第89話 閑話:第一王子と宰相の苦悩
ハサール王国からアストゥリア帝国を挟んで南へ500キロ。
ここはブルゴー王国の王城の奥にある、王族専用の居室のひとつだ。
そこに一見して暗い表情の目立つ、背の低い小太りの男がいた。
そのずんぐりとした体形と不健康に白い肌のせいで年齢が不詳に見えるが、その佇まいを見るに、未だ二十代中頃の若さであることがわかる。
着ているものは豪奢だが、その病的な外見が全てを台無しにしており、もしもそのような格好をしていなければ彼が王族であるなど誰も信じないだろう。
王族――そう、彼はここブルゴー王国の第一王子、セブリアン・フル・ブルゴーその人だった。
現在二十七歳の彼は、近隣国のレスタンクール王国の姫を五年前に
それ以来次代のブルゴー王国王子の誕生を期待されていたが、未だに子宝には恵まれていない。
一説によれば彼の男性機能に問題があるという噂もあるのだが、その真相は不明だ。
ただひとつわかっているのは、妻がセブリアンを毛嫌いしているということだ。
そんな二人だから、新婚初夜以降肌を合わせていないというもっぱらの噂だった。
もちろんそれについては妻の実家――レスタンクール王室に苦情を申し入れた。
しかし、国を挙げて祝ったはずのブルゴー王国第一王子とレスタンクール王国第一王女の婚姻をわずか数年で破棄させるわけにもいかず、これは両国の間で当面の課題となっていたのだ。
そのせいで――もっともそれだけが原因ではなかったが――すでに五十二歳となった現国王アレハンドロをして容易に引退することができずに、そのまま国王を続けなければいけない原因になっていたのだった。
そのような事情もあり、三十歳を目前にした今でもセブリアンは王になれずにいた。
そんなブルゴー王国第一王子が、真夜中の暗い部屋の中でさらに陰鬱な表情で黒づくめの男と話をしていた。
「一体いつまで待たせるのだ!? 約束ではとっくの昔にあの
「はっ……大変申し訳ございません。なにぶん、あの魔女の転生先――オルカホ村のリタの所在が未だ不明でございまして……実はすでに死んでいるという噂も――」
「もし本当に死んでいるのであれば、その死体を持ってこい!! そうでなければ納得いかぬ……おい、言い訳は聞き飽きたぞ。お前の前任者はその言葉を言い続けた挙句、ある日突然行方不明になったのだったな。……お前もそうなりたいのか?」
蝋燭一つだけが灯りを灯す部屋の中に、陰惨な声が響く。
そんな薄暗い部屋の中でもわかるほどに、目の前の男の顔が強張っていた。
「ははっ、大変失礼いたしました。只今鋭意捜索中でございますゆえ、今暫くのご猶予を――」
「猶予、猶予と気軽に言うが……貴様、一体いつまでこの俺を待たせるのだ――」
「セブリアン様。この者をいぶったところで事が解決するとは思えませぬ。どうか、寛大なお心でお赦しを」
すると、その言葉を遮るように一人の男が身を乗り出した。
暗い部屋の中であるにもかかわらず、目深に被ったフードで顔を隠した男――ブルゴー王国宰相、カリスト・コンラートが尚も言い募る。
その横では、黒ずくめの男があからさまな安堵の表情を顔に浮かべていた。
「殿下。これだけ探しても見つからない、もしくは自身から帰国しようともしないということは、あの魔女はすでに死んでいるのではありませんかな?」
「……なんだと? なぜそんな楽観的なことが言えるのだ? お前は」
「いえ、これはあくまでも想像でしかありませぬ。それにもしも生きているとしても、あの魔女は、もとよりあの件を明るみに出すつもりがないのかもしれませぬ」
「そ、そんなことがあるわけないだろう!? 周りが敵だらけのこの状況であれだけの大きなネタを掴んでおきながら、そのまま黙殺するなどありえん!! あの
宥めるようなカリストの言葉にも、全く聞く耳を持とうとはしない。
その病的に白い顔を歪めながら、セブリアンはブルゴー王国の宰相を睨みつけている。
そんな第一王子を見つめながら、彼が妻に疎まれている理由をカリストは改めて思い浮かべてしまった。
セブリアンの王位継承位は第一位だ。
つまりそれは、このまま何もせずとも数年内にはブルゴー王国の王座が降りてくるということだ。
それなのに彼はいったい何を恐れているのか。
特にここ最近は病的に周りの様子を気にしてばかりいる。
その姿はまるで捕食者に怯える小動物のようにしか見えなかった。
神経質に声を荒げては周囲に噛みつきまくるその姿は、
彼がそんな様子だから、現国王のアレハンドロも安心して王座を譲ることもできずに、未だに現役を続行している。
そんな長男でも、妻を迎えて子でも生まれれば何か変わるかと思っていたようだが、五年経っても子は生まれず、それどころか妻にも疎まれたセブリアンは余計に病的になっていく。
このままこの男を国王などにしてしまえば、間違いなく暗君になるのは目に見えている。
そしてこんな夫婦仲では、世継ぎの男子の誕生など望むべくもないだろう。
だから王位継承位一位のセブリアンとて、その敵も多く安心できないのだ。
隙さえあればその地位から叩き落としてやろうとして、虎視眈々と狙っている者も大勢いるからだ。
もちろんそれは、第二王子のイサンドロの陣営だ。
人望で言えば弟の方が遥かに上だし、彼は兄にはないものを全て持っている。
それはその容姿にも言えた。
兄のセブリアンの容姿は、父王には全く似ていない。
髪の色も瞳の色も、その顔の造形も背の高さも体形も、何もかもが父親に似ていなかった。
しかしその逆に、弟は父王にそっくりだったのだ。
王位継承位二位のイサンドロ・フル・ブルゴーは、若い時の現国王にそっくりだと言われている。
それを逆に言えば母親にはあまり似ていないと言うことにもなるが、その瞳の色には間違いない母親の血が流れているのが見て取れた。
病的に神経質な上に国王の器にも見えない第一王子に反して、人好きのする明るい性格のうえに人望もあり、さらに父王の若いころにそっくりの第二王子。
そのどちらを次期王に望むかと言えば、言わずもがなだ。
それなのに、何を間違ったのか自分はこんな男を選んでしまった。
この先何があろうとも、この男を立てていかなければならないのだ。
それを思うと、目の前のセブリアン第一王子よろしく、自分自身も暗い顔をせざるを得ないブルゴー王国宰相、カリスト・コンラート侯爵だった。
――――
「おい、いつまでこんなことをしなければいかんのだ。いい加減に国に帰りたいぞ」
ここはハサール王国の首都アルガニルから北西に二百キロ離れた田舎町「パラデーサ」の酒場だ。
決して清潔とは言えず広くもない店内の一番隅に、冒険者風の格好をした三人の男たちが集まっていた。
酒の入った木製のジョッキを手に持ちながら思い思いに酒を飲む男達。
その年齢は、二十代半ばから四十手前までと幅広い。
その姿だけを見ているとギルド員同士の寄り合いのようにも見えるが、そこには隠しようのない違和感が漂っていた。
それは彼らの目つきだった。
小さなテーブルを囲んで声を抑えてヒソヒソと話をしながら、時折その鋭い視線を周囲に向けるその姿は、まるで何かを警戒しているようにしか見えなかったのだ。
確かにその見慣れない顔からは、彼らは通りすがりのギルド員にしか見えなかったが、それにしては異様にピリピリとした緊張感を醸している。
それはこんな田舎の酒場では違和感の塊だった。
そんな彼らに好奇心を持った地元の者が酒を片手に話しかけようとしても、その鋭い視線に阻まれて何も言えなくなってしまう。
その様子は彼らが人との接触を拒んでいるようにしか見えず、誰もが声をかけるを躊躇うほどだった。
そんなことが何度も繰り返されているうちに、気付けば彼らの周りには誰も寄り付かなくなっていた。
そんな酒場の片隅で、強面の冒険者らしき者たちが何やら情報交換をしていた。
「いつまでと言ってもな。この
「しかし、こんな雲をつかむような話ではな…… いつまで我らはギルド員の真似事をせねばならぬのだ? そもそも我らは人探しなどを――」
「おい、やめろ。ここで愚痴を言っていても仕方ないだろう。もとより奴らの足取りを見失ったのは我らの手落ちだ。――それにしても、ひと月ぶりにこう集まってみても何一つ情報が無いとはな……」
「とにかく何かを掴まなければ我々の立場も危ういぞ。いや、立場どころかこの身も危ういかもしれぬ。国では連絡役が一人粛清されたというではないか」
「あぁ。しかし、あの第一王子も気が短い。この広い領地からガキ一人探し出すなど、全く容易では無いものを…… そもそも我らは人探しのギルド員ではないのだ。そんなもの、別の者にやらせればいいではないか――」
まるで他者との接触を拒むかのような雰囲気を醸しつつ、狭い酒場の片隅で話をする冒険者風情。
そんな彼らのところに、さらに一人の男が加わった。
「すまぬ、遅くなった。その代わり――というわけでもないが、これは朗報だ」
一番最後にやって来た男は、遅れた詫びを口にしつつも何やら「朗報」とやらを語り出す。
するとその三人は、直前までの疲れた様子を一変すると、その男の話に耳を傾けた。
「朗報? なにか掴んだのか?」
「あぁ。首都の話なのだが、ここ最近話題のガキがいてな。なんでも少し前に出奔していたレンテリア伯爵の息子とやらが、孫娘を連れて帰って来たらしい。そのガキの名前が『リタ』というのだ。まだ裏はとれていないが、今の話、匂うと思わぬか?」
「あぁ……臭いな。それで、その息子というのは?」
「これも噂以上のものではないのだが…… 数年前に好いた
「ほう…… それは動いてみる価値はあるな…… わかった、その話に賭けてみよう。おい、お前ら、今夜はたっぷりと飲め。明日から我らは首都アルガニルに移動する。それと同時に今の情報の裏を取れ」
「了解」
「承知」
「わかった」
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