第8話 楽しい山菜採り

 幼児四人はリタの家の裏山で遊び始めた。


 最初はリタもよたよたと皆の後を着いて行ったが、雪解けでぬかるんだ道に足をとられて転んでしまう。

 あれだけ自信満々に「らいじょうぶ!!」などと言っていた彼女は、結局顔から地面に突っ込んでドロドロになってしまった。


「うぬぅ……ぬかったわ。おのれ、おぬしら、まつのじゃ」


 リタはもう子供達の前で言葉遣いを取り繕うのはやめていた。

 初めの頃は意図的に子供らしい話し方をしていたが、遊びに夢中になると本来の言葉遣いが出てしまう。

 だから口調を誤魔化すのは無駄だと思って諦めたのだ。

 

 リタの年寄り臭い話し方はビビアナに散々指摘されたのだが、本人が頑なに直さずにいると次第に言わなくなった。

 そして気づけばその口調に皆違和感を感じなくなっていたのだ。



 よたよたと後ろをついてくるリタを、頻繁に後ろを振り返りながらカンデが待ってくれる。

 この中では彼が一番年上だったし、エメにリタの面倒をお願いされたのを彼は健気に守ろうとしていた。

 しかし最後尾で泥に突っ伏して倒れているリタを見つけると、慌てて助けに来たのだった。

 


「リタ、大丈夫か? あーあ、こんなにドロドロになって……おばさんに怒られるなぁ」 


 泥まみれになったリタに手を貸しながら、カンデが小さな溜息を吐いた。


「らいじょうぶじゃ。かかしゃまはやさしいから、おこらんじょ」


「――まぁ、うちの鬼ばばに比べたらリタの母ちゃんって綺麗だし、優しそうだけどな」


「うむ、そうじゃろ、そうじゃろ」


 カンデの言葉に、リタは満足そうに何度も頷いた。

 その顔はとても嬉しそうだった。




 十五歳で成人を迎えてすぐに結婚をする者も多いこの時代において、二十代前半と思しきエメは子供が既に三人はいてもおかしくない年齢だった。

 しかも貧しい生活のために苦労が顔に出てしまっているし、日々の農作業のせいで顔は日に焼けて真っ黒になっている。


 プラチナブロンドの美しい髪はいつも無造作に束ねられているし、恐らく道具がないのだろう、彼女が化粧をしているところも見たことがなかった。

 しかし、日焼けをせずに小奇麗な格好さえしていれば、その整った顔立ちとスタイルはかなりの美形だ。


 もとよりリタも、母親のことは贔屓目抜きにかなりの美人だと思っていたし、服の上からでもわかる破壊力抜群の大きな胸は、彼女も大好きだった。



 さらに父親のフェルもスラリと背の高い顔立ちも整ったなかなかの美丈夫だ。

 だからこの二人の血を引くリタもかなり顔立ちは整っており、未だ幼い三歳児ではあったが、リタの容姿には将来かなりの美少女になるであろう片鱗が垣間見えていた。

 しかし長い闘病生活と栄養失調を原因とする発育不良と痩せぎすな体は如何ともし難く、病が完治した今ではいかに体重を増やすかが当面の課題だった。


 そんなリタだったが、今は顔のみならず頭まで泥だらけにして、せっかくの整った顔を台無しにしていたのだった。



 そんな泥まみれの残念な姿のリタが、「よっこらしょ」などと年寄り臭い掛け声とともに立ち上がろうとする。

 するとその途中である一点に目が釘付けになると、驚愕の一声を上げたのだった。

 

「ぬぉっ!! こ、こりぇは――!!」


 思わず絶叫したリタの視線の先には、土から芽を出したばかりのフキノトウがあった。

 彼女の目にはとても美味しそうに見えて、最早もはや探検ごっこどころではなくなってしまう。



 山菜採りはアニエスの数少ない趣味の一つだった。

 前世でも忙しい日々の合間を縫うように山に繰り出しては季節の山菜を採取して食べたものだ。

 それはどんなに忙しくて欠かすことのできない特別な趣味であり、たとえ要人が訪ねていても、それを待たせてまで出掛けたこともあったくらいだ。


 彼女曰く「人にはまた会えるが、山菜はシーズンを逃すとまた一年待たなければならない」らしい。

 さすがに国王を待たせてまで山に登ろうとした時には周囲に止められたが、それでも山菜採りは彼女にとってはライフワークのようなものだったのだ。


 それは今の幼女の身体に転生しても変わることはなく、フキノトウを発見した彼女はまるで目の色が変わったように採集を始めてしまう。



 それからしばらく取り憑かれたようにフキノトウを採っていたリタは、林道から奥に入った場所にタラの芽が出ているのを発見する。

 そんなことを何度も繰り返しているうちに、気づけば遊びそっちのけで食糧の確保に勤しんでいた。

 その姿を見た友人たちは、若干引き気味にリタを見守っていたのだった。




「ねぇ、探検ごっこは!? そんな草ばっかり採ってても面白くないじゃない!! ねぇってば!!」


 何度声をかけてもどんどん一人で山の奥に入っていくリタに、いささかイラッとした顔のビビアナが叫んだ。

 それでもリタは顔も上げずに言い放つ。


「しょんなことはない。これらはりっぱな食料なのじゃ。お前にもあとでくわしぇてやろう。うまいじょ」


「タラの芽はちょっと苦いからなぁ……僕はちょっと苦手なんだ」


 一心不乱にタラの芽を採るリタの背中を見つめながら、同い年のシーロが渋い顔をした。

 彼はそれがあまり好きではないらしい。


「しょうがねぇなぁ。リタ一人だと危ないから俺たちも付き合ってやろうぜ。どうせすぐに飽きるって」


 山菜に対するリタの執念を全く知らないカンデが、呆れた顔の二人に声をかけると、残った二人も仕方なさそうに頷いた。



「もう少し奥に入るとコシアブラとかワラビも採れるんだけど、大人と一緒じゃないと危ないんだ」

 

「なんじゃと!? ワラビも採れるのか? なじぇそれを早く言わぬのじゃ!! さぁ、案内あないせぇ」


 普段はよたよたと歩くリタなのに、この時ばかりはぐいぐいと勢いよくカンデの腕を引っ張る。

 その勢いは凄まじく、腕を引かれるカンデが思わずよろけてしまうほどだ。


「だ、だめだよ、リタ。これ以上奥に入ると魔獣の縄張りに入り込んじゃうから危ないよ。父ちゃんにいつも言われてるんだ」

 

「そ、そうだよ。魔獣になんか出くわしたら食べられちゃうんだぞ。とっても怖いってママが言ってた」



 後ろからついて来たシーロがカンデの味方をすると、リタは立ち止まって何かを考え始める。

 

「まじゅうってなんぞ?」


「魔獣は魔獣だろ。なんだよリタ、知らないのか?」


「そりは知っちょるわ、ばかにしゅるな!! なんのまじゅうかと訊いちょろうが!!」


「えぇ…… そんなの知らないよぉ。魔獣は魔獣なんだろ? 種類があるのか?」 


 魔獣の話に興味が湧いたリタがその種類を訊いてみたが、カンデは知らないという。

 それを聞いた彼女は、一番年上と言っても所詮は五歳児かと鼻で笑った。


「ふふん……まぁええわ。そんなん蹴散らしちゃるからの」


「そんなことできるわけないだろ――それよりも、なんか腹立つなその言い方」


「気にしゅるな。まぁ、ほんとにまじゅうが出たら、わちがやっつけちゃるからな。安心すれ」



 前世のアニエスにとって山菜採りは単なる趣味の一つでしかなかったが、いつも腹を空かしている今世の彼女にとっては、それ以上のものになっていた。

 ここで頑張れば、あとで腹いっぱい山菜が食べられる。

 今の彼女の頭の中はそれでいっぱいだったのだ。


 そして気付けば母親との約束を破り、すっかり山の奥まで踏み込んでしまっていた。




「ここはどこだろう……」


 三人の幼児たちは山の中で心細い声をあげていた。

 ずんずんと山の奥へと歩いて行くリタを追いかけているうちに、彼らは道を見失っていたのだ。


 最後に歩いた林道から既に一時間は離れており、最早もはや自分たちがどこから来たのか、どこへ向かっているかもわからなくなっていた。

 そんな幼児たちの様子に一向に構うことなく、リタはひたすら山菜取りに精を出す。


「ねぇカンデ…… も、もちろん帰り道はわかっているのよね?」


 自分たちの境遇に薄々気付き始めたのか、ビビアナが不安そうに周りを見回している。

 表向きはいつもの強気な様子だが、さすがに隠しきれるものではない。

 声をかけられたカンデも少し泣きそうな顔になっていた。


「だ、大丈夫だよ。たぶんあっちの方から来たはずだから……」


 不安な表情を隠すことなく背後の木々を指差しているが、カンデの手は小刻みに震えている。

 その様子を見ているだけで、シーロとビビアナも沸き起こる不安を抑えることが出来なくなっていた。



 不安そうに自分を見つめる二人を前にして、カンデは自分が何とかしなければいけないと思っていた。

 この中では自分が一番年上なのだし、リタの面倒を見るようにエメにも頼まれていたからだ。


 そうは言っても所詮は彼も五歳児なので、具体的にこの状況をどうにかする方法は思い浮かばなかった。

 彼だって自分が今どこにいるのか全くわからなかったし、どちらに向かえば帰れるのかも全く見当がつかなかったのだ。



「おぉう!! ゼンマイ発見じゃ、これはすごいじょ!!」


 そんな彼らの様子に一切構わずに、リタは山菜の採集に夢中になっていたのだった。

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