第128話 参謀の作戦

 ブルゴー王国での事件から、少々時は戻って――


 召集をかけられたリタの家庭教師――ロレンツォ・フィオレッティが戦場に旅立ってから四日が過ぎた。

 リタのいる首都アルガニルからムルシア侯爵領の領都カラモルテまでは、普通であれば馬車で五日はかかるのだが、もとより前線への応援として駆り出されていた彼らは、可能な限り日数を稼ぐためにその旅程は相当な強行軍だった。


 途中の宿場では馬と御者を交換する程度で、ロレンツォを含む応援の魔術師たちは全ての寝食を馬車の中で済まさせられて、四日間ぶっ通しで馬車に揺られ続けた。

 想像するだけでも尻が痛くなってしまうような話だが、本人たちにとっては生まれて初めて立つ戦場の不安と緊張、そして恐怖のためにそれどころではなかったのだ。

 


 今頃ロレンツォは最前線であるムルシア領の西端に到着しているはずだ。

 しっかりしているように見えて実は意外と生活力のないロレンツォなのだが、彼はちゃんと食事を摂っているだろうか。

 うっかり生水を飲んだりしていないだろうか。


 夕闇迫る西の空を見上げながらリタがそんなことを考えていると、その隣にメイドのジョゼットが並んだ。

 元来口数の少ない彼女は、この場においても特に何かを言うわけではなかったが、今のリタには彼女の胸の内が痛いほどわかった。


 何故ならかつてのリタ――アニエスも、戦場の方角を見上げながら、その空の下にいるはずの男性に想いを馳せていたことがあるからだ。

 まるで隣に佇むジョゼットのように。


 それは今からもう二百年近く昔の話ではあるが、その時の切ない想いは、いまでも胸の中に残り続けているリタだった。


  

 ロレンツォがリタのもとへ弟子入りしてから、既に一年が経過していた。

 これまでアニエスはケビン以外に弟子(正確にはケビンは弟子ではないが)をとったことはなかった。

 しかし、元来ロレンツォが魔術師としての才能に恵まれていたのと、真面目で根気強い性格、なにより飽くなき知識欲のお陰で非常に優秀な生徒だったので、彼女もその気になったのだろう。


 そんなロレンツォは、ともすれば抽象的すぎるアニエスの教えを彼なりに理解し、実践し、そして確実に自分のものにしていった。

 その様子は、まるで海綿が水を吸う様にも似て、まさに底なしにアニエスの教えを吸収していったのだ。


 もしもこれがブルゴー王国で宮廷魔術師を務めていた頃のアニエスだったなら、未だ24歳というまさに伸び盛りの彼の年齢を考えても、そのまま次代の宮廷魔術師として育てていたかもしれない。

 そのくらい彼は魔術師として優秀な男だった。


 しかし同時に、その優秀さをまるで感じさせない男でもあった。

 若くして二級魔術師の認定を受ける彼は、国からそれなりの給金を貰っているはずだが、着ているローブは安物の支給品だし、靴も自分で修繕したような古くてボロボロのものだ。


 住んでいるのは魔術師協会の独身寮で、趣味は魔法の研究。

 そして酒を飲まず賭け事もしない彼の私生活は、まさに修道士そのものだ。

 そんな若かりし頃の男版アニエスといった風情のロレンツォだったが、彼は惚れた女性に結婚の約束をして、そのまま戦場に旅立って行ったのだった。



 そんなことをリタがぼんやりと考えていると、その横でジョゼットがぽつりと呟いた。


「ロレンツォ様はご無事でしょうか…… あの方は案外そそっかしいですから。生水を飲んで、身体を壊したりしていなければいいのですが」


「ジョゼット……さすがにそれは心配しすぎじゃろ。ええ歳こいた二十歳も過ぎた男が、さすがにそんなことはせんと思うがのぉ」


 などと、実は自分も同じことを心配していたなどと言えるわけもなく、リタは専属メイドの背中にそっと手を当てた。

 するとその小さな手をジョゼットが自分の手で包み込むと、再び静かに口を開いた。


「結婚……って、どんなものなんでしょうね?」


「……それをわちに訊くか? ――のう、ジョゼットよ。さすがに五歳児にその質問はないじゃろのぉ」


 些か呆れの混じったリタの答えに、ジョゼットはハッとした顔をする。

 そして慌てて言い訳をした。


「あぁ、そ、そうですよね。 ……あの、こんなことを言ったら大変失礼だと思うのですが……」


「なんぞ?」


「前から思っていたのですが、リタ様とお話をしていると、何故か田舎の祖母と話をしているような錯覚に襲われるのです」


「……」


「ふふふっ、可笑しいですよね? 自分でもどうしてそんなことを思ってしまうのかわからないのですが。 ――申し訳ありません、独り言だと思ってお忘れください」


 沈みゆく夕日を見つめながら、再び口を閉ざすジョゼット。

 そんな彼女の横で、同じように夕日を眺めながらリタが口を開いた。



「結婚……は、わちもしたことがないからのぉ。よぉわからんわ。じゃが、ととしゃまとかかしゃまを見ておると、そう悪いものでもなさそうじゃがの」


「えぇ、そうですね。私も両親を見ているとそう思います」 




 ――――




 場所は変わって、ここはハサール王国西部のムルシア侯爵領の最西端。

 隣国カルデイア大公国に突然西国境を制圧されてから、十日が経っていた。


 ハサール王国ムルシア侯爵軍の将軍であり、ムルシア家の現当主でもあるオスカル・ムルシアは、一際ひときわ高い砦の最上階から遠く眼下に広がる敵陣を睨んでいた。

 その顔は苛立ちによって不機嫌に歪められ、遠くに瞬く砦の松明を眺めては小さく舌打ちを繰り返す。



 彼がいるこの場所から二つ先の砦は、開戦と同時に敵に取り囲まれた。

 砦の中には約五十名の兵士が取り残されており、現在孤立無援で籠城した状態になっている。

 いまはその五十人を人質としたカルデイア大公国軍に、カラモルテまでの街道を空けろと要求されているところだ。


 カラモルテと言えばムルシア侯爵領の領都であり、領主の屋敷がある場所でもある。

 そんな地を開戦直後に奪われるなど絶対にあってはならないし、もしもそうなってしまえば、そのあまりの衝撃にムルシア侯爵軍が総崩れになってしまうかもしれない。


 それではその人質――砦を見捨てるのかと言われれば、それもまた微妙な話だった。

 確かにその砦は、いまとなっては重要な場所ではない。

 そもそもすでにその地は敵の手に落ちているので、そんな場所をまるで飛び地のように奪還しても意味はないのだ。


 しかしそこにいる五十名からなる味方兵士の命は別だった。

 未だ開戦直後であるにもかかわらず、いきなり味方を見殺しにしたとあっては、今後の士気に大きくかかわってしまうだろう。

 だからここは是が非でも彼らの救出が望まれるところだったのだ。


 何故なら、そのためにわざわざ首都から魔術師を派遣してもらったのだから。


 


「それで、魔術師どもは到着したのか?」


 相変わらず遠くで瞬く松明の灯りを見つめながら、不機嫌な顔のままのオスカルが尋ねる。

 すると隣に佇む彼の補佐――参謀のプリモ・ロブレスが振り向いた。


 彼はムルシア侯爵軍の参謀役で、先代バルタサール将軍の時代からの古参でもある42歳の平民出身の男だ。

 その能力を買ったバルタサールが市井から引っ張りあげたことからもわかる通り、その能力は折り紙付きだった。


 そんなベテラン参謀が、渋い顔をしながら答えた。


「はい。今日の昼過ぎに到着したのですが……」


「どうした? なにかあったのか?」


「まぁ、大したことではなのですが、些か旅程を急がせすぎまして。予定よりも早く着いたのはよかったのですが、彼らはすぐには使い物になりそうにありません。ですから、今日は早々に休ませました」


「……さしずめ、馬車での強行軍に音を上げたのだろう。 ――その程度のひ弱な魔術師など、本当に使いものになるのか? そもそも魔術師などという連中は――」 


 そんなロブレスの説明にしたり顔で頷くと、オスカルはその太い腕を組んで無精ひげを撫で始める。

 その姿を見た参謀の顔には、見慣れた苦笑が浮かんでいた。



 その口調からもわかる通り、オスカル・ムルシアは魔術師があまり好きではなかった。

 いや、正確に言えば、好き嫌いではなく信用していないと言った方が正確だろうか。

 彼の「戦とは腕力でするもの」という信念が示す通り、オスカルはこれまでも力で様々な問題を解決してきた。


 ここ十年は隣国カルデイア大公国との大きな軍事衝突はなかったが、それでも細かい小競り合いは続いていた。

 しかしそれらの問題を解決するのに、彼は一度も魔術師に力を借りたことはなかった。


 確かに国の中央では魔術師の育成と運用を進めてはいるが、もとより軍隊における魔術師の活用に懐疑的なオスカルは、軍の中でもほんの一部分でしか彼らを利用していなかったのだ。


 もっと正確に言えば、オスカルも魔法の有用性を認めてはいた。

 しかし兵士に比べると絶対数の少ない魔術師は、数がものを言う戦争においてはその運用が難しかったのと、これまで戦局を左右するほどの功績をあげたことがなかったために、どうしてもその運用には消極的にならざるを得なかったのだ。



 しかしそんな彼が何故に今回魔術師を呼び寄せたのかと問われれば、それは参謀のプリモ・ロブレスの発案によるものだったからだ。


 先代のバルタサールからその才能を認められていた彼は、戦争に対する考え方もオスカルよりも柔軟で現実的だ。

 そして徹底的に現実しか見ない、極端な現実主義者でもあった。

 だからオスカルのように、勢いだけで難局を乗り切ろうなどとは全く思ってはいなかったのだ。




 現在敵陣の中に孤立している味方の砦は、完全に籠城戦の構えをとっている。

 堀に囲まれ、高い壁に守られる砦が防御に徹すれば、そう簡単に落ちはしないのだろうが、それでもカルデイア軍が本気を出せばその陥落は時間の問題だろう。


 しかし現在睨み合いを続けている前線の主力部隊を一度にぶつければ、カルデイア軍とてそんな砦などに構っている余裕はなくなるはずだ。

 その結果、砦の周りは一時的に手薄になる。


 そうなれば砦の中の者たちは一斉に外に出て来られるのだが、その前提として外から彼らを支援する者たちが必要だ。

 最低でも砦を取り囲む敵兵を一時的にでも遠ざけなければならないだろう。

 とは言え、敵陣の中を多数の兵が動き回るわけにもいかず、最低限の人数で最大限の効果を上げる必要がある。


 そこで少数精鋭の魔術師混成部隊の出番だ。

 攻撃魔法に特化した魔術師は、普通の兵士よりも一人で広範囲を攻撃できる。

 歩兵であれば三十人は用意しなければならない場合でも、魔術師であればたった二人か三人でカバーできるのだ。



 もちろん、魔術師によってその能力は様々だし、その魔力も無限ではない。

 それにもとより後方支援専門の魔術師を、前面で運用などするべきではないのだ。

 そのため彼らの周りには、十名程度の手練れの兵士と数名のスカウト、そして弓兵を同行させる予定だ。


 前線で主力部隊をぶつけている間に砦の中の者たちを救出する。

 そして彼らが離脱すると同時に、主力部隊も後退させる。

 それがロブレスが立てた作戦だった。


 

 しかしその作戦を実現するためには、攻撃魔法に優れた魔術師が必要不可欠だ。


 そしてその一人として、リタの家庭教師を務めるロレンツォ・フィオレッティが選ばれたのだった。

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