第28話 水面下の攻防
ケビンがアニエスの生存を確認した翌月、予てより予定されていたブルゴー王国第二王女エルミニアとの婚儀が執り行われた。
これで遂に王族の仲間入りを果たした勇者ケビン・コンテスティではあったが、未だ彼の立場が微妙であることに変わりはなかった。
もとより彼は、その勇者の素質を見出されただけの平民出身者でしかなく、魔王討伐の成功とともに国王より恩賞として爵位を賜っただけなのだ。
もちろんそれはある有力貴族の養子に入る形で実現したものなので、その貴族の力を慮ると表立ってケビンを批判する者はいないのだが、生粋の貴族の中には彼を馬鹿にしたり蔑む者も多かった。
そして妻になったエルミニアは王族なのでそれなりの地位と実権を持ってはいるが、それはあくまでも建前上でしかない。
彼女が王国の第二王女であるのは事実だが、彼女は正妃の子ではなく側妃の子だからだ。
三人の我が子を残して早世した正妃には一人の侍女が付いていた。
エルミニアはその侍女の子なのだ。
だから生まれとしては第二王女で間違いないのだが、正妃の子である第一、第二王子、第一王女とは明確に区別されて、王宮内での立場も常に微妙で不安定だった。
そんな王女が結婚をした。
夫はご存じの通り、昨年魔王討伐を成し遂げた勇者ケビン・コンテスティだ。
この時代には珍しく彼らは相思相愛の恋愛結婚なので、その仲睦まじい二人の姿は結婚する前から多くの若い貴族たちの羨望の眼差しを浴びていた。
特に十代中頃の年若い貴族の子女からは理想の夫婦像として見られており、次代の王国を担う若い貴族の人気もとても高いものだ。
そしてそんな彼らが気に入らない者が多いのも事実だった。
特に第一王子セブリアン、第二王子イサンドロからはあからさまに煙たがられているし、貴族の中でも旧体制の維持に努める年寄り連中は、人前でも仲の良さを隠そうともしない若夫婦の姿に眉を顰めている。
しかしそんな第二王女夫妻の味方であることを隠そうともしない国王の手前、表立ってその二人を批判する者はいなかった。
それと同時期に、王宮内ではアニエス生存の噂が密かに流れ始めていた。
それは『人の口に戸は立てられぬ』と言う通り、誰かの口から漏れたのだろう。
そしてその噂は瞬く間に王宮中に広まっていったのだった。
――――
「おはようございます。お二人とも、もう朝でございます。早めにお支度をなさいませんと、陛下へのご挨拶が遅れてしまいますよ」
この言葉をもう何回繰り返しただろうか。
大きなベッドの中で仲良く眠る若夫婦の姿を見つめながら、エルミニア付きの侍女は小さな溜息を吐いた。
結婚して夫婦になったとは言え、ケビンとエルミニアの寝室は別々だ。
とは言え、この二つの部屋は扉と渡り廊下で隔たれているだけなので、その気になれば直接互いの部屋を行き来出るのだが。
毎朝侍女が起こしに行っても、エルミニアは決まって自分のベッドにはいなかった。
仕方なく渡り廊下の扉を開けてケビンの寝室に入ると、必ずそこに寝呆ける二人の姿を見ることになる。
もちろんそれがとても良いことなのは間違いない。
政略結婚が殆どの王侯貴族の結婚において子作りとはまさに義務でしかなく、互いに気が乗らなければ全く肌を合わせようとしない場合も多い。
しかし義務という言葉の通り、彼らはその直系の子――特に男子――を早い時期に儲けなければ離婚の理由にもなりうるので、それは非常にデリケートな問題ではあったのだ。
それが相思相愛の結婚として有名なこの二人においては全く当てはまらなかった。
新婚初夜から暫くは、事が済めば互いに遠慮をしてそれぞれの寝室で眠っていたが、それから一月も経たずにそのまま朝まで一緒に眠るようになったのだ。
それでも二人が毎朝きちんと起きてくれれば侍女も苦労はないのだが、毎晩遅くまで仕事をしているケビンに合わせて深夜になってから愛を確かめ合う二人は、朝はとても弱かった。
とは言え、一般的な時間から言えば未だ早朝とも言える時間だし、侍女も相当時間に余裕を持って起こしに来ているので実質的な問題はないのだが。
それでも侍女が二人を起こしに行くとそこからまたイチャイチャと始まるので、彼女も目のやり場に困ってしまう。
そして毎朝のように寝室から追い出されてしまうのだ。
そんなことが続いていたある日、いつものように侍女が二人を起こしに行くと、ベッドの中に既に目を覚ました二人の姿があった。
そして彼らが真剣な顔で何やら話をしていることに気付くと、侍女は遠慮がちな声をかけた。
「あの……お邪魔でしょうか? よろしければ少し後にもう一度参りますが――」
「おはよう、テレサ。今朝も早くからご苦労様だね。――そうだね、あと十分だけ時間をくれないか。――いや、大丈夫、今朝はもう済んだから」
「も、もう……恥ずかしいからおやめください。テレサだって困っているでしょう? ――おはよう、テレサ。ごめんなさい、主人が言う通り、あとでもう一度来てくれる?」
「畏まりました。それでは十分後にもう一度参ります。――失礼いたします」
侍女が寝室から出て行ったのを確認すると、再びエルミニアが口を開く。
最愛の夫を前にしたその顔には生真面目な表情が浮かんでおり、それを見つめるケビンの顔も同様だ。
その姿は、彼らが甘いピロートークを繰り広げているのではないことは明白だった。
「それではセブリアン兄さまが裏で動いていると?」
「あぁ、そうらしい。ばば様に戻って来られると殿下も色々と困るようだからな。特に宮廷魔術師のイェルドにしてみれば死活問題だろう。自分の居場所がなくなってしまうのだから」
「そうですわね……兄さまにしてもせっかくご自身の息のかかった者を宮廷魔術師に据えることができたのですから、それを手放したくはないでしょう」
「まぁな。もっともばば様は、そんなゴタゴタに嫌気が差したから帰って来ないんだろうけど」
そう言ってケビンが妻の頬を掌で優しく撫でると、エルミニアがその手にキスをする。それから愛おしそうに頬ずりをした。
「確かにそう思う気持ちはわかりますわね。兄さまも兄さまでどっしりとお構えになればよろしいのに…… 多少のことがあったとしても、ご自分の王位継承は揺るぎないものなのだから――」
「エルもそう思うよな。俺だって王室内の権力争いには興味はないよ。でもそう思ってくれない人が大勢いるのだから仕方がない」
などと真面目な顔をしながらもケビンが怪しい手つきで妻の胸に触れようとすると、彼女は頬を膨らませながら夫の手をピシャリと叩いた。
「もうっ、おやめください。真面目な話をしているのに…… それで、ばば様を探し出してどうなさるおつもりなのかしら?」
恐らく彼女はその答えを知っているのだろう。
それでもそれを確かめずにはいられずに、彼女は夫の顔を見つめる。
その視線を受けたケビンも、敢えてその答えを口にした。
「まぁ、暗殺だろうな。殿下はばば様を亡き者にしようとするはず。それはそれだけ殿下がばば様の力を恐れている証拠なのだろう――いや、正確に言えば、ばば様の力ではなく彼女の持つ人脈とその影響力だろうな」
「そうですね。何やかや言いながら、ばば様の味方が多いのは事実ですしね。そしてそれは決して無視できない大きな力―― そんな彼女がイサンドロ兄さまの味方をした日には目も当てられないのでしょう」
「ふぅ…… あのばば様がイサンドロ殿下の味方などするわけもないのに――セブリアン殿下は疑心暗鬼になってしまっているのかもしれないな。もっとご自身に自信を持っていただければ…… おっと、これ以上は不敬だな、やめておこう」
顔を横に向けると、ケビンは小さなあくびを漏らす。
そうしながらも左手をじわじわとエルミニアの胸に再度近づけていくと、そんな悪い手の甲をつねりながら妻が話を続けた。
「でも、ハサール王国という以外、アニエス様の居場所はわからないのでしょう? どうやって探すのでしょう」
「いや、それは公にしていないだけであって、それを知っている者はいる」
「――それは誰なのです?」
「ギルドのハサール王国支部の幹部数名と、実際にばば様に接触したギルド員の二人だ。だから本気でばば様の居場所を探そうと思えば、それは決して無理な話ではない」
今度は右手をエルミニアのネグリジェの中に入れると、じわじわと下に下げていく。
しかし彼女は
「くふぅ…… あ、あなたはご存じなのですか? ばば様の居場所を」
「いや、俺は知らない。俺も含めて俺の周りで彼女の居場所を知る者がいれば、即座に殿下に知られるところとなるだろう。人の口に戸は立てられないと言うからな。だから敢えて俺はそれを探ろうとは思わない」
「そ、そうですか…… うぅん…… それでは、そのギルド員とギルド幹部に注意をさせなければ…… はぁ……」
「あぁ、もうすでに知らせてある。彼らもそれは注意しているはずだ」
「そ、そうですか…… そ、それは良かった…… んあっ……」
ケビンとエルミニアの水面下での攻防は、遂に決着がついた。
それはもちろんケビンに軍配が上がったもので、これで彼の戦績は34戦34勝34KO無敗となったのだ。
すでに夫の軍門に下った妻は、目を閉じて
そんな姿を愛おしそうに眺めていたケビンが妻を抱きしめようとしていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。
「お二人とも、そろそろお時間でございます。お着替えを――」
「すまない、テレサ。あと十分――いや、二十分くれないか? ちょっと立て込んでいて――」
「……畏まりました。それでは二十分後に再度伺います――」
思わず最後に「ごゆっくり」と言いそうになる口を押さえつつ、エルミニア専属侍女のテレサは、小さな溜息を吐いたのだった。
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