第134話 森で見つけたもの

 パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ――


 人も減り始めた夕暮れ時の街道を、一頭の白馬が駆け抜けていく。

 小気味良い蹄の音を立てながら、まるで疾風のように走るその姿は、凡そ普通の馬には見えなかった。


 いや、それは馬ではなかった。


 染み一つ無い真っ白な体躯。

 さわさわと風になびく真っ白な長いたてがみ

 まるでライオンのような尻尾に二つに割れた蹄。

 そして額から延びる螺旋状に筋の入った一本の長いまっすぐな角。


 そう、それは見紛みまごうことなき、伝説の魔獣「ユニコーン」だったのだ。

 

 

 その存在は確認されていても実際に姿を見た者は少なく、殆ど子供の絵本でしか見られない半ば伝説の生き物。

 そんな希少な魔獣が、なぜこんな田舎の街道を駆けているのだろうか。

 もしそう問われれば、それは友人の頼みだからと彼は答えるだろう。


 よく見ると、ユニコーンの背には誰かが乗っていた。

 まるで一体になるほどに身体を密着させてその背にしがみつく姿は、小さな子供のように見える。

 それも未だ幼女とさえ言えるほどの小ささだ。


 そんな小さな影が徐に声を上げた。


「ユニ夫や……突然とちゅぜんの願いを聞き入れてくれて、感謝しちょるよ。ほんにありがとうなぁ」 


「ブヒン、ブフン、ブヒヒンッ!!」




 言うまでもなくそれは、ユニコーンのユニ夫とリタだった。

 ユニ夫の長いたてがみをまるで絡めるように腕に巻きつけて、リタは必死にその背にしがみつく。

 そんな五歳児を背に乗せて疾走するユニ夫は、時々背の上を気遣う様子を見せながら、まるで風のように街道を走り抜けていた。



 リタはユニ夫の召喚主ではあるが、本人たちはそう思ってはいない。

 召喚魔法でリタに呼び出されるユニ夫は、いつも親しい友人に呼ばれたかのような様子だし、彼女と一緒にいる時間を心から楽しんでいるようにさえ見えた。

 

 一般的に召喚者と被召喚者の間には、事前に契約が結ばれている。

 そして必要な時に呼び出されるのだが、呼び出した者、呼び出された者、その両者の間には明確な上下関係があるのが普通だ。

 もちろんそれは、契約で定められた仮初かりそめのものでしかないのだが。


 しかし二人の間には、そんなものなど存在しなかった。

 確かにそれは二百年間――アニエスが12歳の時に結んだ契約から始まっていたが、今となってはそんなことはどうでもよかった。

 その始まりが何であれ、いまの彼らはお互いを友人だと思っていたからだ。


 転生前のアニエスは特に用事がなくてもユニ夫を呼び出して、よく遠駆けを楽しんでいた。

 なによりユニ夫もそれを楽しみにしていたし、リタも自身が召喚主であることも忘れて、彼との時間をとても大切にしていた。

 滅多に見せない本心をアニエスは見せ、そんな彼女にユニ夫も信頼を寄せ、まるで親友のような関係であり続けたのだ。



 二百年以上もの長い時を生きてきたアニエスは、それまで数えきれないほどの別れを経験してきた。

 中には家族同然の付き合いのある者もいたが、その全ての者が彼女よりも先に死んでいった。

 それは師匠のヒルデベルトに始まり、三代前の第二王子、二代前の第一王女など、ただの宮廷魔術師としての枠を超えて親しくした者も多かった。

 

 そして常に見送る方の立場であり続けたアニエスは、いつしか人と距離を置くようになった。

 これ以上親しい者が死んでいくのを見たくなかったアニエスは、いつしか必要以上に人と親密になろうとしなくなったのだ。

 

 しかしそんな中でも、ユニ夫だけは違っていた。

 それは、ユニコーンには寿命がないからだ。


 馬に似た容姿の彼らは、しばしば魔獣の類に間違われるが、実はピクシーに代表されるような妖精や精霊に近い存在だ。

 悠久の時を生きる彼であれば、自分は決して見送る方にはならないだろう。

 おそらくそう思ったアニエスは、ユニ夫に対しては飾らない自分を見せ続けたのだった。




「相変わらず、おまぁの足は速いのぉ。それにまるで疲れ知らずじゃ。 ――じゃが、疲れたらちゃんと休まんといかんぞ。無理は禁物じゃ」


「ブヒヒンッ!! ブフン!!」


 風のように走るユニ夫の背から振り落とされないように、リタはその背に必死にしがみ付く。

 そして今日何度目かわからないほどの、友人を気遣う言葉を口にした。



 それから何時間走っただろうか。

 すっかり夜も更け、向かう先の西の空にぽっかりと満月が浮かび上がった頃、やっとユニ夫は走る速度を落とした。

 

 普通の馬の場合、一度に走れる距離は精々五十キロ程度と言われている。

 それも無理のない程度に速度を落とした状態でだ。

 しかしユニコーンのユニ夫は、既にその何倍もの時間を全速力で走っていたが、まるで疲れたような様子は見せなかった。


 それどころか、息は乱れず、汗もかかずに全く平然としたその姿は、直前まで数時間も全速力で走ってきたようにはとても見えなかった。


 幻獣の一種であるユニコーンは、その肉体も半分精霊界に属しているので、人間界の生き物のように疲れを感じることはない。

 そして己が必要ないと思うまで、全速力で走り続けることができる。

 

 

 そんなわけで、目的地に着くまで全く速度を落とす必要のないユニ夫なのだが、何故か途中で速度を落とし、そのままゆっくりと歩き始めた。

 何故突然そんな行動をとったのかと思えば、こっくりこっくりとリタがその背で居眠りを始めたからだ。

 

 正確な時間はわからないが、いまは既に深夜を回っている頃合いだ。

 いつもであればとっくに夢の中のリタは、襲い来る睡魔に抗うことができずに走るユニ夫の背の上で遂に眠ってしまったのだった。


 揺れるユニ夫の背から振り落とされないように耐え続けた結果、遂に彼女は体力を使い果たしたのだろう。

 ぐぅぐぅといびきをかきながら、彼女は完全に熟睡していた。

 あまりにぐったりとしたその姿は、眠っているというよりもむしろ気絶しているようにすら見えるほどだった。


 たてがみを掴む小さな手から力が失せ、己の背でくったりとなったリタ。


 心配そうないななきを一つだけ漏らすと、街道から外れたユニ夫はそのままゆっくりと細い林道へと入って行ったのだった。




 ――――




「ねぇねぇ、この人間、死んじゃうの? ねぇねぇ――」


「知らない、知らない。こんな人間、関係ないし。勝手に戦争なんかしちゃって、勝手に死ねばいいのよ」


「でもでも、この子、魔女じゃない? きっと魔女だよ。だって魔力が強いもの、とっても、とっても」 


「本当、本当。とっても魔力が強いのね。きっと魔女だよ」


「でもでも、このままだったら死んじゃうよ、きっと。きっと死んじゃう」


「知らない、知らない。このまま放っておけばいいじゃない。あたしには関係ないし」


「でもでも……どうする? 魔女だったら大事だよ。滅多にいないもの。 ――あぁ、そうだ、母様かあさまとティターニア様に訊いてみようよ。ねぇねぇ」


「うん、うん。そうしよう。ティターニア様なら何て言うかな?」



 ――あぁ、何だか周りが騒がしい。

 一体なんだというのか。

 村の子供にでも見つかったのだろうか。


 私はもう眠いのだ。

 放っておいてほしい……

 

 それにしても喉が渇いたな。

 お腹も空いた。

 でも、もう私は眠いのだ。

 このまま寝かせてほしい――



「ねぇねぇ、ティターニア様を連れて来たよ。来たよ」


「はい、ティターニア様。この子なの、魔女。もう死にそうだけどね」


「あら――本当ですね。あなた達の言う通り、この人間はとても魔力が強いようです。見たところ未だ若く粗削りですが、この先が楽しみでもありますね」


「ねぇねぇ、どうするの? この魔女このままにする? 助ける?」


「そうですね――これだけ魔力に溢れる人間も珍しい。それにあのアニエスに手伝わせるのなら、この人間を助けるのも悪くないかもしれません」


「……ティターニア様のお話、難しいよ。もっと簡単に言って、ねぇ、ねぇ。私たちはどうすればいいの?」


「あら、ごめんさいね。簡単にお話しますわね。――それでは、この娘を助けてあげましょう。お水を飲ませて、何か食べさせてあげなさい。傷はわたくしが診て差し上げます」


「うんうん、わかった!! それじゃあ、あたしは果物を採って来るね。あなたお水を汲んできて」


「わかった!! お水持ってくる!!」




 ――あぁ、誰だ、私の口に水を流し込むのは。

 ごほっ、ごほっ……く、苦しい……


 私はもう死ぬんだから、かまわないでほしい。

 やめて、口に物を入れないで……


 あぁ、でも甘い……

 美味しい……


 身体が温かい……

 なんだろう、この感覚は――




 ――――




 背中でリタが眠ってしまったユニ夫は、街道を外れて林道に入った。

 リタがずり落ちるのを心配した彼は、速度を稼げない分距離を稼ごうとしたのだろう。

 まるで道がわかっているかのように、迷いなく林道を歩いて行く。


 リタの屋敷を発ってから既に半日が経っていた。

 疲れを知らないユニ夫がこれまで走り抜けてきた距離は、馬車ならすでに三日分の距離にもなっている。

そして今もゆっくりながら、確実に目的地に向かって進み続けていた。



 それからさらに数時間、自慢の健脚を発揮してユニ夫が獣道を歩いていると、突然リタの懐から小さな姿が飛び出してくる。


 それはピクシーのピピ美だった。

 リタの懐に潜り込んだ彼女は、そのまま一緒にやって来ていたのだ。

 そんなピピ美がまるで窺うように周りを飛び回っていると、やがて森の中の一角を指差した。


「ねぇねぇ、ユニ夫、あそこに人が倒れてるよ。人だよ人。間違いないよ」


「ブヒン、ブフン、ブフフーン?」


「そう、そう。まだ生きてるみたい」


 そう言うとピピ美は、ユニ夫の背で眠りこけるリタを起こしにかかる。

 そして頭の周りを喧しく飛び回った。


「うむぅ……なんじゃ、もう朝か……ジョゼットよ、もう少し寝かせてくろ――」


「リタ、リタ、なに寝ぼけてるの!? ほらほら、しっかり!! 起きて起きて!!」


「な、なんじゃ!! 虫か!? 」


「虫じゃなーい!! 早く目を覚まして!!」


「……おぉ、ピピ美ではないか。なにかあったのか? ――って、わち、知らんうちに寝とったんか?」


 ピクシー特有の甲高い声で叫びながら、頭の周りを飛び回る。

 そんなピピ美に突然起こされたリタは、ユニ夫の背から思わずずり落ちそうになってしまう。

 それでも何とか体勢を整えると、優しく友人の首を撫でた。


「あぁ、ユニ夫よ、すまぬのぉ。おまぁにばかり頑張らせて、わちだけ眠ってしまうとは何たる不覚。許してたもれ」


「ブフン、ブルルンッ」


 己の背で謝罪を始めたリタに気遣うようないななきを放つと、ユニ夫はゆっくりと首を振る。

 そんな二人の周りを飛び回っていたピピ美が、再び口を開いた。

 甲高い声と早口で話すその様は、何処か小鳥のさえずりのようにも見えた。



「そんなことより、リタ、リタ、あそこに人が倒れてるよ。あそこに!!」


「人じゃと……おぉ……」


 胡乱な顔で離れた茂みの中を見ると、確かにそこには人のような姿が見える。

 見たところ身動き一つしていないそれは、灰色の着衣を身に纏う死体かもしれなかった。

 急ぐ旅の途中のリタは一瞬迷うような素振りを見せたが、頭を振るようにしてすぐにユニ夫に声をかけた。



「ユニ夫よ、すまんがあそこまで行ってくれるか? さすがに見て見ぬ振りもできんじゃろ……」


 そして一人と一頭と一匹は、ゆっくりと茂みの中に入って行ったのだった。

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