第90話 五歳になったリタと周りの出来事

 すっかり暖かくなり、降り注ぐ日差しにも力強さが戻りつつある五月のある日。

 リタは五歳になった。

 

 そんなわけで、つい先日祖父母と両親が屋敷をあげて彼女の誕生日祝いの宴を開いてくれた。

 しかしそれはただの誕生祝いではなく、子供の五歳の節目に行われるいささか大掛かりな祝いの儀式のようなものだった。

 

 医療が十分に発達していないこの時代において、生まれた子供が五歳まで生きられる確率はそれなりに低い。

 小さな子供は一定の確率で流行り病にかかってしまうし、中には一度かかると助からない場合も多いからだ。


 確かに大きな街に行けば治癒魔法を使える「治癒師」と呼ばれる者もいる。

 しかし彼らは絶対数が少ないうえに治療費がとても高いのだ。

 だから一般の庶民などは「治癒師」に診てもらうことなどできるわけもなく、殆どが貴族御用達のような状態だった。


 だから子供が無事に五歳を迎えられたことは、特別な祝いの宴が催されるほどの出来事だったのだ。



 リタの五歳のお祝いは、かなり盛大に開く予定だった。

 それはもちろん、いまではすっかり孫馬鹿になってしまったレンテリア伯爵夫妻の主導によるものだ。

 彼らは金に糸目をつけず、隣近所も巻き込んで盛大に宴を催そうとしたのだ。


 しかしリタは未だに両親の謹慎の煽りを受けていたので、それを盛大に祝っている場合ではなかった。

 だから結局、こじんまりと家族だけで祝うことにしたのだった。



 リタは無事に五歳を迎えられたように見えているが、実のところ本物の彼女は三歳の時に亡くなっている。

 だから今のリタの正体は、前世でアニエスと呼ばれていた214歳の魔女だった。


 しかし彼女は何も知らない両親に敢えてその事実を告げようとは思っていなかったし、それどころか一生をかけて隠し通そうとすら決めていた。

 そうすることが、この身体を譲ってくれた本物のリタに対するせめてもの手向けだと思っているからだ。

 

 不憫にも三歳の若さでこの世を去ったリタ。

 その彼女から身体を譲り受けた以上、一生をかけて本物のリタになり切る。

 アニエスはそう心に決めていたのだ。



 アニエスがこの身体に入り込んだのは一昨年の七月なので、早いもので既に二年近くが経っていた。

 イチかバチかの転生の魔法を発動した結果、気付けば田舎の極貧生活から始まった第二の人生だった。

 しかし、思えばそれなりに楽しく暮らしていたような気がするのだ。


 確かに今の貴族の暮らしは快適だ。

 しかし様々なしきたりや細かい作法などに縛られて、したい時にしたい事も出来ないような生活だ。

 だから気楽さと言う意味では、オルカホ村での生活のほうがずっと良かったような気さえする。


 そもそも堅苦しく息が詰まるような宮廷生活を百年以上に渡って過ごして来たアニエスは、実のところオルカホ村での自由気ままな生活を楽しんでいた。

 確かに食べる物にも困るような極貧から始まった新生活ではあったが、リタが自由に動けるようになってからはそれもかなり改善していたのだ。


 リタ自身も次第に食糧調達ができるようになっていたし、両親も不慣れだった畑仕事にも慣れてきていた。

 裏山からは季節ごとに様々な山菜が採れていたし、横を流れる川からは電撃の魔法を使えば食べるのに困らない程度の魚も獲れていた。

 そしてリタの魔法があれば、父親と協力して狩りに行くこともできたのだ。


 しかしこれから親子三人で仲良く楽しく暮らそうと思っていた矢先に、あの騒動に巻き込まれた。

 そして気付けば再び堅苦しい貴族の生活に逆戻りしていたのだ。


 

 しかし、いまのところはまだマシなのだろう。

 たとえ将来の結婚相手を決められてしまっていても、少なくとも成人年齢の十五歳まではこのままこの屋敷で暮らせるのだから。

 

 もちろんその先のことを考えると、気が重くなってくるのは事実だ。

 何と言っても嫁ぎ先に決められてしまったのは、ハサール王国でも有数の武家貴族のムルシア家だからだ。


 その武力も財力も領地の広さも国内でも随一なうえに、その発言力、影響力は一国の国王でさえ気を遣うほどだった。

 そしてリタは弱冠五歳にして、そんな侯爵家の将来の夫人となることを決められてしまったのだ。

 

 しかし彼女とて伊達に百年以上に渡って宮廷魔術師を務めてきたわけではない。

 騙し騙され、魑魅魍魎の跋扈ばっこする宮廷で散々鍛えられてきたので、リタをして今さらどうと言うこともないのだ。


 しかもそんな心理戦、頭脳戦こそリタ――アニエスの得意分野であり、彼女をして「ブルゴーの英知」と呼ばれる所以でもあったのだから。




 しかし実際の彼女の心配はそこではなかった。

 実はもっと生々しい部分にあったのだ。


 前世でのアニエスは、終ぞ結婚することはなかった。

 それどころか、彼女はその生涯に渡って純潔を守り抜いたのだ。


 それが良いか悪いかは別にして、彼女は二百年以上にも渡る人生で膨大な知識を蓄え、豊富な経験を経てきたが、唯一苦手な分野が男女の関係だったのだ。


 こればかりはどんな公式に当てはめても、どんな呪文を唱えようとも彼女には理解できない領域だった。

 近いうちに婚約者になるムルシア家の世継ぎの男子――フレデリクと会うことになっているのだが、それもまた彼女が頭を抱える原因になっていたのだ。


 とは言え、相手は未だ八歳の子供だし、自分だって五歳になったばかりだ。

 そんな状態でいきなり恋愛ごっこをしろとも言われないだろうし、もとよりそんなことは誰も期待していないだろう。


 だからリタは、あくまでも五歳女児としての飾らない自分を見せようと心に決めていたのだった。





 そんな婚約の儀が一月後に執り行われるのが決まったある日の早朝。

 ここはレンテリア家の子供部屋――リタの部屋だ。


 一体誰の趣味なのかわからないが、ピンクや水色や黄色などの原色系の彩りの目立つ部屋の中に、若く優し気な女性の声が響いていた。


「リタ様、リタ様、朝でございますよ。起きてくださいまし」 


「うむぅ…… あと五分……もうしゅこしだけ、寝かしぇてくろ……」


「何を仰るのです。先ほどもその前も、何度もそう言いましたよ。もう時間切れです。ここで起きなければ朝食の挨拶に間に合わなくなってしまいます」


「うぅ……」


 専属メイドのジョゼットに揺り起こされたリタは、寝間着姿のままベッドの上でぼけらっとしている。

 彼女は愛らしい灰色の瞳を閉じたまま、ゆらゆらと頭を前後左右に揺らしていた。



「はい、両手をお上げください。お寝間着を脱がしますよ、よろしいですか?」


「……うぃ」


 メイドによって無理やり起こされたリタだったが、いつまで経っても動こうとせず、目を瞑ったまま上半身を揺らし続けている。

 そんな寝ぼける幼女の姿を、専属メイドが笑いながら見ていた。


 結局リタはベッドの上に座ったまま、半ば強制的にジョゼットに着替えさせられてしまう。

 その様子は今朝に限らず、毎朝の光景でもあった。

 次第に目が覚めてくると、いつものようにリタは自分の枕の横を見る。

 するとそこには、薄汚れたウサギのぬいぐるみが置いてあった。



 それはオルカホ村で貧しい暮らしをしていた時に、母親が手作りしてくれたものだった。

 それは襤褸ぼろ布を縫い合わせた中にウサギの毛をいっぱいに詰め込んだものだ。

 決して上手だとは言えないが、それにはエメラルダの愛情がいっぱいに詰まっている。


 実はそのぬいぐるみは、とっくの昔に捨てられているはずだった。

 もともと極限まで汚れていたうえに、布も彼方此方あちこちが擦り切れていたので、何も知らないメイドに危なく捨てられそうになったのだ。


 しかしそれは、リタがオルカホ村から持ち出した唯一のものだった。

 母親の愛情が一杯に詰まっているのだからと、彼女が猛烈な勢いで拒否して捨てるのを泣いて嫌がったのだ。

 見かねたエメが代わりのぬいぐるみを作ってくれると提案までしてくれたが、それでも捨てることを認めなかった。



 それは泥だらけのうえに謎の染みもたくさんついていたし、さらに変な匂いまでしていた。

 だから洗っても大して綺麗にはならないだろうと思ったメイドは、そのまま捨ててしまおうとしたのだ。


 そんなゴミと間違われるような小汚いぬいぐるみではあったが、結局リタの剣幕に負けたメイドが丁寧に手洗いをして、さらに当て布で修繕までしてくれた。

 それでも子供部屋の豪華なベッドの上には違和感がありまくるぬいぐるみだったが、今ではそれも見慣れた光景になっている。

 

 ところがここ最近、その薄汚いぬいぐるみは別の目的で使われるようになっていた。




 それはピピ美の寝床だった。

 リタのぬいぐるみを気に入った彼女は、ずっと自身の寝床として使っていたのだ。

 そんなぬいぐるみを寝ぼけ眼のリタが覗き込むと、いつも通りに彼女はそこにいた。


 若干緑がかったキラキラと金色に輝く長い髪と美しく整った真っ白な顔。

 紅を引いたような真っ赤な薄い唇が、その白い顔に映えていた。

 そして背中には昆虫の羽によく似たそれが生えており、眠っている時は器用にそれを折りたたんでいる。

 昼間でもうっすらとわかる程度に、その全身には薄緑色のオーラの様なものがぼんやりと光っていた。


 この屋敷にやって来てからというもの、ピピ美の就寝時の定位置は常にそこだった。

 まるで天使のような姿をした体長10センチ程度の小さな妖精が、リタの宝物のぬいぐるみの上でいびきをかいて眠っているのだ。

 あまりに無防備で平和すぎるその寝姿は、見る者全員が思わず微笑んでしまうような愛らしさだった。

 



 森の精気を吸って生きている森の妖精ピクシー族は、森から離れては生きていけない。

 しかし有り余るリタの魔力を分けて貰うことによって、ピピ美は森の外でも生きていけるのだ。


 それも毎晩一緒のベッドで眠る程度で十分な魔力を吸収できるので、昼間のピピ美はリタから離れて行動することもできる。

 事実、日中の彼女は屋敷の中をフラフラと飛び回っていることが多かった。

 

 そんな自由を謳歌するピピ美だったが、昼間に活発に動き回る代わりにどうやら朝は苦手なようだ。

 いまもリタのお気に入りのぬいぐるみの上に寝転んで涎を垂らし、あまつさいびきまでかいている。


 そんな妖精の姿を見ると、思わずリタの顔が険しくなる。



 眠いのを我慢して自分は毎朝頑張って起きているというのに、この妖精はなにを呑気に寝呆けているのだ。

 しかもかか様が手作りしてくれた大切なぬいぐるみに涎まで垂らしおってからに……


 おのれぇ……毎朝のこととは言え、この平和ぼけした寝顔を見ていると無性に腹が立ってくる。

 


「起きれぇー!! おまぁ、いつまで寝とんのじゃ!! こにょ、寝坊助がぁ!!」


「きゃー!! なになにっ!? 何があったの!?」


 起き抜けで機嫌の悪いリタが、寝呆けるピピ美を叩き起こす。

 その様子は起き抜けで機嫌の悪い五歳児が、妹に八つ当たりをしているようにしか見えない。

 ジョゼットにはそんなピピ美がいささか気の毒に思えてしまうのだった。


 毎朝のように繰り返されるこの光景はすでに朝の風物詩とも言えるもので、それを毎朝見せられるジョゼットは、ひたすら苦笑いをするだけだった。




 そんな朝から忙しいジョゼットだったが、彼女はロレンツォとの関係を順調に進展させていた。

 魔法の練習は危険なので、滅多なことがない限りリタとロレンツォ以外の人間がその場にいることはない。


 しかしリタ専属のお世話係のジョゼットは、この限りではなかった。

 もちろん彼女は用事がない限りは屋敷の中に下がっていることが多いのだが、それでもロレンツォと二人きりになる機会も多かったのだ。


 この屋敷の中で男女が二人きりなれることは稀だったし、その大義名分もあった。

 もっともそれはリタが気を遣ったりしている部分もあるのだが、それにしてもその機会を十分に活用する彼らは、急速にその仲を発展させつつあった。

 


 そんな中、リタの婚約の儀は十日後まで迫って来ていた。

 その準備を進めるレンテリア家の中は、次第に慌ただしくなってきている。


 そして当のリタも、その緊張を次第に隠せなくなってきていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る