第82話 面会の約束

 レンテリア家のフェルディナンドとラローチャ家のエメラルダの駆け落ちに端を発したリタの婚約騒ぎは、図らずも当事者である四歳女児自らの手によって解決された。

 その速やかに解決を図った手腕は見る者全てに鮮やかに映り、その話は瞬く間に屋敷中に広まったのだ。


 もちろんそれはレンテリア伯爵夫妻も例外ではなく、その後に帰宅した彼らは眠ってしまったリタが起きるのを待ちわびていた。

 そして彼女が泣き寝入りから目覚めると、まるで嵐のような勢いで祖父母からのキスと抱擁の洗礼を受けたのだった。



 実はレンテリア伯爵夫妻もリタの婚約問題には頭を悩ませていた。

 確かにあの時バルタサールは立会人まで設けてリタの婚約話に合意していたが、その後にシャルロッテの反対にあって難儀しているのを知っていたからだ。


 だからその問題が片付くまでは婚約の件が具体的になるとは思っていなかったし、場合によってはこのまま頓挫する可能性も考えていた。

 今はまだバルタサールが説得中とは言え、あのシャルロッテがそのまま大人しくしているとも思えず、セレスティノもイサベルも以前から彼女の行動に目を光らせていたのだ。


 

 そして今日、もっとも恐れていたことが起こった。

 それはもちろん、ムルシア侯爵家次期当主夫人、シャルロッテの強襲だ。

 あの「ムルシアの女狐」と称されるほどに策を弄し、押しが強く、交渉事に長けた女がやって来たのだ。


 レンテリア夫妻にしてシャルロッテが直接やって来ることは予め予想していたし、その場合はイサベルが対応ことも決めていた。

 しかし、まさかの不在を狙われてしまったのだ。


 仕方なく次男夫妻が対応したのだが、明らかな力量不足を露呈した挙句に、危なく言質げんちを取られそうになってしまった。

 もしも予定通りイサベルが対応できていれば、また違った結末になっていたのかもしれない。


 それでも「ムルシアの女狐」にしてみれば、今回の訪問によって何かしらの利益を得ていただろうし、それと同時にレンテリア家が不利な状態に追い詰められていたかもしれなかったのだ。

 

 しかしそれを今回の当事者本人である四歳のリタが、自分自身の手で解決してしまった。

 しかもエッケルハルトの語るところによればその手際は相当鮮やかだったらしく、あの「女狐」シャルロッテを真正面から論破した挙げ句、ぐうの音も出ないほどに打ち負かしたのだ。

 その様子は長年色々な貴族の子息を見てきた彼をして、相当なものだと言わしめたほどだった。



 そんなリタのお手柄は、もちろん彼女の祖父母――レンテリア伯爵夫妻をとても喜ばせた。

 特に祖母のイサベルにいたっては、本来であれば自分の役目であったものを代わりに対応し、しかも自分以上の結果を引き出した孫娘のお手柄を心底喜んだ。


 彼女は普段の沈着冷静な仮面を脱ぎ捨てると、またしても他の者に止められるまでリタの身体に抱き着いて、キスと頬ずりと抱擁とで揉みくちゃにしていた。


「あぁ、リタ!! わたくしの可愛いリタ!! この度は本当にお手柄でした。あなたのおかげで我が家が救われたのです!! あぁ、リタ、リタ、ぶちゅ、ぶちゅー!!」 


「うひゃー!! お、お婆しゃま、や、やめてくらはい、くしゅぐったいでしゅ、いやぁー、あひゃひゃひゃ――」


「あぁ、リタ、リタ、愛していますよ!! あぁ、リタ―― ぶちゅー!!」


「うひゃひゃひゃひゃ!!」



 そんな孫馬鹿が過ぎるとしか言えない母親の姿にジトっとした視線を向けながら、フェルディナンドが問いかける。


「父上……母上はもとからあのようなお方でしたか?」


「……いや、彼女は最近変わったんだよ、リタが来てからね。何と言うか……良い意味で肩の力が抜けた様な気がするな…… もっとも、少し極端過ぎるきらいはあるが」


「そ、そうですね。実の息子の私ですら、あのようなキスなどされた記憶はありませんもの」


「あぁ、私も最近はされたことがないな」


「えっ!?」


「あ……?」




 そんなわけで(どんなわけだ?)、ここレンテリア家には再び平和が訪れた。

 そしてこの屋敷の中でのリタの評価はうなぎ登りとなり、家族のみならず使用人の間でも自慢の孫娘となったのだった。

 

 彼女がこの屋敷にやって来た直後は、ただ見目の良い年齢相応の幼女という印象でしかなかった。

 もちろんその愛らしい容姿は街中で噂になるほどのものだったので、それだけでも屋敷の使用人としては鼻が高かったのだが。

 それでも所詮はその程度の評価でしかなかったのだ。


 しかしその後にバルタサール卿から孫の婚約者として請われたあたりから少々話が変わって来る。


 ムルシア家と言えば、ここハサール王国の中でも最強の軍隊を抱える武闘派貴族家の筆頭だ。

 そして王国の建国時から続く最古の貴族家でもある。

 そのため数多の貴族家の中でもその財力、発言力、影響力は大きく、上位の公爵家にしてムルシア家には相当気を遣っていたりもする。


 そんな有力貴族家の将来の当主夫人として、リタは現当主の口から直接請われたのだ。

 その申し出は、まさに異例中の異例と言えた。


 何故なら格下の伯爵家の、しかも次男の娘が将来の侯爵夫人として指名されるなど、今までおよそ聞いたことがないからだ。

 それは爵位の優劣に拘る貴族家としては相当珍しいことだった。



 その話を聞いた時、侯爵がリタの愛らしさに目を奪われただけだろうと当然皆は思っていた。

 しかし、すぐにそれだけではないことがわかったのだ。

 その直後にリタは「魔力持ち」の最高峰と言われる魔術師としての能力が認められたし、その才能も普通よりも相当高いものだと診断された。


 そしてあの「ムルシアの女狐」を真正面から論破して、自身の婚約者としての地位を揺るぎないものにしたその手腕は、弱冠四歳の幼女をして末恐ろしいと言わしめたほどだったのだ。

 もっともそれに関しては、当のリタとしては色々と思うところがあるようなのだが。



 未だリタの婚約が正式に発表されたわけではなかったが、その事実は既に市井に広まっていた。

 だから以前にリタの面会依頼の手紙を送りつけていた各貴族家にも当然その話は伝わっているはずだった。

 それでも手紙を受け取った礼儀としてセレスティノが各貴族家宛てに返事を書いていると、その束の中から一通の封書を見つけたのだった。



「おや……? なぜリタ宛てに冒険者ギルドから手紙が来ているのだ? 差出人は……ふむ、ギルド長のランベルトか……」




 ――――




「おい、クルス。レンテリア伯爵家のリタ嬢が、お前に会ってくれるってよ。ちょっと中に入れ。詳しく説明するから」


「……まじか」


 ある日の夕方、薬草採集の依頼を終わらせたクルスがギルドで報酬を受け取っていると、受付の奥から突然声をかけられた。

 クルスがそちらに視線を向けるとそこにはギルド長のランベルトの姿があり、彼は右手に何か封筒の様な物を持ってヒラヒラと振り回している。


 その姿を見た瞬間、自分が以前にリタとの面会を頼んでいたことを思い出していた。

 しかし手紙を送ってからすでに二ヵ月が経っていたし、もとよりその面会が実現するなど初めから思ってもみなかったので、彼はすっかり忘れていたのだ。


 

 二人がギルド事務所の客間で手紙の内容を確認した。

 ちなみにクルスは簡単な文字しか読み書きできないので、手紙の内容はランベルトが読み上げていたのだが。


 その内容は以下の通りだった。


 面会は明後日の午後二時、場所はレンテリア伯爵邸とする

 日時の変更はできない

 面会の参加者は、ギルド長のランベルト及びクルスとパウラの三名のみ

 クルスとパウラのうち一名の欠席は認めるが、ランベルトは必ず出席のこと

 その場合、ギルド発行の証明書を必ず持参すること

 武器等の持ち込みは不可 屋敷の入口にて預けること


 

 ランベルトが手紙の内容を読み上げると、そのまま机の上にそれを広げる。

 するとクルスは覗き込むようにして手紙を眺め始めたのだが、結局彼自身はそれを読むことはできなかった。

 それでも彼は、腕を組んで頷いていた。


「まぁ、真っ当な条件だわな。それよりも、こんな一介のギルド員によく会うと言ってくれたよな」


「あぁ。リタ嬢の婚約も本決まりになりそうだし、各貴族も面会の申し出を続々と辞退してるって話だからな。時間ができたんだろう。――それよりもお前、レンテリア家のリタ嬢があのアニエスの生まれ変わりの娘で本当に間違いないんだろうな?」 


 目の前で腕を組み、したり顔で頷くクルスを見つめながらランベルトが胡乱な顔をする。

 これだけお膳立てをして貰いながら実は彼女は別人でした、なんて話にでもなれば、気まずいどころの話ではないだろう。


「それは間違いねぇな。あの顔、あの目、あの笑い方、あいつは絶対にアニエスだ。この俺の目を信じろ」


「それが一番信頼できないんだよ。――お前得意の見間違えじゃなけりゃいいんだがな」


「……だから、見間違いが得意ってなんだよ!? 意味わかんぇよ!! パウラにもよく言われるけど、一体なんなんだよ、それ!?」


「まぁ、気にするな」





 ランベルトとクルスの打ち合わせから二日後、遂にレンテリア家の孫娘に面会する時がやって来た。

 そして今はランベルトを先頭にクルスとパウラの二人が屋敷の居間に通されたところだ。

 職務上普段から貴族との付き合いのあるランベルトは別にして、残りの二人は貴族の屋敷に入ったのは初めてだった。

 

 すでに春先とは言え、未だ寒い日が続くために豪華な暖炉には赤々と火が焚かれている。

 そして土の付いたブーツで上がるのを思わず躊躇ってしまうような毛足の長い絨毯に、一脚だけでギルド員の年収に匹敵するような豪華なソファ。

 特にそのソファは、その上に腰掛けるのを思わず躊躇ってしまうような美しさだった。


 そんな滅多に入ることのできない部屋の中で三人が居心地の悪さを味わっていると、おもむろに部屋の扉が開かれる。

 


「お待たせいたしました。フェルディナンド様、エメラルダ様、そしてリタ様が参りました」


 先に部屋に入って来た筆頭執事のエッケルハルトが、厳かにレンテリア家次男夫婦とその娘の入室を告げる。


 するとその後から、何処かで見たことのある三人組が姿を現したのだった。

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