第56話 フェルとレンテリア家の事情

 クンツ・ゲプハルト庶務調査官は、目の前の巨人――ヘカトンケイルに殺されるよりも、レンテリア伯爵による弾劾を受ける道を選んだ。

 まるで虫を殺すがごとく平然とリタとその両親の命を奪おうとした彼だったが、やはり自分の命は惜しいらしい。


 目の前の巨人に戦いを挑めば有無を言わさず殺されるのは間違いないが、相手が言葉の通じる人間であれば、もしかすると言い逃れができるかもしれない。

 場合によっては命までは奪われないかもしれないのだ。

 

 目の前に佇む身の丈4メートルを超える漆黒の巨人は、見たところ話が通じる相手とも思えない。

 と言うよりも、その恐ろしい姿はむしろ頭の中まで筋肉でできていそうだ。


 もっとも言葉が通じたとしても、これまで自分がしてきたことを思い返してみても到底許されるとは思えない。 

 それならば一縷いちるの望みにかけて、ここで降伏すべきだろう。


 すでに避けられない己の運命を悟ったゲプハルトは、最早もはや立ち上がる気力さえないようだった。

 とは言え、異常に肥満した彼の身体は、一度座り込んでしまうと人の助けがなければ自力で立ち上がることさえできなかったのだが。



 そんな上司の姿を見た部下たち――騎士や弓兵、そして数名の魔術師――は、あからさまに安堵の表情を浮かべていた。

 上司に命令されたとは言え、彼らとて好んで幼女を殺そうとたわけではなかったし、中にはリタに自分の娘の姿を重ねた者もいたのだ。


 それにやっと助かる道が見えたと言うのに、それを捨てて理不尽な上司と心中するなど真っ平だった。

 だから地面に座り込んだゲプハルトの姿を見た彼らは、皆一様にホッと胸をなで下ろしていたのだった。


 



 その後、ゲプハルトをはじめ彼の部下たちを一ヵ所に集めると、リタは呼び出していたヘカトンケイルに帰るように指示を出す。

 せっかく呼び出しておきながら何もせずに帰らせる結果になったことをリタが謝罪すると、ヘカトンケイルは無言のまま小さく頷いた。

 そして出てきた時と同じように煙に姿を変えると、そのまま彼の世界――冥界へと帰って行ったのだった。


 その様子を興味深そうに眺めていたエッケルハルトだったが、そこから先は自分の出番とばかりにレンテリア伯爵の名代としてテキパキと指示を出し始める。

 中には貴族でもないただの執事だからと、彼の指示に従うことに難色を示す者もいたが、そこはレンテリア伯爵から全権を委任されているとして、半ば強制的に言うことをきかせていた。


 そんな精力的に動き続ける彼の姿を感心しながらフェルが眺めていると、仕事が一段落したらしいエッケルハルトが近づいて来る。

 その顔には何か達成感のようなものが浮かんでいた。




「坊ちゃ――フェルディナンド様。粗方後片付けが終わりました。ゲプハルト庶務調査官及び、特に素行の悪い数名の騎士たちは地下牢に収容しましたので、今後の指揮は地方執行官に任せようかと」


「あぁ、お前の好きにしてくれ。――私はもうレンテリアの名を名乗ることはできないのだから、お前に全てまかせるよ」 


 フェルの顔に、自嘲めいた笑いが浮かぶ。

 その顔は小さな時から世話をしてきたエッケルハルトをして見たことがないものだった。

 そんなレンテリア家の次男の顔に何か思うところがあったのか、彼は思わず大きな声を上げてしまう。


「何を仰るのです!? あなたは今でもレンテリア家の一員なのですよ!!」


「……しかし、私がエメラルダを連れて逃げ出した後、怒った父が私を廃嫡したと――」


「そんなものは対外的なパフォーマンスに過ぎません。見せかけですよ。あの時はそうしなければ周りに示しがつかなかったのです」


「しかし……」


「エメラルダ様のご実家――ラローチャ子爵家との関係もありましたからね。仕方がなかったのです」


「そうか……あそこにも迷惑をかけてしまった。さぞマルセロ殿は怒っているだろう」


「……まぁ、お怒りでないと言えば嘘になりますねぇ。あの方は娘のエメラルダ様を溺愛しておられましたから」


「そうだよな……それを私が突然連れて逃げたのだ、怒るなと言う方が無理だろう」


「……気にすることはありませんよ。あんなことはありましたが、レンテリア家とラローチャ家とは今でも良好な関係を築いていますから」


 などとエッケルハルトは言っているが、その微妙な表情を見る限り全てがその通りというわけでもないのだろう。

 それはフェルにも伝わっていた。


 娘のリタのために止む無く実家に頭を下げる決心をした彼だったが、そのあたりの複雑な事情を考えると頭が痛くなってくる。

 もっともその全ての原因を作り出したのは自分なので、もとより文句を言える立場でないことは十分に承知している。

 とは言え、ことは単純に解決できるような問題ではなさそうだった。


 

 突如微妙な空気が漂ったのを察知したエッケルハルトは、敢えて話題を変えた。


「ところで、お父上は今でもあなた様の帰りを待っているのです。今回の捜索もお父上――セレスティノ様の指示なのですよ」


「父上の? しかし私は相当な迷惑をかけたはずだ。他家の娘を連れて逃げるような真似をしたんだ、そんな家名に泥を塗った不肖の息子など、とっくに見限っているかと――」


「まぁ、表向きはそうした言動をしているのは事実です。対外的にはそうするしかありませんから。内心でどう思っていようとも、貴族の子息が他家の娘を連れて駆け落ちをした、この事実にヘラヘラ笑ってるわけにもいかないでしょうからね」


 エッケルハルトの歯に衣着せぬ言葉に思わず気圧されるフェルだったが、そこは甘んじて言われるに任せていた。


「うっ……確かに…… し、しかしなぜ父上が?」


「訊かれると思いました。――はい、これですよ」


 そう言うとエッケルハルトは懐から何かを取り出して広げて見せる。

 彼が取り出したもの――それは約三十センチ四方の四角い紙で、フェルも良く知っているものだ。

 それはリタ一家について書かれた手配書だった。

 


「フェルディナンド様。あなた方はどうやらあの庶務調査官と揉めたらしいですね。そのおかげでこれが我々の目にも入りまして」


「あぁ……彼とは色々とあってね」


「えぇと、なになに――四歳の女児を連れた二十代半ばの夫婦……夫は背が高く、銀髪に灰色の瞳、妻は小柄で金色の髪に青い瞳…… これを見た時にピンときたのですよ、お父上がね」


「……父上が?」


「はい。この手配書の二人は息子たちに違いないと、それはもう鼻息も荒く。それで私に探しに行くように指示を出されたのです。それで詳しい話を訊こうとこちらに立ち寄りましたところ……いやぁ、本当に驚きましたよ、まさか探していたご本人がここにいるとは思いもしませんでしたから」


「そうか、そんなことが…… お前には本当に助けられた。改めて礼を言うよ」


「いえいえ、滅相もございません。私はなにもしておりませんよ。――ところで、お父上は手配書に書かれている『四歳の女児』にも興味津々のようでした。これは自分の孫に違いない、孫が生まれていたのか、しかも女の子なのだと、何度も何度も仰っていましたよ」


 エッケルハルトはそう言うと、地面に絵を描いて遊んでいるリタに目を移す。

 視線を感じた幼女が真っすぐに見返すと、その灰色の瞳に目が釘付けになった。



 その瞳の色は間違いなくレンテリア家のものだった。

 彼女の父親のフェルディナンドも、その父のセレスティノも、そしてその父のイラリオも、代々その瞳の色を受け継いでいた。

 そしてその色は、強い魔力の証とも言われれており、その瞳の色の子供が生まれると、その代のレンテリア家は安泰だと言われるほどだった。


 しかし当のフェルディナンドは例外だった。

 彼はレンテリア家の灰色の瞳を持って生れていながら、全く魔力を持っていなかったのだ。

 そして彼の駆け落ち騒ぎも、元はと言えばそこから始まっていた。


 その顛末はここでは省略するが、いずれにしてもフェルは両親が決めた結婚相手ではなく、自派閥の下位貴族――ラローチャ子爵家の長女、エメラルダを連れて家を飛び出していたのだ。

 そしてその二人の間に生まれたのが、リタだったというわけだ。



 そのリタがエッケルハルトの視線を受けると、その灰色の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。

 

「なんじゃ? わちの顔に、なんぞちゅいとるかの?」


 四歳児にしては滑舌が悪く、話し方も幼い。

 なによりその妙に老人臭い口調が気になるが、その理由はさきほどフェルから聞いたばかりだった。

 生まれてからずっと寝たきりだった彼女が奇跡的に回復して、やっと話せるようになったのはここ一年ほどらしい。

 だから彼はリタの話し方がいささか変わっているのもおかしいとは思わなかった。


 それよりも、エッケルハルトはリタの容姿に驚いていた。

 母親譲りのプラチナブロンドの髪は光輝き、父親譲りの灰色の瞳は深い知性を感じさせる。

 そして神憑り的に整ったその顔は、エメラルダとフェルディナンドの良いところだけを受け継いでいるように見えた。


 その姿は、間違いなく将来は美少女と呼ばれるようになるだろうし、成人した暁には、その容姿だけでも多数の家から縁談が舞い込むのは想像に難くない。

 それほどにリタの容姿は飛びぬけていた。

 その姿を彼女の祖父と祖母が見たところを想像したエッケルハルトは、思わず頬を緩めてしまうほどだった。 




「あぁ、リタ様。お爺様もお婆様も、あなた様にお会いしたらきっと驚くでしょう。口に出してはいませんでしたが、特にセレスティノ様はあなた様のお姿を見たくて仕方がないようでしたから」


「お爺しゃま? わちのか? わちにじじばばがおるのか?」


「えぇ、そうですよ。あなた様のお爺様です。レンテリア家の現当主、セレスティノ様ですよ。どうやらご存じなかったようですが、あなたは貴族の娘なのです。あのレンテリア伯爵家の一員なのですよ」


 などと説明をしながらも、きっとその意味はあまり伝わっていないだろうとエッケルハルトは思っていた。

 確かに凄まじい魔法を使って見せた姿には度肝を抜かれたが、こうして遊んでいる姿を見ていると、あどけない普通の四歳児にしか見えなかったからだ。


 それも汚れてぼろぼろの農民の服を纏うその姿は、貴族の娘だと言われても到底信じられるようなものではない。

 しかしその灰色の瞳は間違いなくレンテリア家の血を受け継いでいる。

 そしてその魔法の才能は凄まじいものだったのだ。



 たかだか四歳の幼児がここまでの魔法の才能を見せつけた例は、代々レンテリア家の執事を務めてきたエッケルハルトにしても、およそ聞いたことはなかった。

 今は引退して隠居生活を送っている、前当主のイラリオ・レンテリアにしても「神童」と言われるほどにその魔法の才能を開花させたものだったが、それでもここまでのものではなかったはずだ。


 そして、灰色の瞳を持ってレンテリア家に生れながら全く魔力を持たなかったフェルディナンド。

 その生まれから子供の時から期待を背負わされた彼だったが、結局成人するまでにその才能を開花させることはなかった。



 成人してから「魔力持ち」になるのは稀だ。

 諦めた両親は、代々「魔力持ち」を輩出している他家から妻を娶って次代にその血を繋ごうとしたのだが、当のフェルディナンドはそれを嫌ってラローチャ子爵家のエメラルダと逃げたのだ。


 しかし蓋を開けてみれば、弱冠四歳にして凄まじいまでの魔法の才能を開花させた娘を連れて彼は帰って来た。

 それもここ数十年は聞いたことがないほどの強い「魔力持ち」として。


 

 リタのその愛らしい存在は、レンテリア伯爵とその息子フェルディナンドの間に横たわるわだかまりを溶かしてくれるだろう。

 「子はかすがい」と言う言葉があるが、彼女の場合は「孫はかすがい」の役割を果たしてくれるはずだ。

 

 なによりリタの存在は、すべてを許してしまいそうになるほどに愛らしかった。


 

 彼女を家に迎え入れられれば、レンテリア家は安泰だろう。

 それはいやらしい大人の打算なのだろうが、それも含めて、すでにリタを家に迎え入れない理由は何一つ存在しなかった。

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