第94話 先生の告白と舌戦の行方

「あれ、フィオレッティ先生、どうしたんですか? 今日はリタ様は不在ですから、魔法の授業はないとお聞きしていましたが」


 どことなく弛緩した空気が流れる昼下がりのレンテリア伯爵邸に、突然若い女の声が響く。

 突然上がったその声は訪問者を誰何すいかするものではなく、むしろ嬉しそうな響きが混じるものだった。


 今日の屋敷の中は、普段に比べると些かガランとしている。

 それは何故なら、屋敷に勤める34名の使用人のうち12名もいなくなっていたからだ。


 現在ムルシア侯爵邸ではリタの婚約の儀が行われており、彼らは皆それに同行していた。

 それならどうしてその声の主――リタ専属メイドのジョゼットが居残りになっているかというと、それは彼女が年若く経験が不足しているからだ。


 メイドが他家まで出張する以上、その仕事にはいつにも増して完璧さが求められる。

 だから未だ18歳のジョゼットは、もっと年嵩としかさで経験豊富なメイドに取って代わられてしまったのだ。


 もちろんその処置には彼女なりに思うところもあったし、いたくプライドを傷付けられたものだったが、筆頭執事の決めたことである以上、彼女達使用人に否やはなかった。



 そんなわけで、主人一家も筆頭執事も不在のために何となく緩い空気が流れる屋敷内を、只今ジョゼットは掃除して回っているところだった。

 そんな些かガランとした屋敷に突然ロレンツォが訪れたので、驚いた彼女が少し大きな声を出していたのだ。


「いや……えぇと、わ、忘れ物を取りに来たんだ。うん、そう、忘れ物だよ」


 そんなメイドの声に、少々慌てた様子でロレンツォが答える。

 しかしその如何にも「いま思いつきました」と言わんばかりの返答からは彼の真意が掴めなかったので、ジョゼットは尚も質問を繰り返した。


「何をお忘れになったのですか? どこのお部屋ですか? 私もご一緒させていただいてもよろしいですか?」


 まるでロレンツォを怪しむように質問を繰り返すジョゼット。

 しかしそんな対応をしてはいたが、特に彼女がロレンツォを怪しんでいるわけではなかった。

 部外者の訪問時には、そのような質問をするように教育されていたからだ。


 もちろんその事情を良く知るロレンツォは、そんな彼女の対応にも嫌な顔をすることはない。

 それどころか、大きく息を吸うとなにやら思い切った顔をした。



「えぇと、ごめん。今のは嘘なんだ。……べつに君を騙そうとしたわけじゃなくって」


「……それでは本日のご訪問の目的をお訊きしても? ――しつこくて申し訳ありませんが、そうしなければいけない決まりになっておりますので」


「も、もちろんそれは承知しているよ。えぇと……その……」


「……」


「しょ、正直に言うよ。……君に会いに来たんだ」

 

「……私……ですか? はぁ……」


 ロレンツォの返事にポカンとするジョゼット。

 しかし次の瞬間、その意味を理解した彼女は羞恥で顔を真っ赤に染め上げた。


「わ、私にですか? でも何故?」


 予期せぬロレンツォの言葉に、ジョゼットは焦ってしまう。

 まさかこのタイミングで、そんな言葉を聞かされるとは夢にも思っていなかったからだ。

 その理由も薄々察していたが、思わずそう訊かずにはいられなかった。


 今日は屋敷の者たちが多数いなくなっているので、廊下でこんな話をしても誰も聞いている者はいない。

 だからロレンツォは、大胆にもこんな場所で大切な話をしようとしていた。

 そうでもしない限り、屋敷のメイドと二人きりになれるチャンスなどそうないからだ。



 ジョゼットの質問に、王国魔術師協会所属の若い二級魔術師は顔を真っ赤にしながら口ごもってしまう。

 あれだけ考え抜いて何度もシミュレーションまでしたというのに、いざ本番で怖気づいてしまった。


 そんな彼が口を開くのを、ジョゼットは辛抱強く待ち続ける。

 これからロレンツォが口にする言葉を想像して、すでに彼女は耳まで真っ赤になっていた。

 両手を握り締めながら真っ赤な顔で立ちすくむ最愛の女性。

 その姿を見た瞬間、将来有望なエリート若手魔術師は覚悟を決めた。



「ず、ずっと言おうと思っていたけれど、チャンスも勇気もなくて…… でも、今なら言えるよ。僕は君のことが、す――」


「あれぇ、フィオレッティ先生じゃないですか!? どうしたんですか? 今日はリタ様はいませんよ?」


「ロレンツォ、ロレンツォ!! ねぇ、ねぇ、干し芋食べる? 美味しいよ!!」



 緊張しまくりのロレンツォが今まさに一世一代の告白をしようとしているというのに、突然背後から緊張感のない声をかけられてしまう。

 その声に出鼻をくじかれた彼は、そのままの姿勢で固まった。


 それは調理師見習のチーロと、リタの子分のピピ美だった。

 今日のピピ美は留守番を言い渡されていたので、暇を持て余した彼女は仲良しのチーロに構ってもらっていた。

 またしても厨房でつまみ食いをしながら、ちょうど午後の見回りという名の散歩をしているところだったのだ。


 そんな彼らが廊下で向かい合ってモジモジする二人を見つけて近寄って来ると、なにやら気まずい空気を感じ取る。

 もとより恋愛の概念が理解できないピピ美は仕方ないとして、チーロであれば二人の様子から何かを察せられるのだろうが、未だ14歳のチーロにはそこまで気を回せなかったようだ。


 空気を読んですぐに立ち去ればいいものを、彼はそのまま立ち話を始めようとした。

 すると直後にジョゼットが声を上げる。

 口元にはいつもと変わらない微笑みが浮かんでいたが、顳顬こめかみには青筋が浮かんでいた。


「チーロ、夕食の仕込みは終わったの? 早く戻らないと、また料理長にどやされるわよ」


「大丈夫だよ。今日は早めに終わったから……」


 まるで空気を読もうとしないチーロだったが、さすがにジョゼットの顳顬こめかみを見て何かを察したようだった。

 そして彼女の背後から「ゴゴゴ……」と音が聞こえてきそうな雰囲気を察した彼は、慌ててきびすを返した。


「あっ、まだ仕事が残っていたのを思い出した!! さぁ、ピピ美ちゃん、行こうか。厨房に戻ったらぶどうをあげるよ」


「ほんとに? わぁーい、ありがとうチーロ。だからあたしはチーロが大好きなの!! ねぇねぇ、行こうよ、ぶどうっ、ぶどうっ、美味しいよー!!」 



 ロレンツォにとって最悪のタイミングで現れた二人は、そのままもと来た方へと戻って行く。

 チーロはジョゼットの迫力に負け、そしてピピ美はぶどうの魅力に負けてそそくさと廊下の角に消えて行った。


 そんな二人の背中を見送ったロレンツォは、ゴホンとわざとらしく咳ばらいをすると、再びジョゼットに向き直る。


 レンテリア家のメイドたちに支給されるお仕着せの靴は、少しヒールが高くなっている。

 もちろんそれは見栄えと動きやすさのバランスを考慮されているので大した高さではなかったが、それでも素で身長170センチのジョゼットはさらに背が高く見えた。

 

 そんなスラリと背の高いモデルのようなジョゼットに改めて見惚れながら、身長168センチのロレンツォは少しだけ上を見上げる。

 そしてあまりの緊張と期待のために、ジョゼットは思わず胸が苦しくなっていた。


「さっきの続きなんだけど……聞いてくれるかい?」


「はい……どうぞ」


「いまこそ言うよ。僕は君のことが好――」


「おい、ジョゼット!! 悪いが正面玄関まで行ってくれるか? 人手が足りなくて困っているんだ」


 気を取り直したロレンツォが再び仕切り直そうとしていると、今度は廊下の先から大きな声がかけられる。

 その声に思わず振り向いてしまった彼女は、肝心なところを聞き逃してしまった。

 そして何やらバツの悪そうな顔をする。


 そんなジョゼットに、ロレンツォは慌てて両手を振った。


「ご、ごめん。君は仕事中なのに、こんなことで呼び止めてしまって。ほら、君を呼んでいるよ。行かなくちゃいけないだろ? 僕ももう行くから、君は仕事に戻ってくれ」


「あっ……」


「そ、それじゃあ、また明日。明日はいつも通りに授業があるから」


「は、はい……すいません。それではまた明日」


「うん。お仕事頑張って。それでは失礼するよ」


「はい。お気をつけて」



 猛烈に後ろ髪を引かれる思いで、それでも必死にきびすを返したロレンツォ。

 その顔には盛大に何かをやり残したような表情が浮かんでいた。

 何気に両肩を丸めるように歩き出した彼の背中に、最後にジョゼットが声をかけた。


「あ、あの、フィオレッティ先生。私もです……私も先生と同じ想いですから。安心してください」


「えっ……?」


「そ、それでは失礼しますっ!! また明日!!」


 まるで真っ赤な顔を隠すように勢いよく振り向いた18歳のメイドは、そのままパタパタとお仕着せのスカートの裾を翻しながら去って行く。


 茫然とした顔でその背中を見つめながら、23歳の若きエリート魔術師は最愛の女性の言葉を何度も繰り返していたのだった。




 ――――




 場所は戻ってここはムルシア侯爵邸の大広間。

 その部屋の片隅では、幼女二人が見つめ合っていた。

 いままさに 片やリアル五歳児、片や214歳児の舌戦が静かにそのゴングを鳴らしたところだった。


「これはこれは、エミリエンヌ嬢。この度はせっかくの御縁でごじゃりますゆえ、これから義姉としてよろしくお願いいたしましゅ」


 先制口撃は214歳児のリタから放たれた。

 義姉になる者に早速マウントを取りに来た五歳児に向かって、リタは過剰に慇懃な言葉をかける。

 その顔には相手を蔑むような表情が浮かんでおり、そこからも彼女がやる気満々なのが伝わってきた。



「な、なによ、あんた、突然……」


「なにと仰られまちても…… これから義理の妹になるお方に、ご挨拶あいさちゅをしているだけでごじゃりますが。それがなにか?」


 まさに慇懃無礼を絵に描いたような態度でリタが答えると、予想外の反応にエミリエンヌがたじろいだ。


 未だ五歳とは言え、彼女とて有力貴族の令嬢なのだから今まで様々な相手――主に子供だが――に会ってきた。

 しかしそのことごとくが愛想笑いとともに自分の軍門に下ってきたのだ。


 自分が話しかければ愛想笑いを振りまいておべっかを使ってくる。

 それがどんな相手であれ、皆同じ反応を返して来るのだ

 エミリエンヌにとって挨拶とはそういうものだった。



 確かに目の前の兄の婚約者も丁寧な言葉と仕草で挨拶を交わして来たが、その顔には格下を嘲るような表情が浮かんでいたし、その言葉もわざとらしいほど丁寧だった。

 そして言葉遣いが無駄に丁寧な分、無性に腹が立つ。


 もちろんリタのその態度はわざとだったし、生意気な五歳児を煽ろうとしていたのも事実だ。

 しかし所詮ただの五歳児にはリタの真意を汲み取ることなどできるわけもなく、エミリエンヌはその言葉を額面通り受け取ってしまう。

 それでも彼女は、腹立ちまぎれに啖呵を切った。


「そ、それはこっちの台詞せりふよ!! とにかく、あんたなんかに私の兄さまは渡さないんだからね!! このお漏らし女!!」


「お、お、お漏らし……」


「お、おい、エミリエンヌ!! いくらなんでもそれはないだろ!? お前、リタ嬢に謝れ!! 言って良いことと悪いことがあるだろう!?」


 妹の最後の一言に突然色めき立ったフレデリクが、慌てて口を挟んでくる。

 しかし一度口から出た言葉をもとに戻すことはできなかった。




「お、お、お……」


 それまで余裕綽々しゃくしゃくでリアル五歳児をあしらおうとしていたリタだったが、その一言に突然顔色を変えた。

 そのぽってりとした可愛らしい口から、ぎりぎりと奥歯を噛み締める音が聞こえてくる。

 顔に歪んだ笑顔を浮かべつつ、顳顬こめかみには盛大に血管が浮き上がっていた。


 それを見た瞬間、フレデリクの顔に恐れのような表情が生まれる。

 しかしリタはそんな婚約者の様子に構う余裕などなく、吊り上げた口角を痙攣させながら、それでも笑顔で言葉を吐いた。

 

「お、お漏らし女で大変失礼いたしました。あ、あの席での出来事は事故だと思って、な、何卒お忘れいただけますと幸いでごじゃりましゅる……」


「あんたバカじゃないの? そんな簡単に忘れるわけないでしょ!? あんなに大勢の前でおしっこ漏らしたりしてさ!! 本当、私だったら恥ずかしくてその場で自害していたかもね!!」


「くっ……」


「ふんっ!! それに忘れているわけじゃないでしょうね? そのドレスは私のものなのよ!! あんたがお漏らししたから貸してあげているんだから。感謝しなさいよね!!」


「うぬぅ……」


「それになによ!! 会ったばかりの兄さまと楽しそうにしちゃってさ!! 皆の前でおしっこたれるような恥知らずな女なんて、私は仲良くなんてできないもの!!」


「おい、エミリエンヌ!! お前いい加減にしろよ、リタ嬢に失礼だろ!? ほら、すぐに謝るんだ!!」


 さすがのフレデリクも、妹のあまりの暴言に表情を変えた。

 それを見る限り、あれだけ気弱としか表現のしようのない彼も、普通に腹を立てたり怒ったりできるらしいことがわかる。



「リ、リタ嬢、大変申し訳ない。至らない子供の戯れだと思って、何卒お許しください。――ほら、エミリエンヌっ!! お前も頭を下げろ!!」


「に、兄さま、何をなさるのです!? どうして私がこんな『しっこたれ』に頭なんて下げなくては――」

 

 これだけ押しの弱そうなフレデリクではあったが、さすがに実の妹には強気の態度で出られるらしく、その珍しい黒髪直毛の頭をぐいぐいと下へ押し付ける。

 彼は何とか妹に謝らせようとしていた。


「な、な、な……」 


 そんな兄妹の前で、リタはその愛らしい顔を盛大に歪めていた。

 リアル五歳児に214歳のリタが大人の余裕を見せつけていたはずなのに、気付けば散々煽られてガチギレしそうになっている。

 結局リタは、今回もその煽り耐性の低さを露呈してしまっていたのだった。



 そして彼女は大声を上げた。


「なんじゃとぉ!? おぉ、われぇ!! 大人しくしておれば付け上がりおって、このたわけがぁ!! わちが直々に成敗してくれる!! そこへ直れ!!」



 あまりの怒りに我を忘れたリタは、最早もはや婚約者の前であることさえ忘れていたのだった。

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