第7話 初めてのお友達

「あっ、やべぇ……」


「お、おい、マズいぞ……」


 ツルーっと赤いスジがリタの鼻から垂れる。

 それを見た男児二人が、目に見えて動揺し始めた。

 鼻を拭ったリタの手袋には真っ赤な色が付いて、彼女はその手を凝視していた。


 顔面に雪玉をぶち当てられたリタは、鼻から血を出していたのだ。

 それも盛大に。

 簡単に言うと「鼻血ぶー」である。


 目の前の男児二人と自身の手袋に付いた鼻血を交互に見つめていると、次第にリタの瞳に光るものが沸き上がる。

 その様子を見た男児たちは、焦ったように近付いて来た。


「お、おい、泣くな!! 謝るから泣くなよ!!」


「ごめん、本当は当てるつもりじゃなかったんだ――」


 

「ふぇっ……ふぇ…… ふえぇーん、かかしゃまー うえぇーん!! あぁぁーん!!」


 リタは泣いた。

 大きな口を開けて空を見上げながら、思い切り大声で泣き叫んだ。


 それは齢212の老成した大人の姿では決してなかったが、今の彼女はどこからどう見ても完全に三歳児なので何の問題もなかった。

 冷静に考えると、鼻血が出るほどの勢いで顔面に雪玉をぶつけられたからと言って、大声で泣き叫ぶのはあまりにも大人げないだろう。


 しかし自身のその行いに何の疑問も持たないほどに、今のアニエスの精神は退行していたのだった。



「ど、どうしたのリタ!? 何があったの!?」


「リタ、どうした!? 大丈夫か!!」


 リタの泣き声を聞いた両親が慌てて家から飛び出して来る。

 その手にはかまど用の棒切れが握り締められていたが、家の前でおろおろと狼狽えている男児の姿を目にすると何処か気の抜けた顔になった。


 そして反対側に目を向けると、そこには足元に多数の雪玉を転がした鼻血ぶーな愛娘の姿が目に入る。

 それを見た瞬間、彼らはここで行われたであろう出来事を察したのだった。


「うわぁーん、かかしゃまー!!」


 鼻血ぶーのリタがエメに向かって突進すると、その豊かな胸に顔を押し付けて泣きじゃくる。

 エメはそんなリタの頭を優しく撫でながら、着膨れで丸々となった身体を優しくギュッと抱きしめた。

 そんな二人を横目に見つめながら、フェルは狼狽える男児に事情を訊いたのだった。



 話を聞くと、わざと彼らはリタの顔面に雪玉をぶつけたわけではないことがわかった。

 それに二人が慌てて謝っている声も聞いていたフェルは、彼らを叱ることなく優しく諭すと、そのまま家に帰らせたのだった。





 リタが鼻血を出して泣かされた日の翌日、彼女の家には朝から来客があった。


 それは前日にリタの顔面に雪玉をぶつけた男児たちで、カンデという名の五歳の男の子だ。

 そしてその後ろに隠れるように佇んでいるのがシーロ、四歳だ。


 朝早くから彼らが何をしに来たのかというと、他でもない、リタと遊ぶためだった。


 この村には子供が少ない。

 いや、子供のみならず村人自体もさほど多くない国境沿いの寒村なのだが、その中で彼らは昨日新しい仲間を見つけていたのだ。


 そもそもリタがこの狭い村に生まれてから既に四年近く経っているので、新しいという言い方も少々おかしいのだが、生まれてからずっと病気で家に閉じこもっていた彼女は、実際に村の子供達と会うのはこれが初めてだった。

 

 男児たちにしてみれば、それはある日突然新しい子供がやって来たのと変わらなかった。

 しかし相手は痩せて身体が小さくよろよろ歩く幼女で、言葉も上手く話せない。

 それでも彼らは新しい子供に興味津々だった。

 だから両親からリタの素性を聞いた彼らは、早速遊びの誘いに来たのだ。



 そんな彼らの誘いを受けたリタは、最初は胡乱うろんな顔をしていた。

 昨日は自分の顔面に雪玉をぶつけた相手だ。

 自分はまだ許したわけでもないのに、何をいけしゃあしゃあと……


 それに自慢ではないが212歳の大人が四、五歳の幼児と一緒に遊べるわけが無いではないか。

 自分は大人なのだ。

 誰がお飯事ままごとなど、そんな幼い子供の真似事ができるものか。

 

 などとエメお手製のお気に入りのぬいぐるみを手にぶら下げながら、リタは思わず唸ってしまう。



「あら、どうしたの? せっかくお友達になったのだから一緒に遊びなさいな」


「いやじゃ。おのれら、らんぼうものは、きらいじゃ。また、はなぢがでたら、たまらん」


 二人の男児からプイっと顔を背けると、リタは舌足らずな声を出した。

 212歳のいい大人ともあろう者が、幼児に対して完全にへそを曲げている。

 もしもその姿を勇者ケビンが見たとしたら、彼はなんと言うだろうか。


「だからごめんってば。謝ってるじゃないかよ」 


「もう雪玉ぶつけたりしないからさ、許してよ」


 顔を背けたままのリタに、男児たちがひたすら謝っている。

 その様子に何気に悪い気がしなかったリタは正面に向き直った。


「……ふむ、ええじゃろう。とくべちゅに、ゆるしてやろう」


 バツの悪い顔をしながら男児二人が頭を掻いている前で、三歳女児が腰に手を当てて偉そうに踏ん反り返っている。

 なんという上から目線。


「顔に雪玉をぶつけたのは悪かったと思うけど…… でも、お前ずいぶん偉そうだな……」


 確かに昨日の件では悪いのは自分達だったが、それにしてもどうしてこんなに上から目線なのだろうか、チビのくせに。


「あ゛っ? なんぞ?」


「な、なんでもないよ…… それじゃあ遊びに行こうぜ」


「あい」



 なんだかんだと言いながら、それでも楽しそうに男児二人の後を追いかけるリタ。

 その姿を見ているエメの目に涙が滲んでくる。

 少し前までは一人で満足に立つことも出来なかったのに、気付けば友達が出来て一緒に外を走り回っている。


 もっともリタはまだよろよろとゆっくり歩くのが精一杯で、走る事など到底出来ない。

 それは彼らも理解しているようで、彼女の歩く速度に合わせて何度も立ち止まってくれる。


 エメからのお願いで、遊ぶ場所は自宅から見える範囲にしてもらったので、彼女は男児たちに安心してリタを任せた。

 彼らは言いつけを良く守り、小さなリタに手を貸しながら丁寧に面倒を見てくれる。

 そんな彼らにリタも信頼を寄せるようになり、その日以来楽しそうに一緒に遊ぶようになった。


 それから彼らは毎日のようにリタを遊びに誘いに来るようになった。

 するとその遊び自体が彼女のリハビリとなり、日に日に足腰も強くなっていく。

 そして同年代の子供たちと屈託なく話をすることも、彼女の言葉の回復にとても役に立っていた。




 ――――




 雪解けも進んですっかり春らしくなってきたある日、カンデとシーロの二人は新しい友達を連れてきた。

 その子は村に唯一ある雑貨屋の店主の娘だ。

 彼女は最近四歳になったばかりだと言っていたので、五月で四歳になるリタとは同い年だった。


「初めまして、あたしはビビアナ。あなたはリタね。この二人から聞いていたけど……随分とちっさいわねぇ」 

 

 ビビアナは初対面のリタに向かっていきなり「ちっさい」などと言い放った。

 確かに彼女は四歳児にしては背が高く大人びて見えるので、痩せて小さいリタは年下に見えたようだ。


 ずっと病気で臥せっていた発育不良のリタは、ビビアナよりも二回りは小さく見える。

 見ようによってはまるで彼女の妹のように見えなくもない。 

 それは男児二人も思ったようで、揃って微妙な顔をしていた。


「はじめまちて。わたちはリタよ。よろちくね」


 初対面の相手には慎重に幼児言葉を繰り出すリタだった。

 間違っても「わしはリタじゃ。よろしゅう頼む」などとは口が裂けても言えないのだ。


 しかし、彼女の気遣いもビビアナには通じなかったようだ。

 彼女はまたしても無遠慮に口を開いた。 


「……あなた、赤ちゃんみたいな喋り方をするのね。――まぁいいわ、妹みたいで可愛いし。特別にお友達になってあげる」


 勝手に人の家にやってきて「友達になってあげる」とは随分と上から目線である。

 その態度はリタがカンデ達にとる態度の数倍は上をいっていた。


 もちろんそれはリタも感じていたが、ここは212歳の大人の余裕を見せつけて敢えて触れないことにした。

 リタはスルー能力が高いのだ。

 大人だから。


 

「ありがと。――しょれで、なにちてあしょぶ?」


「そうねぇ……お飯事ままごとは飽きちゃったし……」


「おぉ、おままごと――」


 お飯事ままごと…… ぜひそれをして遊びたい。

 いつもは男の子と一緒なので、たまには女の子同士で飯事ままごとがしたいと思うリタだった。

 

 ここにはエメ特製のお気に入りのぬいぐるみもある。

 これを赤ん坊に見立てて飯事ままごとなどとても楽しそうではないか。

 リタの愛らしい灰色の瞳が期待に輝いていた。

 


 しかしそのささやかな願いはあっさりと裏切られてしまう。


「あたし、探検ごっこがいい!! リタの家の裏にお山があるでしょ。そこを探検したいな」


 まさに「鶴の一声」だ。

 男児二人はその言葉に逆らおうとはせず、その様子からは彼らの普段の力関係が容易に想像できるものだった。

 彼らは互いの顔を見合わせると、遠慮がちに口を開いた。


「で、でもさ、リタは早く歩けないから、山は無理じゃないかな」

 

「それじゃあカンデがおぶってあげればいいじゃない。あなたがこの中で一番年上なんだから」


「えぇ、俺が?」


「なによ? なんか文句あるの?」


「い、いや……」


 そんな二人のやり取りを見ていたリタは、その間に割って入ると自信ありげに胸を反らす。

 本人はどや顔で踏ん反り返っているつもりだったが、その姿はなんとも可愛らしかった。


「らいじょうぶ、らいじょうぶ。わちはへいき。きにしない」



 彼女が言う通り、リタは今では歩くのもかなり早くなっていた。

 以前に比べるとそれなりに長い距離も歩けるようになっていたし、短い距離であれば小走りもできるようになった。

 

 もちろん自分に何かあれば友達や両親に心配をかけることは十分承知していたが、それでも勝手知ったる裏山なのでそれほど心配していなかったのだ。


 リタの両親も、いつも通りに姿が見える範囲という条件を出したうえで、彼らが裏山で遊ぶ許可を出したのだった。

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