおー!!


 むっはぁー!!

 これは楽しみじゃのぉ!!

 来週ここに来るのが楽しみでたまらん!!



 そんな想いに何気にニヤニヤしながらチェスが小躍りしていると、まるで嫉妬に囚われたオーガのような顔でリンジーが言い募る。


「ふふんっ!! まだその人がディートフリート様って決まったわけじゃないんだからねっ!! そもそもそんな高貴な方が、ぺたんこイカ腹女に惚れたりするもんですかねぇ」 


「ぺたんこじゃねぇし!! イカ腹でもねぇし!! ざけんなっ!!」



 そんな話をしながらチェスとリンジーが神殿を出ようとしていると、主任僧侶が話しかけてくる。

 彼女はこれから朝までの夜勤なのだろう。ご苦労様です。


「あぁ、チェスさん、少しよろしい? 司祭長様がお呼びなので、ちょっと来ていただけないかしら。何やらあなたにお話があるご様子なの」 


「はぁ…… それで主任、お話とは?」


「さぁ? そこまではわからないわ。とにかく司祭長様がお待ちだから、急いでお部屋まで行ってちょうだい。お願いね」





 チェスがドアをノックをすると、中に入るようにと促される。

 言葉の通りに部屋の中に入ると、そこにはこの教会の司祭長がいた。


 五十代中頃のその男の名は「ネストリ」と言い、彼こそがこのブルゴー王国聖教会のトップだ。

 そして国王アレハンドロの良き相談相手であり、側近の一人でもある。


 もちろん必要以上に宗教が政治に口を挟まないように気を付けてはいるが、それでも彼の影響力は相当なものだ。

 しかし当のネストリはそんなことを感じさせないような、好々爺然とした人物で有名だ。

 もっとも国の中枢を担う人物でもあるので、その優しそうな見た目だけが彼の本質ではなかったのだが。


 そんな司祭長ネストリが、部屋の中でチェスを待っていた。



「神術僧侶チェス。お呼びにより参上いたしました」


「あぁ、チェス君。突然呼び出して悪かったね」


「いえ、かまいません。今日のお勤めは全て終わりましたので、時間はございますゆえ」


「いや、そう言ってくれると助かる。 ――どうだね、最近は? 神殿勤めにももう慣れたろう? とは言え、週一回だけでは、慣れるのにも何かと時間もかかろうが」


「おかげさまで順調でございます。親切に仕事を教えてくれる仲間もおりますし。 ところで、今日のご用向きはどのような――」


「あぁ、すまないね。時間も遅いから単刀直入に要件を伝えよう。時にチェス君、君は結婚する気はないかね?」


「はぁ……結婚ですか……結婚……はぁ―――――!!??」



 何気ないその言葉に心底驚いたチェスは、尊敬する司祭長の前で間抜けな大声を上げてしまうのだった。

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